七月十日。
鵬鳴高校正門―――放課後。
「壱姫ー、じゃーねー」
「うん、またー」
クラスメートと別れ、壱姫が自宅への帰路につく。いつも一緒に帰る二人は、それぞれ用事があるそうで、さきにとっとと帰っていた。
「・・・・・・」
まだ日が落ちない空を眺め、壱姫は考える。
最近、九十九とよく喋るようになった。出会ったばかりの頃は、目も合わせなかったのに。
どんなに冷たい目で見ても、怒りをぶつけても、九十九は薄く笑って受けとめてる。まるで気にしていない。
ふと見ると、九十九はこっちを見てることが多い。目が合っても、視線をそらすでもなく、いつもの気の抜けた笑みを見せる。なんだか、こっちが気が抜ける。
三芽さんが、九十九と会ってるのをよく見かけるようになった。十年ぶりに会えた(正確には200年ぐらいぶり)姉弟だから、なんだか楽しそう。 だけど、ときどき三芽さんが悲しそうな顔をしていた。そんな時も九十九は笑っていた。ちょっと困ったような顔で。
十吾が言ってた。九十九と話していると、あいつはときどき不思議な目をすると。私も同じだった。喜びと悲しみ、その相反する感情が交じりあったような、とでもいうのだろうか。そんな感じの光が九十九も瞳にあった。
最近、あたしの中で何かが変わっているような気がした。九十九と初めて会った時、三芽さんと会った時、今は、あたしの家に住みついてる座敷童のサチと会った時。
あれほど憎んでいた妖怪。だけど、最近はその憎しみが薄くなっていった気がする。退魔師として敵対した妖怪に対しては躊躇など無く、剣を振るうことができる。
だけど、あの三人に対しては、その憎しみが萎えてしまう。サチに対しては、最近妹が出来たような感覚さえ覚えてしまう。
三芽さんのいる喫茶店に、あの後一度行ってみた。三芽さんが淹れてくれた紅茶、美味しかった。
彼女もあたしを不思議な光の宿る瞳で見る。九十九とは質の違う感情の光。
「九十九は・・・・・」
あいつはよく分からない。何を考えてるのか、何も考えてないのか。
神影流六流家のひとつ、秦家。そこに養子として入った、200年前の日本で生を受けてた鬼の血を引く同級生。煉戒市にある五つの一族とは違い、ひとつだけ離れた地に存在する秦家。秦家は護人として、その地に居をおいていると、お婆ちゃんから聞いた事がある。何を護っているのかは、まだ聞かされていない。
秦家は、六流家の中でも特異だ。他の五つの一族とは、それほど頻繁には繋がりを持たない。他の五家が表とすると、秦家は裏にある一族だそうだ。意味はよくわからない。知らなくてもいい、と、お婆ちゃんは言ってた。
「・・・・・・・」
九十九は不思議だ。なにが、と聞かれると返事に困る。自分でも何が不思議なのかは、分からないから。
サチに昔の九十九のことを聞いたことがある。だけど、サチは答えてくれなかった。どうも、九十九に言うな、といわれているようだ。後日、それを九十九に聞いてみた。九十九はいつもの気の抜けた笑顔で「照れくせェから」と言う。続いて、「特にお前には絶対教えねェ」とちょっとマジな顔で言った。
なんかムカついたので、守薙で小突いておいた。なんだか、器用に三階から一階までノンストップで階段を転がり落ちていった。
でも次の授業には平気な顔で出てた。
最近、こう思う。九十九が何を考えてるのかわからない。なんとなく、何も考えていないような気もする。
妖怪嫌い、憎んでるといっていいあたしが、妖怪の血を引く九十九に対して、こう思う。
最近、こう思う。あいつが何を考えているのか、知りたい。
「・・・・・・・あれ?」
いつの間にか、壱姫は自分の家の前を通りすぎていた。トトトと小走りで戻る。
ふと視線を感じ、後ろを振り向くと、少し離れた場所に、人が立っていた。六〇歳を超えたくらいの眼鏡をかけた老人だ。
白いスーツに同じ色の帽子をかぶっている。眼鏡越しでは目は見えないが、口元には人のよさそうな笑みを浮かべている。
「・・・・・・・・あの〜」
ずーと自分を見てる老人に、ちょっとためらいがちに声をかける。
「家になにか御用でしょうか?」
「いえ、あなたに用があるんです。退魔師のお嬢さん」
老人の言葉が、壱姫の背中に悪寒を走らせた。やわらなかな口調。だが、私の心には危険信号が鳴った。
守薙を袋から抜き出し、後ろに跳んだ。正門をくぐり、自分の家の敷地内に入る。
「えッ!?」
老人の姿が消えた。跳ぶ瞬間も目を離してはいない。着地するまでの間も、視線はずっと老人に向けていた。
が、着地した瞬間、老人の姿は、初めからそこにいなかったように消えてしまっていた。
「あれは、わたしの影ですよ、お嬢さん」
「―――!?」
背後からの声に、今度は前に軽く跳び、空中で体を捻って振り向く。
人のいい笑みを浮かべた老人が、消える前の姿のままそこに立っていた。
「今のは影身といいましてな、まあ、ようするに気配をもった残像のようなものです」
「あ、あんた、何者!」
多少たじろぎならがも老人に木刀を向け、戦闘態勢をとる。
「名は猿と申します。姓はありません」
「名前は聞いてないッ」
「そうですな。それでは・・・・・」
「―――!」
妖気。人の持つ陽の気、霊気と対極に位置する陰の気が、老人の体から溢れ出した。
「妖怪・・・・」
「神影流六武法・剣術の継承者、葦鳳 壱姫様。ひとつ手合わせ願いたい。よろしいですかな?」
「え? ええ・・・・・」
あまりに丁寧な口調で対戦を申し込まれ、ちょっと呆然としながら頷いてしまう。
「では・・・・・」
フォンッ!
微かな風切音。猿と名乗った老人が目の前から消えた。
「――――」
いきなり風景が反転した。足下に空があり、頭上に屋敷の正面玄関に続く石道があった。
(投げられたッ?)
衝撃も反動もなく浮かされていたため、そう気づくまで数瞬思考が働かなかった。空中で態勢を立て直すこともできず、そのまま地面に落とされる。
しかし、落下の衝撃はなかった。まるで、ゆっくりと地面に寝かされたような感触。
体を撥ね、一挙動で起きあがる。変わらず笑みを絶やさない老人がこちらを見ている。
「今のは、影身ではありません。闘いにおける熟練者は、相手の目や体の僅かな動きで、その行動を予測することに慣れています。今のは、それを逆手にとって、あなたの意識の死角に動いたのです」
「・・・・・・・・」
相手から目を離さず、混乱しはじめた思考をまとめてみた。
最初の影身とかいう術。その気になれば、あたしの背後から致命的な一撃を加えられたはず。
次の相手の意識の死角へ動いたという動作からの投げ技。相手に投げられたという感覚さえ起こさせないほどの投げ技。そのまま脳天をこの石道に叩きつければ大ダメージ、悪くて即死。
影身、投げる前、投げた後。三度、あたしを倒す機会があった。だけどしなかった。その上、術や体術の説明までしてる。
結論―――こいつはあたしをなめている。
「神影流剣霊―――」
神木刀守薙に霊気が流れ込み、生め込まれた霊水晶に梵字に似た文字が浮かび上がる。
「神覇斬!」
猿に向けて、袈裟切りの一撃を打ちこんだ。
スイ・・・
「―――!」
神覇斬が叩き込まれたと思った瞬間、猿の右手が守薙を払いのけていた。まるで、目の前にある邪魔な荷物を軽くどかすように。
「―――せええッ!」
守薙を地面に叩きつけ、その反動で、猿の右胴に入る切上げを繰り出す。
フッ。
「―――またッ?」
守薙はむなしく空を斬る。猿の姿はまたもや消えてしまっていた。
「ほっほっほっ」
「!?」
その笑い声を追って顔を上げた。振り上げた木刀の先端に、猿が乗っかっている。
木刀には、それ自体の重み以外、何の感触もない。
「まだまだ、五感の鍛錬が足りませんな。闘いには、特に、妖怪との闘いには、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚・・・・味覚は、それほど重要ではないですな。そして、六感、つまり直感が大事ですぞ」
まるで、小鳥が枝から飛び立ったような軽い反動で、猿が木刀から飛び降りる。
「・・・・・・神覇流閃!」
横薙ぎに振るった守薙から、幾筋もの霊気の光が放出される。
「けええッ!」
ブアッ!
「うッ―――」
奇声とともに猿が右手を振るうと、妖気の混じった強烈な風が生まれた。放った霊気の散弾はすべてあらぬ方向に流れ、あたしは突風に数歩後ずさる。
「はい、終わり」
「・・・・・・・・」
突風が止む前に、猿はあたしとの間合いを詰め、その喉に、鋭く伸びた爪を突き付けていた。
「今日はここまでですかな」
猿がにこやかな笑みを絶やさぬまま、あたしから離れる。
腰が抜けたように、地面に座り込んでしまった。たった一分強ほどしか経っていないが、体は何時間も動いたように疲れ、力が入らない。
「すいません。あなたの事をしって以来、どうしても手合わせしたくなりましてね。立てますか?」
そう言って、猿があたしに向かって手を差し出す。その顔には、ずっと絶えない笑みがうかんでいる。
「・・・・・・・何なの、あんた?」
「何がですか?」
「いきなりあたしの前に現れて、消えて、手合わせ申し込んで、投げて、負かして・・・今は、助け起こそうとしてる」
猿の差し出した手をとる。猿はあたしを起こして、そして一言いった。
「私は敵ではありません」
「分かってる。殺気まったくないんだもの。ま、あの実力差じゃ、殺気もでないかもしれないけど」
「ほっほっほっ。あなたもなかなかのものですよ」
「軽くあしらった本人がいう言葉じゃないわよ」
「いやいや、800年も生きていれば護身術のひとつも覚えますよ」
「は、800年・・・・、妖怪なのよね」
「ええ。ちなみに私の正体は・・・・・」
「猿の変化でしょ?」
変化は、長い時を生きた動物や植物、無機物が、なにかのきっかけで、妖怪化することをいう。
「え、ええ・・・・なぜ、分かりました?」
「だって、名前・・・・」
「・・・・・・・ほっほっほっ」
「猿爺!」
照れ隠しだろう、猿が笑っていると、屋敷の方から九十九の声が聞こえてきた。見れば、九十九がこちらに向かって駆け寄って来る。その後ろを銘奈婆ちゃんがゆっくりと近づいてきていた。
「九十九ッ? なんで、あんたここにいるの?」
「いや、銘奈婆ちゃんに、呼ばれてたんだけど・・・・・」
九十九が視線をあたしから、猿に移す。
「なんで、ここに猿爺がいるんだ?」
「九十九、知り合い?」
「あ、ああ。200年前、俺が隠れ里にいたこと話したろ?」
「うん」
「猿爺は、その隠れ里を用意してくれた人だ」
「へェ・・・・、んで、猿さん、何の用事で来たの?」
「そのことで、九十九を呼んだのじゃ」
やっとあたしたちのところに歩み寄った銘奈婆ちゃんが言った。
「まあ、とにかく中に入れ」
葦鳳家―――客間。
「・・・・なんだって?」
猿爺から、今回の来訪の訳を聞いた九十九が、怪訝な顔で聞き返す。
「もう一度いうのか? 一度、里に戻ってもらいたい、といったのだが」
「・・・・・・・」
めったに見ない九十九の険しい顔に、あたしが首を傾げる。
「里って、九十九の故郷のことよね? 何か不都合でも・・・・・・」
あたしの声が小さくなっていく。喋っているうちに思い出していた。
九十九の故郷は、200年前、人間の襲撃で滅んでいるのだ。仲間たちは数人しか残らず、他の住人は・・・。
「ご、ごめん・・・・・」
「・・・・いいよ。で、猿爺。何かあったのか?」
「・・・・・・・言ってみれば、わかる」
一瞬、猿爺の顔から笑みが消えた。
「・・・・・・わかった」
「九十九、壱姫たちもつれていけ」
「何ッ!?」
婆ちゃんの言葉に、九十九が叫びに近い声を放つ。横にいたあたしはさらに険しくなった九十九の表情と声に、ビクッとしてしまう。
「いい機会じゃよ」
「・・・・・・・・・・」
「明日は、高校は土曜休みじゃろう? お前の故郷を壱姫たちを見せてやれ」
「・・・・・・何でだ?」
「退魔師の犯した過ち。それを見れば、なにか感じることもあるじゃろう。一種の社会見学だ」
「・・・・九十九」
あたしは九十九の服の袖を引っ張る。
「何だ?」
「あたしは・・・・・あたしは、行ってみたい。九十九の故郷」
「・・・・・・・・・・好奇心か?」
「それもある。だけど、なんとなく、心にひっかかるものがあるの。ふと忘れた何かが、喉まで出かかってる。そんなもどかしいような感覚があるの」
「・・・・・・・・・・・・・・」
長い沈黙。三人(二人と一匹)の視線が九十九に集まっている。
やがて、なにかをあきらめたように、九十九が肩を落とす。
「わかった・・・・・。行ってみるか、俺の生まれた村、鬼哭の里に」
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