■鬼哭の里――真鬼の洞
『・・・・母たる者 真なる鬼 迎え入れよ』
ゴゴゴゴゴッ
その言葉を鍵として、《門》が地中から現れた。二つの石柱の間に光の膜が張られ、空間と空間が繋がる。
《門》の前には、三芽と黒杜が立っていた。黒杜の右手には、紐で繋がれた二つの大徳利。左手には、猪口やらツマミが入った袋を下げている。
「さてと・・・」
その《門》の向こう側にいるのは、尋常ならざる《力》をもつ存在だというのに、黒杜は友人の家にでもあがるときのような気楽な様子で足を運ぶ。叔父のその様子に、苦笑しながら三芽はその後に続いた。
一瞬の浮遊感の後、二人は煉戒市の地下深くにある、巨大空洞に立っていた。背後には、入り口のものとまったく同じ《門》がある。
『よく参られました』
何もない空間の中で、ただひとつ目につく存在。空間の中央で地面と天井をつなぐ巨大な石柱に、その存在はいる。
すべての鬼と鬼人の始祖、命媛。
「事後処理もほとんどおわったんでな。あんたと呑もうと思って、やってきたぞ」
掲げた大徳利を地面に置き、黒杜はその側であぐらを組んだ。
『・・・・・・我と酒を交わそうと申し出るものは、数百年ぶりですよ』
小さく笑みを浮かべた命媛の身体が、石柱から音もなくせり出してきた。三対六枚の翼がはためき、ゆっくりと地面に降り立つ。
『付き合いましょう。ただ、我は《鬼》ですよ?』
「俺はな、零朱との呑み比べで競った男だぜ?」
『・・・それを聞いて安心しました』
もう一度微笑み、命媛は猪口を手に取った。黒杜は、満足そうな笑みを浮かべ、そこに酒を注いでいく。
『それで?』
大きめの猪口の酒を一気にあけてから、命媛が聞く。が、おそろしく端的なので、意味がわからない。
「なにがだ?」
『その後、九十九たちはどうしました?』
「・・・・命媛様は、煉戒市を視ることができるのではなかったですか?」
『隗斗と九十九が、百鬼夜行と天剣絶刀を続けて使いましたからね。あの街に満ちていた我の妖気が薄くなり、今はまだほとんど視えません。隗斗の氣が消えたことだけは感じられましたが、細かなことは、サチを引き取りにきた秦家の者からの話ではわからないのです』
「そうですか・・・・」
「まあ、時間はいくらでもある。酒を愉しみながら、ゆっくりと話してやるさ・・・・」
黒杜はそう言って、再び酒を注いでいく。
2週間前・・・
「あ、治療終わったの?」
室内に入ってきた壱姫に七香が聞くが、ガラスで隔てられた隣室に視線を向けていて、頷きもしない。
「九十九・・・・まだ起きないの?」
壱姫の視線の先、ガラスの向こう側にはベッドに寝かされている九十九の姿があった。身体のそこかしこにコードが貼り付けられ、無数の機械に繋がっているが、壱姫には何をしてるのやらはわからない。
九十九たちが隗斗を斃してから、半日が経っていた。
ここは、煉戒市の北区にある卯月の屋敷、七香の家だ。その地下に広がる研究・開発施設の一角、医療関係の施設らしい。壱姫も、こんな場所まであるとは、つれてこられるまで知らなかったが。
術的要素をとりこんだ医療の最先端であるこの施設で治療を受けた壱姫たちは、とりあえず動けるぐらいにはなっていた。折れた肋骨が肺に食い込んでいなかったのは、幸運だったらしいが。
ただ、九十九だけは違った。どれだけやっても目を覚まさない。
「全然だわよ。再生能力もとりあえず戻ったから、身体の方は完治してる。・・・・とりあえずだけど」
「とりあえず?」
「・・・尋常じゃないほど強靭な鬼人の身体。その限界を超えるほどの負荷が重なりすぎたのよ」
「負荷って・・・・天剣絶刀」
七香が頷く。
「地下大空洞で一回、鵬鳴高で二回。しかも後者は連撃。九十九に襲い掛かる負荷は倍以上よ。《右腕》の氣は、一時的に九十九の《力》を上げていただけで、ダメージを消し去っていたわけではないみたいだし」
「それで・・・・九十九はどうなったの?」
「うん・・・、わかりやすく言うと、歪みみたいなものが出来てるの。この《眠り》もそれを癒すものだろうけど・・・・、多分、完全には消せない。《力》もかなり落ちるだろうね。どんな後遺症が残るかもわかんないし・・・」
「・・・・・・」
複数のモニターを見ながら、何かを打ち込んでいたノートパソコンを閉じ、七香が立ち上がる。
「まあ、心配しないでいいとおもうよ。そのうち起きてくるとおもうから」
「・・・・あんた元気よね。さっきまで一番バテてたくせに」
「研究対象がこーんなにおとなしくしてくれてるからね。休んでられないわ」
「・・・・・・・・・・・・・・研究対象?」
隣室の九十九を見る目がえらく変わったような気がして、壱姫のこめかみになにやら冷たいものが流れる。
「鬼人の肉体の構造なんかを調べてね、今、取り掛かってるロボットの人口筋肉とか動力伝達系とかの参考にするの」
「・・・・もしかして、あの機械の群れって」
「ほとんど調査機器よ♪ いやー、いままで途中で逃げられてばっかだったから、すっごいチャンスだわ」
「・・・・・・・」
隣室を眺めながら、「うふふ・・・」と悪役めいた笑みをこぼす七香に、壱姫が「あはは・・・」と乾いた笑いをもらす。
と、ドアが開き、千夜が入ってきた。
「あ、千夜。あの子は?」
「親が迎えにきたよ」
あの子とは、隗斗に捕らえられた少年のことだ。外傷は見当たらないかったが、念のため、ここに一緒に連れてきて検査を受けさせていた。
「壱姫ちゃん。あの子の検査で、おもしろいことがわかったよ」
「おもしろいこと?」
「あの子、霊気をまったく帯びてないの。すごい弱い、とかじゃなく、まったくのゼロ。そのために、結界や呪いとかいった、霊的な障害をまったく受けない体質なの。俗に霊的不感症っていわれるものね」
あの少年は、避難の途中ではぐれた自分の犬を探しにもどったらしい。そのときにはすでに強力な結界が張ってあったはずだというのに、少年はその中へと足を踏む入れていた。
「それで結界の中にいたのね・・・。でも、それって結構いい才能なんじゃない? 退魔師として」
「鬼を代表とする近接戦闘を得意とする妖怪は妖力を強力な物理的攻撃力に変換する」
スラスラと息継ぎなしに、完全な説明口調。
「・・・・霊力の保護なしにそれはキツいわね」
「裸で真剣相手にするようなもんだな・・・」
ピピッ!
七香のすぐそばにあった機器が、音を発した。七香がモニターに目をむけ、すぐに顔を起こした。二人もその視線を追う。
「あっ・・・」
ガラス越しの部屋のベッドに寝ていたハズの九十九が、上体を起こし、ボーと向かい側の壁を見ている。
「・・・・・」
ブチブチッ!
邪魔ッけに感じたコードを乱暴に引き剥がし、ベッドから降りた。そして、壱姫たちの方を向き、軽く手を上げる。
「よぉ」
「―――あんた、あーいう展開のあとに、そのいつもどーりの気ィ抜けた態度やめなさいよ!」
ガラス越しにツッコむ壱姫。
「壱姫」
「なによ、千夜」
「ニヤけてるぞ、お前」
「・・・・・・・・・」
ボッと赤くなる。意識の回復と、まったく変わらない九十九の様子に、おもいっきり安堵感に満たされていた。
ガチャッ
部屋をつなぐドアから、九十九がこっちに入ってきた。
「皆は?」
「全員、あんたよかマシよ」
「そうか。そりゃ、良かった」
「良かない!」
壱姫が人差し指を、九十九の鼻先につけて怒鳴る。
「あたしはね、あんたに言いたいことが山ほどあるわよ!」
「お、さっきの続きか!」
九十九復活時の再現だ。鼻先をくっつけんばかりの距離でにらみ合う。
「さっきも言ったけどねッ、あんた馬鹿みたいにカッコつけすぎよッ!」
「悪いか、あんッ!」
「悪いわよ!」
即座に返ってきた壱姫の怒鳴り声に、九十九がちょっと後ずさる。が、壱姫はそれより長く踏み込み、九十九の患者衣のようなものの襟を引っつかんで顔をひきよせた。
「あんたの心の中でも言ったけど!あんたの自己満足で、勝手に死なれても、こっちは迷惑なのよッ!あたしが、七香たちがどれだけの思いをしたか知ってんの!?あたしは光ちゃんと辰巳くんに、むっちゃ情けない姿さらしちゃったわよッ!今日の戦いに関係ないあの二人にはげまされちゃったりしてさ!んで、いざ戦って、ようやくあんたを生き帰らせれたとおもったら、今度はあんたがまた自己中ーなこと言ってくれて、あたしたちのやってきたこと無駄にしようとするし!あたしたちは全員残らず大怪我したし、サチなんか消えちゃうところだったのよ!大体、人狼たちの一件の時点で、あんたが真実教えてくれてたら、こんなことにならなかったのよね・・・それをそれを!あんたはまた『お前の親父さんを殺した妖怪ってのは―――俺だ』なーんてこと言ってくれちゃってさ!バカ!?バカなの、あんたは!?思い出した!あんた、あたしたちと初めて―――じゃない、あたしの家で再会したときから嘘ついてたわね!あああ思い出してみたら、あのときも!あれも!遠い目とかするなーとか思ってたわよノー天気にあたしは!自分ばっか傷つきゃいいとおもってるところがバカだってのに気づかないの!あたしとあってから、ううん、200年前からずっと傷ついてばかりで!でもずっと人に好かれたくて!心の中であんたのその姿を見せられちゃったあたしはどうすりゃいいのよ!」
「・・・・壱姫」
怒鳴り声には、涙声が混じり始めた。頬を伝う涙が床に落ちる。
「あたしがヒドいこと言うたびに傷ついてたあんたにどう謝ればいいのよ!
命を投げてまであたしを助けてくれたあんたに、なんてお礼を言えばいいのよ!」
「あ、あのな・・・壱姫」
「何よ!」
グイッと服の裾で涙をぬぐう。
「・・・・・やっと、また会えたな。六年ぶりに」
「―――」
多少ぎこちなかったが、九十九が笑顔を浮かべる。それを見て、壱姫の表情と動きが固まった。
「・・・・壱姫?」
「壱姫ちゃん?」
九十九を見たまま硬直している壱姫。七香が目の前で手を振ってみるが、反応がない。
「・・・・・・・」
いきなり、マンガなら『ブワッ』とか擬音が描かれそうな勢いで、涙が溢れ出した。それを見て、七香と千夜が一歩後ずさる。九十九も同じように身をひこうとしたが、未だにがっちりと服を壱姫につかまれているので、それもできない。
「う・・・うぅぅ〜」
表情が崩れ、涙の勢いが増す。と、ついに大声で泣き始めた。
「うわぁ〜んッ!」
頭をぶつけるようにして顔を胸にうずめた壱姫に、九十九はいまだに困った顔だ。さすがにこの状況は、過去にない事例らしく、どうしていいかわからない、といった感じである。
「えぇとぉ・・・どうすりゃいいんだ?」
「知るかよ・・・」
俺に振られても困る、と千夜が背を向ける。と、七香が二人に近寄った。
「こうすれば?」
九十九の左腕をとり、壱姫の肩に回す。
「・・・・・・」
なんだこれは?と視線をおくるが、七香はなんだか満足そうな笑みで、親指を立てた拳を突き出している。
「・・・・・はぁ」
あきらめた表情でため息をつく。そして、今度はいつもの気の抜けた笑みを浮かべ、片手だけで壱姫を抱きしめた。
「・・・・・ただいま、壱姫」
九十九の言葉に壱姫が何度もうなずく。おかえりなさい、と返そうとしても泣き声に混じるだけでよく聞き取れなかった。
「・・・・・・・出にくい時にきちまったな」
「そうね」
わずかにあいたドアの向こう側にいた、黒杜、三芽以下、仲間たちは、ニヤけ顔で嘯いていた。
「・・・・つーのが、あの戦いの後にあったことだ」
『そうですか・・・・。ようやくあの子達にも平穏が訪れるのですね」』
「平穏ね・・・。そりゃどうかね?」
『・・・・・それもそうですね』
「・・・・どゆことです?」
なにやら二人で妙に納得してる顔をされて、三芽が問う。
『我らは鬼。鬼は闘いに憑かれた一族。我らが闘いから逃れられることはないのかもしれません』
「・・・・・それなら大丈夫ですよ」
ニコリと、壱姫たちに見せたことのないような無邪気な笑みを浮かべ、あっさりとそう言う。
『・・・・なぜです?』
「九十九は闘いから逃げませんし、負けもしません。どんな敵も正面から叩き伏せます。あの子たちといっしょに」
■煉戒市中央区同時刻■
「クシュッ!」
「ハクショイッ!」
下校中の壱姫と九十九が同時にクシャミをした。不思議そうな顔でお互いを見つめる。
「風邪か?」
「ううん、絶好調よ」
「おれもだ。絶好調ではないがな」
「ああ・・・、そうね」
七香と卯月の医療関係スタッフの調べでは、九十九の身体にはいつくかの重大な欠陥が残ったらしい。隗斗との闘いのときより《力》は格段に落ち、長時間の戦闘にも耐えられなくなっていたのだ。七香の言うには「私の調整する地獄のリハビリに耐えられれば、ある程度は回復する」そうだが、それでも完全に元に戻る可能性はほぼ0に近いらしい。
「《力》も半分くらいが吹き飛んじまった感じだよ」
「・・・・・でも、あんたの実力じゃ、半減しても化け物にはかわりないわね」
たとえ自分たち五人が束なっても、今の九十九と互角ぐらいだろうと、壱姫は感じていた。
「で、どうだった? 久しぶりの学校は」
「ん〜・・・・呆れたな」
身体の調子も、だいぶ良くなり、数週間ぶりに登校した鵬鳴高校。そこで、九十九は人だかりに囲まれた。
「あいつら、こっちが今までずっと正体がバレるのを恐れてたってのに、平然と興味津々で近づいてきやがって・・・」
隗斗とともにグラウンドに出現したとき、幾人かの部活動をしていた生徒に、九十九は鬼人の姿を見られていた。が、その反応は概ねの部分で、真逆だった。
『九十九って半妖ってやつだったんだなー』
『ねっ、ねっ、どんなんになるの?』
『見せてみてよ。ケッコー格好よくなるって聞いたわよ』
囲まれてる間、始終こんな質問やら何やらを浴びせられていた。最後には九十九の方が『うるせー! 散れー!』と跳ね除けてしまったほどだ。
「辰巳だけかと思ってたが・・・、なんてノー天気な連中だったんだよ・・・」
「その辰巳くんと光るちゃん、それにあたしと千夜が、あんたがいない間に話が捻じ曲がって広まらないように走り回ってたんだから、感謝してよね? ・・・・・まあ、一部は間に合わなかったみたいだけど」
生徒の一部、思っていたより遥かに少ない数ではあったが、九十九のことを恐れの目で見る者もいた。ただ、九十九の学年には一人もいないことが、壱姫はうれしかった。九十九という男を直で知ってる者には、九十九がどんな人物であるかがちゃんと伝わっていたんだ、と。
それからしばらく、二人は無言だった。会話が不意に途切れ、お互い切り出す話がなかった。
「・・・・・・・・」
いや、壱姫には話があった。とゆうか、ここ2週間、ずっと口にだせずにいたことだ。
「・・・・あのさ」
「ん?」
壱姫が小走りで数歩駆け、九十九の前に出る。
「・・・・・・・・」
「?」
さらに無言の時。
切り出せないこととは、壱姫の気持ちのことである。謝罪とお礼、そして、思い出した気持ち。壱姫は、2週間前ので、十分じゃないかと言ったが、周りが納得しなかった。とゆうか、七香と百荏が納得しなかった。光はどっちについていいか判らず困っていた。千夜たち男共は、下手うったらトバッチリが来そうなので、かかわらなかった。
『謝りたいのもお礼がしたいのも、あれでまあ、いいわよ」
『でも、壱姫ちゃん。壱姫ちゃんの気持ちは、ちゃんとマトモな状態で言ってね♪』
あからさまに面白がってた二人の顔が脳裏に浮かび、ちょっと渋面になる。そして、思い切って顔をあげた。
「あのね!」
「お、おう?」
「・・・・・その・・・・・あの・・・・えーと・・・・ね?」
「おう」
「・・・・だから・・・・その・・・・あたし・・・・なんだっけか・・・・」
「あん?」
どーしても言葉に出来ない。
「・・・・・・はい!」
「・・・・は?」
壱姫が手を思いっきり差し出した。もちろん何も持ってない。
「その・・・・あたしの気持ちは・・・・今は、これで精一杯」
「・・・・・」
「だから、その・・・・手、つなごうよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
またしばらく沈黙が続いた。人通りの少ない道でよかった、と壱姫がちょっと混乱している頭で思う。とりあえず、人の目はなかった。
「・・・・・・ほらよ」
しばらくの沈黙の後で、九十九が壱姫の手をとった。
「・・・・うん。行こ!」
嬉しいやら恥ずかしいやらの狭間のまま、壱姫が歩き出す。それに合わせて九十九も。
「・・・・・お手々つないでか。小学生か? 俺たちゃ」
「・・・・いいじゃない」
少しだが落ち着いてきた壱姫が足を止めずに、九十九を見る。
「あたしたちの本当の時間は、11歳で止まってたんだからさ。ここからまた始めようよ」
「・・・・そうだな」
九十九が苦笑ともとれる笑みを浮かべる。
「あたしたちはさ・・・・、父様や、零朱さん。それに鬼哭の里の人たち、他にもいろんな人を隗斗のために奪われたけど」
「・・・・・・」
「でも、現在は笑っていたい。過去のことをちゃんと心に残して、笑いたい。それでね・・・・」
もう一度振り返り、壱姫は微笑みを浮かべた。今まで、九十九が見たことのないような無邪気な笑み。そして、九十九もいつもの気の抜けた、でも優しさを宿した笑みを返す。
「それで?」
「うん―――」
空は晴れ。その日は、青い空に白い雲が浮かぶ、当たり前の空だった。
「未来は、幸せになりたいよ。あんたとずっと―――ずっと一緒にね」
百鬼夜行〜二重の絆〜 ――― 完
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