終話始章 モドル?
2009年―――春 「おはよう、龍麻」 「・・・・おはよう、アオイ」 早朝―――桜ヶ丘中央病院 ベッドの中の龍麻は、葵の言葉をただ繰り返しただけのような口調で返した。顔には、張りついたような薄い笑みを浮かべている。 一瞬だけ哀しみで目をそむけたが、葵は、焦点があっているかどうかわからない龍麻の視線を、同じような笑みで受けとめる。 「・・・・桜が、咲いたのよ」 「・・・・サクラ」 「そう、桜。貴方が、私の想いを受けとめてくれたあの場所の、あの桜」 「・・・・オモイ」 哀しみと優しさを合わせた光を湛えた瞳を浮かべる葵の言葉を、ただ端的に繰り返すだけの龍麻。ただ笑みのまま、それでも龍麻は葵の言葉に反応し、言葉を返す。 「・・・・・ほら、あなたたちも」 「父さん、おはよーございます」 「パパ、おはよー」 葵の支えとパイプ椅子を使って、二人の子供がベッドに這い上がってくる。 どちらも二歳くらいの子だ。龍麻と似た髪形をした男の子は歳に似合わぬハッキリさで、肩までくらいに伸びた髪の女の子は明るい声で、それぞれ龍麻に挨拶する。 「・・・・おはよう」 葵から視線をはずさなかった龍麻も、子供たちに顔を向ける。 「パパー。龍姫ねー、したんだよー。マーちゃんとー、おままごとー」 「・・・・おままごと」 「マリィがね、どこからか、私が小さい頃に使ってたオモチャのままごとセット持ち出してね・・・・」 「發葵(はつき)は、お父さん役、やりました」 一言一言、確かめるような口調で、龍姫の前に割り込んでくる。龍姫は悔しそうな顔で、その後頭部をペシペシと叩いた。 「あら〜、ダメじゃない、龍姫ちゃん。發葵ちゃんをイジめちゃ〜」 病室に入ってきた舞子が、龍姫を抱き上げ「め〜」と、柔らかく叱る。ますます仏頂面になった龍姫と、涙目になっていた發葵を見、葵と舞子が笑みを浮かべる。 「じゃあ、龍姫ちゃ〜ん、發葵く〜ん。舞子お姉ちゃんといっしょに、ちょっと遊んでいようね〜」 舞子が二人の手をひいて、病室から出る。ドアを閉めるときに、こちらを見て小さくウィンクした舞子に、葵が困ったように笑みを浮かべた。 「・・・・・・・・」 「・・・・龍麻、もう二年ね。あの子たちが生まれてから」 「・・・・二年」 「そう、二年・・・・。貴方が、私のために心を砕いてしまってから、二年がたるのよ」 「おや?」 「あ、先生」 病室を出ると、病院のヌシ、もとい院長の岩山たか子とハチ合わせした。 「やっぱり来てたのかい?」 「ええ、もう日課みたいなものですし・・・・それに」 「・・・・・?」 「少しでも、あの人の顔を見ておかないと・・・・・、どこか手の届かないところにいってしまいそうで・・・・」 「・・・・少し、話がしたいんだが、時間はあるかい?」 「え? ええ、はい。30分ぐらいでしたら・・・・」 葵は、たか子につれられて、院長室へと入る。たか子は、二つのカップにコーヒーを注ぎ、一つを葵の前のテーブルに置く。 「話をしたい、とは言ったが、実をいうと何もない」 「え?」 「まあ、なんとなくお前さんと話がしたくなっただけさ。もう・・・・、二年にもなるんだね。あの子があの病室に入ってから・・・・」 「ええ・・・・・。私のせいで、龍麻は・・・・」 「そういうことをいうもんじゃないよ。あの子は、あの子自身の意思で・・・・・」 言葉をとめ、たか子が溜息を一つ。 「こんなことを言っても無駄だねェ。護った者と、護られた者の考えが一致しえない。それも、特別な想いを持った相手であれば、なおさら、か」 「・・・・・・・」 「なぜ、こうもあんた達には、重い枷がついてくるのかね。これも《宿星》だと、なにかが嘲笑っているかのようだよ」 たか子が重い溜息を漏らした。 「・・・・なぜ、彼はああならないといけなかったのでしょうね? 何故、私は、《菩薩眼》なんていう、《宿星》を背負ってきたんでしょうね?」 どこか、なにかを諦めているかのような、葵の口調。 涙が涸れてしまった泣き顔。そんな表情だった。 「・・・・・・安心していた。いや、安心しようと、していたんだろうね。《菩薩眼》の女が持つ《宿星》・・・・、《器》を生み出すために、その命を代償とする存在だってことを忘れ様としていた。それを知るものがすべて、それを忘れ様としていた。実際、不安材料を取り除くだけの要素があったんだからね」 溜息。龍麻がああなってしまってから、どれだけの溜息をこぼしただろう。たか子は、ふとそう思った。おそらく二桁では足らないだろう。 「《器》は・・・、先天的に《器》となる者は、その時代に唯一人。そのハズなんだよ。だけど、あの子達を宿したあんたは、ゆっくりと、だけど、確実に衰弱していった」 「・・・・・・・」 「そして、ちょうど二年くらい前、あんたはこの病院の分娩室に入った。付き合って、あの子もね・・・・」 「・・・・うふふ、彼が、あれだけ取り乱してたの、初めて見ました」 「そうだね。あの骨の髄まで能天気が染みついている、あのボーズがね。そういう男は、結構いるが、あの状況であれだけ笑いをさそえるのは、あの子だけだろうね。あんたも、かなりツラかったろうに、笑っていたねェ」 僅かだが、重く沈んだ空気が和らぐ。 「・・・・・私は、本当ならあの子達を産んで、そして死ぬはずだった。龍麻のお母さんのように・・・・・」 「・・・・・・・・」 龍麻の顔。場違いな猛々しい《氣》を纏い、そしていつも通りの子供のような笑みを浮かべる龍麻の顔だけを覚えている。 「今でも夢でも見ていたのかと思うよ。あんたの顔にみるみる生気が戻り、あの子の全身の氣が急速に消失していった。どうしてそんな現象が起きたかわからない。そんな《力》が、なぜ発現したのかもわからない。あの子の生命力が、死にかけていたあんたに注ぎ込まれた」 そこで一旦言葉を切り、そして、溜息。 「・・・・・そういうのを《奇跡》とでも呼ぶんだったら、ずいぶんとたちの悪い《奇跡》だね」 「その《奇跡》のおかげで、私と子供たちは無事・・・・。そして、龍麻は・・・・」 「・・・・・世界で片手の指で足りる数しかない称号が泣くね。今まで誇ったことはないが、今ではその称号を持つ意味と資格もないよ。たった一人の、しかも最も救わなければならない男に対し、なにも手を打てないんだからね」 「そんな・・・・、先生には、感謝しています。礼をしても、し尽くせないぐらいに」 「いいんだよ・・・・・。それにしても不思議な症状さ。規則的に寝て起きる。ただ言葉に反応して言葉を返すだけとはいえ、ごく簡単なコミュニケーションはとれている。だが、意思を持っていない。自分から行動することをしない。似たような症例を探し、詳しく調べてみてもどれとも該当しないことが分かった。つまり、なにもわからなかった、というわけさ」 二年間で何度か繰り返した説明だ。 「不思議なことは、ほとんどベッドから離れない生活を二年間も続けているというのに、筋力がほとんど低下していない。まるで、冬眠中の動物のようだね。もしかしたら、明日にでも元に戻るかもしれないよ」
同日―――夜 「・・・・・・・」 龍姫、發葵が寝静まった後、葵も寝台に入る。すぐに意識は消え、深い眠りに入っていった。 夢・・・かしら。龍麻が私の前にいる。 真神の制服を着た龍麻が、目の前に立っている。 『俺は、緋勇龍麻。さっき、黒板に書いたからわかるよね?』 そう・・・、初めて会ったとき、龍麻はそう言って笑った。この頃から・・・・、多分、昔から変わらない無邪気な笑顔。 『ほら、美里 葵は、ここにいる。君は、たしかに、ここにいるよ』 彼の歓迎会を兼ねたお花見の時。彼はそう言って、不安がる私を抱き締めてくれた。 『うん、ムッチャ似合ってるッ。可愛いよッ』 芝プールでは、彼は私の水着を誉めてくれた。恥ずかしさと嬉しさがいっしょにこみ上げてくるというのを、初めて感じた。 『大丈夫大丈夫。心配ないから』 鬼道衆岩角との闘い。その時、龍麻は私を庇って、あの驚異的な剛力を受けた。それでも、彼は笑顔を崩さなかった。その笑顔は、私の心の奥に針となって突き刺さった。あの時ほど、私に《癒し》の《力》しかないことが悔やまれたときはなかった。 『ああ、俺だよ。緋勇龍麻』 マリィと出会った場所でもあるローゼンクロイツ学院。目を醒ました私の視界にあったのは、彼の笑顔だった。 『頼むよ・・・・。もう、あんなのは嫌なんだよ・・・・。俺を護って、傷つかないでくれよ・・・・』 トニーという少年が放った《力》から、龍麻を護ることができたあの時・・・・。小蒔がひどく心配してくれたのには、心痛んだけど、初めて龍麻を護れたと思った。だけど、彼は震える体で、私を抱きしめた。自分に向けられた攻撃にではなく、自分を庇った者が傷ついたことに恐怖していた。 『とりあえず、捜しに行く。葵がどこにいようと、どんな想いでいようと、葵がどこにいようと捜しにいく』 最後の不動に行くことになっていたあの日、倒れた私を保健室に運んでくれた龍麻に聞いた質問の答えは、こうだった。こういう返答を予想していなかった私は、しばらくキョトンとしてしまっていた。 『昨日、言ったよね。俺は、君を捜し出す。どんなときも、君の姿を捜していく。大切な葵と、ずっと―――ずっと一緒に生きていくために』 あの時、私は皆と一緒に生を歩みことをあきらめていた。《菩薩眼》という存在が及ぼす災厄に、みんなを巻き込まないためにも、私にはそうするしかなかった。だけど、龍麻はそう言って私を抱き締めた。私を捜すと。一緒に生きていくと。涙が溢れた。龍麻から離れられなくなっていた。 『葵はさ、一緒にいるだけで暖かくなる。触れているともっと、ね。だから、いつも、どこでも、こうやって抱き締めていたい』 クリスマスの夜。龍麻は私を抱き締めた。彼の身体は温かかった。どんな物や言葉よりも、安心できる場所だった。 『こんな非日常の中で生を勝ち取るために闘ってんじゃないよ、俺は。 《宿星》がどうした。《黄龍の器》がなんだって? そんなもんは、ただの通過点だ。俺は、葵や、京一たち・・・・、ここにいる皆と、ここにいない皆とで楽しく生きるために今、闘ってんだ! そのためにだったら、死ぬ気で生き延びてやる。誰が戦場で死んでやるもんか! 惨めったらしく這いずってでも、生き残ってやる!』 龍麻が《凶星の者》に叩きつけた言葉。彼自身をとても的確に表すものだ。彼には、誇りはない。あるとすれば、生かし、生き延びることが彼の誇り。そのために龍麻は、仲間を護り、なにより自分を護る。 死と隣り合わせのあの非日常の中で、それはとてつもない我侭だったかもしれない。だが、そんな龍麻だからこそ、仲間たちは惹かれた。そんな龍麻だからこそ、私は彼を好きになったのだ。 翌日―――早朝 「・・・・・・・・」 目を醒ました葵は、しばらく夢から醒めたことに気付かず、ボーとしていた。隣で寝ている龍姫と發葵はまだスヤスヤと寝息を立てている。 「・・・・・・・・」 頬に涙が伝う。忘れていた・・・・、忘れようとしていた哀しみが甦る。 「ママァ?」 何時の間にか起きてきた龍姫が、葵の服のすそを引っ張っていた。その隣で、發葵が眠たそうに目をこすってる。 「あ・・・、ごめんね。大丈夫だから」 涙を拭い、精一杯の笑顔を浮かべる。安心させるために、撫でるように軽く背中を叩いてやると、二人はすぐにまどろみの中へと再突入した。 時計を見てみる。今日は休みで、まだ起きるには早い時間だ。だが、目がさえてしまい、二度寝は無理だろう。 「今日も、お父さんのところに行く?」 返事がないことはわかっていたが、葵は自分の息子と娘にそう聞いていた。 桜ヶ丘中央病院―――廊下 「・・・・ハア」 比良坂紗代は、深く溜息をついた。となりの舞子が身体を右前方に傾け、紗代の顔を覗きこむ。 「どうしたの、紗代ちゃん?」 「え・・・? いえッ、なんでもないですよ」 心中を読まれることを拒否し、無理矢理―――あまり効果はなかったが―――態度を戻す。 「・・・・ダーリン、まだ目を醒まさないね〜」 この二年で、何度口にしたかわからないこの言葉。紗代が頷く。この反応も、同じだけ繰り返されている。 ちなみに、舞子の龍麻の呼び方は変わっていない。龍麻は頬を掻き、葵は困った顔をするが、本人が気に入ってるんだから仕方がない。 (・・・・・龍麻さん) 自分を呪縛から解き放ってくれた男への想いは、かなり薄れていたとはいえ、確かにまだ残っていた。龍麻とは表裏にあるといえる男の存在が、大部分を占めいてた心の中の感情を薄らげていたが、根底にある部分には、まだあの無邪気な笑顔が住みついている。 龍麻の元に、毎日のように足を運ぶ葵と顔を合わせることが当然のごとくあり、その度に二人の間に緊張と気まずさが漂い、言葉も無く軽い会釈だけですれ違う。その場を見た、舞子が困った顔で、とりあえず紗代を追いかける、といった光景が何度と無くあった。 『はあ〜』 ふたりの溜息が重なった。その横を一人の男が通っていく。 「おはよ、舞子ちゃん、紗代ちゃん」 「あ、おはようござ―――」 硬直。短いような長いような間。そして、通常の二人からは想像もできないほどの速度で振り向いた。が、当の男は、すでに見当たらない。
「・・・・・冗談だろう?」 岩山たか子は、思わず目をこすっていた。ふと昨日、冗談交じりで言った、慰めにもならない言葉が思い出される。 『もしかしたら、明日にでも元に戻るかもしれないよ』 そして、今自分の横を通っていった男は、見紛うはずもなく、誰もが目醒めを望んでいた人物だった。 視線をずらすと、病院のロビーに、ちょうど子を連れて入ってきた葵が固まっている。視線は、呆然と男に向けられていて、まるで息もしていないかのように、身動ぎ一つしない、できていない。 「・・・・冗談だろう?」 もう一度、それが現実であることを確かめるように、視線を男に向けて呟いた。
「・・・・・・・」 葵の脳裏に、彼と再会した時のことが浮かんでくる。 あの時は、龍紀と龍弥、それに神楽といった、生徒たちが側にいた。岩山たか子に、息を切って、場に現われた舞子と紗代。顔揃えと場所は全く違っていたが、状況は、あのときをそっくり再現したかのようだった。 (これは、夢? 夢の続きなの?) あの時も、茫然自失の状態だった。目の前の光景が、どこか現実味がなく、思考が停止しかけていた。 「パパだー」 「お父さん、歩いてる」 力の抜けた葵の手を話した、とても危なっかしい足取りでポテポテと駆け寄る子供たちの声が、葵と、その場にいる者の時間を元に戻した。 「おう、父さんだ」 男が、子供たちが転ぶ前に近寄り、二人を軽々と抱き上げる。 「龍姫と發葵、よーやっと、まともに話せるな」 子供たちの顔に、パアッと笑顔が溢れる。ペシペシと叩く子供たちに苦笑しながら、男は葵に歩み寄った。 「・・・・・・・・・」 「おはよう、葵」 あの無邪気な笑顔に、いつもどおりだった挨拶。今だ幻でもみているかのようだった葵の目には、いつの間にか涙があふれていた。 「龍・・・・麻・・・・」 「すまん、起きるのが遅くなったよ」 まるで待ち合わせに送れてしまった時のいい訳のようだ。 なんでだろう? なんで、こんなスゴイ人と出会ってしまったんだろう。誰よりも平凡を望みながら、誰よりも非常識であり、誰よりも自分がそれを楽しんでいる。 この人の言動に、行動に、思想に、これからも振りまわされるだろう。自分でもそれを望んでいるハズだ。 いろいろと考えながらも口に出せる言葉は、どうとっても普通のものだったし、行動も唯一つしかなかった。 言葉を発する前に、葵はこう思う。この人から受けた影響は、思ってたよりもはるかに心に染みついていたんだ、と。 「おはよう、龍麻」 「ああ、おはよう」 人は別れるために出会う。誰かがそう言った。誰だったかは、今は追い出せない。 物語が始まれば、それは終わりに向かうことだ。 だけど、出会うための別れもある。物語が終わっても、また始まることもある。 二人の御話は終わり、そして新しい章奏は始まった―――。 |