Encounter in the moonlight

月下の邂逅

 機械が動いてる。

 私にはそのくらいの、誰が見てもわかるような感想しかいえないような、用途不明のモニターやら設備やらが埋め尽くされた部屋で、エビの尻尾のような大きな三つ編みをせわしく振るように女性がバタバタ動き回っている。あ、進行方向にいた助手の人蹴った。

 私は分厚そうなガラスで仕切られた隣の部屋からそれを眺めていた。

神耶かぐやちゃん、疲れてるでしょ? ワタシの部屋で寝てていいよー』

 手も足も眼も一時も止めないままで、その女性が私に言った。言われても、確かに疲れてるが寝る気になれんワ、この状況。

 部屋の中心には簡素なベッドに男が手術着のような服を着せられて寝ていた。

 スヤスヤと。本当に安らかに寝ている。

 あれが、さっきまで自分の血でおぼれそうなほど出血多量の重傷患者だったとは思えない。

『神耶ちゃ〜ん? もしかしてどっか怪我してた?』

「うあ!?」

 視線を遮るように、ガラス越しの至近距離に女性が顔をヒョコッと出す。

「…私は大丈夫です。彼の方はどうなんですか?」

『《神石かみいし》ってやっぱすごいわねー。適合率そんなに高いわけでもないのに、ほとんど致死級の傷をここまで保たせちゃんだから』

 ペシペシと男の頭を叩く。その人、一応重傷患者なんだけど…。

『ま、傷は残っちゃうだろうけど、命に別状はなくなったわ。ただし…』

 女性が男の右腕を持ち上げる。そこには黒い石――9の字をした玉、勾玉がった。

「それ…」

『融合しちゃってるのよ』

 言葉どおり、その黒い勾玉は男の右手の甲に半ば埋め込まれたような状態になっていた。

『多分《神石》が適合率を高めるために、この子と近づこうとしたんでしょうね。どうする? 取り除く? 外科手術になっちゃうけど?』

 どこから取り出したのか、その手にはメスが数本握られていた。あと、すんごいイヤな笑みになっちゃってる。お札の顔の陰影なみに影をつくった笑みってコワイよ。

「取っちゃって大丈夫なんですか?」

『さて、こんなん初めてだからね。高確率で影響のこっちゃうかなー』

 気楽だぁ。言ってること重大なのに、すんごい気楽だ。

「いいです。しょうがないからいいです。父様とうさまも多分それをわかってて、その人に《凶星まがぼし》を渡したんだと思いますから」

「なーんだ」

 なんでそんな残念そうな顔してんですかアンタ。

チャラ…

 私は首にかかってる勾玉を胸元から取り出した。男の手に在る黒い勾玉と対をなすような白い勾玉を細い鎖を穴に通して首にかけている。

 父様と私、黒と白の勾玉。

「なんでこんなことに……なっちゃったんだか」

 握り締めた拳の中で、白の勾玉が明滅する。それに呼応したように、男の右手の黒の勾玉も同じように明滅していた。

■三時間前

「……」

ザザザザッ!

 私は夜闇の森を疾走していた。背後から迫る気配を感じながら、攻撃に適した場所を探す。遮蔽物に埋め尽くされたような状況じゃ私の武器は上手く使えない。

「!?」

 森がいきなり途切れた。いや、森に線を引いたような土道に飛び出していた。

「……家?」

 ここは昼でも日の光がほとんど届かない鬱蒼とした森の中だ。そこにポツンと、開かれた道に面して、本当にポツンといった感じで古ぼけた屋敷が建っていた。

「…灯りなし」

 場所が場所だし、家にはひとつも灯りがない。無人と判断して庭に駆け込み、跳躍。コートを翻し、地上10メートル近くまで飛び上がり、屋敷の屋根へと着地した。

ジャキッ!

 左腕の篭手に添えてあった盾が左右に開き、弓の形をとった。展開と同時に張られた弦をひき、矢を番えてない弓を構える。

「……」

 屋敷を囲む森の中に気配を感じる。徐々にそれは増え、屋敷を囲んでいった。

「力は大したことないけど……数がやっかいかな」

 父様と離れたのはいただけないが、今日は満月。私の《力》を十二分に発揮できる夜だ。なんとでもなるだろう。

「SET――五月雨さみだれ

 矢の形をとるエネルギーが弓に番えられる。

「……」

 場の緊張が高まる。周囲の攻撃的な気配で、空間が自分の方へ押し込められてるような錯覚さえ覚えた。

ザザッ!

 森の中から数体の影が飛び出した。右から3、背後から2!

しゃッ!」

 右足を下げ、半身になったところで腰を捻り矢の先を背後に向ける。弓から放たれたエネルギーの矢が瞬時に分裂、無数の光弾になって影を撃ち砕く。

「ハッ!」

 左腕を振るい、周囲に力場を形成。それに阻まれた影三つが弾き飛ばされる。うち一体は屋根から落ちていったが、残り2体が瓦を飛ばしながら屋根に取り付いた。

 屑鉄を寄せ集めて形作った人形。一言でいえば、それらはそんなモノだった。

『ギギィィイイッ!』

『シャーーッ!!』

 奇声を発し、全体に血管のように脈動する筋がビッシリ張り付いた屑鉄人形がにじり寄ってくる。

「射ッ!」

 エネルギー矢が片方の屑鉄人形を貫き、衝撃で全身をバラバラにする。

『シャギャーーー!』

 矢を放つと同時にもう一体のほうは跳躍し、私に向かって飛び掛ってきていた。私は、左掌をそちらにむけ、今度はピンポン玉程度の力場を形成し、即座に指向性をもってそれを開放する。

 夜闇を切り裂くような閃光が走り、胴をを横一文字になぎ払った。

ガシャッ!

 バラバラになったそれらが屋根の上に散らばり、端から落ちていく。屋敷の庭にちりばめられたそれらは、異形然としたものではなく、普通のどこにでもある家電を打ち壊したような部品へと変わっていた。

「たくッ、雑魚ばっかり創りおってからにぃ」

 それらは、元はただの家電製品。ある女が、それらを嘘っぱちな生命をやどらせて生み出した擬似付喪神つくもがみ

 大方どこぞのゴミ山で作り出したのだろう。森の中から徐々に姿を現すそいつらは、大概家の中のどこかで見たことがある家電が身体のそこかしこに見て取れた。

「SET――ん?」

 擬似付喪神たちの様子がおかしい。一部がいきなり私から意識を逸らしていた。

 再び散弾系の矢を装填しながら、視線をずらす。と、私はギョッとした。

 屋敷の庭と、森にしかれた道の境目あたり。そこにポツンと学生服の男が立っていた。

「――シュートッ!」

 動き出した擬似付喪神の一団に光の散弾を浴びせる。

「クッ!」

 その光撃で3体の擬似付喪神がくず鉄に戻ったが、違う一団が別方向から男に向かって駆け出していた。

 私は、屋根から跳躍し、次の矢を装填する。

「なんでッ!?」

 おかしい。こいつらは普通の人間に襲い掛かったりしない。ある特定の条件を感じ取り、それに応じて襲撃・捕獲行動に出るようプログラムされてるはずなのにッ。

ドガガガガッ!

 光の散弾が擬似付喪神の身体を砕き、地面を穿つ。地面を滑走するように着地した私はさらに地面を蹴り、男を背後に護るように立った。

「大丈夫ッ?」

 肩越しに男を見るが、男は恐怖も驚愕も感じない無表情でこちらを見下ろしていた。

 ていうか、背ェ高ッ! 振り向いたら最初、男の学生服しか視界に見えなかったヨ。

 数瞬、長身から糸目がちな目が私を見下ろす。私は反応を待った。

「……」

「……えっと、大丈夫?」

 高みから(190pぐらいか?)見下ろしてくるばかりで反応がないので、もう一回聞いてしまう。男は一言も発せずに唯コクリと頷いた。

 しかし、シクった。一般人に戦闘を見られるとは…。もしかしたら、この屋敷の住人かな。

 無人かと思って《人払いの結界》を張らなかったのは失敗だった。

「あとで説明するから、あまり私からはなれないで」

 男の反応をまたずに、私は再び擬似付喪神たちと対峙する。

『へぇ…』

「!?」

 私がさっきまでいた屋根上に、人影が現われた。コートのフードで顔は見えない。

 コイツはいつでもこの格好だ。3ヶ月前にはじめて会ったときから、顔も見せず、この化物どもを私たちにけしかけてくる。

『少しご無沙汰ぶりネ、神耶さん。前に顔をあわせたのは2週間ぐらいまえだっけ?』

「なにがヨ。顔もまともに見せないクセに」

『アハハ』

 癇に障る。あの笑い声。

『でも、こんなところでこんなときに《月の人》に出会うなんてネ。幸運なんだか間が悪いんだが…』

「えッ…」

 再び肩越しに男を見た。男は先ほどと同じ無表情で、屋根上の女を見上げている。

『まあ、いいわ。とりあえずあなたの勾玉いただくとして、そっちの貴方は…』

 女が腕を振るうと、擬似付喪神たちがいっせいに動き出した。森の中に潜んでいたものも飛び出し、私たちを囲んでいく。

『処理するなり、徴集するなり、後で、ネ』

 擬似付喪神たちがいっせいに囲いの輪を縮める。そして――。

ドゴンッ!!

 その囲いを飛び越えた影の一撃が、囲いの輪の一部を派手に吹っ飛ばしていた。

「父様ッ!」

 高さでは後ろの男より低いが、厚みのある筋肉質な身体の巨漢。右腕には金属製の手甲が装着されており、そこには黒い勾玉が埋め込まれている。

 纏うは、私と似たデザインのコート。

 さきほど擬似付喪神たちの急襲ではぐれてしまった、私の父様だ。

「大丈夫か、神耶ッ」

「う、うん。だけど…」

 父様が私の視線を追う。そこには父様でも見上げないと視線が合わない長身の男。やっぱり相変わらず無表情だ。この状況を把握しているのか、いい加減怪訝に思ってしまう。

『余所見してると危ないよー』

 女の声にハッとする、と同時に周りの擬似付喪神たちが飛び掛ってきた。

「――オオオリャアアッ!」

 瞬撃。

 飛び掛ってくる擬似付喪神たちが、次々に粉砕されていく。夜の闇に残光を残すオーラを纏った父様の拳撃蹴撃が、近い端から擬似付喪神たちを吹き飛ばしていた。

「伏せてッ!」

 身体を反転させ、父様の背後から飛び掛ってくる擬似付喪神たちに狙いをつける。光撃の射角内にいた男にそう叫ぶと、以外なほど速い反応で高身長を深く沈ませてくれた。

「シュゥッ!」

 光の散弾が2体を同時に撃ち砕く。

 私の攻撃はそれ一発で十分だった。10体以上いた残りの付喪神たちは、すでに父様の攻撃で残らず屑鉄に変わっていたので。

ダンッ!

 父様が地を蹴り、屋根上へと跳躍する。女から5歩離れた場所に立った父様は拳を握り、構えをとる。

「む…」

『ごめんなさいね。今日はどれだけ《力》が上がったか試すために大物を用意してみたの。おかげで疲れちゃって』

 言いながら、女の身体は徐々に透けていった。

「幻影か」

 父様が舌打ちする。あの女、自分の幻をこの場に映し出してたのか…。

ゴゴゴゴゴゴ……

「な、なに…?」

 地面が揺れてる…、地震?

「――えッ?」

 背後に突っ立っていた学生服の男が私の腕をつかんで、引っ張っていた。

ゴバッ!!

 ゆれる視界の中で、直前まで私が立っていた地面が大きく隆起していた。

「あれって…」

 地中から巨大な鉄の塊が飛び出してきた。

『ゴアアアアアッ!』

 耳障りにハウリングする叫びとともに、それが全身をあらわにする。周囲にいる屑鉄人形の数倍デカい擬似付喪神。

バリバリバリッ!!

 全身に巻きついているコード群が帯電している。みれば、胸のあたり、人間の心臓あたりに、大小無数のバッテリーが塊になって明滅している。

「神耶ッ!」

『おっと、貴方の相手はこいつらよ』

 屋根から飛び降りようとしていた父様の進路をふさぐように、屑鉄人形の群れが飛びかかっていた。

『ガアアアアッ!!』

 巨大屑鉄人形が地響きをおこしながら、私にむかってくる。帯電するコードが四方八方から私をとらえようと不規則な軌跡をえがきながら伸びてきた。

 動きは見て取れる、が、私の後ろには巻き込まれた男がいる。場を動くわけにはいかない。

「射ッ!」

 弓から放たれた矢が、散弾と化してコードを引き裂く。

シュルルッ!

「ちぃッ!」

 撃ちもらした数本のコードが迫る。

 私はコートの内側に手をいれ、そこからベルト状の布を引き出す。それは、コートから離れた瞬間、私の手の中で硬化し、ナイフへと変じていた。

 円を描くような軌道で振るったナイフが、コードを切り裂く。

『ゴガガガガッ』

「なッ!」

 巨大屑鉄人形が腕を振り上げる。すると、周囲に散らばっていた屑鉄人形の残骸が食いつくようにその腕に集まっていった。

 ものの3秒ほどで、巨大屑鉄人形の本体よりも巨大な『拳』が出来上がる。

『――SET』

 うなりをあげて振り上げられる大拳から、やはり私は逃げない。さきほどの様子からすれば、私が逃げれば、こいつは後ろの男を狙うかもしれない。

 弓に指令を送る。装填される矢は、放った後の軌道を設定できる『三日月』。

「射ッ!」

 巨大屑鉄人形が拳を振るうのと、矢が放たれるのは同時だった。

 弧を描く軌跡でエネルギー矢が跳び、大拳を迂回するようにして支えとなる腕に突き立った。

ゴガッ!

 最大限に威力を設定しても、これだけ巨大な鉄の塊を打ち崩すには《力》がたりない。だがそれを支える腕は、もとのままだ。

 狙い通りに、腕は衝撃で崩れた。

「くッ!?」

 だが、一瞬おそかった。途中で支えを失った拳が、慣性にしたがい地面を削りながら私たちに迫ってくる。

ドンッ!

「――え?」

 ほうけたような声をだしてしまう。視界いっぱいに鉄の拳が広がっていたというのに、左肩に衝撃を感じたと思った瞬間、身体が反転して両手を突き出す男の姿が目に入った。

 そして次の瞬間、男は鉄の塊にその長身を弾き飛ばされていた。

ドサッ!

 本体から離れたことで結集させていた力が解けたのか、大拳がもとの屑鉄にもどってバラバラと散らばるなか、男の身体が地に落ちる。

 何度か地面を跳ねた男は、うめき声さえあげずにそのまま地面に倒れこむ。

「……」

 いまだ呆然としたまま私は立ち上がり、男に近寄ろうとする。

「!?」

 影が私を覆う。巨大屑鉄人形が右足を振り上げ、そのまま私を踏み潰そうとしていた。

「撃砕烈蹴ッ!」

 巨大屑鉄人形の身体が爆ぜた。背後から渾身の蹴りが打ち込まれ、衝撃が鉄の巨体を完全に破壊する。

 4メートル近い巨体を一撃で粉砕した父様が滑走するように地面に着地した。

「…」

 父様が周囲を見渡す。私もそれに習うと、あの女の姿がもうどこにもない。

「神耶ッ、彼を」

「は、はい」

 父様とともに男に駆け寄る。うつ伏せていた男を父様が状態を起こしてやる。

「う…」

 喉が詰まる。一目で危険な状態だと見て取れた。むしろあれだけの質量の鉄の塊に弾き飛ばされたというのにまだかすかに息をしていることのほうが驚きだ。

 私は血まみれとなった男の胸に両手をおき、意識を集中させる。

「…これでは」

 父様が呻く。私の治癒能力では、これだけの傷を癒すのは無理だ。それでも…。

「なんで、私をかばったり…」

 どこかおかしい男だった。普通に考えてこの場は異常だったはずだ。屑鉄を寄せ集めたような化物、それに相対する私たち。

 それを見てもあわてた様子もなく、逃げることもせずに。

 あげくに私をかばって死にかけている。

「こんなの…夢見が悪すぎる」

 涙目になりながら、治癒の《力》を放出し続ける。が、身体に触れる両手からは、死に向かう気配が一向に消えない。

「……」

「…父様?」

 気道確保や応急処置を施していた父様の様子がおかしい。手をとめ、自分の右腕の手甲を見つめている。

「凶星が…、彼に同調している」

 手甲に埋め込まれている黒い勾玉があわい光で明滅していた。

「……」

 耳を疑った。半分意味を理解してなかったとさえいえた。

 この場、この状況で、そんな都合のいいことがおきるだろうか、と。

 だけど――。

「父様」

「ああ」

 父様が手甲をはずし、そこに埋め込まれていた黒い勾玉を取り外す。そして、男の右手を胸のうえにおき、手の甲に石をおき、それを覆うように左手を重ねた。

「あ…」

 私の右腕の篭手には、父様のものと対になるかのような白い勾玉がはめ込まれていた。それが、男の手の中の黒い勾玉と同じリズムで、淡く明滅している。

ドクンッ!

 鼓動が強く鳴った。治癒の《力》を放出している手からは、死の気配が薄まり、生命力の回帰が伝わってくる。

 なんだろう、この感じ…。まるで何かの《力》を注ぎ込まれたような……。

「む…」

 父様が首をめぐらせ、林道の方を見た。

「あ」

 耳慣れたエンジン音が聞こえてくる。やがてライトの光が見え、一台の車が屋敷の庭にドリフトかましながら入ってきた。芝を盛大にえぐりながら小型のバンが横倒しになりかけながら、急停止する。

バンッ!

 ほとんど蹴飛ばすような感じで運転席のドアが開いた。エビの尻尾のような大きな三つ編みの女性が飛び降りてくる。

 次いで、助手席の方から、青い顔をした男性がフラフラと降りてきた。また、車酔いかアンタ。

「今さっき、凶星の方の反応が消えたから急いでみたけど…、二人ともなんともないようね」

 女性は私と父様を見、そして男を見下ろす。

「な、七香なのかちゃん、とりあえず――」

「とりあえず、その子乗せちゃって。みたところ、まだ危なそうよ」

「こ、こちらへ…」

 まだ青い顔をした男性が、バンの後部の両開きのドアを開けていた。

「神耶ちゃーん」

「えッ!?」

 つい3時間前の出来事を思い出してた私が現実に引き戻されると、ガラス越しに女性の顔が迫っていた。

「うあッ!」

 ガラス越しとはいえ、ほとんど零距離で見つめられていることに気づき、私は飛び退った。

 その様子をケラケラと笑ったあと女性――黄魅 七香は、ベッド上の男を指差した。

「そろそろ起きそうよ」

 見ると、男が小さく身じろぎした。そして、ゆっくりと、細く目が開かれる。

「……」

 しばらく天井の無影灯を見つめていた男は、ゆっくりと上体を起こし、まわりを見回した。やがて、その視線が私と七香ちゃんを捉える。

「……」

 私たちは反応を待ったが、なにも答えない。

 そういやまだ一声も聞いてないな、この男には。

「ワタシは黄魅おうみ 七香。そんでこっちは――」

摩白ましろ 神耶」

 七香ちゃんがとりあえず自分の名をあかし、男のいる部屋に移った私も続いた。

「意識の混濁とかはあるかな? 貴方の名前は言える?」

 七香ちゃんがそう問うと、男はそれに答えず自分の身体を見渡した。手術着のようなものをきてることに気づいた男は、横手に目をやり、そこに自分のきていた学生服がズタボロの布着れになって置かれていることに気づく。

「…」

 無言でそれを手に取り、ポケットに手を突っ込んだ。

「あの…とりあえず状況を説明する前に、貴方の名前なりを知りたいんだけど…」

「……」

 男は私の言葉に頷くと、制服のポケットから何かをとりだした。

 取り出したものは、英単語などの暗記に使う、板ガムを二回りほど大きくしたような厚紙の束を金属の輪で連ねた単語帳のようなものだ。

 金属の輪がひしゃげて外れかかっていたが、あの衝突からはまぬがれていたようで本体にはさほど損傷はないらしい。

 男はその一番外側。内側とは違う色でもう一回り大きいカバー部分にあたる厚紙を指差した。

 ラミネート加工されているらしいそれには、

〈私は事故の後遺症により、言葉がしゃべれません〉

 と、書かれていた。

『……』

 私と七香ちゃんが顔を見合わせる。

「しゃべれ…ないの?」

 男がコクリと頷く。そして、単語帳のカバーの裏を見せた。そこにはルビが添えられた男の名が記されていた。

 男は閉じた単語帳を手にして立ち上がろうとする。

「あ、ダメだって」

 ヨロけかけた長身を七香ちゃんが支え、寝台に座らせた。ほとんど癒えたとはいえ、まだ血もたらないだろう。たてる状態じゃないってば。

「…」

 男が再び単語帳を開く。そこには〈ありがとうございます〉と記されており、それを見せたあとに、頭をペコリと下げた。

「ありがとう…って」

 おそらく治療のことを言ってるのだろうけど、はっきりいって巻き込んだあげくに怪我させたのだから、お礼される側じゃないよ私はぁ。

「えっと…、あなた《月の人》って知ってる?」

 私が聞くと、男は首をかしげた。知らないらしい。

 だが、あの屑鉄人形たちは、《月の人》と一般人を識別して襲い掛かる。そこから見ても、この男が《月の人》の末裔であることは確定だ。

「じゃあ、説明するわ。よく聞いてね……えっと――師黒しこく 真人まさとさん」

 男はコクンと頷き、私と向き合った。

 この日が私と真人との出会い。

 異形と闘い続ける私の相棒となった男との月下の邂逅だった。

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あとがきのようなもの

 数年の充電期間の末、ようやくオリジナル小説第二弾スタートです。

 え、誰も待ってなかった? そんなこたぁ知ったこっちゃねぇです。もともと「百鬼夜行」だってなにもないこのHPに色をつけるためにはじめた自己満足の代物ですから。

 まあ、はじめたからには何とかエンディングに向けてがんばっていきましょうかい。すでにクライマックスとエピローグがどんなものかはおぼろげに決めてあるのですから。問題は、百鬼夜行のときと同じく、そこに到るまでの物語をほとんど考えてないということでしょう。また行き当たりばったりな仕様で書いていきます。

■摩白 神耶(ましろ かぐや)

 ヒロインです。名前の由来は摩白は真っ白。今回は主要人物の名前は、なにかの色をつけていきたいと思います。今回ははじまったばかりなので設定などは次回などにもちこし。

 武器に弓矢をもちいます。盾と弓の2種の形態をもつ武器です。

 キャライラストは、「百鬼夜行」の続編につかうつもりだったヒロインの一人をもってきました。

■師黒 真人(しこく まさと)

 漆黒をなんとなく変形させて師黒となづけました。初めから物語の中心にいた百鬼夜行の九十九とは対照的にしようと思い、王道の『巻き込まれ型主人公』です。

第一話からいきなり死にかけ。しかもヒロインをかばっているあたり、「武装錬金」あたりに感化されてる気もしないでもない。

 初めは九十九とは対照的にしようと、無口な男にしようとおもってたんですが、なぜかいつのまにか無口でなく、しゃべれない男に。ここらの設定も後ほど作中で。

 九十九同様、痛い目にあい続けてもらう予定です。

■黄魅 七香(おうみ なのか)

 苗字は変わってますが、百鬼夜行から連続出演、七香です。百鬼夜行では、こいつの登場話より後は、ストーリーがズイズイすすんでしまい、「天才霊子学研究者」という設定がものの見事にスルーされる結果になってしまい、消化不良になりました。ので、この「黒白の夢」にキャラがもちこされました。うさんくさいオレ流科学の申し子になってもらいましょう。

 ちなみに歳はいまのところ最高齢の二十台へと変更されてますヨ。

■タイトル&各話タイトル

 黒白の夢。こくびゃくと読みます。ラストシーンあたりを意識してつけました。百鬼夜行のときは九十九(99)+壱姫(1)で100ということで百鬼夜行。
 各話タイトルは、翻訳サイトの直訳です。