優しき呪

今は亡き(違)真神庵図書室、投稿第二弾。
『そして、五年後・・・』の回想部分をメインに置いたものです。

戻る?

 ―――これは?

 ―――呪だよ。

 ―――俺が生涯、君にかけつづける呪。

 ―――俺は君を・・・・・・

 

 

「龍弥くん、これお願いねー」

 ゴミ箱から取り出したゴミの詰まったビニ袋の口を縛った桧神 神楽が、その日の教室の掃除当番で一緒になった風祭 龍弥に渡す。

「えーと、体育館裏の焼却炉の側に置いてくればいいんだよね?」

「そうだよ。ところで、一緒にこの教室を掃除しなければならないはずの男の姿が見えないんだけど・・・・」

「あ、あはは。兄さんなら・・・・・」

「・・・・・逃げたわね」

 今ごろ、悠々と帰路についていると思われる双子の転校生の片割れの姿が目に浮かび、神楽のモップの柄を持つ手に力がこもる。

「あ、じゃあ、僕ゴミ捨てにいってくるよ」

 不穏な気配を纏い出した神楽から逃げ出すように、龍弥は早々に教室を出ていった。

 

■体育館裏。

「・・・・あれ?」

 体育館の横を歩いていると、龍弥は前方に人影が見つけた。

 体育館のまわりは塀で囲まれており、それに沿うように木々が並んでいる。ただ一本だけ、その塀に角の内側に、大きな木があった。この木は、この真神学園では、一部の生徒に有名な木で、数年前の《恐ろしく腕の立つ剣道部主将》が、よく《部活をサボっての昼寝》に使ってたものだと言われている。

 まあ、龍弥はそんなことは知らないが。

「・・・・・ん?」

 近づいてくる龍弥に気づいたようで、男が龍弥に身体を向けた。後ろで一本にまとめられた長い髪がゆらりと揺れ、肩にかかる。

「・・・・アッ?」

 顔を半ば隠すように伸びた前髪。伸び放題の髪を後ろでまとめている、ジーンズによれよれの上着という格好だ。

 その姿に見覚えがあることに気づき、すぐに数日前に新宿の街で出会った、この真神のOBだといった男だということを思い出す。

「君は・・・・この前の?」

「あ、ハイ」

 どうやら向こうも自分のことを覚えていたらしい。龍弥は軽く頭を下げる。

「この間はありがと。おかげで、葵に会えたよ」

「・・・・・アオイ?」

「うん。あ・・・、美里のことだよ。美里 葵センセイ」

「あ・・・そうか」

 いつも「美里先生」としか呼ばないので、下の名前を忘れていたようだ。

「ところで・・・・・」

「はい?」

「君はここに何をしにきたの」

 青年が龍弥の手にあるビニ袋を指差して言った。自分がゴミを捨てにきたことを思い出した龍弥が慌てて、焼却炉に駆けより、その横にゴミを置く。

「・・・・・・・・」

 そのまま、教室に戻ろうかともおもったが、また木を眺めている青年の姿に我知らず立ち止まる。風にそよぐ髪から見える瞳には、とて懐かしい人に向けるような光があった。

「・・・・・・君、風祭 龍弥くんだよね?」

「え・・・・、あ、ハイッ・・・・。何故、僕の名前を?」

「葵に聞いた。双子の転校生や、元気な剣道少女のこととか・・・・・。俺さ、三年の時に、この高校に来たんだ。君たちみたいにね」

「転校生だったんですか?」

「ああ。でね、転校二日目にして、クラスの不良くんたちに目をつけられて、ここに連れてこられたときがあるんだよね」

 青年が苦笑混じりにそう言った。龍弥は笑えない。ここは、自分と兄が不良に絡まれ、連れてこられた場所だ。目の前の青年と自分が同じ状況にあったことは、笑えるかもしれないが・・・・。

「今日は美里先生に会いに来たんですか?」

「ん? ああ、そうだよ。犬神センセーとか他にも何人か、五年前からここにいる先生にも、挨拶しとこうと思ってね」

 そう言うと、青年は踵を返し、龍弥がやってきた方向に歩を進め始めた。

「ああ、そういえば」

 五歩ほど離れたところで青年が立ち止まり、身体ごと龍弥の方を向く。

「前会ったとき、自己紹介してなかったよね? 俺は緋勇 龍麻」

「あ、風祭 龍弥です・・・・・って、知ってるんですよね」

「うん。じゃ、また機会があったら」

 また会おう、とでも告げるように、軽く手を上げ、今度こそ振り返らずに、龍弥から離れていく。

 ドンッ!

「きゃッ!」

 体育館の角を曲がったところで、逆方向から走ってきた少女にぶつかった。

「―――」

 龍麻の視界には、態勢を崩す少女の姿と、そのすぐ側に浮かぶ小さな木箱があった。木箱の方は、少女とぶつかった拍子に、上着のポケットから飛び出したものだ。

「おっと」

 龍麻は少女を支えると同時に、木箱に手を伸ばし、空中で掴んだ。

「大丈夫?」

「は、はいッ。すみませんでした・・・・」

 少女―――戻ってこない龍弥の様子を見に来た神楽だ―――が、あわてて龍麻から離れ、頭を下げる。そして、向こうの角にいる龍弥を見つけ、慌ててそっちに駆け出した。

「・・・・・あれ、今の美里センセイの・・・・」

 神楽が振り向くが、すでに龍麻は校舎の玄関に向かっていた。

「・・・・・・・」

 龍麻は、手の中にある木箱を見下ろしている。

 五年前、日本を出るときに、東京で一番安全そうなところに住んでいる人に預かってもらっていたものだ。

「・・・・・やっと渡せるね、葵」

 

 

 1999年―――春。

 新宿駅西口。

「・・・・お?」

 雑踏の中、こちらに向かって早足で近づいてくる美里の姿を認め、龍麻が軽く手を上げ、自分も歩き出す。

「ハァッ、ハァッ・・・・。ごめんなさい、待たせちゃって」

 少し息を荒げている美里が、龍麻に謝る。

「いや、俺も急に呼び出してごめん」

「ううん、龍麻から呼んでくれて・・・・嬉しかった。卒業してからは、電話だけだったから・・・・・」

「ん・・・・、じゃ、少し歩こうか?」

「うん・・・・・・?」

 龍麻が腰に手を当て、左腕と脇腹の間に隙間を作った姿勢で美里に背を向け、こちらを見ている。

 美里はしばらくその意味がわからなかったが、ある考えに至り、顔を赤くした。しばらく躊躇したような様子だったが、表情が一転して、笑顔になる。

「うふふ」

 美里は、龍麻の左腕に自分の右腕を絡め、自分の身体を預けるように寄り添った。

「じゃ、行こうか」

「ええ」

 美里は少し頬を赤らめて、頷いた。龍麻の方は、まるで照れた様子もなく、長い前髪の下に子供のような無邪気な笑顔を浮かべ、美里の歩調に合わせるように、ゆっくりと歩き出す。

 

■新宿駅西口―――カフェテラス。

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・龍麻?」

 美里がテーブルを挟んで向かいに座っている龍麻を呼ぶ。龍麻は、手に持つカップの底に残るコーヒーをじっと見ていた。どうにも心ここにあらず、といった感じで、美里の声に反応しない。

「龍麻?」

「んッ?」

 二度目の呼びかけで、ようやく龍麻が顔をあげる。

「どうしたの? ずっと、ボーッとして・・・・・・。なにかあったの?」

「・・・・・そうかもね」

「・・・・・・・」

 『迷い』。葵には、龍麻の声と瞳に、それが見えた。

 龍麻は、物事に動じない性格だ。冷静、というよりは、能天気。それも筋金入りの。どんな『人ならざる力』持つ者と相対しても、龍麻はその姿勢を崩すことはなかった。ついでにいえば、裏密ミサや岩山たか子と相対したときも、さらりと普通に会話していた。

 京一が拳武館の刺客の襲撃によって行方不明になり、美里たちが混乱したときでさえ、龍麻は平然としていた。「京一なら大丈夫。そのうちひょっこり戻ってくるよ」、と言って、美里たちの不安を和らげさえした。

 その龍麻が、今、美里の前で『迷って』いる。『言葉』を口に出すことを戸惑っている。

 美里は、その『言葉』を聞きたくなかった。それを聞いた瞬間、龍麻が自分の手の届かないところに行ってしまうような気がしていた。

「あのさ・・・・えーと・・・・。俺、中国に行こうと思うんだ」

 ドクンッ!

 心臓が一つ、大きく跳ねた。私たちが真神を卒業したあの日、京一君が中国へ行くことを聞いたとき、とても強い不安が心の隅に生まれていた。

中国―――龍麻のもう一つの故郷。彼の両親が闘い、そして命を散らした地。彼の《宿星》が動き始めた異国の地。

「・・・・・・京一くんと?」

「いや・・・・・一人で行くんだ」

 俯きかげんになっていた龍麻が顔をあげる。すでに瞳からは迷いが消え、強い意思を秘めた鋭い光を帯びていた。

「俺さ・・・・、見てみたいんだ。この一年間で知ったことを確認したいんだ。一人で」

 こういった時の龍麻の言葉には、美里は口を挟めなかった。

「まずは、中国に行って・・・・・、俺の《宿星》が始まった客家の村に行こうと思う。それからは・・・・・、いろいろまわって行こうと思うんだ。例えば、アランの故郷とか・・・・・、マリア先生の故郷も・・・・・。行ってみたいんだ。まだ見たことのない世界に」

「・・・・・・・・・」

 止めたい。だけど止められない。

 彼は強い。強い故は、彼の心。何者にも侵せぬ強い心。

 美里は理解した。彼には今の環境は狭すぎる。日本という国ですら狭すぎた。

「・・・・いつ・・・行くの?」

 自分の言葉に、涙が溢れそうになる。 心の中に二つの意思がぶつかっていた。

 龍麻を止めたい自分―――。龍麻に世界を見てほしい自分―――。

 心の葛藤という闘いは、後者が圧倒的に強かった。

「三日後」

「そう・・・・・。止めても・・・・・無駄よね」

 

 それから二人は、カフェテラスを出て、街を歩いた。時々すれ違う恋人たち。楽しげに会話をかわしながら歩くそれらの男女とは対照的に、二人は無言だった。龍麻は前だけを見、美里は俯いていた。

 ただ、二人の手は繋がれていた。美里の家の前まで、ずっと繋がれていた。

 美里の家の前で、二人はしばらく動かなかった。やがて、美里の方から手を離し、龍麻の前に回る。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

 ようやく顔をあげた美里と、龍麻の視線が重なり合う。

「・・・・・出発の準備は?」

「もう終わった」

「・・・・・みんなには、もう言ったの?」

「美里が最初。これから、一年間世話になった人たちに挨拶に行く」

「そう・・・・・・」

「・・・・・最初に、葵に会って・・・・・受け取ってほしいものがあったんだ」

 龍麻が美里の前に、右手を差し出した。その掌の上には、小さな木箱があった。

「これは?」

「呪だよ」

 今まで、無表情だった龍麻の顔に、いつもの、子供のような無邪気な笑顔が浮かんだ。

 木箱の蓋を開ける。中には朱色の布が積めてあり、それに埋もれるように一つの指輪が置いてあった。

「《伏姫の指輪》。いろんな災いを退ける力を持ってる」

 不思議な色彩をもつ石が埋め込まれたその指輪を、龍麻は目の高さまであげる。

「翡翠の店で見つけたんだけど、葵に似合うだろうなァ、って思ってたんだ。あんまり高くて、今まで手が出せなかったけど・・・・・。必死で頼み込んだら、翡翠の奴、初めて《友達割引》してくれたんだ。多分、なにか感じとってくれたんだろうな」

「これを私に・・・・? でも、呪いって・・・・」

「君が一日たりとも、俺のことを忘れないように・・・・・。それが《呪》。俺が生涯、君にかけつづける呪」

 龍麻が美里の右手を自分の前に引き寄せる。

「俺は今、凄く自分勝手なことを言ってる。君の想いを受けとめておきながら、三日後には君の側からいなくなる」

「・・・・・・・・」

「そして、君に『それでも、俺のことを忘れないでくれ』と言ってるんだ」

「・・・・・ホントに自分勝手ね」

 美里は溢れ出した涙の流れる顔に、優しい笑みを浮かべた。《聖女》と呼ばれた女の子の笑みではない。

 この世でたった一人の男にしか向けない、優しい笑み。

「・・・・・受けとってくれるかい?」

「・・・・・・・・」

 美里は、首を横に振った。笑顔のままで。

「・・・・その指輪は、あなたが旅を終えたときに・・・・・」

「・・・・・・・・」

「だって・・・・・私には、もうあなたの《呪》がかかってるもの。あの時、卒業式のあの時に・・・・」

「・・・・・・そっか」

 龍麻は、取り出した指輪を木箱に戻し、蓋を閉める。

「それは、私の《呪》」

「?」

 美里の両手が、木箱を隠すように、龍麻の右手に重ねられた。

「あなたができるだけ早く帰ってきてくれるように、私がかける呪」

「・・・・ハハハッ」

「うふふ」

 二人が軽く笑う。

「・・・・・龍麻」

 美里はもたれかかるように、龍麻の胸に飛び込む。龍麻は、この一年なんどもそうしてきたように、葵を優しく抱きしめた。

「その指輪、早く私につけさせてね・・・・・・」

「うん・・・・。葵、俺は君を――――」

 

 

 2004年―――春。

「・・・・・・」

「おい、緋勇」

「?」

 職員室に向かおうとしていた龍麻が、聞き覚えのある声に立ち止まる。

「おりょ?」

「やはり、お前か」

 龍麻が振り向くと、そこには懐かしい顔があった。相変わらずよれよれのスーツに、同じくよれよれになった白衣を着ている男。五年前から、いや、はるか昔から、この真神にいる生物教師、犬神 杜人だ。

「お久しぶりです、犬神センセイ。あいかわらずみたいですね」

「やれやれ・・・・、それが五年ぶりに会った教師へのあいさつか?」

「?・・・・なにかおかしかったですか? あ、そういえば、髪のびましたね」

「・・・・・お前も相変わらずのようだな。で、何の用でここに来たんだ? 俺の顔を見にきた、というわけではあるまい?」

「それもここに来た理由の一つですけど。ああ、葵、職員室にいます?」

「ああ・・・・いるハズだが」

「今日は、葵に3度目の愛の告白にきました」

「・・・・・・・何?」

 犬神の思考が数瞬停止し、聞きなおそうとしたときには、すでに龍麻は職員室の扉を閉めていた。

「・・・・・・・・・」

 しばらくして、職員室にいる教師たちのざわめきが聞こえてきた。龍麻が《愛の告白》とやらをを実行したのだろう。

 犬神は、《しんせい》をくわえ、火をつける。窓から抜けてくる風が、紫煙を流していく。かすかに髪を揺らす風は、肌に心地良かった。

 そういえば、あいつがこの真神に来たのも、こんな風が吹いていた日だったな。

 真っ赤な顔で、龍麻の背を押しながら職員室から出てきた美里の姿に、苦笑とも微笑みともつかぬ薄い笑みを浮かべた犬神は、そんなことを考えていた。

 頬を赤くしながら、龍麻に何やら言っている美里。それを五年前と同じ無邪気な笑顔で受けとめる龍麻。犬神の目には、五年前の日常の中のあの《五人》の姿がありありと映っていた。

「・・・・・本当に、あいかわらずのようだな」

 五年前と何も変わらぬ姿を見せる二人。龍麻の輝かんばかりの子供のような笑顔。その輝きを映すかのように、美里の右手の薬指にはめられた指輪の石は、淡い柔らかな光を放っていた。