龍と鬼を結びし者 二節《片憶》

陰《菩薩眼》をベースにした第二弾。思っていたほど多くなかった龍斗と藍の会話をメインにしてみました。まだ登場していないはずの雹とかがいたりして、すげぇ書き直し多かった作品でした・・・。

■鬼哭村―――

「御屋形様ッ!」

「・・・・・・また、龍が江戸に下りたのだな?」

 屋敷に飛び込んできた澳継の様子に、ピンとくるまでもなく、天戒はそう言った。

「これで、何度目だ?」

「えっと・・・、3回、いえ4回目です・・・・、じゃなくてッ! そんな落ちついてていいんですかッ?」

「何がだ?」

 天戒が不思議そうな顔をする。

「また、龍閃組と鉢合わせになったら、どうするんですッ? 最悪、あいつが捕まって、この村のことが幕府にばれますよッ?」

「・・・・・それも、そうだな」

「御屋形様〜」

 ガクーンと澳継が肩を落とす。

「そう情けない声を出すな。どうも、龍が窮地に陥るというのが想像しにくくてな」

 天戒はしばし考え込み、屋敷の中に控えている下忍を呼ぶ。

「すまんが、尚雲に龍を捜しに行くように伝えてくれ」

「はッ」

 何処に、とは言わないし訊かない。龍斗がフラリと江戸によく降りていくのは、すでに村中の者が知っていることだ。

 

 下忍が鍛練場の九桐の元につく頃・・・・・。

「いやァ、やっぱここの蕎麦はうめェやね」

「そいつはどーも」

 蕎麦を啜っていた。

「しかし、緋勇さんよ。贔屓にしてもらって、こんなこと言いたかないんだけど、この前みたいに騒ぎ・・・・、いや、ありゃあ騒ぎじゃねェか」

「? なんのこと?」

「ほら、この間、藍ちゃんと連れの人たちにここで会った時のことだよ」

「ああ、あれ?」

 龍斗は以前、蕎麦を食うためだけに江戸に下りてきたことがある。その時、ここで京梧たちと会ってしまい、追逃戦を繰り広げていた。

「なんか恨みでもかってんのかい? 京梧って兄ちゃんの剣幕なんか、すごかったよ」

「ん〜、まあ、因縁浅からぬ、って奴かな?」

 気軽に言い、器を置く。五杯目だった。

「んじゃ、俺ァ行くわ。ごちそーさん」

「はいよ。また来てくんな」

 感情を机の上に置き、龍斗が暖簾をくぐる。

「・・・・・・・・」

 ピタリと足が止まり、ゆっくりと顔を右に向けた。

「・・・っちゃ〜」

 さすがに龍斗も顔を覆いたくなった。

「貴方・・・・」

「・・・よお」

 ばったり会った見知った顔。軽く手をあげて、苦笑に近い笑みを浮かべる。

「緋勇 龍斗・・・さん」

「最近、よく会うな、菩薩眼の人。美里 藍だったな、確か」

「え、あ、はい・・・・」

「飯か? それとも、ここの親父さんに用事でも?」

「え? いえ、通りかかっただけで・・・・」

  すでにいつもの調子の龍斗に対し、驚きの表情のまま少々混乱したまま返す藍。まあ、敵勢力の幹部クラスにばったり出くわし、尚且つ日常的に会話を求められても、混乱するしかなかろうが。

「そうか」

「え・・・?」

 いきなり歩き出す龍斗にポカンとする藍。

「ん? このまま行っていいのか? せっかく敵の一人を見つけたってのによ」

「・・・・」

「ま、仲間を呼びに行ったりすりゃあ、その間に俺は逃げるけど・・・・・どうする?」

「・・・・・・」

 再び歩き出す龍斗を追って、藍も歩き出す。とりあえず、目を離さないことにしたようだ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 しばし無言で歩く。先に口を開いたのは龍斗だった。

「あんた、あの時のこと、仲間に話してないんだったな・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

       ・

       ・

       ・

       ・

 九角屋敷内―――夕七ツ刻

「若―――、只今、戻りました」

「戻ったか」

 九桐の声に、天戒が振り向く。《菩薩眼》拉致の命を受けた四人と、布で目と口を覆われた、その《菩薩眼》美里 藍が、視界に入る。

「美里 藍、間違いなく、ここに」

 桔梗が藍を前へと押し出す。

「・・・・・・・」

「うむ、良くやった。見たところ、龍閃組と闘りあった形跡もないな」

「ええ。万事滞りなく」

 桔梗の言葉どおり、藍を攫うことは思っていたより簡単だった。下忍の報告から、藍の立ち入りそうな場所で得た情報により、藍が単独の時に接触できたのだから。

「ふッ、そうか」

 天戒が顔をあげ、戸のそばに立っている龍斗に視線を向けた。龍斗は、桔梗たちと違い、なにやら仏頂面で、視線を合わせようとはしなかった。

「龍も、ご苦労だったな」

「・・・・・・」

「なにか、不満でもあるのか?」

 ようやく龍斗が顔を天戒に向けた。

「村を出るときに言ったろう? この任務は、気が乗らなかった。それだけだ」

「・・・・・・龍、我々にとって、《菩薩眼》を手中に収めるということは―――」

「それは、もう聞いた」

 天戒の言葉をさえぎり、龍斗が藍の側に寄る。

「だが、仲間から引き離す、ってのが気に入らない。俺の個人的な感情だ。気にするな」

「たんたんッ、てめェ、さっきから―――」

 澳継がくってかかろうとするのを、九桐が制した。

「九桐、なんで止めるんだよッ!」

「龍斗が反抗的なのは認めるが、だからといって、若に逆らっているわけじゃない。龍斗のことだ。本気で逆らうつもりなら、俺たちが美里藍を連れてこようとした時点で、止めてるさ」

「だからって―――」

「よい、澳継」

「・・・・・・・」

 天戒自身に言われ、ようやく澳継も気勢を弱める。それを確認してから、天戒は九桐に藍の戒めを解かせた。

鬼道衆頭目と龍閃組がはじめて接触したが、それはすぐに終わる。自分が鬼道衆を率いる者だと話すと、すぐに背を向け、藍を休ませるように、指示した。澳継が、「休ませることはない」と言うが、それに取り合わない。

「全ては、明日だ―――。桔梗、龍。この女を離れの屋敷へ」

「・・・ああ」

「判りました。さあ、お歩き」

「何故、こんな事を・・・」

「・・・・・・・」

「あなたたちは、一体、何をしようとしているの?」

 天戒は、その問いに答えずに、だた「連れて行け」と言い、振り向くことはなかった。

 

「しかし、坊やじゃないけど、天戒様も随分やさしいねえ」

「何が?」

 離れに向かう途中、桔梗がふと漏らす。聞き返す龍斗は、藍の腕をつかんでいた。藍が抵抗しているわけでもないので、ただ並んで歩いているのと変わらないが。

「仮にも今まで何度も苦戦を強いられた敵のひとりだよ。ふん縛って、その辺の納屋にでも放り込んでおけばいいものを・・・・」

「いかにも、っていう感じの華奢な娘に、そんなことして体を壊されたら元も子もなかろうに。それに、そんなこと言ったって・・・」

「天戒様が承知しないんだろうっていいたいんだね?」

「ああ」

「ま、それはそうかもねえ」

「・・・・・・・」

 二人の会話に藍は入ってこない。が、先ほどまでより緊張が薄れていた。というより、少しばかり毒気を抜かれた、という感じだ。

「・・・・あ、桔梗。ちぃっとばかし、この娘、連れてくわ」

「え?」

「なんだって?」

 二人が問い返す前に、龍斗は藍の腕を持ったまま、方向を変えた。

「ちょ、ちょっと、たーさん!?」

 呆気にとられて、桔梗は、しばし止めるのを忘れていた。

「すぐ行くよ」

「あ、あの・・・・」

 足も止めずに、そう告げただけで、龍斗はどんどん別方向へと離れていった。

「・・・・・・なんだろうねえ、まったく。たーさんの考えだけは、よくわかんないよ」

 龍斗のことだから、と、止める気も起きずに、桔梗はただ、あきれているだけだった。

 

「ひいふうみいよ、よろず吉原―――」

「かかや勝栗、ほんだわら―――」

「とおで遠里―――、わーいッ!!」

 広場には、村の子供たちが遊んでいた。

「あッ・・・・」

「珍しいか? 《鬼》のすむ村に、子供が遊んでるってのは?」

「それは・・・・・」

 心情を読まれ、藍は少し気恥ずかしそうに俯く。

「あー、龍斗様だー!」

「おかえりなさいー!」

 龍斗の姿を見つけた子供たちが、駆け寄ってきた。龍斗はにこやかに迎えるが、藍は少し戸惑っている。

「おう、相変わらず元気だな、お前たちゃ。しかし、龍斗様はやめろってーの、様は」

「なんでー?」

「母ちゃんたちは、そう呼びなさい、っていうよー」

「こっ恥ずかしいんだよ」

「でも、龍斗様は龍斗様だよ?」

「ぬ〜・・・」

「・・・うふふ」

『・・・・・・・』

 その様子に思わず笑みがこぼれてしまった藍に向かって、子供たちの視線のあつまる

「え・・・・?」

「龍斗様、この綺麗なお姉ちゃん、誰?」

「御屋形様の客だ。そうだ、おまえら、一緒に遊んでもらえ」

 立ち上がり、藍の背中をポンッと押す。よろけた藍が姿勢をもどしたときには、子供たちに囲まれていた。

「え、えっと・・・」

 藍が困ったように、龍斗を見た。意地の悪い笑顔で返す龍斗。視線を戻すと、子供たちのキラキラした瞳とかち合う。

「・・・・そ、それじゃあ、何して遊ぼうか?」

 そんな瞳に逆らえるはずもなく、藍は子供たちの輪に入っていった。

 はじめはぎこちなかった藍も、すぐにいつもの調子を取り戻し、ここが敵地であることを忘れたかのように、子供たちとの一時を楽しんでいた。

 

 半刻後―――

「あー、たくッ、餓鬼ってのは、疲れ知らずだねェ」

 なにやらボロボロの風体になってる龍斗と、笑っていいのかどうかと複雑な表情の藍。途中から遊びに引っ張り込まれたようだ。

 子供たちと別れ、龍斗は次の場所へと藍を案内していた。藍の表情は、子供たちと会う前よりかは、少しやわらいでいるようだった。

「俺は、この村に来て間もない。《鬼》たちの隠れ里だっていうが、来てみりゃ、化け物がすんでるわけじゃない。徳川に何かを奪われ、そのためにここに集まった、ただのヒトだ。桔梗たちは、鬼が慟哭していると称したが、他所で見てきた奴らに比べりゃ、まだ幸せに見えるよ・・・・」

「・・・・・・」

 藍の表情が、また沈む。

「だが、徳川が滅びなきゃ、この村の者たちは幸せにはなれねえ」

「・・・・・・・」

「―――と、思ってるんだろうな。ここの連中は」

 ふいに、龍斗の口調が微妙に変わり、藍が顔をあげる。だが、その表情には、変化が見られなかった。ただ、龍斗の印象だけはハッキリとしてきた。今まで会った、どの鬼道衆とも違う、不思議な雰囲気。

「―――あそこだ」

「え?」

 ふいに立ち止まった龍斗の指した方に、一軒の風変わりな建物があった。

「礼拝堂?」

「ああ、この村では、少し自慢してもいいくらいの立派なもんだ。まあ、この国でりっぱな切支丹のタチモンなんざ、そうそうあるわけじゃないけどな」

 龍斗が扉をあけ、藍を中に入れる。

「おや、龍斗さん。戻られたのですか?」

 中には異装の、柔和そうな男がいた。鬼道衆の一人であり、隠れ切支丹の御神槌だ。

「ああ、さっきな。ちょいと客人をつれてきた」

「・・・・・・その方は」

「貴方は・・・たしか」

 御神槌と藍は、以前、幕臣の井上重久の屋敷で面を合わせている。言うまでもなく敵同士、龍閃組と鬼道衆の一員としてだ。

「敵の村の中だ。落ち着けはしないだろうが、ここならちっとは気が楽だろう?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 ちょっとした沈黙。先に口を開いたのは、御神槌だ。

「そういうことでしたら、こちらへ・・・」

「・・・・いいのですか?」

「彼の招き入れたお人です。それに、貴方たちは、《鬼》となった私を止めてくれました。敵対する相手とはいえ、恩を仇で返すほど、愚かではありませんよ」

「・・・・・・」

「それに、もともと、私に断る理由はありません。ここは、聖堂なのですから」

「・・・・ありがとうございます」

 藍は十字架の前に立ち、手を組んで目を伏せる。御神槌も同様に、祈りをささげていた。

「・・・・・・」

 ズキンッ!

「・・・・ッ?」

 龍斗の中に、何かが突き立つ。藍の姿に、奇妙な懐古の念と、同時に焦燥感が湧き上がった。

(なんだ?)

 一瞬、炎のような赤い髪を持つ男の姿が見えた。天戒とは違う、雄雄しくも禍禍しい威風の存在。

「どうしました?」

 気がつくと、御神槌が龍斗の側にいた。どうやら、数瞬、意識が飛んでいたらしい。

 奇妙な感覚は、すでになかった。

 

 鬼哭村―――夜九ツ半刻

「・・・・・・・」

 離れの屋敷で、藍は眠れずにいた。部屋の中に座し、ただ刻が進んでいくのを感じていた。

 障子越しに届く淡い月明かりを眺め、ふと、花音のことを思い出す。

「心配してるかな、花音ちゃん・・・・」

 花音の手伝いをしている途中、龍斗達が現れ、藍を連れ去った。

 恐怖と不安と戸惑いの後に見た《鬼》の村は、どこにでもある日常だった。子供たちが元気に駆け回る、日溜りの中の村。

 この村は、徳川に恨み持つ者たちが集う。だが、人が集う暖かさがある。

「なぜ、争うの? 確かに、徳川がここの人達に行ったことは、許されないことかもしれない・・・・。でも、そのために争いをもとめれば・・・」

 礼拝堂で会った御神槌。敬謙な切支丹であったという彼でさえ、その憎しみに捕われた。

 藍の脳裏に、龍斗の姿が浮かぶ。

「あの人は・・・・、あの人も、徳川への憎しみに捕われている・・・?」

 子供たちと戯れる龍斗の姿に、憎悪の影は見えなかった。

「邪魔するよ」

 障子がふいに開き、藍の思考が中断した。月明かりを背に、龍斗が部屋に入ってきた。

「あ・・・」

「寝てなかったみたいだな」

「あなたは・・・・。ここへ、何をしに来たのです? 私に・・・何か訊くことでもあるのですか?」

「最近、この山に物騒な《何か》がいるらしくてね。あんたの様子を見てきてくれって頼まれたのさ」

 部屋に入ってすぐのところで、龍斗が腰を下ろす。

「まあ、あんたに訊きたいとおもうこともある」

「私に・・・?」

「あんたは、何故闘っている?」

「え・・・」

 数瞬、藍は答えに迷う。何を意図している問いなのかが掴めていなかった。

「御神槌たちに、あんたたちのことはいろいろと聞いている。その話の中で、あんただけは他の奴らとはあきらかに違っている。どう考えても争いを好む者じゃない。いや、争いそのものを嫌っている」

「・・・・・・」

「たとえ、《人ならざる力》を有するとしても、闘いに向いているとは思えない。なのに、何故闘う。己の命も失いかねない、《鬼》との闘いに身を投じる? それとも、徳川のために、そうする義務がある、なんて思ってるか?」

「・・・・確かに、私は龍閃組のひとりです。あなたたちに幕府の為に闘っていると思われても仕方ないでしょう・・・。だけど、これだけは信じてください。龍閃組の目的は、幕敵を斃すためではないと。誰もが平和に穏やかに過ごせる世の中を創りたい―――」

「・・・・・・」

「そのために、この江戸を―――大切なものを護りたいだけなんです。ひとりでも多くの命を救うために、この《力》を使って・・・」

「なるほど・・・・。そいつァ、他の・・・蓬莱寺たちも同じか?」

「ええ」

 藍はハッキリとうなずいた。

「私は、そう信じています」

「・・・・大切な者と、それが住む江戸か」

 苦笑とも微笑みともとれる薄い笑み。

「・・・・あなたにもあるでしょう? 護りたい大切なものが―――」

「・・・・・・・」

 しばらくの沈黙。藍は、こちらを見る龍斗の瞳に、わずかに揺らぎがあったように見えた。

 そして、今度こそ、微笑んだとしか見えない、穏やかな笑みを見た。

「ああ、あるさ」

「良かった・・・。あなたにも、あるのね。とても大切なものが・・・」

 龍斗の笑みにつられたように、藍も微笑む。しかし、すぐにその表情が沈んだものになった。

「それならば、どうして? どうして、あなたたちは、人の命を奪うの? あなたたちを突き動かしているのが、復讐だとして―――、それは同じ痛みを誰かに与えることで癒されるものなの?」

「・・・・あんたは、どう思う?」

 逆に問い返す。藍は悲しみの表情とともに、言葉を紡ぐ。

「誰かを傷つけることで癒される傷なんてない・・・。痛みと悲しみを刃に変えてしまえば、それはまた、新たな悲しみを生むだけ」

「悲しみの連鎖か・・・。確かにな。鬼道衆は、憎しみと悲しみによって形作られた刃だ。その刃によって傷つけられた者、そして、あとに残された者は、その憎しみと悲しみを宿らせる・・・」

 龍斗は藍の言葉を、全て肯定した。藍が言うまでもなく、鬼道衆である龍斗は、それを認めていた。

「・・・・それでもあなたたちは闘うというの? そうする事が、あなたにとっての正義だというの・・・?」

「人殺しに正義なんてないさ。幕府を斃すのに、そんな薄っぺらい大義名分をかざす気は、さらさらねェ。それにもともと俺に、徳川を斃す理由なんかねェ」

「え・・・?」

「徳川に気にいらねェ馬鹿共が蠢いていることは知ってるし、鬼道衆に入ってからは、それを目の当たりにもしてきた。だが、俺には憎しみをもつほどの貸しはない」

 龍斗の言葉に、藍は驚いていた。そう感じていたとはいえ、本人の口からそれを確かめられると、さらに不可解なものとなった。

「それならば、なぜあなたは、彼らと一緒に行動しているの? なぜ、彼らの復讐に、手を貸してしまっているの? 復讐は、あなたたちの中にもきっと、新たな傷を生んでしまうわ・・・」

「俺は、天戒たちを手助けしてやりたいと思っただけだ。・・・・・あんたには判んねェさ。憎しみを募らせ怒りをぶつけるしかできなくなる境遇ってやつがさ」

 藍が一瞬、言葉に詰まる。龍斗の口調には、強い圧力があった。

「・・・・あなたにも、そんな境遇があったの?」

「・・・・俺みたいに厄介毎に首を突っ込みたがる馬鹿には、それなりにな・・・・」

 龍斗が立ち上がる。

「もう寝ろ」

 障子をあけ、部屋を出て行こうとする龍斗を、藍の言葉が引き止めた。

「私たちは、理解しあう事はできないの・・・?」

「・・・・・」

「私たちは・・・・・」

 月明かりの中、静寂が流れる。時が止まったかのように。

「・・・・ごめんなさい。勝手な事ばかりしゃべって・・・・。でも私は本当に、ただそう願っているだけなの。いつか―――、誰もが争うことなく、幸せに暮らせる日が来ますように、と」

「・・・・・」

「どうしてかしら。あなたには、解ってもらえる―――そんな気がしたの・・・」

「・・・・《鬼》の仲間である男に、か?」

「・・・本当に、ごめんなさい・・・・」

「・・・・・誰もが幸せに暮らせる時代か・・・・。だが、人は争うもんだ。人が集まれば、なおさらな」

「・・・・・・・」

「だけど、人の心ってのは、変わるもんだ」

「え・・・」

 龍斗の口調が変わる。穏やかな、《鬼》には似つかわしくない優しさの帯びる言葉。

「いつか、人の心の在り様が変わって、そんな時代がくれば・・・・いいよなァ」

 そう言い残し、龍斗は藍のいる部屋を出ていった。

 

 彼は、何者なのか? 彼の持つ不思議な雰囲気は、何をもって成されるのか?

 龍斗が去った後も、藍は龍斗の言葉を心の中で反芻し、その意味を捉えようとしていた。

「わからない・・・。何故、貴方のような人が、私たちの敵なの・・・」

 龍斗の去った方を見る。もちろん、そこに龍斗の姿はない。だが、藍の目には、この部屋から出て行く龍斗の背中がハッキリと焼き付いていた。

「・・・何?」

 離れの外から、喧騒が聞こえてきた。龍閃組となってから幾度となく聞いた声と音。

「闘い・・・。誰かが戦っている」

 藍は部屋を出て、離れの外へと出た。見張りの下忍がひとりもいない。

「・・・・・・」

 意を決し、藍は騒ぎの方へと歩を進めた。昼間、子供達と遊んだ広場の方からだ。

「これは・・・、あの二人の声だわ・・・」

「―――せあァッ!」

 藍が広場に出たときに飛び込んできた光景は、龍斗が異形の鎧武者の剣撃をかわしているものだった。

 剣撃をかわすと同時に、龍斗は一歩踏み込み、天を貫くような蹴りを鎧武者の顎に叩き込む。

『ぐおおッ!』

「―――鬼道閃!!」

 のけぞった鎧武者の体に、天戒の一閃が入る。胸を切り裂かれ、左腕を断たれた鎧武者は地面に向かって倒れ、そして・・・。

『グアアアァァァ・・・・』

「消えていく・・・」

 鎧武者の体は、地面にたたきつけられる前に、崩れるように消えていった。

「若ッ―――!!」

 剃髪の僧服の男―――九桐が駆け寄ってくる。次いで、息を切らした桔梗と澳継も現れた。

「あれは・・・」

 藍の脳裏に、大阪への船の上で戦った鎧武者の姿が浮かび上がる。間違いなく、あの時の鎧武者と同じモノだ。

「あのときの鎧武者が、何故この村に・・・・・あッ」

 天戒が傷ついた下忍のひとりを抱え起こす。おそらくあの異形の者にやられたであろう傷は深く、死に至るものであることは明らかだった。

 弱弱しく微笑み死を迎えいれようとする下忍に、天戒は叱咤するような激励を叩きつける。「必ず助ける」と。

「・・・・・・・」

 止まっていた藍の足が、再び前に進む。

 必死に下忍を癒そうとする天戒たちは、藍に気づかない。最初に気づいたのは、天戒に命じられ、血止めをとりに行こうと走り出した下忍だった。

「貴様ッ、なぜここにッ!!」

「む・・・」

 その声に、天戒たちも藍がすぐ側まできていることに気づく。

「あんたはッ!? 誰だい、ちゃんと見張ってなかったのはッ!!」

「もッ、申し訳ありませんッ!」

「こいつッ、混乱に乗じて離れを抜け出してきやがったかッ。この村から逃げ出そうたって、そうはいかないぞ―――ッてェ!?」

 澳継の後頭部に、龍斗の蹴りが炸裂。

「な、なにしやがんだッ!」

「逃げ出そうってんなら、ここには来ねェだろうが。少しは、頭を使えっての」

「な、ナニィ〜・・・あッ、おい!」

 藍は、二人の間を抜け、傷ついた下忍の側にひざをつく。

「ううッ・・・」

 仮面をはずした下忍はまだ若く、藍とそう変わらない。

「しっかりして、もう大丈夫よ」

「うッ・・・」

「がんばって・・・・」

 かざした両手から燐光がこぼれ、それは下忍の体を覆う。

 出血がみるみる収まっていく。絶え絶えの吐息がわずかに強くなり、蒼白だった顔に、血の色が戻ってきた。

「うッ・・・俺は・・・」

「良かった・・・。もう、大丈夫です。お屋敷の中に運び込んで、傷口の手当てを」

『・・・・・・』

 どうしていいものかと動けずにいる下忍たちに、藍は『早くッ』とキツく言い放った。

「はッ、はいッ!!」

 その声に突き動かされるように、下忍たちがあわただしく、傷ついた仲間を運んでいく。

「・・・・・・」

 運ばれていく下忍は、藍の姿が見えなくなる直前に、小さく呟く。『ありがとう・・・』と。

「・・・・」

「美里 藍・・・」

「・・・・?」

 名を呼ばれ、藍が立ちあがる。天戒が、少し複雑そうな顔で見下ろしていた。

「自分が今、何をしたのか―――理解しているだろうな?」

「・・・・?」

 藍は、天戒の言葉の意味がわからず、疑問符を浮かべる。

「ふッ、愚かな。おまえは、今、敵である者の命を救ったのだぞ? それが、どういう事かわかっているのか、といっているのだ」

「・・・・・・」

「おまえの行為は、敵を救い―――」

「あなたたちはッ!」

「・・・・・?」

 藍の怒声が天戒の言葉をさえぎる。他の者たちも、藍に注目していた。

「あなたたちは、目の前で死んでいく人を見てなんとも思わないのッ? 確かに、私たちは、今は争っているかもしれない」

 藍が先ほどまで下忍が倒れていた地面に目を向ける。

「だけども、そこにある命の尊さに違いはないはずだわッ」

「・・・・・・」

「そうじゃなくて?」

「あんたの言うとおりだな」

 龍斗が両者の間に入る。

「龍・・・」

「お前も、少しは気づいているだろう? 龍閃組が他の幕府の連中とは異質なものだと」

「・・・・・・」

「そりゃそうだ。この美里 藍も含めて、龍閃組って連中が護っているのは、幕府じゃない。こいつらが大切なのは、江戸って町でともに生きてきた大切な者たちなんだ。お前が、お前を慕うこの村の住人を護りたいって気持ちと同じだろ?」

「そうよ・・・」

 藍が頷く。わずかに喜びの光がその瞳に映っていた。まだ唯一人とはいえ、敵である鬼道衆に己の意思が伝わったのだ。

「あなたたちに夢や希望があるように、私たちにも夢や希望があります。全ての人が幸せに過ごせる世を創りたい―――、闘いによって、多くの人の命が奪われる事のない世の中を創りたい。私たちは、そう思っています」

「・・・・・・・」

 龍斗と藍の言葉を聞き、九桐の脳裏に、京梧の言葉が甦る。九桐が龍閃組との闘いに心を燃やした理由。それこそ、今二人が語った言葉なのだ。鬼道衆と龍閃組。源と過程は違えど、求めるものは自分達の大切な者たちの幸せ。

「・・・・・見たところ、まだ、他にも怪我をした人達がいるわ。手当てをします。そこをどいて下さい」

「・・・・・いいな、天戒?」

 龍斗の言葉に、天戒がしばし沈黙を保つ。

「・・・・・・尚雲」

「はッ」

「この女が逃げないように見張ってろ」

「それじゃ・・・・」

 美里の表情が明るくなる。

「手当てをするのは、お前の勝手だ。だが、おかしな真似をすれば、命がないものと思え」

「ありがとう・・・・・」

「・・・・よーし、無傷の奴は、先に傷の浅いやつらを屋敷に運べッ。何人か、村中から治療に使えるもんをかき集めて来い!」

『ははッ!』

 龍斗の言葉をきっかけに、静まり返っていた場が一気に騒がしくなった。下忍と村の住人たちが一斉に広場と村中を駆け巡っていく。

「なんだァ、いきなり張り切りやがっ―――てぇぇえッ!?」

 龍斗の拳が澳継の脳天に落ち、なかなかに景気のいい音が響く。

「お前も手伝うんだよッ! 桔梗は、屋敷の方の奴らを看てくれ」

「わかったよ」

 なにやら呆れにも似た表情で桔梗が屋敷に向かう。

「オラ、お前は桔梗を手伝って来い」

「なんで、お前が仕切ってるんだよッ!」

「つべこべいうな。今の状況を判ってんなら、さっさとしろッ!」

「うッ・・・、後で覚えてろよ、たんたんッ!」

 なにやら三下悪役のような台詞を残して、澳継が屋敷に向かう。

「やれやれ・・・・。さ、頼むぞ」

 龍斗は、昼間のときと同じような調子で、藍の背中をポンッと押した。

「ええ、一人でも多くの命を救わなければ・・・・」

        ・

        ・

        ・

        ・

「・・・・・あの後、俺と尚雲が、あんたをこの町に戻した・・・・。その後、当然俺たちのことを蓬莱寺たちに伝えていると思ったんだがな」

「・・・・・・」

「仲間を心配させないようにっていう気遣いなのかもしれないが、そういう風に全部てめーの中に押しこめてちゃ、いつか変なふうに爆発するかもしれねーぞ」

「私はただ・・・迷っていたんです。あなたたちの村のことを思い出すと、どうしても皆に言い出せなかった・・・」

「・・・・・・」

「貴方たちのようなヒトが敵だと思うと・・・・・どうしても・・・・」

「・・・・・・まあ、いいさ」

 龍斗が立ち止まる。俯いていた藍も、その気配に立ち止まり、顔をあげた。

「・・・?」

「あんたさ、敵と一緒に行動してるってのに、油断しすぎだ。足元ばかり見て、俺の後をついてきてさ」

 その言葉に、藍が周囲を見回す。あたりに人気がまったくない。人通りのある場所からは完全に死角になっている所らしく、道も袋小路になっていた。

 龍斗が俊敏な動きで、退路を断つように藍との位置を変えた。

「あ・・・・・」

「あんたと俺は、敵同士であることに変わりはないんだ。ああいう場合は、すぐに仲間を呼びに行った方がいい。すぐに俺を包囲できるような機動力と人脈のある仲間はいるだろう?」

「・・・・私を斃すのですか?」

「・・・・いや」

 バシッ!

 龍斗がいきなり右腕を振るう。空中を飛んできた何かを弾き、その右腕に一筋、浅い傷がついた。

 次いで、地面にクナイが突き立つ。

「これは・・・・」

 藍は、そのクナイに見覚えがあった。

「今は、ずっと俺たちをつけていた奴に興味がある」

 龍斗が自分達の歩いてきた方向に視線を向けると、女性が一人、場に現れた。

「涼浬さん・・・」

 現れたのは、藍たちに次ぐ龍閃組の仲間、飛水のくの一、涼浬だ。龍斗は、彼女が自分達の後は気配を消しながら追跡していたことに気づいていたようだ。

「下がっていてください・・・・」

「・・・・」

 涼浬がそう言い、戦闘態勢に入った。龍斗もそれに対峙し、構えをとる。

 場の空気が張り詰めた。

(・・・この者は、たしか、蓬莱寺殿等を一人で相手にしたほどの使い手・・・。虚をつき、いっきに勝負を決しなければ、勝機は少ない・・・・)

 場の空気の緊張が頂点に達したとき、涼浬が動いた。二本のクナイを取り出し、一瞬で二つともを龍斗に向けて放つ。

「破ッ!」

 眉間と喉元を狙ったその飛刃を見切り、刃を避けるように掌と腕を叩きつけ、頭上に弾いた。

「飛水流奥義―――ッ!?」

 龍斗が、自分の目の前に落ちてきたクナイを、涼浬に向かって放った。隙をついて攻撃を仕掛けようとした涼浬が、掴みと投てきを瞬時に行った龍斗の反撃に、逆に反応が遅れ、態勢をくずしてしまう。

「くッ!」

 龍斗が接近する。涼浬はしなやかな肉体を使った蹴りを放つが、龍斗はそれを紙一重の動きでかわし、軸足を蹴りで払う。

「ぐッ―――!?」

 倒れこんだ次の瞬間、涼浬の視界には振り下ろされる龍斗の拳があった。

「止めて―――ッ!」

 藍の叫びは、龍斗の拳が振り下ろされるのと同時だった。

「・・・・・・・」

 龍斗の拳は、涼浬の顔を逸れ、地面に小さなくぼみを作っていた。

「―――はッ!」

 龍斗の側頭部を狙って、涼浬が倒れたまま蹴りを繰り出す。腕を盾にするようにして、それを弾き、龍斗は飛びのいた。

「・・・・・・」

「何故・・・、何故、あのまま私に攻撃を加えなかったのです?」

 涼浬が問う。だが、龍斗自身、それがわからなかった。

「我等を侮り、手を抜いたのかッ!」

「・・・・闘いである以上、俺は手を抜かない。その過程で相手の命を奪うことになろうとも、躊躇はしない」

 龍斗が自分の拳を見つめる。

「ただ、あの瞬間、体が勝手に動いた・・・・。まるで、もう一人の《俺》が身体の中に・・・いるみたいに・・・・」

 ツゥ・・・

 龍斗の顔に何かが伝った。

「血が・・・」

「一体・・・」

 龍斗の額から血が溢れていた。涼浬の攻撃は、そんな部位には一度もあたっていないというのに。

 その傷は、龍斗の額にある古傷からだった。その古傷は、龍斗自身、いつついたものかわからなかった。なにかの拍子に浮かび上がるこの古傷は、鬼道衆に加わったばかりの頃、九桐に言われて気づいたものだ。

 ドクンッ!

 鼓動が大きく鳴り、それとともに見たことのない光景が脳裏に浮かぶ。竹林の中、月の朧な光の下に立つ、異様な鎧を着けた男。その手に血の滴る巨大な刀を握り、その足元には―――――――――。

「うわああああああッ!!」

 龍斗が絶叫し、崩れ落ちるように両膝を地面に落とした。

「これは・・・一体・・・」

 予想外のことに、涼浬が後退る。藍が駆けより、龍斗の側にしゃがみ込んだ。

「だ、大丈夫――――」

 涼浬と、藍が目を見開き驚いた。

 龍斗が藍の身体を引き寄せ、抱きしめていた。痛みを伴うほど強く、強く。

「な、何を・・・・」

 藍の顔に雫が落ちる。龍斗が泣いていた。まるで子供のように。

「・・・・・・・・」

 しばらく、龍斗の嗚咽が続く。涼浬は拾い上げたクナイを手にしたまま固まっていたが、やがて、腕を下ろし戦闘態勢を解く。

「・・・・・・・・いいのか」

 藍を離し、龍斗が立ちあがる。その時には涙はもう流れていない。泣き跡すら見えなかった。

「今のあなたを見ていると、闘う気が失せました・・・・。いえ・・・、私もなぜか、身体がうごかなかった・・・・」

 涼浬の言葉に、苦笑を浮かべ、藍を見下ろした。

「・・・・・何故かな・・・。急にあんたが消えてなくなるような気がしてきちまって・・・、すげェ焦燥感が襲ってきた・・・・」

 先ほど脳裏に浮かんだ光景は、もうまったく思い出せないでいた。それが消えうせる前、どこかで聞いたことがあるような少女の声が聞こえた気もしたが、それも思い出せない。

「・・・・・・」

 龍斗が懐から、小さな玉を取り出す。それを地面に落とすと、いきなり煙が噴出し、一気にあたりを白く染めた。

「なッ!?」

「これは―――」

『―――またなッ』

 完全に視界を白く染められた藍たちに、龍斗の声が届く。すでに声が遠い。

「・・・・・・・」

 二人は煙幕が晴れるまで動けなかった。当然、すでにその時には、龍斗の姿は影も形もなかった。

 

「よお、尚雲」

「・・・・龍斗」

 捜していた相手が向こうから声をかけてきた。九桐がわずかに驚き、声のした方をみた瞬間、呆れ顔に変わっていた。

「また、やったのか?」

「ああ」

 龍斗の額には血をぬぐった跡が見られ、服の裾にも切れ目があった。

「若に言われて来て見れば、案の定か?」

「お前もよく江戸に下りてくるだろうが」

「龍閃組の一番の活動場所に入り浸るお前よりは、マシだろう」

「違いない」

 反省も懲りもしていない表情で、歩き出す。九桐もその隣に並んだ。

「・・・・・なあ、尚雲」

「なんだ?」

 龍斗は、空を見上げ、九桐と会うまで頭の中で反芻していた疑問をぶつけて見た。

 その問いに、九桐はまず不思議な生物を見るような表情をし、次いで真剣に考え込みはじめた。鬼哭村に着くまで。

 

 ――――――美里 藍って・・・・・龍閃組って、敵なのかな?―――――

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