貴方と私の名前。

『変生 後編』の後あたりの話です。
松原 澪さんへのキリリク。

戻る?

 AM5:30―――新宿。

「ハァ・・・・ハァ・・・・」

「美里、大丈夫か?」

 しゃがみ込んで荒い息をしている美里の頭上から龍麻の声がかかる。美里が顔を上げると、龍麻が心配そうな顔で、見下ろしている。

「大丈夫よ」

「大丈夫に見えないよ」

 まだ立ちあがれないでいる美里の前で、同じようにしゃがみ込んで目線の高さを合わせる。

「少し休もう」

「も、もう少し・・・・」

「休もう」

 いつものにこやかな表情だが、その声はとても威圧的なものだった。

 龍麻は、立ちあがろうとした美里の肩を掴み、地面に座らせる。自分もその横に座り、首にかけていたタオルを美里に渡した。

「体力は、一朝一夕でつけられるもんじゃないんだからさ。いきなり無理しないで気長にやってこうよ」

 

 

 二日前。

 真神学園屋上―――昼休み。

「ん・・・・どうしたの、葵」

 弁当をパクついていた小蒔が、食の進まない美里に気づき、声をかけた。

「・・・・・なんでもないの」

 そういいながら、箸でつまんだ卵焼きは弁当と顔の中間あたりで止まったままだ。

「・・・・・まだ、この前のこと気にしてるの?」

「・・・なんの事」

「この前、えーと・・・・、岩角っていう鬼道衆と戦ってたとき、ひーちゃんが葵をかばったっていう話の事」

「・・・・・・・・」

 龍麻たちが、アン子や裏密の助言で失踪した醍醐が龍山邸ではないかと思いつき、龍山のもとへ行こうとしたとき、鬼道五人衆の一人、岩角が現われた。やむなく龍麻たちは、小蒔を先に行かせ、3人で岩角と多数の鬼道衆を相手にすることになる。質では龍麻たちが格段に上だったが、相手は物量戦で攻めたてていたため、3人はかなりの苦戦を強いられていた。
 その戦闘の中で、龍麻は岩角に強烈な一撃をくらっていた。それは、二人の援護のために《力》を連続で使いすぎ、半ば気を失いかけていた美里をかばうために受けたものだった。

「私・・・・あの時ほど、自分に体力がないことを歯がゆいと思ったことはないわ・・・・」

「じゃあ、体力つけるためにランニングしようか? 葵」

『え?』

 二人は突然の背後からの声に驚き、振り向く。二人の後ろには、転落防止のために胸ぐらいまでの高さぐらいの塀があるだけで、その向う側には新宿の街が見えるだけのはずだ。

『・・・・・・・・・・・』

 二人は口を開けたままポカンとしている。塀の向う側から龍麻がヒョッコリと、顔を出していた。口に購買で買ってきたと思われるやきそばパンを咥え、二人に視線を向けている。

「た・・・龍麻くんッ!?」

「ひーちゃんッ、な、何やってるのッ!?」

 驚いている二人をよそに、龍麻は塀を乗り越えて屋上に上がる。

「いや、教室で京一にコレ取られそうになってね。慌てて窓から逃げてきたんだけど」

 指差しているやきそばパンを咥えながら、器用に喋る。行儀悪いが、二人には今それをツッコむほど余裕はない。

 小蒔が恐る恐る塀から身を乗り出す。3人のいる場所の真下には、3−Cがある。だが、「慌てて逃げてきた」龍麻がどうやってここまで上れたのか。手や足をかけられるトコロなぞ、そんなに無い。

「・・・・・・ひーちゃんって、時々無意味にスゴイことするよね」

「ありがと」

「誉めたんじゃないんだけど・・・・・」

「・・・・・・ングッ。で、どうする?」

 やきそばパンを平らげ、美里に問うた。美里は『え?』と聞き返す。

「だから、ランニング。俺、朝夕にやってるから、いっしょにやる?」

「え・・・・あ、うん」

 ずいッ、と近づいてきた龍麻の言葉に、生返事に近い答えを返す。

「んじゃ、明日からでいいかな? あ、体力は急いでつけれるもんじゃないから。美里はしばらくは朝だけね。んじゃ、待ち合わせは―――」

 呆然としている二人を前に、龍麻はまるで前々からこのことを計画していたように、スラスラと待ち合わせやら美里に合わせた走行距離などを離していった。

 

 

そして、現在―――。

「んじゃ、今日はこのへんでやめとこう」

「えッ?」

 2度目の休憩の後、立ちあがり軽く身体を慣らすように身体を伸ばしていた龍麻にならい、自分も立ちあがろうとした美里の動きが止まる。

「だから、今日はここまで。もう美里の家の近くだから、ゆっくり歩いて帰ってシャワー浴びて、そんで学校に行って・・・・」

「わ、私ならまだ大丈夫だから」

「・・・・・・」

 トンッ。

「あ・・・」

 龍麻に軽く押された美里がよろける。

「何度も言うけど、体力は一朝一夕でつけれるもんじゃないんだから。気長に行こうよ。それに・・・・・」

「それに?」

 龍麻の手を借りて立ちあがった美里がオウム返しに聞く。

「生徒会長&クラス委員の美里に、授業中の居眠りさせるわけにもいかんしねェ・・・」

「・・・・・うふふ。わかった、龍麻くんの言うとおりにする」

「うん。それじゃ、俺はもうひとっ走りして帰るから」

 そう言うと、龍麻はランニングを開始したときとまったく変わらぬ速度で走り去っていった。美里はそれを見送り、複雑な表情と気持になる。

(今から体力作りをしても、龍麻くんほどの体力がつくとは思えない。わたしは傷ついた後に癒すだけ。小蒔のように皆と『闘う』力はない)

 美里が家に向かってゆっくりと歩き出す。しかし、擬音が『とぼとぼ』とつくような足取だ。

(何故、私の《力》は癒すことだけなの・・・・・。私は何故・・・・いつも、皆の後ろに隠れてるだけしかできないの・・・・)

 

 

 夕刻―――某マンション。

「・・・・・さて」

 帰宅後、ボーッとテレビを見ていた龍麻が立ちあがり、服を着替え始める。夕方のランニングの時間だ。

 ピンポーンッ!

「ん? 誰だろ」

 チャイムの音。龍麻は手早く着替えをすませ、玄関に向かう。

「・・・・・・・・」

「こ、今晩は」

 玄関の戸の向こうに立っていた人物の姿を認め、一瞬龍麻の動きが止まった。動きやすい服装に、長い髪が邪魔にならないようにポニーテールにした美里だった。

 どっからどう見ても、「龍麻くん、夕方のランニングも一緒にやらせて」と言いたげな格好だ。

「龍麻くん、夕方の―――」

「ストップ。言いたいことはわかったから。でも、やめといたほうがいいよ」

「・・・・なんで?」

「雨が降るから」

「?」

 美里が振りかえり、表の道路に面している共通廊下から空を見上げる。曇ってはいるが、雨が降ると確信するほどではないような気がする。それに、朝ニュースでやっていた天気予報では、今日の降水確率はそれほど高くなかった。

「空気が湿ってるような感じだし、風の中に水の匂いもする」

 問われるより先に、龍麻が答える。

「俺の天気の読みはそれなりに当るから、やめといた方がいい。俺は昔ッから風邪をひかないタチだからやるけど・・・・」

「でも・・・・・」

「ま、いいや。とにかく中に入って」

 

 

 某マンション―――龍麻の部屋。

「・・・・・・・・」

 言われるままに玄関を抜け、広めのリビングに通され、ソファーに座らされ、「なんか飲み物でも持ってくるよ」と言って、龍麻がキッチンに入ったあたりで美里は気づいた。同年代の男の子の部屋に自分がいることに。しかも、自然に。

「・・・・・・・・」

 龍麻は、周りを自分のペースに巻き込んでいく性質のため、仲間たちはよくいつの間にか、彼の行動のままに動いていることはあった。だが、今回はその中でもとびっきりに「後で驚いた」ことだった。

 窓の外から雨がベランダを打つ音が聞こえてくる。龍麻の言った通りに降ってきた雨は、すぐに強くなっていった。

 少し頬が赤くなるのを感じながら、部屋の中を見渡す。が、すぐに目の動きが止まった。部屋の隅に置かれたテレビの側の壁に、小さな画鋲で無造作にとめられたいくつかの写真が目に入る。

 美里は、ソファーから立ち上がり、写真の留めてある壁に近づく。

 おそらく、真神に来る前のものであろう。真神のものではない制服を着た龍麻や、美里の知らない男女の写っているものばかりだ。

「あ・・・・・」

 その中の一枚、ほぼ真中に留めてあった写真に視線が止まる。龍麻を挟んで、男女が両隣に立っている写真だった。同年代くらいの活発そうな印象を受ける男の子に、黄色のヘアバンドをした長髪の女の子。

『また会おうぜ』

『約束だからね』

 写真には、そこに写っている二人のものと思われる言葉が書かれていた。

「その写真はね」

「きゃッ」

 背後からいきなり龍麻の声に、美里はおもわず小さな悲鳴をあげてしまう。振り向くと、ジュースの満たされたコップを乗せた盆を持っている龍麻がたっていた。

「その写真は、前の学校を出るときに撮ったものなんだ。知り合って3ヶ月くらいしか遊べなかったけど、一番の友達だった」

 龍麻はガラス張りのテーブルの上にジュースを置くと、ソファに腰を下ろした。美里も、龍麻の反対側のソファーに座る。

「・・・・・いいお部屋ね」

「ん・・・・、前にいたトコロで知り合った人の紹介でさ。家賃とかも安くしてもらってるんだ。そうでなきゃ、こんなトコロに住めないしね」

「・・・・・・私・・・・」

「なあ、美里。俺達はさ、美里のことを足手まといなんて思ったことは1度もないよ」

 言い出そうとした内容を先んじて言われてしまい、美里が驚いている。龍麻はそれを気にせず、話を続ける。

「多分、美里はこの前の・・・・鬼道衆の岩角との闘いのことを気にしてるんだろ? だったら気にすることないよ」

「龍麻くん、私は・・・・」

「気にするなと言われても、そうはできない美里の性格は知ってるつもりだ。とりあえず、俺の話を聞いてくれる?その後で美里の考えを聞かせて」

「・・・・・・うん」

 美里が頷くのを確認してから、龍麻は言葉を再開する。

「美里はさ、自分に『闘う』力がないことを悔やんでるんじゃないかな? 俺や京一たちが闘ってるときに、自分は後ろにいるしかないってさ」

「・・・・・・・」

「当らずとも遠からず、だろ?」

 それどころか、その通り。龍麻の言葉は、美里が思っていたこと、そのままだった。

「俺達は・・・・・少なくとも俺はそれでいいと思ってる。だって、美里が後ろにいてくれるから、俺達は安心して闘えるんだからさ」

「私が・・・・いるから?」

「治癒という《力》を持っている君が後にいてくれるから俺達は闘える。多少無理して傷つくことになっても、美里が癒してくれるから闘えるんだ」

「でも・・・・、やっぱりそれじゃ、嫌なの。皆が戦って・・・・傷ついていくのは・・・・。それに、今の私じゃ、やっぱり足手まといだわ。だから、あの時だってあなたは・・・・・・」

「だからさ」

 突然、ソファーに深く身をうずめていた龍麻が、身体を起こし、テーブルに手をついて、美里と顔を寄せる。十数センチぐらいまで接近してきた龍麻の行動に、美里は一瞬、心臓が高く鳴った。

「俺、強くなるよ」

「えッ・・・・・?」

 龍麻の言葉の意味が捉えられず、美里がポカンとする。龍麻はいつもどおり、人のよさそうな笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「俺は強くなる。どんな相手だろうと、どんな状況だろうと無事に闘いを終えられるくらいに。美里をいつでも護れるくらいに。そして、美里も強くなってくれ」

「え・・・・・・・?」

 美里の呆然とした表情は、困惑に近くなっていた。

「美里はどんな困難な闘いでも、俺達をサポートできるくらいに。今よりもっと俺達を《護れる》くらいに。美里は自分が闘いの外にいるみたいに思ってるみだいだね? だけど、美里はいつも俺達と闘っていたんだよ。美里は、美里の《力》はいつでも俺達と一緒に闘っていたんだからさ」

「龍麻くん・・・・・・」

「そのために、体力作りとかならいくらでも付き合うよ。少しずつでも、高みを目指してさ」

「――――――うん」

 長い沈黙の後、美里は大きく頷いた。龍麻の言葉の中に、別の意味で大切なものがあったような気がしながら。

 

 

 マンション前―――。

「・・・・・・雨、あがってる」

「そうだね。どうやら通り雨だったようだ」

 すっかり日も暮れた中、二人が歩き出す。『あんまり遅くなるといけない』『夜に女の子の一人歩きは危ない』と、龍麻は美里を送ることにした。

 二人とも他愛の無い会話を続けていると、すぐに美里の家につく。

「・・・・・私、ゆっくりとやっていくわ。だから、龍麻くん・・・・・一緒にやってくれる?」

「ああ、もちろん。じゃ、また明日ね、《葵》」

「え・・・・・・」

 美里が今日数度の驚きの中で、さらに大きい驚きを受けた。

「・・・・・・今、名前で・・・・・」

「呼んじゃだめかな?」

 いつも通りの人の良さそうな笑みを浮かべる龍麻。美里は自分の顔が熱くなるのを感じる。

「・・・・・・ううん。なんだか・・・・嬉しい」

 最後に、家族以外の男性に名前で呼ばれたのは、いつのときだったか。確かなことは、今そう読んでくれる同年代の男の子は、龍麻だけであろうということだった。

「俺のことも、名前で呼び捨ててくれたら嬉しいんだけどね。それって、認められてるって感じがしてさ」

「・・・・・・・・」

「あ、無理にそう呼んでくれなくてもいいよ。それじゃ、また明日ッ」

 龍麻が、今朝と同じように、その場を走り去ろうとする。

「あッ・・・・・《龍麻》!」

 ピタッ!

 龍麻の動きが、まるで時が止まったかのように、ピタリと止まる。ゆっくりと玄関先に立っている美里の方へと振り向いた。

「・・・・・・おやすみなさい――――龍麻」

「・・・・おやすみッ、葵!」

 龍麻は、その日一番の笑みを浮かべて、軽い足取で走り去っていった。