龍鬼之刻〜龍を育みし者〜

前から考えていた龍斗の父親の話。思ってたより短くなったが。剣風帖の葵が夢に見た光景と、外法帖の《陰》の序章を見たことで書きたくなったお話です。二時間で書けた。

 一つの屋敷が炎に包まれている。

 そこは九角家の屋敷。反逆の徒として、幕府よりの襲撃を受け、なおも抵抗する小さく悲しい戦場だった。

 怒号が響き、異形の存在が雄たけびを上げた。《鬼》。この九角の当主が生み出した屈強なるその存在も、幕府側の執拗にして圧倒的な兵力投入によって、次々と消滅していた。遠間から矢や弾丸に射られ、弱ったところを刀や槍によってとどめをさされる。

「くぅ・・・」

 屋敷の奥では、一人の男が座している。外の喧騒、そしてすぐ側まで迫っている炎を意にも介さず、ただ静かに瞑想している。

「近いな・・・・。この場に相応しくない―――いや、この場においてもっとも鋭く研ぎ澄まされた空気を纏う者・・・・・」

 先刻から近づいてくる気配を、この屋敷の当主―――九角 鬼修は待っていた。

 今だ鬼修の元にたどり着いた者はいない。だが、それも時間の問題だろう。だから、待っていた。

 自らを斃す者を、あるいは自らによって倒される者達を。

「――――セイッ!!」

 跳ねるように立ちあがった鬼修が抜刀―――廊下に面する障子を一刀の元に斜め一閃、切り払う。

 障子の向こうには《鬼》が立っていた。最後の護りとして、一際強大に生み出した《鬼》だ。だが、その身体は塵となり、霧散して行く。

「・・・・・・・」

 《鬼》の背後には、一人の男が立っていた。この地に攻めてきた侍、足軽とは風体、雰囲気がまったく違う。

 歳は三十に届かぬだろう、その若者の、その身体には防具となる鎧は着けられていない。身体の動きを制限しないということのみの特化したような装衣に、不思議な文様が描き掘り込まれた手甲を着けているだけだ。

 ただ、引き締まった肉体をもつその若者の雰囲気は、歳相応のそれとはかけ離れていた。ただ清冽に澄み切っている。ヒトとオニとがぶつかり合うこの異様な戦場において、異彩な輝きを放っていた。

「我が前に現れたのが、無手の技を使うらしき若者か。さすがに驚いている」

「・・・・あなたが、九角 鬼修か」

「いかにも」

「想像通りの目をしている」

「何のことかな?」

 そこで初めて若者は笑みを浮かべた。炎と血臭の覆うこの場に似つかわしくない微笑み。

「ただ一人の女のために、幕府を敵に回す男を見、そして闘ってみたかった」

「・・・・・・・・それだけのために、この地へと来たと言うのか?」

「ああ」

 若者が構えをとる。九角もそれに応じる。が、しばしの沈黙のあと、鬼修は笑い出した。

「クククッ・・・ハーハッハッハッ!」

「?」

「ハハハ・・・・、なるほど、これぞ待っていたかいがあるというもの。貴殿のような男こそ、我が最後の相手に相応しいのかもしれん」

 ひとしきり笑い顔を上げたとき、鬼修の表情は闘いの中にあった。炎が揺らぐほどの剣氣を纏い、切っ先を若者に向け構えた。

「九角家当主、九角 鬼修 参る―――貴殿の名は?」

「・・・・緋勇 斗麻(とうま)―――御相手願おう」

 座敷の中を巡るようにふたりが間合いをとったまま、位置をずらしていく。2人の放つ気配がうねる様に両者の間で攻めぎ合い、それを恐れたかのように炎がひいていく。

 そして、2人の間で何かが弾けた。

「雄ォォッ――!!」

「鬼道連獄!!」

 それぞれの拳と刃に宿った《力》がぶつかり弾け合う。両者はすれ違い、鬼修は振り向きざまに斗麻の首筋に向けて刃を振るう。

 ギャリッ!

 手甲が刃を滑らせ、軌道をそらす。左腕で防御するとともに、身体を反転させ、右の拳を振り上げた。

「ヌゥ!」

 鬼修の衣の一部が千切れ跳ぶ。

「鬼道・惑衆!」

 後ろに跳び、斗麻の間合いから離れるとともに、鬼修が鬼道の術を編み上げる。しかし―――

「喝ッ!」

 相手の精神を乱す《力》を、斗麻は気合のみで解いた。そして、両者は闘いの開始とほぼ同じ態勢で、再び対峙する。

「我が術を、そのような強引な破り方をする者は見たことがない。いや、大した男だ」

「・・・・・楽しそうだな」

「ああ、歴代の当主にあの世で顔向けできんかもしれんな。九角家断絶の折、このように心踊る仕合いの末に死ねるとは・・・」

 鬼修の身体に強大な《力》が収束していく。

「外の《鬼》の護りもそろそろ持たぬようだ。無粋なる輩にこの仕合いを妨げられるまえに、雌雄を決しようぞ」

「ああ・・・・・・」

「閻魔の威と、鬼道の技。その全てをこの刃に込め滅する我が九角家の奥義・・・・。いざ―――」

「―――勝負!」

 斗麻が駆ける。それと同時に鬼修の奥義が繰り出された。

「閻羅戟閃!!」

 鬼修の姿がかすむほどの膨大な氣と威力が斗麻を正面から捕らえる。

 ダンッ!

 斗麻が跳んだ。だが鬼修の技から逃れられず、肉が弾け飛んだかのように全身から鮮血が飛び散った。

「破ァァァァッ!!」

 だが、斗麻の勢いは止まらなかった。斗麻の全身を炎と変じた氣が包み込み、大空を駆ける大鳳のごとく舞いあがる。

 そしてその翼の羽ばたきは鬼修を包み込み、すべてを撃ち崩す―――

 

 

「御屋形様・・・・・」

 喧騒も届かぬところで、鳥面の男が遥かに見える屋敷に仮面の下の瞳を向けていた。燃え盛る炎はまだ赤々と闇を照らしている。

 鳥面の男―――嵐王のすぐ側には木の根元で寝息を立てる二人の幼子がいた。どちらも嵐王の術によって眠りに落とされている。

「貴方様の忘れ形見―――この命に代えてもお守りいたします。それが最後の御奉仕となりましょう――――!?」

 振り向いた嵐王の視界に、男の姿があった。つい今まで気配すら感じなかったと言うのに、当たり前のように立っている男の手には―――

「御屋形様!!」

 今生の別れとなったはずの、自らの主がその男の腕に抱えられていた。男は、鬼修の亡骸を地面に横たわらせる。

「貴様は一体・・・・」

「この男の最後の相手となった者だ」

 ジャキッ!

 嵐王が手に鎖鎌を握る。

「・・・・・・・・」

 2人はしばしの間、まったく動かずに対峙した。嵐王は動けない。なぜ立っていられるのかも不思議なほどの怪我を負っている斗麻はただ薄く笑みを浮かべて立っているだけだった。それでも、嵐王は動けずにいた。

「・・・・幕府の者どもにさらされるより、あんたたちの手で弔われる方がいいだろう。せめてこの男が静かに眠れる場所に埋めてやってくれ」

 斗麻は、傍らに寝かされている2人の幼子を見た。

「・・・・・この娘は、俺の息子と同じぐらいだな。もし、俺と息子が生きていれば、成長したこの2人と会わせてみたいな・・・・」

 男はそう言い残し、その場を後にした。男の姿が木々に解け込んだかのように、森の中へと消えるまで、嵐王は動けなかった。

 

 

慶応3年―――春

「・・・・・」

 龍斗は、とある寺に訪れていた。知る者の少ない、寂れた寺だ。

 その一角に立てられた小さな墓石の前に、龍斗は膝をついた。

「久しぶりだな―――親父殿」

 墓石には「緋勇 斗麻」と刻まれていた。没した年もなく、ただ名だけが刻まれている。

「あんたが逝っちまってから、こっちはずいぶんと色んなことがあったよ。色んな奴にも会った。腕のたつ奴、悪どい奴、色々な」

 トクトクトクッ

 墓石に酒をかける。生前、斗麻が好きだったものだ。

「殺しても死にそうになかった親父殿が、流行病で逝っちまったことには笑ったぞ。逝っちまう日まで一度も俺に勝ちを譲らなかったのには、怒りを覚えたがな。しかも最後の言葉が―――『結局最後まで俺には勝てなかったな、馬鹿息子』―――」

 空になった酒瓶を起き、立ちあがる。

「俺が13の時にあんたは逝った。方々を巡り、あんたが一度行ってみろと言ってた江戸の町で龍と鬼に会ったよ。その中には、あんたが御伽噺のように語っていた鬼もいた。もしかして、あんた、俺がそいつらと出会うように仕向けていたのか?」

 龍斗はすぐに自分の考えを否定する。

「あんたがそんな回りくどいことをするはずがないな」

 龍斗は立ちあがり、墓石に背を向ける。

「俺はもうしばらく江戸にいるよ。笑われるかもしれんが、学問ってのに興味が涌いてきたんだ。学び舎ってのも面白いもんだよ」

 龍斗が歩き出す。と、一陣の風が背後から抜けて行った。

―――達者でな 馬鹿息子―――

「――――」

 龍斗が振り向く。しかし、そこには誰もいない。

「・・・・・・また、来るよ。親父殿―――――」

 

 

   龍鬼之刻〜龍を育みし者〜―――終

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