東京魔人学園外法帖 鬼龍譚  第零話「龍鬼」





時は1866年。
時代は、変革を目の前にしていた。
江戸という名の町は幕府の象徴であり、腐敗でもある。
鬼も出ると騒がれる今、まさに陰陽入り交じる時と言えよう。
鬼が出るなら守り手もまた。
守り手は、龍の名を名乗る。



時は、変革を迎える。
龍と鬼と人が住まうこの地。
果たして如何なる結果を迎えるか?
それは誰にもわからない。



そして、龍の名を持つ者もまた、この地へと。
龍の名を持つ者は、鬼と出会う。
これは縁か、はたまた因果か。
ただ、出会ったと言うことだけが真なる事。
龍の名を持つ者は、鬼となる。
龍の名の、鬼へと。
その時から龍の名を持つ者に、もう一つの名が付く。
名を、こう呼ぶ。


鬼龍、と──────。






「困った・・・。ここはどこだ?」

山道を逸れた道を歩く少年が一人。
年の頃は数えて15あたりだろうか。
あまり高くない身長に、線の細い体つき。
だが何か武芸を嗜んでるのか、しっかりとした体をしている。
顔つきはやや女顔だが、性別は歴とした男。
母親似であろうか、整った顔立ちをしている。
だが特別綺麗、格好いいというわけではない。
しかしどこか人好きのするその顔。
まぁ、10人いたらその半数は「格好いい」と言う感じの顔だ。
髪は艶のある黒髪。肩近くまでザンバラに伸びてるであろう髪を
首の後ろ辺りで朱色の紐で一結びしている。
眼も髪と同色で黒。だが髪の色よりも深く、闇色というのが相応しい深淵の色。
闇色の深淵、と言っても決して虚ろではなく、むしろ明るく見える。
服装もまた少し変わっていた。
胴着を改造したような、白と黒を基調としたその服。
袖の部分はなく、日焼けのしていない腕が見せられている。
手首と手の甲当たりには白の布が巻かれていた。
胴着の下には袖のない厚手の肌着を一枚。寒そうにも見えるが本人は至って大丈夫そう。
そして、腰には袋が一つぶら下がっていた。

「・・・江戸はどっちだ?」

どうやら江戸に向かう途中らしい。
だが何処をどう間違ったのか横道に逸れてしまったようだ。

「ひとまず、来た道を戻るしかないか・・・・。」

大きく息を吐き、ため息をつくと来た道を戻ろうと振り返る。
だがしかし・・・、

「・・・俺ってどっちから来たっけ?」

見渡す限り、草草草。
短い草ばかりで足跡も明確には残っておらず、来た道を戻るのはなかなか難しそうだ。

「・・・・・・俺にどうしろと?」

その状況に途方に暮れる。
辺りはまだ明るい。歩くにも時間はまだ大丈夫そうだ。

しょうがない、根性で戻ってみるか。

そう思うなり、再び歩き出す。
・・・しかし、気づいているのだろうか?
もと来た道を歩いてるつもりが、全く別の方向へ歩いてることに。




「・・・・・・・・・・・・ふっ。」

歩くこと一刻近く。
未だに道という道につかない。
今歩いてるのは、山の道無き道。
完璧に迷ったらしく、思わず自嘲の笑みが出るほどだった。

「俺はいつからこんなに方向音痴になったのか・・・。
 生まれて数え17年。ここまで道に迷ったのは初めてでさぁ・・・。」

どうやら、この少年・・・いや、青年は17だったらしい。
見た目背があまり高くない上に女顔なので幾分か若く見える。
実を言うと、これが本人の悩みらしいのだが・・・。

「・・・大体師匠が悪いんだッ。いきなり江戸に行けなんて言うから・・・。
『お前の力が必要となる』って言われてもよくわからんし・・・。
 まぁ絶対に楽しいことらしいし・・・。」

そう言うと今日何度目になるかわからない大きなため息をつく。
しかしため息をついたばかりでは何もならないとわかってはいるので、
さらに道を進んでいった。



日が沈み、辺りは月の光だけがある闇となった。
未だその世闇の中を歩いている龍斗。
夜目が聞くのか草木に足を取られることなくスイスイと道を進んでいる。

「・・・っと、あれ?」

ふと、歩く方向に小さな明かりがあるのに気づく。
ほとんど目と鼻の先にあるその明かり。
龍斗は小屋か何かがあるのかと、その明かりの方へと足を進めてみた。



「おやま、こんな所に小屋が一軒。」

明かりは小屋から漏れている。どうやら中に人がいるらしい。
もう夜も遅くなり始めたので、龍斗はここに一晩の宿を取ろうと決めた。
そして、小屋の戸をたたく。

「すんませーん。」

トントン、と叩いていると中の方でなにやら物音がした。
音が近づいてくると、ガラッ、と木戸らしい音を立てて戸が開いた。

「おや、あんたもここに泊まるのかい?」

中から出てきたのは髪の長い、着物を着た女性。
美しい、と言っても過言ではない顔立ちの、女性だった。

「あんたも・・・って、あんたも道に迷った口か?」
「まぁ、そんな所だね。立ち話もなんだ、早くお入りよ。」

女性は戸を離れ中へと戻っていく。
それについて行くように、龍斗も小屋へと上がり込んだ。



パチパチと、囲炉裏に火がはねる。
龍斗と女性はその囲炉裏を挟んで真正面に座っていた。

「旅の途中かい?」
「あぁ。江戸に行く途中で迷ってね、暫く歩いてたらここについたんだ。
 ・・俺は緋勇龍斗。あんたは?」
「あたしかい?あたしは桔梗。
 緋勇龍斗・・・・良い名前じゃないか。生まれはどこだい?」
「出雲の山奥にある小さな村。良いところだ。」
「へぇ、出雲か。あんたの顔見てるとそうは見えないけどねぇ。」

他愛もない会話を交わしていく。
話の途中で女性、桔梗が持っていた三味線を奏で歌ったりもした。
それに拍手をすると、桔梗はありがとよ、とニコリと笑い返した。

「それにしても、なんでまた江戸に?
 今江戸は鬼が出るって噂、聞いたことないのかい?」
「鬼?」

桔梗の言葉に龍斗が小首を傾げて聞き返す。

「どうやら知らないようだねぇ。
 あんたは鬼がどういうものか知ってるかい。」
「・・・鬼・・・、そうだな。鬼と言って人が想像するのは角の生えた化け物、だけど
 実際『鬼』ってのは妖怪とかの類だけでなく、人の心にも巣くうモノでもある。
 怒り、恨み、妬み、悲しみ・・・負の感情と言われるそれらが心の中で増大し
 人の身すら鬼に変えてしまうとも言う。
 そして人は陰と陽によって成り立っていて、その陰が大きくなることによっても
 人は鬼へと変ず・・・。
 一口に鬼、と言ってもそれが全て悪というわけではなく、何ものかによって
 殺された者の魂が鬼となり、永遠に闇を彷徨い歩く・・・そう言う悲しい話もある。
 他にも特殊な術を使って鬼を生み出す方法があると聞いたこともあるな。」

そう言い終わると、一息ついて桔梗を見返す。
龍斗が見た桔梗の顔は、どこか感心した、様子だった。

「・・・・・鬼に詳しいみたいだねぇ。」
「いや、そう言うわけでもないさ。今の話だって師匠の受け売りだし。」
「師匠?そう言えばあんた、そのなりからしてなにがやってるのかい?」
「あぁ、少し武術を。これが俺の、武器だ。」

龍斗は腰にぶら下げていた袋の紐を解き、中からゴツリとした何かを取り出す。
一体なにで出来ているかわからないが、それは手甲と呼ばれるものだった。
色は全体的に黒く、朱色の紐で所々が結んである。

「これは俺の武術の師匠から譲り受けたモノでな、なんかよくわかんねぇけど
 凄い良いものらしい。」

手甲をはめ、拳を握る動作を繰り返してみる。
手に良くなじんだその手甲は、その存在を示すように黒く鈍く光っていた。

「・・・ってそんな事話しても面白くないよな。それじゃ、俺はそろそろ寝るよ。」
「そうかい。それじゃ、あたしも寝るとするかね。
 襲わないでおくれよ?」
「へっ、そんな事するほど俺は馬鹿じゃないさ。あんたみたいに強い女性には、な?」

何気なく、言ったその言葉。
聞き逃してもおかしくないほどサラッと言ったその言葉に、桔梗の肩が一瞬反応した。

「強い?・・・なんでそんな風に思うんだい?」
「気、かな?あんたの気は普通とはちょっと違う。
 なんつーか・・・・・・・・・・・、言葉には言えねぇけど、とにかく違う。
 それに、あんた自分で気を抑えてるだろ?普通の人と同じくらいに。
 意識して気を抑えられる、ッてことはそれなりに気に詳しいって事だ。
 気に詳しいって事は、その類の術が使える人が多いしな。だから、だ。」

そう言って龍斗が浮かべた笑みは、楽しそうな笑み。
まるで遊びに行く前の子供の顔のような、なにか期待してるような、その笑顔。
いっそ幼くも見えるその笑顔に、なぜか危険な予感が桔梗を襲った。

「・・・なぁ、あんた。俺に術をしかけたろ?
 この辺りから出れないように、道と道をつなげて、最終的にここにつくように。
 多分一種の幻術みたいなものだろうな。
 それに、さっきあんたに言ったよな?あんたからは普通とは少し違う気がするって。
 ホント、よく似てるよ。俺が道に迷いだしたときから辺りに漂ってた気と・・・ね?」

さらに笑みを深くする。
本当に、楽しげに。本当に、愉快げに。
何かを待ちわびて、何かありそうな予感がして。
そんな感情が、ありありと笑みには浮かんでいた。

「・・・ふふッ、やっぱりあたしの思ったとおりだ。
 あたしも、あんたは普通とは違うと思ってたんだよ。
 あんたの気・・・普通とは違う色をしてるね。本当、不思議な色だ・・・。」

そう、笑い微笑む桔梗の顔は今までとは違っていた。
何処がどう変わったか、と聞かれてもハッキリとは答えられないが・・・、
明確に言えることは、桔梗の気がさっきとは桁外れに増大していると言うことだ。
今まで押さえつけていたモノをいっきに・・・、外へと出した結果だ。

「あたしが何者か知りたいかい?」
「是非とも。」
「それならついておいで。そこで、話をしようじゃないか。」

スクッと立ち上がり、三味線を持つと桔梗は小屋から出ていく。
後を追うように小屋から出た龍斗の顔には、未だ笑みが張り付いていた。




「・・・ここら辺りで良いだろう。」

小屋から出てそれなりに歩いただろう頃、桔梗がふいに立ち止まった。
そこは、短い草ばかりが生えている場所で、広い場所だった。
竹や岩などもあるが、大した障害物にはならない。
・・・大きな「ナニカ」が動くには適しているだろう。
そして、戦うにも・・・。

「それで?話してくれるのか?」
「そうだねぇ・・・。さっき、鬼の話をしただろう?
 江戸に出る、鬼の話・・・。」
「あぁ、結局詳しくは聞かなかったけどな。」
「その鬼達はねぇ、人のなりをしてるんだよ。
 ・・・そう、ちょうど今あんたの目の前にいるあたしみたいにね。」

ザアアアアアッ!

桔梗の言葉と同時に、辺りの木々がざわめき、空気が鳴り響いた。
そして、霞のように次第に濃くなっていくナニカ・・・。
桔梗の後ろに、そのナニカが現れ始めた。

「・・・・へぇ?」

短くそう口にする。
だが、決して現れ始めたナニカに対する恐怖の為に口数が少なくなってる訳ではない。
顔にはその様な感情はいっさい無く、今までと同じ、楽しそうな笑みだけがあった。

「少しの間だったけど、あんたと話せて楽しかったよ。・・・お行き!」
『ガアアアアアアッ!』

三体のナニカが、呼応し、吼えた。
いや、ナニカではない。
巨大なその躯。人とは違うその皮膚。そして額の角・・・まさに鬼。
普通の人なら畏怖し、恐れ逃げまどうであろうその姿。
そう、普通、ならば・・・・だ。

「・・・い。」
「?」

少し顔を俯き、龍斗は何かを嘆く。
それはあまりにも小さく、桔梗は何を言ったのかと首を傾げた。
そして、鬼達はその巨体を龍斗の方へと進めてくる。

「楽しい・・・な。」

今度はハッキリと聞こえた。
楽しい・・・と。
だが一体何が楽しいのか?
目の前には人の体など一裂きにしてしまう鋭く巨大な爪を持つ鬼がいるというのに。
だが、確かに龍斗は口にしたのだ、その言葉を。
そして、笑っているのだ、本当に楽しそうな笑みを。

「へへっ、まさかこんな所でこんな奴らに出会えるなんてなぁ。俺も運がいいぜ。
 こんな・・・こんな楽しいことに出会うなんてよっ!」


一瞬。
そう、ほんの一瞬だった。
例えば、何か重いモノを地へと落とすときの時間。
そんな、一瞬。
ただそれだけだった。
それじかいらなかった。
龍斗が、一体の鬼を仕留めるまでの時間は。


「─────!?」

鬼の巨体は、霧散して消えた。
後に残ったのは、驚愕する桔梗と、二体の鬼。
そして、掌打の形を取る龍斗だけだった。

「・・・俺はな、楽しいことが好きなんだ。
 自分が興味を持つこと、絶対に退屈しないこと、面白いこと・・・。
 とにかく自分が楽しいと思うこと、それ全てが俺は好きなんだ。
 だから、今すっげぇ楽しい。まさか本物の鬼と戦えるなんてさ!」

語尾と共に残り二体の鬼の方へと駆け出す。
鬼は突っ込んでくる龍斗を返り討ちにしようと、その巨大な腕を打ち出す。
だが、それは龍斗に当たることなくただ空を切るのみ。
そして、腕をつきだしたまま無防備になった二体の鬼のほぼ中心へと潜り込み、
拳をうねらせる。

「はあああっ!螺旋掌ッ!」

龍斗が声を上げると同時に繰り出した腕は、その周りに気の螺旋を渦巻き、
二体の鬼を巻き込み、辺りをなぎ散らした。

『ゴアアアアッ!』

断末魔をあげ消えゆく鬼。
最後には、何も残らずただ体を作っていた気が消えゆくばかりであった。

「・・・・そっちのあんたは、どうする?」

龍斗の視線が桔梗へと向けられた。
その視線に一瞬ビクリとしながらも、桔梗は表層を保ち龍斗を見据える。

「やるね・・・。あんた、一体何者だい?」
「それは俺の質問。・・・っても、さっきあんたが言ってくれた言葉から予想するに、
 あんたが・・・いや、あんた達が江戸を騒がす鬼か?」

あんた達、龍斗は確かにそう言った。
目の前にいるのは桔梗のみのはずなのに・・・、視線は桔梗の後ろへと向けられている。
すると、その声に反応してか、後ろの闇から一つの人影が現れ出た。

「ふっ、おかしな男よ。鬼と戦うのが楽しいとはな。」
「天戒様・・・。」

天戒、そう桔梗か出てきた男に対して口を開く。
おそらくそれが男の名前なのだろう。
紅蓮の髪をなびかせたその男は、龍斗を見て不敵に笑った。

「名は、何と言う?」
「俺か?俺は緋勇龍斗だ。そう言うあんたは?」
「九角天戒。・・・緋勇とか言ったな。お前、俺達についてくる気はないか?」

名を告げてからほぼ間髪入れずに来るその言葉。
一瞬、龍斗は何のことかと首を傾げたが・・・少ししてその意味が分かった。
ついてくる気・・・。そう、この天戒という男は鬼の頭目だ。
その男について行くと言う事は・・・、すなわち己に鬼になる気はないかと言うこと。

「て、天戒様!?」
「この男、面白いではないか。山気の鬼をいとも簡単に蹴散らす力。
 鬼を前にしても笑うという不敵さ。どれを取っても面白い男ではないか。」

そう言い薄く笑う天戒を見、龍斗は暫し考える。
ついて行けば一体何があるのか、ついて行けば・・・楽しいことがあるのか?、と。
そして、笑った。

「楽しいことはあるか?」

その笑みは宝物探しをする子供のようで・・・。
なにか『良いもの』を探す子供の、そんな笑みに似ていて。
年よりも幼く見えるその笑みは、天戒と桔梗の意表をつくようなモノだった。
ただ楽しそうに笑うその男、今まで出会ったことのないその人物を前にして。

「・・・さぁな。だが、それを探してみるのも一興ではないか?」

天戒のその一言は、龍斗の笑みをさらに深いものへと変化させた。
・・・あぁ、なぜこの者はここまで笑えるのだろう?
何故、こんなに楽しそうに笑えるのだろう。
それは、今は龍斗以外にわからない。
だがわかることが出来たならば、その時は龍斗にとっても嬉しい時になるかもしれない。
己の理解してくれる者が現れたと。

「・・・へへっ、そうだな。それも良いかもしれない。」
「ならば・・・。」
「あぁ、ついて行くよ、お前に。楽しいことを探しに、な?」





この時、龍の名を持つ者は鬼となる。
そして、こう呼ばれるのだ。


鬼龍、と。







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