黄流双天 後編

『―――《黄龍》』

 龍紀と龍弥が同時に呟く。神楽に纏わりつく《氣》は金色の輝きを放つ《龍》へと変じていた。

 《黄龍》が超音波のような咆哮が放たれた。俺たちは耳を押さえ、それに耐えようとする。が、緋勇だけはそのままの態勢でその咆哮を受けていた。

「・・・・・・・!?」

 顔をあげ、緋勇の横顔を見たとき、ギョッとした。泣く子も黙るどころか、大人でも泣き出しそうな凄絶な笑みで、緋勇が神楽を睨んでいた。

「ゴォオアアアアアアアッ!」

 次の瞬間、緋勇が獣の咆哮のような叫びを放った。まるでそれに中和されたように超音波の咆哮がかき消され、《黄龍》の動きが止まる。

「・・・・・・」

 《黄龍》と神楽の視線が、緋勇に向けられる。黄龍が大きく口を開け、その口腔の奥から黄金色の光がせり出してくる。

「やべッ・・・」

 俺と龍弥が青ざめる。黄龍が放つ強力なレーザーのような攻撃。あれはそれを放つときの現象だ。

「逃げろ―――って、おい!?」

 おれはさきほどとは違う意味でギョッとした。緋勇が神楽に向かって、一直線に駆け出していた。

「東に河あって《青龍》―――南に大地あって《朱雀》―――」

 緋勇に向かって放たれた《黄龍》の閃光が空間を薙ぐ。

「西に道あって《白虎》―――北に山あって《玄武》―――」

 急激に足を止めた緋勇が拳を突き出す。《氣》を纏った拳と、《黄龍》の《氣》が激突した。

「――――嘘だろ・・・」

 今日何度目だろうか、俺は愕然とした。《黄龍》の閃光は、かすっただけで龍弥の腕を容易く折ったほどの威力がある。その威力を、緋勇は真正面から迎え撃ち、そして四散させていた。弾かれた光線が数乗の細い筋となって天井や壁に当って霧散する。

「―――――《黄龍変》! オオオオオォオオオッ!」

 緋勇の体が黄金色の《氣》に包まれた。髪が逆立ち、いつもはその奥に隠れている双瞳は、《氣》と同じように金色の輝きを放っていた。

「我求助九天応元雷声普化天尊―――」

 再び緋勇が神楽に向かって駆け出す。読経のような言葉を発しながら駆ける緋勇の右手に金色の《氣》が収束する。

「あれは―――」

 俺は、龍弥と闘ったときに現われた《男》のことを思い出していた。龍弥を侵していた陰氣を、《男》はこの詠唱とともに容易く払いのけていた。

「百邪断斬 万精駆滅 雷威震動使驚人―――」

 まるで怯えるように後ろに跳び退った神楽の動きより速く、緋勇がその距離を自分の間合いにまで縮めていた。

「活剄(フォジン)ッ!!」

 跳び込んだ緋勇の掌が神楽の胸に打ち込まれた。そして次の瞬間、それに押し出されたかのように神楽の背中から陰氣に満ちた《何か》が、飛び出していた。それはすぐに霧散していったが、その直前、十数人もの人の形をとったようにも見えた。

「おうおうッ、色々取り込んでたようだなッ」

 勢いあまって神楽の背後に着地していた龍麻に向かって、《黄龍》が閃光を放つ。緋勇はそれを紙一重でかわし、俺たちのところまで飛び退っていた。

「やっぱ、覚えたての技じゃ、完全に祓うのは無理か・・・・」

「おい、さっきのが神楽にとりついたっていう残留思念なのかッ?」

「ちょっと違う。今のは、《奴》が自分の《力》を増大させるために取り込んでいた、同じように残留思念となった様様な人間の《念》だ。さっきのはその中でも比較的弱い《念》が、俺の技で外に飛び出しただけ。元凶はまだ彼女の中だッ!」

 緋勇が俺たちに迫った閃光に裏拳気味の拳をたたき込み、四散させる。

「それとッ、あんたのその《力》はなんなんだよッ!?」

 緋勇の全身は神楽と同じように黄金色の《氣》に覆われ、その瞳は同じように金色の光を帯びている。

「《黄龍》の《力》をちょっと借りてるだけさ。まあ、彼女ほどの異常な《力》の上昇はしないけどね」

「まさか、緋勇さんも《器》なんですかッ!?」

「それは―――――」

 龍弥の問いに答えようとしていた緋勇の言葉が止まる。俺たちはその視線を追うと、神楽がいつのまにか一本の日本刀を持ってこちらに近づいて来ているのが目にうつった。

 《黄龍》の《氣》がその刀に流れ込んでいくのが分かる。

「やばい・・・・」

 緋勇がつぶやくと同時に、神楽が刀を振るう。刀に収束していた《黄龍》の《氣》が放出され、巨大な氣刃となって俺たちに襲いかかった。

「―――私たちに守護を!」

 絶対に避けられない攻撃だった。氣刃の速度は凄まじく、放った後に避けれるようなものじゃなかった。

 だが、美里センセーの叫びとともに、周囲に緑光の壁が張られ、氣刃を止めていた。

「な・・・なんだコレ?」

「美里先生・・・、こ、こんなこともできたんですか?」

 当の美里センセーは、答える余力はなさそうだ。氣刃はいまだ消えておらず、緑光の壁を砕こうとしている。

「く・・・・、くくッ」

 センセーの額に脂汗が滲む。あきらかに優勢なのは、神楽の放った氣刃の方だ。

「葵ッ! 術を解けッ!」

 緋勇がそう叫ぶと、美里センセーは躊躇無く光壁を消した。

「ウルァアアアッ!!」

 刹那の一瞬。再進行をしようとした氣刃が、瞬間的に無数の拳撃をたたき込んだ龍麻によって砕かれる。

 いい加減何度目かわからないくらい、俺たちが愕然とする。今のは俺たちが使う古武術の技の一つ、《八雲》だ。やはり、俺たちより数段威力が上で、拳のスピードも桁違いだったが、間違い無い。

 呆然としている俺たちと同じように、しばらく動きを止めていた《黄龍》が口腔から閃光は連続して放つ。

「―――ハアッ!」

 遠心力を乗せた強力な発剄。今度は《円空破》で閃光群を弾き返す。

「・・・・まさか、あんた」

 俺はそこで、昔爺さんに聞いた話を思い出した。風祭家に代々伝わる技は《陰》の技。そして、《陽》の技を受け継ぐのは本家の家系のものだと。一度もその本家の人間に会ったことなかったし、その名前も、まだ爺さんからこの古武術を習い始めた餓鬼の頃に一度聞いたっきりだったので、忘れていた。その本家は、確か――――緋勇という姓だった。

「―――とッ、葵!」

 緋勇は一足飛びで美里センセーに駆けより、その体を支えた。さっきの防御で一気に疲労したらしく、もう少しで地面に倒れるところだった。

「兄さんッ!」

「!?」

 神楽が再び《黄龍》の《氣》を刀に込めていた。その双眸が見つめているのは、背を向けている緋勇だ。

 俺は、龍弥と視線を合わせる。俺たちは目で意思の疎通を行い、同時に頷いた。駆けだし、神楽の左右に展開する。

「うおおッ!」

 思惑通り、こちらに注意を向けた神楽が、刀を振るい氣刃を放つ。それと同時にさらに速度をあげ、前に跳んだ俺の背後を氣刃が通りすぎ、壁に巨大な亀裂を造る。

 なんとか、神楽の意識をこっちに向けることはできた。だが、これからどうする? 神楽を傷つけるわけにはいかない。つーか、神楽に近づくことすら用意じゃないだろう。《あの時》のように、龍弥が美里センセーから預けられた《伏姫の指輪》も、もう美里センセーに返した。

「・・・・・・って、ああッ!」

 馬鹿か、俺は! その美里センセーはすぐそこにいるじゃねェか!

 龍弥もそのことを思い立ったらしく、こちらを見ている。

「余所見するなッ、二人とも!」

「!」

 《黄龍》がこちらにむけて大きく口を開いていた。その奥に金色の光がせり出してきている。

「イヤアアアアッ!」

 今までにないほどの巨大な光の筋が《黄龍》の口から吐き出される。しかし、緋勇の咆哮とともに、その拳から金色の《氣》が放たれ、《黄龍》の閃光を横から貫き、打ち消した。

 その《氣》は、一瞬、龍の形をとっていた。

「二人とも、戻って!」

 緋勇が俺たちを手招きする。それと同時に、《黄龍》の攻撃が俺たちを襲った。ほとんど狙いをつけずに、氣刃や閃光を放っている。

 俺と龍弥は、それを危うくかわしながら、緋勇と美里センセーのところまで戻ってきた。

「大丈夫ー? 龍紀くんに龍弥くんー?」

「なんで、あんたはそう気楽そうなんだよッ! それより、美里センセーは大丈夫なのかッ!」

「大丈夫大丈夫。ちょっとまいってるけど、すぐ気がつくよ」

 龍麻の腕の中には、苦しげに呻く美里がいた。気を失っているらしく、俺と緋勇の声に反応しない。

 キュンッ!

「ゲッ!?」

 金色の龍が放つ光が、無数の細い筋になって降り注ぎ、地面を穿つ。

「螺旋掌!」

 緋勇の放った《氣》が、四人を囲むように渦巻き、光の筋を弾く。弾いた光の筋のいくつかが、神楽の体を掠めたが、神楽は微塵も動揺せず、あまりに似つかわしくない鋭い殺気を纏って、ゆっくりと俺たちに近づいてくる。

「たく・・・・、なんでこうなるかなァ?」

「それより、美里センセーの指輪だッ! 前は、それで神楽を元に戻せたんだよッ!」

「あァ・・・、多分もう効かないよ」

「なに!? なんでだよ!」

 あっさりと否定され、俺は緋勇に詰め寄った。

「神楽ちゃんは、二度目の覚醒で根深く《黄龍》の《力》に侵されてる。葵の指輪の《力》じゃ到底およばない。早くしないと、これじゃあ過王須の二の舞だな」

「・・・なんのことだよ?」

「このまま《黄龍》に支配されたままだと、神楽ちゃんは人ではなくなり、《黄龍》そのものになる」

 おそらく錯覚だろうとおもうが、俺は自分の血が引いていく音を聞いたような気がした。

「じゃあ、どうすればいいんですかッ!?」

「指輪の《力》でどうすることもできないじゃ手はないんだぜッ! 今のあいつには、俺たちの声は届きゃしない・・・・」

「そうでもないさ」

 緋勇は自身たっぷりといった表情で立ち上がり、俺に美里センセーを支えさせた。

「フゥゥゥ――――!」

 緋勇の纏う金色の氣がさらに増大し、まるで嵐のように荒れ狂う。まるで台風の真っ只中にいるようだ。

 ダンッ!

 緋勇はロケットのような加速で駆けだし、一気に神楽に近づく。数条の閃光が緋勇を襲うが、まったくスピードを落とさずに前進しながらかわし、神楽の目前に迫った。

「せェああッ!」

 神楽の振るった刀に緋勇が拳をたたき込んだ。刀身の腹に強烈な一撃を加えられた刀は中ほどから折れ、切先が宙を舞う。

 緋勇は神楽の前に立ち、視線を合わせる。《黄龍》が神楽の肩越しに緋勇を撃とうとしていた。

「少しおとなしくしてろ」

 緋勇がそう言った瞬間、《黄龍》はその形を失い、もとの黄金色の《氣》に戻っていった。そして緋勇と神楽の黄金色の《氣》が一つに融合し、二人の周りを渦巻き出す。

「神楽ちゃん・・・・、災難だねェ」

 まるで日常の中での会話のような口調だ。

 ィィィィィィイイイイインッ!

 突如、頭の中に響くような音がした。

「・・・・共鳴させてるんだわ」

「え・・・、美里先生、大丈夫なんですかッ?」

 美里先生が気を取り戻していた。龍弥の問いに、薄く笑って答え、俺から離れる。

「龍麻は・・・・、《器》同士の共鳴を利用して、桧神さんの意識を取り戻そうとしてるんだわ」

「《器》の共鳴・・・・、そんなことができるのか・・・・」

「5年前・・・、桧神さんと同じように、他者の野望のために作り上げられた《器》がいたわ・・・・・・。その人と対峙したとき、今と同じような現象が起きたの・・・・・。龍麻は、そのとき確かに、その《器》の本当の《心》と会話をしたと言ってた・・・・。それを利用できれば、今の桧神さんとも意思を通じ合わせることができるハズよ」

「・・・・・・・」

 しばらくして、状況に変化が現われた。停滞するように渦巻いていた黄金色の《氣》が螺旋を描き、絡み合う2匹の《黄龍》の姿をとった。そして空洞内を駆け巡り、やがて空間に解け込むように消えていった。

「・・・・・《黄龍》の鎮静は終わった・・・・。次はてめェだ」

 緋勇の右手が光を放つ。さっきの浄化の技だ。

「活剄!!」

 とてつななく凄烈でいて、これ以上ないほど清浄な《氣》を撃ち込まれ、神楽の体から思念体が飛びだした。

「なんて、すげェ陰氣だ・・・・」

「那智くん以上かもしれない・・・・」

 その思念体の放つのは凄まじいまでに濃い陰氣だった。さっき、一瞬だけ形をとったものとは違い、こいつは輪郭もハッキリしていて、どんな容姿をしているのかも分かる。赤い学生服のようなものを着た、彫りの深い顔をした男だ。顔には大きな傷があり、手には日本刀が握られていた。もちろん、それも思念が形をとったものなのだろうが。

「やっぱり、彼女の《黄龍》の《力》の影に隠れてやがったな。《黄龍》を鎮静化した今、神楽ちゃんの中に留まることはできなかったってわけだ」

 緋勇の言葉に、思念体は険しい表情になり、手に持った日本刀を振るった。

 緋勇は、右足を半歩後ろにずらし、その鋭い剣撃をかわす。切先が僅かに触れたようで、服の胸の部分が十数センチ、切り裂かれていた。

そして、次の瞬間、思念体が俺たちに向かって駆けだし、いや、地面の上を滑るように浮遊移動してくる。

「今度は俺たちに取り憑くつもりか・・・・」

 誰だか知らねェが、こいつが元凶なんだ。2度とみたくねェと思ってた神楽のあんな姿を、俺たちに見せつけたのは、こいつなんだ。

 俺と龍紀は同時にお互いを見、そして頷いた。こういうときに双子であることを実感する。最小限でお互いの意思を通じ合える。

「龍吟(りゅうぎん)の如く、鮮麗と天翔けるは、陰―――」

「龍笛(りゅうてき)の如く、轟破と天貫くは、陽―――」

 俺が右足を、龍紀は左足を大きく後ろに下げる。俺と龍弥、《陽》と《陰》の氣が絡み合い、一つとなっていく。

「表裏の龍の技、喰らいやがれッ!」

 俺と龍紀、二人が同時に放った鋭い蹴りが、蓄えられた剄力を一気に開放し、螺旋を描く《氣》の奔流へと変えた。

 《氣》は絡み合う金と銀の龍へと変じ、思念体を巻き込んで宙を舞う。

「秘拳―――」

 思念体が2匹の龍に弾き飛ばされるように、吹っ飛んだ。そして、再び黄金色の《氣》をまとっていた緋勇が思念体に向かって跳んだ。

「黄龍ゥッ!」

 緋勇の放った《氣》は巨大な体躯を持った《黄龍》の姿となり、思念体を飲み込んだ。《黄龍》はまるで意思を持っているかのように、空間内を駆け巡り、やがて消える。同時に、あの思念体の陰氣もきれいさっぱり消えていた。

 

 突然、降ってわいた訳のわからない闘いは終わった―――。

 

 

 それから、俺たちはこの地下空洞を抜け、地上に戻った。その途端、地下空洞への入り口は、二つに分かれていた石碑が元に戻ることによって塞がれた。不思議なことに、石碑には真っ二つになったような跡が、微塵も残らなかった。

 神楽を保健室に寝かせ、俺と龍弥、そして緋勇はその外に出た。緋勇の話では、目が醒めた神楽は、前の時同様、記憶がきれいさっぱり飛んでるだろうから、適当に「疲れてて、倒れたんだろう」っつーような嘘で納得してもらうことになるだろう。

「んで、今回のことは一体なんだったんだ? あんた知ってるんだろ?」

「さっき言ったよね? 《龍脈》が――――」

「そのことじゃない。あの、神楽にとり憑いてた残留思念のことだよ」

「緋勇さん、あの思念体と何か関係が?」

「・・・・・・5年前、《龍脈》を掌中に収めようとしていた男がいた。俺と、俺の仲間たちはそれをなんとか阻止できた・・・・。その男と決着をつけた場所がある。今回、奴の残留思念が実体を持ち、行動していることに気付いたのは、その場所と、この真神を結ぶ線の上で、いくつかの事件が起こったからなんだ」

 緋勇の話では、偶然その事件とかいうのに関わったときに、その被害者に刻まれた傷が、その《男》のものの仕業だということに気付いたからだという。緋勇は、東京に残った《仲間》の力を借り、さっきの地下にその《男》の残留思念がもぐり込んでいることをつきとめ、それを鎮めるつもりだったらしい。

 そこに俺たちが現われ、神楽の存在を知られて、今回の闘いになったっていうわけか・・・・。

「ん? 5年前―――?」

 確か紫暮のオヤジが「東京を救った―――」とか言ってた。それは5年前のことではなかったか。

「君たちと神楽ちゃんは、本当に強い絆を持ってるみたいだな。俺たちみたいに」

「はァ?」

 意味不明な言葉に、詳しく話を聞き出そうと思ってた俺は、そのことを忘れてしまった。

「君たちがいなけりゃ神楽ちゃんを《黄龍》の呪縛から解き放つことができなかったってことさ」

 そして緋勇は、「疲れた、帰って寝る」と言って、俺たちから離れていった。

「お、おいッ! どういう意味だよッ」

 俺の問いに、あいつは振りかえりも足を止めることもしないで、こう返した。

 

「神楽ちゃんの《心》に伝えた言葉は、たった一つだよ。『さっさと戻っておいで』――――」

 

 ――――君の大切な人たちが待ってるんだから――――

 

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