HEAD ACHE = ヘッドエイク > 頭痛。

THE STARCLUBの同名曲から命名。1984年結成。1986年消滅。富山のライヴハウス「メディア」でアキラとぼく(景壱)が出会う。
多聞に漏れず、初期ガーゼやスターリンの様な音でだらだらライヴ活動を続けていたが、コア誕生期のエクスプロイテッドの1'stを聴き、影響を受け、コアに転向する。富山で第1号のコアバンドの誕生である。



先祖 晃(AKIRA) 解散後、THE STARCLUBへ。
アキラをご存じのヒトもいるかもしれない。



先祖晃と六萬景壱、アル中のモヒカン大塚潔、ヘビメタあがりの田中尚次の4人で活動を開始。バンドの名前はこの時決まった、と記憶している。

市内のライヴハウスやスナックを借り切っての活動を続けていたが、無理やり弾かせていた尚次が抜け、酔ってまともにステージができない潔が抜け、当時客として来ていたマレオ(太田)、ベンタ(紅谷)を加え、活動を再開する。当時のお客がルースターズや永ちゃん、銀蠅が流行だったため、ポゴダンスではなく、ロカビリーのステップで踊る、という奇妙なライヴが多かった。また、チケットは西武前で当日、半ばカツアゲ風に売りさばいていたこともあった。1枚200円というまるで市民プールの入場券並の値段だったことも付け加えておこう。






太田希夫(MAREO) 現在、地元TV局のカメラマンをやっている。
ライヴ毎に、自分で腕切って流血してたよ。



富山駅前の「スタジオアリス」で全国ツアー中のTHE STARCLUBのツアー前座でステージ。DOLL誌上のツアーレポートで紹介され、注目される。

その後、ミニカセットアルバムを発表。「発売記念GIG」に於いて、大阪からゲストに「ガーリックボーイズ」のラリー在籍中のコブラを招く。コブラはサイコーだったよ。観客大合唱っていうライヴは当時皆無だっただけに、ほんとにコブラのステージはオドロキだった。

都内でのスピード完売を機にUKエジソンとタイアップでソノシートを発表。完売。雑誌 DOLL誌上、PHONOSHEET部門でインディーズ売り上げチャート総合3位を記録。



清水裕昭(HIROAKI) 現在、エホバの証人。 堀川小泉町あたりを、
チャリンコでうろうろしている。
ライヴ当日に行方不明ってのがしょっちゅうだった。朝日を見に行っていたとか。




そのころ各地からひんぱんに出演依頼が来る。名古屋、大阪、京都、東京など都市圏を中心にライブを敢行する。京都でライヴの予定が決定した後、毎夜のようにいやがらせの電話が入って閉口したこともあった。アンチ.スタークラブなんだと。イヤだったね....

富山、金沢に於いてザ.スタークラブ、ラフィンノーズの前座をつとめる。各地でザ.ウィラード、 ガスタンク、リップクリーム、赤痢、コンチネンタルキッズ、原爆オナニーズ,ばちかぶり,白(クロ)、スペルマetc...と対バン、共演する機会を得る。今思えば貴重な経験だった。


六萬 景壱(K-1) こーゆーマスクをしてたので、打ち上げではよくマネージャーとカン違いされてました。


ラフィン.ノーズ、コブラ、ウィラード全盛期の80'sインディーズシーンの中、北陸のカリスマ的な存在だったグループである。冥福を祈る。
(なんでやねん)

そして、
再結成。

当時のメンバーはぼく(景壱)だけです。
これからメンボ(メンバー募集)と、活動の軌跡を
WEBでお伝えしていきます。よろしくネ。

■ゲストブック(COREな世間話でもしよーか)

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