始まり

 プロローグ部分。主人公語りで。

 全てが止まった。

「……ふぅ」

 人も物も、何もかもが機能していない。毎日、日付が変わると同時に、世界は唐突に終わる。

 文明が生んだ人工の光は消えうせ、やけに大きく見える月の緑光だけが世界を映し出す。

 動くものはない。

 部屋の窓から見えていたのは、止まった世界に点在する棺おけのような黒い物体。

 この時間に気づいたのは一体いつだったろうか。

 まあ、この時間がなんだろうと、どうだっていい。

 他の人間が感じることができない時間なら、たとえ僕一人だけが知っているとしても、それはなかったことになる時間だ。

 頭のネジが一本とんでいる、などという称号を進んでもらうこともなかろうと、この現象に気づいてから数年、誰にも口にしていない。

 ――いや、一人だけ。誰も存在しない、何も動かないこの時間に、当たり前のように家の外を眺めていた叔父さん以外には。

「さぁなぁ。一通り眺めてきてみたが、なにも判らなかった」

「…よくないことなの?」

「ん〜、どうだろうな? 案外、何にも起きないのかもしれないな」

 今回は、俺たちにはどうにもできないのかもなぁ、と。そういって叔父さんは大きく欠伸をし、布団に入っていった。

 叔父さんの言うとおり、異常なのは、それだけだった。ただ人より一時間長い一日があるだけ。

 なにか不都合があるとすれば。

「耳寂しいことかな?」

 あまり意味のない耳栓にしかならなくなったイヤホンをつけたまま、歩道に突っ立っている棺桶をよけながら道を歩く。

「……?」

 何かが、見えた。

 この終わった世界の中で唯一、僕以外で動くものを見た。

 蒼い蝶。

 淡い燐光を帯びながら、緑光のなかをたゆたうそれは、この止まった世界の中ですら現実離れして見え、幻なのだろうと、頭のどこかで確信してしまい、驚くことさえなかった。

 ――時は、待たない。
    すべてを等しく、終わりへと運んでゆく。

  限りある未来の輝きを、守らんとする者よ。

   1年間――
    その与えられたときを往くがいい。

  己が心の信ずるまま、
   緩やかなる日々にも、揺るぎなく進むのだ――

「……」

 頭の中に男とも女とも幼子とも老人ともとれない《声》が響く。

 それすらも、この終わった世界の中では驚くに値しないと思えてしまい、何事もなかったように歩を進めた。

 たどり着いたのは、ホテルを改装したという学生寮。

 寮というには、あまりにも豪奢な造りの扉を開けて、僕はロビーらしき場所の照明の下に足を踏み入れた。

 この止まった世界で、ここだけが唯一、灯りがともっているという不自然さにも気づかずに。

「……」

 なるほど。こじんまりとしてはいるが、元ホテルだとわかる。特に、入ってすぐ左手にあるカウンター。

 普通の寮なら半畳ぐらいのガラス戸の向こうに寮長のスペースがあるようなものなのだろうが、そこに二人くらい受付の男女がいてもおかしくなさそうな雰囲気だ。

「おそかったね。長い間キミを待っていたよ」

「?」

 ふいに左から、カウンターから幼い声が耳に届いた。

 先ほどまで確かに誰もいなかったはずのカウンター。そこに頬杖をついた十歳くらいの少年が、ぼくを見つめていた。

 白と黒。縞模様の寝間着を着た少年は僕に一枚のカードを示し、そこに署名をさせる。

「……」

摩白真人

 言われるままに自分の名を記す。

 ふと視線を上げると、他にも誰彼かの名が記してあった。

藤堂尚也

周防達哉

天野舞耶

「…」

 あれ? なんだろう、もう一つ、一番最初に記された名前がぼやけて見えない。見覚えのある名のはずなのに…。

「さぁ…始まるよ」

 少年が告げ、そしてその姿が闇へと消えた。

 闇に没し、白い指先が見えなくなった瞬間。

 なぜか、少年の着ていた寝間着が、一昔前のコミックに出てくるような、囚人服に似ていると考えていた。

「誰!?」

 あの緑光が戻ってきた瞬間、その声が耳をついた。

 見やると、ラウンジの奥から、同年代くらいの女の子が、暗がりでもわかるくらい怯えきった瞳でこちらを見ている。

「…僕は」

 言い出しと、彼女が動いたのは同時だった。右の太ももに添えてあるガンホルダーのようなものに手を伸ばと、同時に

「まてッ、岳羽」

「!?」

 さらに背後から響いてきた声に、彼女は勢いよく振り向き、今度は背中を向けていてさえ判るくらい安堵する。

 肩にかけたイヤホンから、耳慣れた曲が流れ出す。緑光は消え、闇をかきけす人工の光が場を照らす。

 終わった世界が、日常へとシフトした。

 とりあえず、今の現状。

 何かしらに追われてます。

「う、上よ! 上に急いでッ!!」

 彼女――岳羽ゆかりに背を押されるように寮の階段を登っていく。

なんでこんなことしてるんだろうか…。

「ここが月光館学園の高等部。よろしくねッ」

 初日のちょっとした騒動のわけも聞かされぬままに翌日、岳羽の付き添いで新たな学び舎へ。

 彼女の笑顔は、印象に残るキレイなものだった。

「ま、そんな訳だから、これからよろしくな!」

 伊織順平。なかなかに五月蝿い。だが、心地よい雑音。

「それより今日は色々あって疲れただろう。ゆっくりと休んでくれ」

 桐条美鶴。なんとゆうか…、『ご令嬢』って実在するんだね。

「なんちゃって」

 幾月修司。人は、言葉のみで周囲の空気を下げることができるんだよ?

 なんというか濃そうな人たちに囲まれたような生活だが、それなりに楽しそうな生活が送れそうだと。

 そう思いながらベッドに入り…。

ドスンッ!

 なんていうデカい物音で起こされてしまった。

「ゴメン、勝手に入るよッ!」

 挙句の果てには、鍵をかけておいたはずのドアをあけて飛び込んでくるゆかり嬢。

 説明を求める時間もない。あとは裏口へ。そしてそこはダメだと、階段を駆け上がる。

 見えない階下からの追っ手を振り切らんと、先導するように駆け上がる岳羽の後姿を見ながら呟く。

「ホラー映画なんかじゃ、むしろ屋上に追い詰められてるシーンだよねコレ」

「え、えええッ、こんなときにそんなこと言わないでよッ!?」

 泣きそうな顔の岳羽が、それでも屋上への扉を開き、飛び出した。

バタンガチャッ!

「ひとまずは、大丈夫かな…」

 ドアを閉め鍵をかけて、岳羽は、息をするのも忘れていたかのように大きくため息をつく。

 だが、それはアマい一言。

 黒い黒い幾本もの腕と白い仮面。寮の壁を這い上がり、表情の見えないその仮面が、確かにこちらを視た。

 ガンホルダーから銃を抜き、あろうことかそれを自分の額に押し付ける岳羽。

 迫る黒い怪異――シャドウ。

 シャドウは迫り、岳羽は動かない。その瞳にあるのは、初めて会ったときに、僕に向けていた《怯え》。

「きゃあッ!」

 柄すら無い刃を握る腕が振るわれ、抉った地面ごと岳羽が弾き飛ばされた。

「……」

 動かない。こんなときにすら、僕の心は動かない。

 恐怖。どこに置き忘れたのか、僕にはそれの量が圧倒的に少ない。

 記憶にあるのは、ぼやけた闇。

 何もかもがあやふやな場所に立つ僕。

 両親を失ったというあの日。おそらくそこに僕は心の一部を置き忘れてきたんだろう。

「…」

 足下には、岳羽の手から落ちた銃が。

 《誰》かに囁かれたように、現実感のないまま僕はそれを手にとった。

 笑みが、こぼれた。

 解る。この銃の意味が。この行為の意味が。

 銃は引鉄トリガー

 身体は銃身バレル

 火薬パウダー精神こころ

 そして撃鉄ハンマーは、この言霊。

ペ・ル・ソ・ナ

 果たして。

 弾丸ペルソナは放たれる。

我は汝…汝は我…

我は汝の心の海より出でし者

悠幻の奏者オルフェウスなりッ!

 僕の中から撃ち出されたそれは、月を背負い、その存在を告げる。

 力が溢れだすような高揚感。感じたことのないほどの開放感。

 そして――

ズグンッ!!

「う…うぐあああッ!!」

 脳を直接かき回されたような激痛とともに、そいつは新生した。

 オルフェウスの身体を内側より引き裂き、黒と深紺、夜の闇のような身体を開放する。

『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!』

 ソイツが咆哮するたび、頭に激痛が走る。

 シャドウは、その表情のない仮面に、はっきりと怯えの気配を映し出し、後退したが、ソイツは跳躍、そして一閃。

 右手の長大な刀が仮面と腕を斬り裂いていた。

 切り裂き踏み砕き握りつぶす。

 瞬く間に、シャドウという怪異をボロクズのように蹴散らしたソイツは、

『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!』

 最後にもう一度咆哮し、そして、

ジジ・・ジッ

 ビデオを編集したかのような不自然さで、オルフェウスへと戻っていた。

「……」

「あッ…!!」

 岳羽の驚く顔が視界の端に見えた。

 死にたくなるような頭痛は消えたが、身体に力が入らない。僕は崩れるように倒れていた。

 すぐ側で岳羽が心配そうな声で叫んでるのが聞こえる。

 残念ながら、答えることは出来そうに無いけど。

「無事かッ!?」

 聞きなれない声といくつかの足音。そして岳羽の切迫した声を聞きながら、僕は意識を手放していた。

「…あ、気がついた…?」

 傍らに誰かの気配を感じ、目をあければ、そこはベッドの上だった。

 病院だろうか、全体的に白っぽい部屋。そして、べっどの傍らに、岳羽がパイプ椅子に腰を降ろしていた。

「はぁぁ…良かった…。やっと起きたよ…」

 腰を浮かして僕の顔を覗き込んでいた岳羽が、まさに全身脱力といった感じで再びパイプイスに腰を落とす。

 何でも一週間も寝ていたらしい。寝るのは好きだが、さすがに新記録だ。

 岳羽は何度も何度も心配した心配したと口に出す。ああ、なんか自転車でコケて入院したときのマキさんやエリーさんを思い出すなコレ。

 後で全部説明するから、と岳羽が席を立つ。が、病室の入口に向かった足が止まった。

「えっとさ…いきなりでナンだけどさ…。私もね…あなたと一緒なんだ」

「…ホントにいきなりだね。なんのこと?」

「私のお父さん、小さい頃、死んじゃってさ…お母さんとも、距離あいちゃってて…あなたも…独りなんでしょ?」

 ああ、そういうこと。

 僕の両親は、十年前、この街で死んだ…らしい。彼女の父親と一緒の時期にだ。

 爆発事故、桐条グループ、その研究所。岳羽がこの街に、そしてあの学園に居るのは、父親のことについて調べるためらしい。

 なるほど。なんとなくここに戻ってきた僕とはえらい違いだ。

「今ままで、色々隠してたし、まずは自分のこと話さなきゃって…」

 律儀な子だ。

「…あのさ。僕、親を亡くした以前の記憶があやふやでね」

「…え?」

「10年前、交通事故で親が死んだとき、僕だけ奇跡的に軽傷ですんだらしいんだけど、そのときのショックで記憶がどっか飛んでったのか、それ以前のことをハッキリと思い出せないんだ」

「…」

 なんと言っていいかわからない、といった顔だな、岳羽。

「人ってね記憶が確かじゃないと、親でさえ他人におもえるんだ。両親の葬式のとき、皆が悲しんでるのに、僕一人だけ子供心に場違いなところに来てるっておもったほどにね」

 あれは、もう、どうしようもなかった。涙なんかでるわけがない。哀しめるはずもない。

 だって、二つの棺桶の中には、血の繋がった他人がいるだけなのだから。

「独りではあったかもしれないけど、そんなに気を使わなくてもいいことだってこと」

「…う、うん」

 微妙な空気にしちゃったな。なんでこんなこと話しちゃったんだか。

 その後は、一言二言岳羽と会話し、そして一人になった。

「…全部話すから、か」

 あの様子じゃ、桐条先輩も、あの幾月っていうオッサンも、か。

「…」

 窓の外は快晴。

 その日から――いや、あの寮へ一歩足を踏み入れたときから、僕は日常と非日常の交互する世界にも踏み入ったことに、そのときようやく気づいていた。

  

-END-

 召還器ってどんななんダロ?って思ったことから書き出しました。自分設定では、あれはきっかけなのではないかと。作中の表現のとおり、召還器の引金を引くことで、心の引金を引き、撃鉄を打ち込み、ペルソナを撃ち出す。といったプロセスの道具ということで。
 ついでに、主人公の設定を少し組み込んでみました。

戻り。