そして五年後・・・
一番最初に書いたものであり、おれの小説の原型となるSSです。
2004年―――春。 東京新宿。 「美里せーんせー!」 「?」 休日の雑踏の中、ふいに自分を呼ぶ声が耳に届き、美里は今歩いてきた方に振りかえる。見れば、人を掻き分けるように、自分が担任をしているクラスの桧神 神楽が、手を振りながらこっちに近づいてきていた。 「うふふ・・・」 元気一杯で近づいてくる私服の生徒の姿に、我知らず笑みを浮かべる。その姿は、高校時代からの親友の姿をダブらせていた。 少し息を荒くしながら、神楽は美里の側に駆け寄る。 「美里センセー。めずらしいですね、ガッコー以外で会うなんて」 「そうね。桧神さんは、何をしているの?」 「えーと、特に何も。することがないんでブラブラしてたんです。あの二人とも、連絡つかなかったし・・・・」 あの二人―――という言葉に、同じ顔をした二人の生徒の顔を思い浮かべる。まるで対照的な性格をした双子の転校生。 「そーいう美里センセーは、何を?」 美里と並んで歩き出した神楽が聞いてくる。逆に問われて、美里は少しの間、言葉が出てこなかった。 端的にいえば、桧神と同じブラブラしていたのだ。なにか、急に外を歩いてみたくなって、そして、気づいたら、ここまで来ていた。 「そうね。私も桧神さんと同じだわ」 「へー、そーなんですか。でも、ホントは待ち合わせとかじゃないんですかァ」 「え?」 「だァって、美里センセーみたいに、キレイな人が休日に暇してるとは思えないもの」 神楽はすでに瞳を輝かせていた。その様子を言葉に変えたとするなら、「さあ、白状しちゃってください、センセー」だろうか? その瞳の色に、高校時代の友人の姿を思い出した。カメラ片手に、いつも眼鏡の奥の瞳を光らせていた活発な女の子。 「うふふ。私、そういった付き合いの男の方はいないわよ」 「え〜〜ッ?」 かなり疑わしげな目を向けている。ふいに、「じゃあ、そういう付き合いをしている女の方は?」などという疑問が口に出そうになるが、さすがにそれは思いとどまった。 「・・・・・今は、いない。という方が正確かしらね」 おそらく、我知らずに出たのだろう、ポツリと呟いた美里の言葉を、神楽は聞き逃さなかった。 「ということは、昔はいたんですねッ!」 「あッ・・・・・」 慌てて、自分の口を手で覆うが、そんなことをしても出してしまった言葉が戻ってくるわけではない。 「さあ、ここまで言ったんだから、最後まで白状しちゃいましょうッ。・・・・でも、美里センセーみたいな美人をフッちゃう人がいるのねー」 「え?」 「あ、それとも美里センセーがフッたのかな?」 桧神の言葉を、美里が首を横に振って、否定する。 「私たち、別れたわけじゃないのよ」 「え? でも、さっきの口ぶりじゃ、過去形みたいに・・・・」 「その人、今日本にいないの。そう・・・・五年前に、日本を出ていったから」 美里の心に穴が空く。自らの言葉が、大事な人が側にいない寂しさを呼び起こす。 『あのさ・・・・えーと・・・・。俺、中国に行こうと思うんだ』 美里の脳裏に、まだ高校生を終了したばかりの頃の記憶が浮かぶ。 どんなときだって、無邪気な、子供のような笑顔を浮かべていた《彼》。たった1年だけど、それまで生きてきた17年よりも濃密な時間を過ごしてきた中で《彼》が、言葉を濁らせたことは、ほとんどなかった。いつも、能天気といえるほど、独特の空気を持っていた《彼》が、そこまで心を乱したことは、1年間の中でほんの数度だけだった。 そして、最後にそんな《彼》を見たのは、私が―――私達が真神学園を卒業してすぐのことだった。 『・・・・・・京一くんと?』 京一くんが卒業後、中国に行くというのは、卒業式前のクラスでの談話で聞いた。 『いや・・・・・一人で行くんだ』 そう言って、顔を上げたとき、《彼》の表情は、いつもの無邪気な笑みではなかった。強烈な強い意思を秘めた瞳。 子供のような無邪気な笑みを浮かべる《彼》。何者にも変えることができない強い意思を瞳に宿す《彼》。一人の人間が持つこの二面性の表情が、あの1年、多くの仲間を集わせた。 そう、あの一年間は、とても多くのことが起きた。悲しいこともあった。嬉しいこともあった。それらの出来事の中で、《彼》はいつも中心にいた。 まるでそれが自然なことであるように、《彼》は、すぐ側にいた。 それがずっとずっと続くんだと思った。桜の下で、《彼》が私の想いを受けとめてくれた時に・・・・・。 『俺さ・・・・、見てみたいんだ。この一年間で知ったことを確認したいんだ。一人で』 《彼》は、あの一年で、いろんなことを体験し、いろんな事を知った。自分の事、自分の父親の事、そしてそれらを取り巻く運命―――《宿星》。 『まずは、中国に行って・・・・・、俺の《宿星》が始まった客家の村に行こうと思う。それからは・・・・・、いろいろまわって行こうと思うんだ。例えば、アランの故郷とか・・・・・、マリア先生の故郷も・・・・・。行ってみたいんだ。まだ見たことのない世界に』 そう言ったときの《彼》の表情を見たとき、私には・・・・誰にも止められないんだとわかってしまった。いつも、流れに身をまかせているように見えた《彼》だが、皆、最終的には《彼》についていった。いつのまにか、《彼》の進む方向へと追いかけていっていた。 《彼》は、その三日後、京一くんより一日早く、中国へと旅だっていった。 「・・・・ンセー・・・・美里センセーッ」 「えッ!?」 自分を呼ぶ声にハッとする。神楽が身を乗り出すように、美里の前に身体を傾けていた。 「センセー、どうしたの? ボーッとしちゃって」 「ん・・・・ちょっと、昔のことを思い出しちゃってね」 「あ、さっき言ってた人のこと?」 「う、うん・・・・・」 再び好奇心に満たされていく神楽の瞳。 「その人ってどんな人だったんですか? 美里センセーが好きになるくらいだから、すっごいカッコいい人だったんでしょ?」 「ん・・・・、まあ、転校してきたとき、クラスが色めきたってたことは確かよ」 「へェ〜・・・・。どっかの転校生とはえらい違いですね」 「うふふ・・・・、でも、今思ったんだけど、《彼》って、風祭くんたちに似ていたのかも・・・・」 「龍紀と龍弥くんに? だって、あの二人、性格真反対じゃないですかッ?」 「《彼》はね、一言で言えないの。優しくて、強くて、いつもマイペースで、だけど、京・・・・友達の中で一番無茶だった人より無茶で・・・・。そうね、風祭くんたちを、足して2で割らなかったら、《彼》っぽくなるのかしら?」 「・・・・・・・」 神楽が混乱している。話だけ聞いても、人物像が浮かんでこない。 「・・・・・すごく複雑な性格の人、ですね?」 「うふふ、話だけ聞くと、そうでしょうけど、実際に《彼》を見てると、そうでもないのよ。とても単純な人・・・・。とても、純粋な人・・・・」 「・・・・・・・・」 神楽がちょっと珍しいものを見た気分になっていた。いつも清楚な空気を纏い、年齢以上に大人を感じさせる美里が、今は、まるで自分と同年代の女の子のような顔で、好きな人のことを口にしている。男生徒・女生徒問わず、高い人気を得ている美里をより近くの存在として感じることができ、神楽は、なんだか得をしたような気分になっていた。 「でも、五年も美里センセーを放っとくなんて、随分勝手な人なんじゃないですか?」 「・・・・・手紙はよく出してくれてるんだけどね。この五年で・・・・・200通超えてるはね」 「・・・・・・・・月に3、4回ほどですか? 微妙な数字だなァ」 「こっちも手紙だしたいんだけどね・・・・うふふ、《彼》ったら、一週間と同じトコにいないみたいだから、出したくても出せないの」 手紙に記されていた《彼》の現在地は、いつも変わっていた。美里もよく知らない国の街の名だったこともある。 「・・・・・・・・今、どこにいるんだろう」 「美里センセー・・・・」 寂しさが心を満たしそうになる。いつのまにか、人のまばらな路地に入っていた。 並んで歩く二人の間に、ちょっと重苦しい沈黙が流れる。 その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「たくッ、せっかくの休みだってのに、なんで俺がこんなこと・・・・・・」 「兄さん、そんなこと言っちゃ・・・・・」 髪を逆立てた活発そうな少年と、静謐な雰囲気の少年がこちらに向かって歩いてきている。その後ろに、二人より少し背が高い男がいた。長い前髪に顔半分が隠されているが、口元には優しそうな笑みを浮かべている。 「おーい、龍紀ッ、龍弥くーんッ」 前を歩く二人が、自分のクラスメートだと分かり、神楽が駆け寄る。 「なんだ、神楽か」 「どうしたの、桧神さん?」 「さっき、センセーに会ってね、歩きながら話してたの・・・・・、えと、そっちの人は?」 二人が神楽の視線を追って、振り向く。見覚えのない青年がさっきの笑みを浮かべたまま、こちらを見ている。 「龍弥の買いモンに付き合ってたら、街中で話しかけられてな・・・・」 「なんでも、真神のOBらしいんだけど、日本に帰ってきたのは久しぶりだからって・・・・・・」 「この街がどんな風に変わったのか教えてくれ、真神につくまで案内してくれって、無理矢理頼んだんだ」 青年がそう言ったとき、神楽は初めてまともにその姿を見た。顔を隠すくらい伸びた髪はボサボサで、それを抑えるかのように、首の後ろあたりで一本にまとめている。着ている服は何年も着潰したようによれよれで、ラフを通り越して粗雑といった感じだが、不思議と似合ってる。 「・・・・・・・・」 「ん? どうかした?」 「え・・・いえ、なんでもないですッ」 青年に問われて、ちょっと慌てる神楽。髪が風になびき、わずかの間だけだが青年の顔が見えた。数瞬だけだが、目に焼きつくほどキレイな笑顔 をしていた。それに見とれてしまったのだ。 「・・・あ、そーだ。さっき美里センセーね・・・・・アレ?」 自分のすぐ側にいると思っていた美里の姿がなく、神楽が振り向く。美里は、さっきの場所から動いていなかった。口をポカンとあけ、こちらを見ている。 その視線が自分に向いていないと気づき、再び3人の方に顔を向ける。見ると、風祭兄弟の後ろに立つ青年も、同じような顔で美里を見ていた。 「・・・・・・やあ、葵」 先に硬直から解けたのは、青年のほうだった。また人懐こそうな笑みを口元に浮かべ、軽く手をあげる。 「・・・・・」 美里がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。 「・・・・・・アッ」 神楽がハッとした。そして、風祭兄弟を無理矢理回れ右させて、その背中を押す。 「お、おいッ?」 「な、なんなの桧神さん?」 「いーからいーからッ」 困惑する二人を無視して、その場を離れようと、神楽は二人の背を押しつづけた。道を曲がるときに、チラリと美里たちの方に振り向き、心の中で確信した。 青年の前に立った美里は、先ほど見せた、まるで神楽と同年代のような、少女の顔をしていた。
「・・・・・・・・・」 青年の前に立っても、しばらく美里は言葉を紡げなかった。青年の方は、美里の言葉を待っているようで、笑みを浮かべたまま、少し下方にある黒い双眸を見つめている。 「・・・・・・髪、伸びたのね」 ようやく、口にできた言葉は、そんな普通のものだった。 「うん、髪切るの面倒になっちゃってね」 「・・・・・傷も増えたみたい」 美里の細い指が、青年の頬や手に刻まれた傷跡をなぞる。記憶にある《彼》とは、少し変わっていた。おそらく、日本を出てからも、いろんな騒動に出会ったのだろう。その度に、この青年はその最前線に身を置いていたということは、想像にかたくなかった。 「でも、変わってないみたい・・・・・、五年前の、あのときのまま・・・・・」 青年のまとう柔らかな空気は、記憶にあるものと、微塵も変わっていなかった。側にいるだけで、優しく包んでくれているような気になる、《彼》独特の空気。 「・・・・・貴方は、あの春の日に、突然私の前に現われたわ。そして・・・・・・今日も」 「旅が、自分の中で一段落ついてね。そしたら、今すぐ葵に会いたくなったんだ。だから、帰ってきた」 「うふふ・・・・、相変わらず、貴方は私を驚かしてくれるわ」 二人の視線が、数瞬交錯する。そして、美里は、青年の腕の中に、その身体を預けた。 「ただいま、葵」 「おかえりなさい―――――龍麻」 自分を包んでくれる《彼》の身体。それも、五年前のあのときと、全く変わってはいなかった。 |