■龍之刻(3)
龍麻――― 強く生きろ――― 誰よりも強く――― 誰よりも優しく――― そして、叶うなら、平凡な一生を送ってくれ 龍麻よ――― (・・・あなたは、誰だ?) 龍麻よ――― お前の成長を見届けられない不甲斐ない父を許せ――― ・・・・・・・ だが・・・・ だが、もしも――― 宿星がお前を闘いに導くのなら――― 友のために闘え・・・ かけがえのない友のために、その拳を振るえ――― 護るべきもののためにその技を使うがいい――― 赤子のお前に、この父の声は届かないかもしれない だが、忘れるな――― 《力》というものは、何かを護ろうとする心から生まれる その心が《力》となる――― それを、忘れるな――― 龍麻よ――― (・・・・・ンなこと、わかってるさ―――父さん)
■拳武館―――支部道場■ 「・・・・・・・・」 「・・・目が覚めたかね」 龍麻は、道場の中に敷かれた布団の上にいた。上体を起こし、振り向くと、そこに鳴瀧が立っていた。 「ずいぶんと手酷くやられたものだな。あれほど、今回の件に関わるなと忠告したはずだが」 「・・・・あン時、すでに関わっていたようなもんです」 「君達が、どうにかできる問題ではない・・・・」 「・・・・・!? さとみちゃんと、比嘉くんは―――」 「私が、あの場所に着いた時には君だけだった。そのさとみとかいう少女の事は知らないが、部下からの報告だと、明日香学園の少女がひとり、さらわれたそうだ。今、行方を追っている」 「・・・・比嘉くんは」 「いや・・・その少年の姿はなかった。連れ去られたのではないとすると、後を追ったのかもしれない」 「・・・・」 「・・・それよりも、君は、少し休む事だ。後頭部に打撲と身体に複数の裂傷がある。手あてはしたが、まだ、激しく動いていいものではない。いいね」 「そういうわけにはいきません・・・」 龍麻は立ちあがり、側にたたんであった制服を手にとる。 身体中がズキズキと悲鳴をあげていた。 「気持ちはわかるが、今の君では、どうしようもない。闘ってみて、充分わかったはずだ」 「・・・・・」 「普通の高校生相手になら、互角以上に闘えるかもしれないが、斃すべき相手は、人ではない・・・。いわば、《魔人》だ。人が―――しかも、一介の高校生が勝てる相手ではない。《人ならざる力》をもった者に人間が勝てる道理はない」 「・・・・・」 「・・・現実は非常だ。ただ、悪戯に犠牲者を増やす訳にはいかない。君にも、それはわかっているはずだ」 「・・・・行きます」 龍麻は制服を着ると、鳴瀧に背を向けた。 「・・・・・さらわれた君の仲間の事は、放っておくんだ。行けば、間違いなく命を落とすだろう。自分を犠牲にして、誰かを救けようなどと、思わない事だ。死んでどうなる・・・・。死んで何かを為せると思っているのか?」 「・・・・・・」 「君は、生き続けるんだ。弦麻と迦代さんの分まで―――。どんな事があっても・・・・」 「・・・・・もしも」 「?」 「もしも、俺の父が、緋勇 弦麻という男が、今のさとみちゃんや比嘉くんと同じ状況にたたされていたとしたら―――、あなたはどうするんです?」 「・・・・・・・・」 「昨日、あなたが言ったように、ただ静観するんですか? それに対抗できる力を持つまで、ジッと気配をころして、脅威が去るのを待っているんですか?」 「・・・・・・・」 「俺は、《残された者》になるのは、死んでもゴメンです」 「・・・・・・(これも、血筋か―――)」 鳴瀧の口元に、小さな笑みが浮かぶ。苦笑に近い。 「どうしても、行くというなら、ひとつ条件がある」 「・・・・」 「私の部下と闘ってもらおう」 道場の奥から、数人の男たちが現われた。見なれない制服を着ている。 「いずれも―――、鍛え抜かれた武道家ばかりだ。・・・・・・・君の力を私に見せてもらおう。もし―――、君がもし、大切な者を護りたいのなら、その想いの強さを私に見せてくれ。君の・・・・友を想う力と覚悟を―――」 バッ! 龍麻が上着を放り捨て、男たちと対峙する。 「・・・・・・・」 「せェ!」 一番近くにいた男が鋭い拳撃を繰り出してきた。 「―――らァ!」 前に踏み込みながら、相手の腕と交差させるように、腕を突き出し、男の顔面を鷲掴んだ。 「ごッ―――」 龍麻はそのまま男の身体を引きつけ、膝を鳩尾に叩き込んでいた。男は白目をむき、前のめりに倒れ込む。 「・・・・・」 男たちの顔つきが変る。武道の心得のない相手に対する気勢ではない。殺気に近い攻撃的な気勢だ。 「シャアッ!」 「テヤッ!」 今度は二人、右の男が床スレスレの鋭い足払い、左の男は脇腹を狙った重い回し蹴りを繰り出す。 「ジャアッ」 『―――!?』 男たちが驚愕する。足払いは、足ごと床を踏み抜かんばかりの踏み込みで止め、回し蹴りは脇と腕でガッチリ固定されていた。 しかし、男たちは一瞬で立ち直り、龍麻が反撃を開始するまえに、攻撃を繰り出していた。 「がッ!?」 足を固定されていた男は、逆にそれを利用し、身体を浮かせての蹴りを龍麻の顎に叩き込んでいた。 「―――ぐゥッ!!」 態勢が崩されたところで、もう一方の男が肘打ちを龍麻の腹に打ち込んでいた。 「くッ!」 さらなる追撃から逃れるために、龍麻は大きく飛び退いた。 「ハァッ、ハァッ・・・・・・うッ!」 胃の中のものが逆流しそうになる。 甘かった。なんとかなると思ってた。チンピラや不良相手に立ちまわれる程度の腕で。 これで、こんなんで、人を護るなんて言ってたのか、俺は! 「・・・・・・・・」 龍麻の脳裏に、言葉が浮かびあがる。顔も覚えていない、父の言葉。それが、本当に父が言ったものなのかもわからぬ、夢の中の言葉。 「・・・・・ふー」 俯き加減だった龍麻が顔をあげる。 一瞬、場の静寂が変った。重苦しい闇の中のような静寂が、光に包まれたような感じだった。 龍麻は笑っていた。同姓である男たちが見惚れてしまうほどの笑みだった。 「・・・・行きます」 龍麻が男たちに向かって歩き出す。龍麻の雰囲気にいままでにないものを感じとった男たちは、前に出ようとせず、構えをとったまま、龍麻の動向を見定め様としている。 「・・・・・・姉ちゃん・・・・、素人相手じゃないから、いいよな?」 タンッ! 右前方の男に向かって、長く鋭い踏み込み。 男は、それに合わせるように、前に踏み込んで、龍麻の顔面に向けて、重い拳を打ち込む。 「―――!?」 拳が顔面に突き立ったと思った瞬間、龍麻の姿が消えていた。 「やッ!」 突き出された拳撃を死角とし、相手の懐に飛び込んだ龍麻が身体をバネのように勢い良く跳ね上げ、その勢いを乗せた蹴りを繰り出す。 「―――」 ほぼ真下からの蹴撃を顎に受けた男は、声もなく吹っ飛び、仰向けに倒れ込む。 「せェ!」 龍麻が攻撃を放った隙に、背後から蹴りが打ち込まれる。が、右足を軸に左足で円を描くように身体を半身にした龍麻の動きに、それは空を裂く。 回転の遠心力を上乗せした肘打ちが、男のこめかみのあたりに打ち込まれた。 そして、よろけた男の顎に、さきほどの強力な蹴り上げ。 「・・・・・・・・」 ついに、一対一となった場を見ながら、鳴瀧は愕然としていた。 (・・・・・今のは・・・龍星脚。なぜ、彼が陽の技を・・・・) 一瞬、彼は弦麻の兄、龍麻の義父のことを思い出す。しかし、すぐにその考えがありえないことだと気付く。龍麻の義父も、龍麻が闘いの中に身を置くことを良しとしなかったはずだ。そのため、龍麻には、陽の技どころか、体術の一つも教えようとしなかった。 「・・・・あの娘か・・・」 次に、龍麻の義姉、沙希の姿が脳裏に浮かんだ。 「テヤァッ!」 龍麻の気勢に、鳴瀧が思考を中断する。龍麻が最後の一人に向かって、跳び込んでいた。その勢いを乗せた正拳突きに近い拳撃。 が、それをいなすと、流れるような動きで龍麻の横手に移動していた。 「くッ!?」 繰り出された強烈な蹴撃を、なんとか両腕でガードし、龍麻は数歩ステップを踏んで、後退した。 (・・・・・神崎は、四人の中では一番の使い手。たとえ少々の技を使えても、素人同然の彼が敵う相手ではない・・・・。普通ならば) 「おおッ!」 さきほどとまったく同じ、真正面からの突攻。神埼は、落ちつき払って、それを側頭部を狙った回し蹴りで迎撃する。 「でぇああッ」 「!?」 確実に蹴撃がクリーンヒットしたはずの龍麻は、ほとんどよろめきもせずに、その攻撃に耐えていた。そして、神崎に強烈なボディーブローを見舞う。 (やはり―――、目醒めようとしてるのか―――) 常人には絶対に耐えられないはずの攻撃を受けきった龍麻を見、鳴瀧が驚愕した。 「げェッ!?」 「龍星脚!」 身体をくの字に曲げ、俯いた神前の顎を、天昇する龍を模したような蹴りがかちあげる。大きく吹っ飛んだ神崎の身体が、数度床をバウンドし、そして動かなくなった。 「・・・・はァ〜〜」 場に動く者のいなくった後、龍麻は長く溜息のように息を吐き、そして顔をあげた。視線の先には鳴瀧がいる。 「それが、君の答えだという訳か・・・。因果は巡る・・・か」 「・・・・これで、俺を行かせてもらえますね?」 「・・・・龍麻君。今まで、教えなかったが。弦麻は《人ならざる者》と闘って、命を落とした・・・。人を超えた《力》をもつ―――魔人と闘って・・・」 「・・・・・・」 「よく聞きたまえ。人の心には、誰しも陽と陰がある。風の流れや川のせせらぎなど―――この世界を形造る森羅万象にも同じように陽と陰がある。その陰に魅入られた者は、外道に堕ちるといわれている。人ならざる―――異形の存在へ。その法は《外法》と呼ばれ、人の世に、今もなお、密やかに受け継がれている・・・。今回の事件や東京を中心に怒っている事件の数々も、そういった外法が絡んでいるのではないかと、睨んでいる」 「外法・・・」 「・・・・・いずれにせよ、人には過ぎた代物だ・・・・。明日香学園の近くにある廃屋へ行きたまえ」 「え・・・・?」 「部下から、そこに君の捜す人物が連れ込まれたという情報が入った」 「!?」 龍麻が床に落とした制服を拾い上げ、羽織った。 「もしかしたら―――、君の仲間を護りたいというその心が―――、陰を照らし、道を切り開くかもしれない。さっき闘った時の気持ちを忘れない事だ。真の《力》というのは、そういうものから生まれる。そういう・・・・心の強さから生まれるものだ―――」 「・・・・行きます」 龍麻が道場の扉へ向かう。 「生きて帰って来い・・・・必ず」 「はいッ!」 振り向かぬまま、ハッキリと答えた龍麻は、扉を開け、外へと駆け出した。
■廃屋内―――夜■ もう何年も打ち捨てられたような廃屋内に、龍麻が進入する。月星の明りがガラスの割れた窓からさし込み、充分とはいえないが、闇にまどわされることはなかった。 「おい・・・・、おい、緋勇―――」 横手から小声でかかられた声に、龍麻が視線を向けると、そこに同じような姿勢でこちらに近づいてくる比嘉がいた。 「無事だったね・・・」 「よくここがわかったな? 莎草の奴が、さっき、奥へ入っていった―――。さとみもきっと、そこだ。行ってみよう―――」 「ああ、その前に、比嘉くん」 「なんだ?」 ゴッ! いきなり龍麻が比嘉の後頭部にゲンコツを落とす。 「〜〜〜イテェ。なにすんだよ、緋勇」 「あんだけビビってたくせに、なんで、一人で先に行くんだよ」
「暗いな・・・。緋勇―――足下に気をつけろよ」 「ああ」 「ん? あれは・・・」 窓からさし込む僅かな光が、《それ》を闇の中でおぼろげに映し出す。 そこにはさとみがいた。だが、異様だった。まるで見えない糸にでも縛られているかのように、半腰で腕を中に浮かせている。 「さとみ―――ッ!!」 「・・・・・・・」 比嘉の叫びに、さとみは何の反応も示さない。どうやら気を失っているようだ。それが益々、その光景に違和感をもたせる。気を失っているはずのさとみが、何故、あの不自然な態勢をとれているのか。 「何だ、これは・・・。何も見えないのに、まるで、何かに吊られているような・・・。いったい、これは・・・」 「くくくッ・・・」 くぐもった笑いが薄闇の中に響く。 「わざわざ、死にに来るとはバカなヤツらだ・・・」 「莎草ッ!!」 暗闇の部屋に、莎草が入ってくる。初めて会ったときの、あの不快感を煽る笑みを浮かべて。 「くくくッ・・・」 「お前ッ、さとみになにをしたッ!」 「・・・・・・・」 「莎草ッ!!」 比嘉が莎草に詰め寄る。しかし、その動きは、唐突に止まった。 「―――――ッ!!」 「くくくッ・・・」 「かッ、身体が・・・」 昨日と同じ現象。比嘉は自分の身体が全く動かなくなっていることに気付く。まるで、見えない糸に全身を縛められたかのように。 「目障りなんだよ・・・比嘉」 「くッ・・・。身体が・・・動かない」 「比嘉くんッ」 「緋勇とかいったか・・・、動かない方がいいぜ・・・」 龍麻の動きが止まる。ゆっくりと振り向いたその顔には、無機質な仮面のように表情がなかった。 「・・・・・・」 「ちょっとでも動いたら、こいつもそこの女もどうなるかわかってんだろうな?」 「・・・・」 「いくら足掻いた所で、お前等は、俺には敵わない。平凡なヒトであるお前等が、俺に勝つ事などできない」 「何だと・・・」 「比嘉。お前は、《運命の糸》の存在を信じるか?」 「運命の・・・糸?」 「そうだ。よく「運命の糸で結ばれている」―――とかいうだろ? ヒトの出逢いや恋は、全てそういう魂から伸びたその糸によって、運命づけられているかのように」 「・・・・」 「だが、こう考えた事はないか? 《運命の糸》は、人と人とを結びつけているものではないのではないか・・・・と。我々の魂から伸びるその糸は、神の元へと繋がり、その御手によって操られているのではないか―――とな」 「何をいっているんだ・・・お前」 「くくくッ・・・。神が気まぐれに操ったその糸によって、人は動かされている。まるで・・・操り人形のように」 「それじゃ、俺達の一生は、神によって、操られているって事か? ばかばかしい・・・。そんなの妄想だ」 「妄想・・・?」 比嘉の言葉に、莎草は、あの不快感を煽る笑みをさらに強いものした。 「くくくッ・・・。平凡なお前等には、一生、知る事のない世界もしれないな」 「何だと・・・」 「・・・・・・明日香学園に転校してくる前―――、東京にある別の高校に通っていた俺は、ある日、自分に不思議な《力》が宿るのを感じた」 「・・・・・・?」 いきなり話の見えないことを言い出した莎草に、比嘉がポカンとしている。 「きっかけは、簡単だった。友達と行ったゲーセンで、見知らぬヤツらに絡まれた時だ。殴りかかってくるヤツらから逃れるために、念じたのさ。こいつらが追ってこなければいい―――って。あの角で、こいつらが躓けばいい―――ってな」 まるで熱にうかされているかのような口調と表情。その瞳には、どんよりとした鈍い光が宿っている。 「・・・・・・」 「その瞬間だった―――。急に、そいつらの一人が、アスファルトに向かって倒れ込んだのは―――。トマトが潰れるような音を立てて、そいつは顔面から激突した」 「・・・・・」 「だが、異変は、それで終わりではなかった。残った奴の一人が、突然、車道に飛び出すと、走って来るダンプに突っ込んだ―――。通行人たちも、カエルのように潰れたそいつを呆然と観ていた。誰の目にも、そいつがいきなり走り出して、車道に飛び出した様にしか見えなかった。しかし、俺だけは―――、そえrが、偶然の出来事じゃないことがわかった」 まるで物語がクライマックスを迎え様としているかのように、莎草に言葉に熱がこもる。 「・・・・・・」 「その時、俺は、気付いたのさ。そいつらや通行人たちの身体から、細い糸のようなものが、空に向かって伸びている事に―――」 莎草が焦点の定まっていなかった目を、比嘉に向けた。 「その日を境に、俺は―――、まるで、使い慣れたコンポを操作するように―――、乗り慣れた自転車を乗りこなすように―――、他人を、思いのままに操れるようになっていた・・・」 「操る・・・?」 「そうだ・・・。人間は、皆、神によって操られている傀儡に過ぎない。だが、俺は、その神の《力》を手に入れたのさ―――」 「うッ・・・腕が勝手に・・・・」 「比嘉くんッ!?」 比嘉が自分で自分の首を絞めていた。自らの身体が、自らの意思を介さずに、動いていた。 「くくくッ・・・見えるぞ・・・お前の魂から伸びている《運命の糸》が―――」 「バカ・・・な・・・」 「《運命》を逆さから読むと《命運》―――。くくくッ。まさに、俺は、人の《命運》を握っている事になる―――」 「くッ・・・」 「お前は、自分で自分を殺すんだ・・・比嘉。俺に楯突いた事を悔やむがいいさ・・・」 比嘉の手に力がこもり、さらに首を絞めつけた。 「そらそら、絞まるぞ・・・。比嘉を始末したら、次は、緋勇―――お前を始末してやる」 「・・・・・その前に、君の息の根を止めるよ」 比嘉の腕を首から外そうとしている龍麻が、振り向かずにそう言った。普段なら、絶対に口にしないだろう、氷のように冷たい声色とともに。 「いつまで、そうやって強がってられるか楽しみだ。俺は、直接、手を出さない。他人が見れば、お前等が自殺したようにしか、見えないだろうよ」 「くそッ・・・」 気を緩めば、すぐに気絶しそうになっていながら、比嘉は莎草を睨んでいた。 「泣いて頼めば、命は救けてやってもいいぜ、比嘉」 「・・・・・・・」 「え? どうすんだ?」 「・・・ら・・・え」 「・・・・・?」 「・・・く・・・らえ」 「ん? 何だと?」 聞き取りにくく、莎草が少し比嘉に近づく。それを待っていたかのように、ハッキリと比嘉が言い放つ。 「くそ・・・喰らえ・・・だ」 「・・・・・」 「―――ッ!!」 莎草の表情が怒りの色に染まったと同時に、比嘉が自らの首を絞める力がさらに強くなる。 「誰に向かってものをいってるんだ・・・。まだ、自分の立場がわかってないようだな―――」 「くッ・・・・」 「もう、お前は死ね・・・比嘉」 「――――ォォ!」 「莎草・・・もう、やめろ」 感情の抜けきった声で、比嘉から手を放し、莎草と対峙した龍麻が呟く。 「緋勇。お前はそこで、比嘉が死ぬのを見届けるんだな」 「・・・・・やめないなら・・・、君が死ぬのが先になる・・・」 「・・・・・・そうか・・・わかったよ。貴様から、先に始末してやるぜ―――緋勇ッ」 「緋勇・・・」 龍麻は、一瞬だけ比嘉を見、そして莎草に向かって、歩を進める。 「あーははははッ!」 「・・・・・・」 龍麻――― 龍麻よ――― 龍麻――― 強く生きろ――― 誰よりも強く――― 「誰よりも強く・・・」 誰よりもやさしく――― 「誰よりもやさしく・・・」 お前の大切なものを護るために――― 「俺の大切なものを護るために・・・・」 強くなれ―――龍麻 「強くなるんだ・・・・俺は」 強く――― 「強く―――」 「あーははははッ!! 誰も俺を止める事などできないッ。くくくッ・・・――――ッ!?」 莎草が目を見開き驚愕する。 龍麻の身体から光が溢れ出していた。 龍麻の頭の中で、誰かが叫ぶ。男とも女ともつかぬ声で―――目醒めよ―――と。 「―――ッ!?」 まるで、その声に呼応するかのように、龍麻が放つ光は強くなっていく。 「なッ、何だ、この光は―――ッ!」 「おおおおおおッ!」 龍麻の口から、自然と咆哮があがった。まるで大気を震わすかのような、その咆哮に、莎草が怯えたように、一歩下がった。 「くッ、くそッ!! 俺の《力》でお前を操ってやるッ!! 操って―――ッ!?」 愕然とした表情。 「なッ、何ィッ!! おッ、お前の糸が見えないッ、そんなバカな―――ッ!!」 「・・・・・・・神の《力》とかは、どうしたんだ?」 龍麻は、莎草のすぐ目の前に立った。愕然としている莎草は、まるで引き寄せられるように、龍麻が振り上げた拳を目で追っていた。 「ぐあッ!?」 龍麻の拳が莎草の横っ面にたたき込まれ、小石を投げたみたいにふっ飛ばす。 「緋勇・・・、お前・・・・」 比嘉も、龍麻の豹変に目を丸くしていた。 一方、莎草は、狼狽しながら立ちあがる。 「そッ、そんなバカな・・・、俺は、《力》を手に入れたんだぞ、俺は―――」 怯えきった瞳に、狂気の光が宿る。 「お前なんかに・・・・、負けるわ・・・け・・・」 「・・・・・・・?」 今度は莎草の様子が変っていた。いきなり頭を抱え、苦痛にうめき出す。 「うッ・・・・ぐおぉぉッ! あ・・・頭が・・・割れる・・・グオォォッ!!」 頭を抱えたまま、苦痛に顔を歪め、フラフラと部屋に中を歩き回る。 「頭が・・・割れるように痛い。グオオォォォッ!!」 ビリィッ!! 莎草の肉体が変った。服が千切れ飛び、その下から青白い肌だが盛り上がってくる。口が裂けんばかりに開き、叫ぶその顔はすでに莎草のものではなく、赤く光を放つ目の上には、一本の角が生えていた。 《鬼》―――、異形がそこにいた。 「さ・・・の・・・くさ・・・」 「ガアァァァァッッッ!!」 「緋勇・・・・逃げろ・・・」 「・・・・・・」 今だに身体が動かない比嘉が、龍麻にそう言うが、龍麻は表情の出ない顔に刃のような鋭い光を秘めた瞳で、莎草だった者を見ている。 「はや・・・く・・・」 「・・・・比嘉くん、少し待っててね。すぐ・・・・・終わるから」 龍麻が前進する。その先には、すでに正気なぞ失われているであろう莎草がいる。 「これが・・・・外道に堕ちるってことか・・・」 「ギシャァッ――――ッ!!」 莎草が自分の間合いまで入ってきた龍麻に向けて、丸太のような腕を振り下ろす。 「シャッ」 その腕を掻い潜り、懐に飛び込んだ龍麻が、飛びあがるような勢いで身体を起こし、強烈な掌打を莎草の顎に叩き込んだ。 「セェヤッ!」 掌打の衝撃に顔を撥ね上げられた莎草の顎に、龍星脚の追い打ちが打ち込まれ、莎草が派手に吹っ飛んだ。そのまま、部屋のすみに積まれていた廃材に突っ込み、埃を舞わせる。 「・・・・・・」 ズバンッ!」 廃材がバラバラになって、撒き散らされる。衝撃によって破壊されているわけではない。なにか鋭い刃物にでも切断されたかのように、抉り取られたような切断面がついていた。 「ゴアアアアッ!」 立ちあがった莎草が右手で何もない空間を凪ぐ。 「――――」 龍麻は、半歩分横に移動し、自分の位置をずらした。途端、龍麻の周りの床や壁に亀裂が入り、後方に立て掛けてあった木材が真っ二つになって倒れる。 龍麻の目には、莎草の指から伸びる、糸が見えていた。そして、それぞれが独立した生き物のように襲いかかってくる《糸》を、かわし、莎草に迫った。 「ヒ・・・ユウ・・・・キサマァァァッ!」 莎草が両腕を振るう。不可視の糸が、床に一〇本の亀裂を生んだ。 トンッ! 軽い音とともに、龍麻が跳ぶ。見えないハズの糸を見切り、それを飛び越えた龍麻は、その勢いをのせた膝蹴りを、莎草の顔面に叩き込んだ。 「ギャアッ!」 莎草の巨体が地響きを立てて、床に倒れ込む。 「・・・・・、昨日の・・・、俺のクラスの女子が、自分の目を刺したっていう話・・・・、君の仕業だろう?」 異形の存在を完全に圧倒している龍麻が、莎草を見下ろす。 莎草は、怯えきった顔のまま、龍麻に向かって突っ込んだ。 「ハッ!!」 莎草の振りまわす巨大な拳を避け、重い拳撃を打ち込む。莎草の異形の顔が、苦悶の表情を浮かべ、前のめりに倒れ込む。 ゴッ! 龍麻の膝が、莎草の身体を跳ね起こす。 「彼女の痛み、ちったァ同じもんを受けてみろォッ!!」 天を目指す龍のごとき蹴りが、莎草の身体を大きく舞い上げた。弧を描き、莎草の身体が床に叩きつけられる。 「ウゥ・・・ウッ、ウオォッッ!!」 苦しげにうめいていた莎草が突如立ちあがり、悲鳴をあげる。 「カッ、カラダガ溶ケル・・・」 莎草の身体に異変が起きていた。莎草の言葉通り、溶けるように肉が崩れ落ち、そこから塵へと化していく。 「イッ、イヤダッ!! 死ニタクナイ―――死ニタクナイヨオォォォッ!!」 スプラッタ映画さながらに、腐臭を漂わせながら崩れ行く莎草。 「グオオォォォォッッッ!」 やがて、その異形の身体は全てが塵となり、霧散していった。 「――――ッ!! いったい、何が・・・」 「・・・・・・・」 「何がどうなっているんだ・・・。莎草は・・・」 「う・・・うん・・・」 呆然としていた比嘉が、その声にハッとなる。縛めが解かれ、地面に倒れていたさとみがうめいていた。 「さとみッ!!」 同じように、身体の自由をとりもどしていた比嘉がさとみに駆け寄る。抱き起こされたさとみが目を開き、比嘉の姿を認めると、安心したかのように弱弱しく微笑んだ。そして、その後ろに、龍麻がいることに気付く。 「緋勇くん・・・・」 「あァ。緋勇が救けに来てくれたぞ」 「う・・・ん・・・。莎草くんは・・・?」 「あッ、あァ・・・」 「・・・・・?」 比嘉が返答に困っている。 「緋勇・・・。俺には、もう何がなんだかわからない・・・。いったい、莎草は、どうなったんだ・・・」 「・・・・・・・」 比嘉とさとみの視線が、龍麻に集まる。 「・・・・多分、莎草くんは―――――」 龍麻は、これまでのこと、鳴瀧から教えられた事を、二人に聞かせた。 「緋勇・・・お前・・・」 「今の俺の《力》・・・・・・、俺も、莎草くんと同様、人にあらざる者なのかもね・・・・」 「・・・とにかく、病院へ行こう。さとみを手当てするのが先決だ―――」 「手伝うよ」 「あァ―――」 二人は、さとみを支えてやり、暗闇の中を歩き出す。 そして、人の気配がなくなり、しばらくすると、一人の男がその場に足を踏み入れた。 「・・・・どうやら、斃せたようだな。少し荒療治だったが、功を奏したようだ」 男は、莎草が消えた辺りに目をやる。 「あの少年も、土に還ったか―――。どうやら、人としての精神が陰に侵されすぎたらしいな。過ぎた《力》は、人のその姿さえも、変生させる・・・。鬼に変生した者は、その肉体を現世に留めておくことはできない。《力》を悪用した報いだ―――、黄泉路の果てで悔やむがいい」 男が視線をあげる。ガラスの朽ちた窓から月が見えた。 「・・・・弦麻よ―――。お前の息子は、確実に目醒めつつある―――。きっと、今頃、雲の上で、俺を恨んでいるのだろうな・・・。だが、今また、東京にはお前の《力》が必要なのだ。お前の血筋を引く者の《力》が―――」 月を見上げた男の顔には、懐かしき者にあったかのような笑みが浮かんでいた。 「お前の息子なら、きっと、私たちの期待に答えてくれる。私は・・・、そう―――信じている」
1997年12月19日 ■拳武館道場―――早朝■ 「こんなに早くから、私に用かね?」 龍麻が道場に上がると、別の入り口から、鳴瀧があらわれた。 「おはようございます」 「おはよう。どうやら、無事だったようだな」 「はい」 「莎草の事と事後処理は私に任せておくといい。本当によく還ってきた・・・・・・。龍麻君・・・。君には、先天的な武道の才がある。やはり、君の身体には緋勇の血が流れている―――。あの弦麻の血が―――」 「・・・・・・・・」 「君は―――父親のように強くなりたいか?」 「強くなりたいです。一昨日、鳴瀧さんに最初に聞かれたときよりも、ずっと強く、そう思います」 「そうか・・・。それでは、大切なものを護り抜く自身はあるか?」 「あります」 「大した自信だな。だが、気をつける事だ―――。いつでも、護ろうと思って、護れるものではない。君は、何かを失った時、その哀しみに耐えられるかね」 「・・・・・・・」 「それを、乗り越えられなければ、強くなる事などできはしない」 「・・・・・・」 「・・・新宿へ行きたまえ」 数瞬の間の後、鳴瀧はそう言った。 「新宿の真神学園へ―――。いや・・・、君は行かなければならない。君の《力》を必要とする者たちのために―――」 「新宿・・・・真神学園・・・」 「・・・・・君の《力》は、まだ未熟だ。そう―――まるで、産まれたての雛のようにね・・・。この道場に通いたまえ。君に古武道を教えよう。君の父親―――弦麻と私が体得した古武道を。だが、私は君に、私が修めた技を教え様とは思っていない。君は、弦麻が修めたものと同じ、この古武道の表の―――陽の技を覚えるべきだと思っている」 「俺の・・・父親の技」 「当然ながら、その奥義までは私も知らないが、それは、君が修練する内に体得していけるものだと、信じている・・・・・・・・弦麻の意思を継ぐために・・・」
三ヶ月後・・・・。 ■明日香学園校庭―――早朝■ 「緋勇くん―――」 「緋勇―――」 「ん?」 正門へ向かっていた龍麻が、この三ヶ月で聞きなれた声を耳にし、振りかえる。 さとみと比嘉。この学園で、一番親しみのある二人が、駆けよってきた。 「おやよッ」 「おすッ」 「おはよ、二人とも」 龍麻は、いつもの無邪気な笑みで、二人の言葉を待った。 「緋勇・・・・」 「転校するって・・・ほんと?」 「・・・・・・うん」 呆れるほど、即答ばかりしてきた龍麻が珍しく、間をおいてから頷く。 「そう・・・、ホントなんだ」 「お前とは、ずっと友達でいられると思ってたんだけどな・・・・」 二人の表情が沈む。 龍麻は、拳を比嘉の胸に軽く打ちつける。 「なに言ってんだか。さとみちゃんも、比嘉も、ずっと俺の友達だ」 「・・・・・ああ、そうだな。何いってんだかな、俺」 龍麻の笑顔につられるように、二人の顔に笑みが戻る。 「・・・・あの時からよね。莎草くんとの事があってからでしょ? 緋勇くんが、転校しようと考えてたの・・・って」 「・・・・・・・」 「きっと、どこかで・・・、緋勇くんの力を必要としている人がいるのね」 「ああ、そうだな・・・・」 三人の間に、温かさと哀しさが入り混じった、複雑な空気が生まれていた。 「緋勇・・・・」 「いつか、また―――会えるよね」 「うん・・・・、すぐにひょっこり帰ってくるかもね、東京土産持ってさ」 「もう・・・最後までそうなんだから」 「アハハッ、緋勇らしいよ」 「ハハッ」 「・・・・・・・手紙書く―――必ず・・・。だから、あたしたちの事、忘れないでね」 「俺たちも―――、緋勇のことは絶対わすれないからな」 「ああ、忘れないよ。絶対に・・・・・。んじゃ、俺は、行くよ」 「それじゃ・・・・、またね」 「じゃあな」 「ああ、また・・・」 振りかえり、正門を出ていくまで龍麻は振り向かなかった。ただ最後に、軽く手を上げ、振った。『すぐに、また会える』とでも言ったかのように。 |
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