再会〜再会前夜

ツヴァイさんへのキリリク。

 チャラ・・・。

 手の中の細い鎖。その鎖は輪となり、一つの銀細工を支えている。羽を模ったネックレス。その裏には、『AOI』と刻まれていた。

「・・・・・」

 私は、その細工を、窓から見える真円の月と重ねるように掲げた。月光が、ユラユラと揺れる銀細工に反射して、淡い光が部屋の壁に映る。

 この銀細工をくれた《彼》は、今、私の側にはいない。私の暮らす、この日本という国にはいない。

 5年前、私たちが高校生活を終えた一週間後、《彼》はこの日本を離れた。

「もう、5年・・・ね。龍麻」

 5年前、《彼》・・・緋勇龍麻は、私、美里葵からの告白を受け、それをいつもの通り、それこそ日常会話のように端的な言葉と軽い頷きで答えてくれた。『YES』と。だが、その一週間後には、龍麻は日本を出た。たった一人で、見たことのない場所を見に行くために。

「・・・・・」

 月と、部屋の中を淡く照らす反射光を見て、また龍麻のことを思い出す。闇の中を輝く月、ユラユラと揺れる形の定まらない光。まさに、龍麻はそんな男だった。

「闇の中をさ迷っていた私を光で照らしてくれた・・・・。ユラユラと周りを流れて惑わしてもくれた・・・・」

 銀細工を見ながら呟いた言葉に、自分でおかしくなって笑みがこぼれた。

「重傷・・・かしら」

 ふと見下ろした机の上には、束になったエアメールがあった。5年間で龍麻が送ってきたものだ。龍麻が出ていったばかりの頃は、心配ばかりしていた。慣れていないハズの異国の旅。しかも、彼の足取りを示す唯一の、この手紙は送られてくる度に、違う街、違う国の名が示されていた。

 だが、心配はすぐに消えた。時々同封されてくる写真に映る彼は、いつも笑顔だった。無邪気な笑顔。一緒に映っている老若男女も、その笑みにつられているかのように、笑みを浮かべている。時々、命がけの闘いでもしたかのように、ボロボロの姿をしているときもあったが、この笑顔だけは、変わらなかった。

「どこに行っても、龍麻は龍麻」

 高校時代とまったく変わらない笑顔の龍麻を見れば、直接会うことがなくても、それだけで「大丈夫」だと言う事がわかる。いつだか、京一君が言ってたことを思い出す。

『美里、あいつの心配するだけ無駄っていうか、貴重な人生と精神力の浪費だぞ? 考えてみろ。フラッといなくなったり、敵と遭遇して、あいつになんかあったか? なかったろう? あいつはどんな時だって、ケロッと悪びれずに帰ってきただろうが』

 あれは、いつものように《五人》が真神の帰りにラーメン屋に寄っていく途中だっただろうか。そして、京一君の言うとおり龍麻は、『お腹減ったから』といって、ラーメン屋に向かっている途中だというのに、人数分の肉まんを持って現われた。

 よく考えてみれば、京一君が一番、龍麻のことを判ってたのかもしれない。相棒。龍麻が背中を預けることができた一番の親友。それが、ときどき羨ましかったことがあった。

「・・・・重傷・・・ね」

 もう一度、一人ごちる。五年間という年月は、長かったのか短かったのか。

「・・・・・」

 もう一度、銀細工を掲げて見る。これを受けとってから、5年が過ぎていた。

 

 

 1999年―――3月14日(日)

「葵オネーチャン!」

「?」

 聞きなれた声に振り向くと、マリィが駆け寄ってきていた。今日は部活練習があったハズだから、その帰りだろう。

「見て見て!」

「・・・なァに?」

 美里は、マリィが目の前に上げた紙袋の中を見る。中には、綺麗に包装やラッピングされている大小様々な箱や袋が入ってる。

「バレンタインデーの『ギリチョコ』のお返しだって」

 なんだか、義理というあたりに力がこもってたようだが、どうやらホワイトデーのプレゼントらしい。おそらく同じ中学の男生徒からのものだろう。

「人気者ね、マリィは」

「アハハッ・・・・、でもホントは龍麻からも貰いたかったな〜。龍麻のウソツキ」

「・・・・・」

 美里とマリィは、協同製作の手製のチョコをバレンタインデーの日に、龍麻に贈っていた。

『日本のホワイトデーって、《三倍返し》が基本なんだってネ。期待してるネ、龍麻!』

 どこの誰に聞いたのか(だいたい誰かは判るが)、マリィがそんなことを言って、美里と龍麻を苦笑させていた。

「・・・・」

 龍麻はいない。今、この日本のどこにもいない。もう1週間も前に、中国へと旅立っていった。

 たった一人で悠々と、いつもの無邪気な笑顔で。

『そんじゃ、1ヶ月後期待しててね』

 チョコレートを渡したマリィの言葉に、龍麻はこう返していた。

「そうね・・・、私も楽しみにしてたわ」

「葵オネエチャン、なんで、龍麻を止めなかったの?」

「・・・マリィは止めようとしたわね」

「うん・・・、でも、ダメだったネ」

 二人ともわかっていた。龍麻を止めることは出来ないんだってことを。誰にも止められない。

 無邪気に笑みを浮かべる龍麻。強い意思を秘めた瞳の龍麻。時にまったくの別人のようになる龍麻の前にしては、誰もその言葉を覆すことはできなかった。そうしようという意思が、すぐに萎えてしまった。

 

 同日夜―――美里の部屋

「あー、やっぱり来なかったんだ?」

 美里の部屋には、小蒔が訪れていた。どうやら、美里のところに龍麻からの手紙やら贈り物やらが届いてないか見にきたらしい。

「ひーちゃんだったら、こういうイベント、見逃さないと思ってたんだけどなァ・・・」

「うふふ・・・、さすがに中国からは、ね?」

「中国かァ・・・。京一も行っちゃったし、醍醐くんは今はプロレス一点張りだし・・・・。仲間内から「真神五人組」なーんて、言われてたのが、懐かしい感じがするなァ。まだ、2週間しか経ってないのにさ」

「そうね・・・。みんなバラバラになって・・・・。サクラの咲く季節は別れの季節、って誰かが言ってたわね」

「別れの季節か・・・、なんだか寂しいね」

「・・・こま――」

「葵オネエチャン、小蒔オネエチャンッ。御菓子持ってきたヨ!」

 マリィが部屋に入ってきた。ドアを開ける音に、美里の言葉がかき消された。

「マリィ、ありがと。葵、何か言った?」

 マリィから皿に盛られた御菓子とジュースが乗った盆を受取ながら、小蒔が聞くが、首を横に振る。

 そこからは、3人で終始、思い思いに菓子をつまみながら、談笑していた。

 だけど会話は、あの高校生活の一年のことだけだった。長くも短くも感じた十数年のうち、もっとも強烈な記憶。

 そして、その会話には、かならず一人の男の名が絡んでくる。

『それで、龍麻がね・・・・』

『ひーちゃんがあん時さ・・・・』

『龍麻がそう言ってくれたから、マリィね・・・』

 美里も小蒔も、最初、龍麻のことを穏やかな気配の静かな男だと思っていた。マリィも優しいオニイチャン、くらいの認識だった。

 だが、付き合いが長くなればなるほど、龍麻のことが良くわかってきた。そして、逆に判らなくもなっていた。

 初印象のまま、どこまでも穏やかな性格かと思えば、ときには誰も予想がつかないほど唐突で無茶な行動に出るときもある。どんな怒りや悲しみも受け入れてくれる優しさがあると思えば、半端な心を突き放すだけの厳しさもある。

 相反するような行動力と心を持ち、あの一年を乗り越えるための道しるべとなっていた。

(そう・・・、龍麻は、道標だった。そして、私たちの心の護り手でもあった・・・)

 

 

 数時間後―――美里家玄関前

「少し、遅くなったわね」

「うん。やっぱひーちゃんたちと一緒にいた時間って、楽しかったんだね。時間が経つのも忘れるくらい」

「ええ・・・」

 二人がぼんやりと瞬く星の浮かぶ夜空を見上げる。

「・・・龍麻は、私たちとは違う夜空を見上げてるのよね」

「そうだね・・・。葵、ひーちゃんがいなくなって寂しくない?」

「・・・・・・」

 小蒔は、今日一番聞きたくて、でも、聞き出せなかった言葉を口にする。龍麻の見送りのとき、意外なくらい平静だった美里の様子が気になっていたのだ。

「寂しくないっていったら、嘘よね。だって、私たち一応交際していたんだもの」

「それが1週間とたたずに、『中国に行く』たもんね」

 龍麻がそれを告げたとき、小蒔は怒っていた。それこそ龍麻に掴みかからんばかりの勢いで。やっと二人がまともに付き合いだして、肩の荷が下りたような気がしていたところにその知らせだ。怒り倍増だった。

「でも・・・判るでしょ? 龍麻がなにかを言い出して、止められる?」

「う・・・、確かにひーちゃん、言葉に妙に説得力って言うか、迫力っていうか、逆らいがたいものがあるけど・・・・」

「うふふ・・・、大丈夫よ、小蒔。私たち、あんな一年を通して培った絆が・・・あるのよ・・・。だから・・・だから、私・・・・」

 徐々に美里の言葉がたどたどしくなっていく。声量も低くなっていき、やがて側にいる小蒔にも聞き取れなくなった。

そして、次に美里の口が発したものは嗚咽に近いものだった。

「あ、葵・・・」

 美里の急変にオロオロしていると、美里が小蒔の胸に頭を預けるように一歩近づいた。

「私・・・ダメだわ・・・。あの一年で・・・、龍麻たちと一緒に闘ったあの一年で強くなれたと思ってたのに、心も強くなれたと思ってたのに・・・」

「葵・・・。葵は強くなったじゃない」

「ううん、私はいつまでも弱いまま・・・」

「葵は、強くなったよ。だって、ボクに弱さを正面から見せてくれてるだろ?」

「・・・え?」

 美里が顔をあげる。頬が涙で濡れていた。

「葵ってさ、そういう弱さを人に見せないじゃない? 泣きたかったり、辛かったりしても、無理に顔をつくって笑ってさ・・・。葵って、そういう弱い部分を見せることで、人に迷惑をかけるのが嫌だった・・・。ひーちゃん、言ってたよ。『自分の弱さを人に見せられる。そういうのって、逆に、《心》が強いってことなんじゃないかな?』って」

「小蒔・・・」

「悪く言ったら、美里は心に人を寄せ付けない壁を作って自分を護っていたことになる。これもひーちゃんの受け売り」

「龍麻が、そんなことを・・・?」

 小蒔が慌てて首を激しく横に振る。

「誤解しないでね。ひーちゃん、別に葵の悪口いってたわけじゃないからッ」

「わかってるわ」

 小蒔の様子にちょっと和み、美里が薄く笑みを浮かべる。

「それでさ、ひーちゃんに会ってからの美里って、変わっていったんだよ? ひーちゃん、行動ムチャクチャで、自分の思ったことをストレートに表に出してたから、美里もそれにつられるようになったんだね。あの闘いが終わる頃には、美里は皆に、特にひーちゃんにはその心の壁を作らなかった」

「・・・・龍麻のおかげで・・・、私は強くなれた?」

「うんッ、親友のこのボクが保証するよ。・・・・ああっと、これじゃあ、葵の寂しさを埋めるどころか、もっと大きくしちゃった」

「・・・うふふ、大丈夫よ、小蒔。私は、もう大丈夫。小蒔のお陰で寂しいよりも嬉しくなったわ」

「・・・・・ホントに?」

「ええ、本当に」

「・・・・・あ、やばッ」

 小蒔は腕時計を見て、慌てだす。

「ボク、もうそろそろ帰んないとッ。じゃあ、美里、なんかあったら連絡してねッ、必ずだよ」

「ええッ!」

 駆け去りながら手を振っている小蒔に、美里も小さく手を振りながらそれを見送る。

「・・・・・・」

 小蒔の姿が見えなくなってから、美里は家に入った。小蒔という太陽がいなくなると、すぐに心の中に闇が広がっていく。

 一番近くにいて欲しい人は、遠くの空の下にいる。その寂しさは、そう簡単に消えたり慣れたりするものではなかった。

 中国に龍麻を捜しにいこうか?

 そんな途方もなく、かなり無理のある考えまで浮かんでしまうほど、寂しさが募っていく。

 バタンッ!

 少々乱暴に玄関のドアが開く音がした。居間の方に意識を向けるが、父母は気付かなかったようだ。玄関まで戻ってみると、さっき帰っていったはずの小蒔が、数百mを全速力で走ってきたかのように、ぜぇぜぇと息切れながら、玄関に立っていた。

「あああおあお葵、いいいい今、今・・・・」

「どうしたの、小蒔ッ?」

 美里は驚きながらも、なにやら息切れと動揺でどもってる小蒔を落ち着かせようとする。小蒔は何度か深呼吸をして、口を開いた。

 が、小蒔の言葉は、さらに驚いている美里の顔と、後ろから聞こえてきた声に止められる。

「よォ、葵」

 まるで高校時代の日常のように。当たり前のように、軽く手を上げ、葵に笑みを向けている男が一人。

 ポカンとしている葵の目の前で、小蒔が手を振る。

「葵ッ、ひーちゃんだよッ」

「!?」

 龍麻だった。1週間前に日本を出たはずの、海を越えた向こうにある広い大地にいるはずの、龍麻が目の前にいた。

「た・・・つま・・・。何故」

「忘れてた」

『?』

 意味不明につき、二人がまたもポカンとする。

「はい」

 二人の様子を気にすることもなく、龍麻が上着のポケットから羽根を模った銀細工のネックレスを取りだし、美里の手の上に置いた。

「・・・・これって」

「言っただろ? 期待しててくれ、ってさ。よかったよ、今日に間に合って。こーんなイベント、中国に行くのに意識がいっちゃってて忘れてんだもんな、俺」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 美里と小蒔が同じ動作でお互いの視線を合わせ、そして龍麻を見る。

「もしかして、ひーちゃん・・・・。このために、中国から戻ってきたの?」

 小蒔の問いに、当たり前のように軽く頷く龍麻。

「慌てたよ〜。気付いたのが、時間的にギリギリだったから、今日中に帰ってこれて良かった良かった。あ、小蒔ちゃんの分もあるよ」

「あ・・・ありがと。どうしたの、これ?」

 こっちは弓と矢が重なった飾りのついたネックレス。

「俺の御手製。センスは悪いかもしんないけど、心はこもってるから」

「・・・・とりあえず、ひーちゃんのすることだから中国のことは置いといて・・・、葵と同じようなものだけど、いいの?」

「大丈夫。葵のには【愛】を込めといたから」

 親指を立てた拳を突き出す龍麻。平時より少しテンションが高いようだが、少しクサい台詞も、照れなく言ってしまうあたりが、やはり龍麻だ。

「んで、こっちがマリィの・・・葵?」

「あ、葵・・・」

 まだ呆然とした状態から抜け出してなかった美里が、いきなり涙を流した。それこそ滝のようにとめどなく溢れ出す。

「龍麻ァッ!」

 叫ぶように龍麻の名を呼びながら、その胸にしがみつくように抱きついた。手から落としそうになった猫を模った銀細工の小さな置物を掴みなおし、あわてて葵を支える。

「龍麻・・・龍麻・・・龍麻ッ」

 龍麻の胸の中で、その名を呼びつづける。葵は感極まっていた。これほどの激しい様子の葵を見るのは、龍麻が『あの男』の狂刃にかかり、生死の境をさ迷っていたときぐらいだ。

「小蒔ちゃん、葵、どしたの?」

「・・・・ひーちゃん、葵のこと、葵より良く知ってるくせに、何で、こーいうときだけ、そんなに鈍いの? 葵はね、ひーちゃんに会えなくて寂しかったの。たった1週間会えなくて・・・、君がいきなり現われて、ここまで取り乱しちゃうくらいにね」

「あー・・・、悪かった、葵」

 ただそれだけの謝辞。謝ることだろうか、謝らなくていいことなのだろうか・・・・。やはり、龍麻が謝ることなんだろうと小蒔は思いながら、美里に目を向ける。

「・・・・・・・」 

 美里はいつまでも龍麻にしがみつき、泣きじゃくっていた。寂しさを一緒に全て流しているかのように。

 

 

 

「―――ッ?」

 美里が顔を起こす。目の前には、机の上に並べられた写真や龍麻からの手紙、そして手の中にある銀細工。

「・・・・夢?」

 美里が部屋に置いてある鏡に自分の姿をうつす。『24歳』の美里だ。

 机に向かったまま、何時の間にか寝入っていたらしい。

「・・・・・」

 机の上から2枚の写真を手に取る。一枚は卒業式のときに、アン子が撮ってくれた美里達の写真。そして、もう一枚は、あの日・・・ホワイトデーの次の日に撮った、龍麻との写真。

『旅費がかなり少なくなってきから、実家に帰って、親に小遣いの無心に行ってくる』

 龍麻は、そう言って一度実家に戻り、そのまま再び中国に向かった。無茶な経済観念も、それ以上に無茶な行動理念も、良い所としてしまうのが龍麻だった。呆れながらも、龍麻らしいと思ってしまう。

 あれからの美里は、寂しくはあったが、それによって心が追い詰められることはなかった。

 強くなったのだろうか? それとも、何があっても、龍麻はどんなところからでも駆けつけてくれるという思いがあったからだろうか。美里自信にもわからなかったが。

「・・・・いい天気」

 窓からは陽光がさし込んでくる。

 今日は休日だった。だが、何も予定はない。

「・・・・ちょっと遠めの散歩にでも行きたい気分、っていうのは初めてね」

 誰にともなく、心情を言葉にし、椅子から離れ、着替えを始める。外着に着替えた美里は、ドアノブに手をかけ、思いなおしたように振りかえり机の上を見る。

「・・・・行って来ます、龍麻」

 一度微笑み、その笑みのまま美里は部屋を出た。

 写真の中、あの銀細工を首に下げた美里は微笑んで、そして、その傍らに立つ龍麻は、いつもの笑みを美里に向けていた。

 

 

 ―――そして、5年前の再会は、この日―――春の日差しうららかなこの日に、もう一度果たされた。

 ―――今度こそ、二人の距離を隔てない再会が―――

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