■神速の龍・砕破の鬼(1)

*時期は、雪代縁編が終局し、左之助たちが旅立つ、その間に入ります。

 

 ――明治11年 東京

「剣心。手紙が届いたわよ」

「手紙?」

 洗濯物を干していた手を止め、振り返る。

 場は神谷道場。時は昼過ぎ。

 家事に勤しんでいた剣心の視線の先には、薫がいた。手には封筒が一枚。

「私の知らない名前だけど、昔の知り合い?」

「拙者に便りとは珍しいでござるな」

「はい。裏に緋勇龍斗ってなってるわ」

「―――」

「剣心?」

 剣心が凍りついたように表情を止めた。それからゆっくりと、本当にゆっくりと、氷が日の光に解けてゆくように、小さな笑みを浮かべた。

「なに?」

「いや、緋勇は古い知人でござるよ。・・・もう10年もあっていなかったのか」

「へぇ・・・。その頃なら、やっぱり幕末の志士の友達だったの?」

「いや――」

 珍しい表情の剣心を見たな、と思った薫は、次に苦笑とともにこんな言葉を返された。

「どちらかというと、敵、でござったな」

 元治元年――

 ギィンッ!

 鋼のぶつかり合う音が響く。真昼を呼び込んだような火花が散り、ぶつかり合った二人の姿を浮かびあがらせた。

 一人は一振りの刀を持つ赤髪の剣士。

 一人は龍の刺繍が施された赤い道着に、意匠が施された鉄拵えの手甲の男。

 ザザァッ!

 交差するようにすれ違った二人が、滑走するように着地する。

「・・・・」

「・・・赤い髪に、左頬に一つ傷」

 手甲の男が、ニィッと笑みを浮かべる。

「あんたが噂の人斬り――緋村抜刀斎か」

「・・・・」

「しかし・・・ひでぇなコリャ」

 龍斗のすぐ側には、血溜りと、それにおぼれるように倒れている侍が一人。診ずとも絶命していることは判る。

「久しく感じたことのない強い殺氣に駆けつけてみりゃ、両断しかねない一撃の様。容赦ねぇ」

 男が構えをとる。わずかに腰をおとし、軽く拳を握った両手を肩の高さまであげた。

 剣士――緋村抜刀斎の方は、剣先を地面に向け、無形の位。

「その男とつながりのある者か?」

「いや、まったく。ついでに言うと、攘夷、開国の類にゃ興味もない、旅の途中のただの武術家だ」

 ジリジリと二人の距離が縮まる。

「ならば、なぜその拳を俺に向けた。聞けば仇討ちというわけじゃなさそうだが・・・」

「不運だったな。斬られる前に駆け付けられりゃ、加勢はしてやれたんだがな。ありゃ闘いじゃない。一方的な殺戮だ」

「・・・・」

「ま、無念を晴らす、なんて理由じゃないことは確かだ。侍が侍に殺されて恨むなんざ、意味がねぇ」

ザッ!

 言葉の終わりとともに、男の姿は目前にあった。

「―――」

 長く鋭い踏み込み。三間の間合いを瞬時に零に変え、掌打を打ち込む。

ガッ!

 峰に左手を添え、鍔でその掌打を受け止める。が、自分ほどではないとはいえ、けっして偉丈夫というには程遠い体躯から繰り出されたものとは思えない威力に、体ごと吹っ飛ばされた。

(ただの無手術使いじゃない――)

 空中で半回転し、塀に着地する。

「理由があるとするならば―――」

「!?」

 地面スレスレに深く身体を沈みこませ、抜刀斎の目下に男はすでに居た。

「お前の目が気にいらないッ!!」

 強力なバネでも仕込んであるかのような動きで、男の体が跳ね上がり、天を貫くような軌道で右の蹴足が繰り出された。

「くッ――」

「龍星脚!!」

 左腕で鞘を引き抜き、腰と左手を支えにしてその蹴りを受け止める。しかし、威力は先ほどの掌打とは比較にもならない。

 鉄拵えの鞘が幾分緩和したとはいえ、防御越しに衝撃が身体を撃った。

「―――ぬっ!?」

 驚くほど高くまで舞い上がった抜刀斎と地面の中間ほどに居た男が、目を見開く。

 ―――飛天御剣流―――

 必殺の気を放ちながら、抜刀斎が急降下してくる。その手には両手持ちとなった刀が。

「チィッ!」

 着地。初動は遅れ、かわせない。

ガキィッ!!

「龍槌閃!!」

「オォオッ!」

 全体重と落下の力が収束された渾身の剣撃を、十字に交差した両腕の手甲で受け止める。

 地面に足がめり込んだのではないかと錯覚するほどの衝撃に、男は刹那、意識が白くなった。

「―――雄ォォオオッ!!」

 剣を左へ逸らし、自身を右に跳ばして、その軌道から逃れた。が、殺しきれなかった威力に体制を崩し、塀に身体をたたきつけていた。

「飛天御剣流――」

 今度は抜刀斎が、そこに追撃をかけた。

「ッ――」

バンッ!

 男は逃げず、塀に腕をたたきつけ、その反動で抜刀斎の方へと跳ぶ。

「龍巣閃!!」

「――八雲!!」

 

ガガガガガガガガガガガガガガッ!!!

 

 幾重にも重なる鍛えられた鋼の激突音。縦横斜め。前方の全方位から襲い掛かる無尽の刃を、同様に手甲で覆った拳の連撃で迎え撃つ。

「オオオオッ!」

「ゼェアッ!」

 刹那の溜めの後、袈裟斬りとそれにあわせた裏拳がぶつかり合う。その衝撃がビリビリと両者の身体を覆い、鏡のように同時に弾きとんだ。

「クッ・・・」

 倒れることは避けたが、追撃はできなかった。男の方はすでに最初に見せた構えで待ち構えていたから。

(・・・いかに鉄拵えとはいえ、傷一つつかないとは・・。どんな鍛え方をされているんだ、あの手甲は)

 四匹の獣のようなものが意匠となっている手甲。斬鉄すら可能な剣士と真っ向から打ち合っているというのに、一欠けすらしていない。

「さすが飛天御剣流。一撃一撃必倒の上、何が出てくるかわかったもんじゃねぇ」

 手甲以外は、護りになるものがない装衣で剣刃の嵐に晒された後のものとは思えない笑顔。心底、状況を愉しんでいるといった表情だ。

「俺の名だけではなく、飛天の剣のことも知っているのか・・」

「ん? ああ。どちらかというと、御剣流の方だな、聞きなれてるのは。こっちも同じような発祥の武なんでね。爺さんや親父殿から聞かされていたよ。戦国時代に端を発する古流剣術。剣速、体のこなし、読みの速さを極めた神速の剣」

「・・・さっき、俺の目が気に入らない、といったな」

「ああ、気に入らない。その淀んだ瞳の色が気に入らない」

「―――」

「ついでに言うと、飛天御剣流の使い手が維新志士ってのもだ」

 ザッ・・・

 男が半身に構え、右の拳を腰のあたりに溜める。発する気迫は振動となって抜刀斎に感じられるほど強くなっていた。

 しかし、その体が放つ威圧感とは裏腹に、男の表情は、無だった。精巧な面をつけたような無表情。瞳にだけは怒りとも哀しみともつかない光が宿っている。

「俺の聞いた飛天の剣は、人々を時代の辛苦から護るもの。だってぇのに、テメェはなんで志士なんてやってるんだ」

「・・・・・」

 答えるまでもない。

 この男が言ったように、時代の辛苦から人々を護るため、戦いに身を投じた。自分の穢れた血刀の先に、人々の笑顔があると信じたからこそ――

「答えるまでもない」

「答えられない、の間違いだろう」

「――」

キン・・

 刃が鞘に収められる。

 男と同様に半身に構え、柄に右手を添える。

「居合い・・・抜刀術って言ったほうがいいか」

 にじり寄るように、男が間合いを徐々に縮めていく。

「飛天御剣流が放つなら、その抜刀術は、まさに神域の速さだろうな・・・なるほど。故に、その志士名か、緋村抜刀斎」

 およそ三間。どちらも一足で相手を自分の技の間合いにできる距離だ。

「緋勇龍斗だ」

「――?」

「俺の名だ。もし次の一手でお互い生きてたときのために、伝えておく―――行くぞッ!」

ダッ!

 男――緋勇龍斗が地を蹴る。

「―――」

 放つは飛天御剣流抜刀術――双龍閃。

「―――雄ォォオオッ!」

ズンッ!

 強烈な左足の踏み込み。だが――

(遠い。まだ俺の間合いですらないッ!?)

 刀の間合いの外、無論無手術の届く距離ではない。なのに、緋勇龍斗は技を繰り出そうとしていた。

「掌底―――」

(―――まずいッ!)

 飛天御剣流の読み。それを超えたところで危険信号が鳴っていた。拳も蹴りも届かぬ間合いで、なにかが自分に打ち込まれようとしていると。

「――発剄!!

ドゴンッ!!

 緋勇龍斗が掌打を打ち出した、その一瞬後。抜刀斎の後方にあった塀が、砲弾でも打ち込まれたかのように、大きく、粉々に吹き飛ばされていた。

 ザザザァッ!!

 砂利を巻き上げながら、緋勇龍斗の放ったナニかから跳び逃れた抜刀斎が、着地した。

「クッ!」

 わずかに左肩をかすっていた。それだけで、左腕に痺れが走っている。

「初見で、まともにかわされたのは初めてだな」

「!?」

 見上げる。緋勇龍斗は民家の屋根の上にいた。

「勝負は預ける。その淀んだ心のままのお前と戦っても、大して楽しくない」

「・・・・」

「安心しろ。お前の存在を明るみにだそうなんざ考えてないからな。さっき言ったろ? 攘夷だの開国だのには興味はねぇ」

 トーンッ

 屋根を跳んだ緋勇龍斗の姿が、抜刀斎の視界から消えた。最後に一つだけ言い残す。

「この次に会うときは、人斬り抜刀斎でないことを祈ってるぜ」

「――これが、拙者と緋勇との出会いでござった」

「はぁ」

「すげぇな。抜刀斎と互角に戦うなんて」

「しかも、無手術と来たか。喧嘩のしがいのありそうな奴だ」

「おろ?」

「えっ?」

 二人が振り返る。いつもどおり竹刀を肩に担いだ弥彦と、左之助が立っていた。

「二人とも、いつから居たの?」

「ほぼ最初からだよ」

「だけどよ、剣心。その緋勇って奴が最後に放った技はなんだよ? 妖術使いだったのか、ソイツ」

「拙者も比古師匠から聞いただけの話でござるが――、古武術には遠間の相手を制するための特殊な技法を伝える派があるらしい」

 それが発剄。衝撃を大気に伝道させ、拳はおろか、剣・槍の間合いすらものともせず、相手を撃ち倒す。

「師匠も使い手には会ったことがなく、もはや御伽噺といってもいいものだと言っていたでござるな」

「で、その緋勇龍斗がなんで、剣心に手紙なんて出したのよ?」

「ああ」

 剣心が、緋勇龍斗からの手紙を薫に渡す。弥彦と左之助が薫の肩越しで、手紙を覗き見た。

 簡潔で少々乱暴な言葉遣いが端々に見えるが、好感のもてる人間ではないかと、文章から感じた。が、最後の方に書かれていた言葉に、薫が絶句する。

 神谷活心流道場――つまり、此処に訪ねにくる旨が書かれてあった。しかも、それは今日だ。手紙が着くその日にやってくるとは、随分せっかちな性格なのかもしれない。って――

「なんで、ウチに来るのよ―――。まさか昔の決着をつけに・・」

「へっ、抜刀斎と互角以上に闘う無手術使いか・・・。あのコンパチ四つ子にゃ、スカッとするどころかストレス溜めさせられたからな」

「ああ、相手にとって不足はねぇぜ」

 オロオロしている薫の背後で、なにやらやる気になってる二人。

「薫殿、大丈夫でござるよ。たしかに敵とは言ったが、今までの敵とは違って、穏やかな男でござる」

「どう考えたって、そうは思えない――――」

 薫の脳裏には、ただでさえ修復が終わってない道場と屋敷が、最悪全壊する悪夢が展開されていた。

〜続く〜

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