第十一章

帰郷

「で―――」

 地面に座り込み、壱姫が変な声をあげる。九十九以外の他の四人も同じような状態だ。

「情けねェな、お前ら。それでも神影流六武法の継承者か?」

「う、うるさいわね。あんな道もない山ン中、休み無く歩かされたんじゃ、息もきれるわよッ」

「は、話には、聞いてたけど、とんでもないところにあるのね・・・・・秦の屋敷って・・・・」

 七香の視線の先には、大きな屋敷があった。壱姫たちの住む屋敷にくらべれば、だいぶ小さいが、それでもこんなところに建てられるにしては、随分立派な屋敷だった。

 今、九十九たちは、秦家の、つまり九十九が育った屋敷に来ていた。

 煉戒市の駅で、特急に乗り込んでから二時間。バスに乗りかえること三時間、徒歩で逢叶山ほうきょうさんと呼ばれる、退魔師の間ではちょっと有名な霊山がある連峰に入ること五時間。

 道無き道を行き、ようやく秦家の屋敷に辿りついたころには、慣れている九十九と猿爺の他は、疲労困憊の状態だった。

「でも、信じらんないなァ・・・・。九十九の故郷が秦家の屋敷と同じ山にあるなんて・・・・・」

「おやおや、九十九じゃないですか?」

「お?」

 聞きなれた声に、九十九が振り向く。和服姿の中年女性がこちらに歩み寄ってきていた。

「母さん」

「へ? 九十九のお母さん?」

 壱姫たちが顔をあげる。藍色の着物の、髪を結い上げた女性は、にこやかな笑みを浮かべ、七人の側による。

 五人がその女性のことを思い出す。小さい頃に何度か会っていたハズだ。

「あ、和恵様。お久しぶりです」

 壱姫が慌てて立ち、頭を下げる。他の四人もそれにならう。

 秦 和恵。秦家現当主、秦 時雨の妻だ。

「本当に久しぶりね、壱姫ちゃん。千夜君、十吾君、百荏ちゃんに七香ちゃんも。猿爺、この度は、無理なお願いを聞きいれていだだき、ありがとうございます」

 和恵が猿爺に頭を下げる。

「いやいや、久しぶりに下界に下りる口実を作っていただけて、感謝しておるくらいですよ。妖怪を束ねる長老なんぞをやっておると、そうそう人の世界に入れませんからな」

「ちょ、ちょっとタンマ」

 壱姫がおずおずと手をあげる。

「猿爺さんって・・・・、妖怪のボス?」

「ふむ・・・・、まあ、ちょっと違いますが、そのようなモンですな。この山は富士山、白山、立山とともに日本四霊山の一つ。そういった山は、地と空の自然の気が集まるので、妖怪にとっては住み心地がいいんです。ひとつは妖怪たちの集落があるものですよ」

「猿爺はここに長く住んでて、しかも実力者だから、まとめ役をやってるんだ。秦家との連絡役もかねてな」

 九十九の言葉に、壱姫たちがキョトンとする。

「なあ、九十九。連絡役ってなんだ?」

「ん? ああ、そのまんまの意味だ。妖怪の集落がある場所には大抵、妖怪の流出、人の侵入を見張る役目を負う奴がいてな。そいつとその集落の代表とが定期的に連絡をとりあってるんだ」

「この山では、秦家がその役を負っているんです」

「・・・・・なんだか、僕たちの知らないことも多いんだね。この世界は」

「あ、じゃあ、秦家が裏の一族ってのは、その役目のため?」

「ええ、そうです。まあ、それだけではありませんがね」

 とてつもなく優しい笑みの中に、そこはかとなく何か含むもの感じ、壱姫が首を傾げる。

「あの〜・・・」

「疲れたでしょう? さあ、中に入って。夫は急な依頼が入って、二・三日いませんの。久しぶりに九十九に会えると楽しみにしてたのにねェ」

 和恵はそう言って、とっとと屋敷の中に入っていく。

「・・・・あなどれない」

「自分のいいたいことだけいって、俺たちに口を出させないとは・・・・」

「なにをしみじみ呟いてるんだよ? いくぞ」

 九十九が屋敷に入っていく。壱姫たちはお互いの顔を見合わせ、何か納得のいかないような顔で、九十九の後についていく。

 

「うわ〜・・・・、すっご―――い」

 結構豪華な夕食を終え、壱姫たち女性陣が和恵に案内された場所は、屋敷の裏に作られた露天風呂だった。

「それじゃ、ごゆっくり」

 和恵が、屋敷の中へと戻る。なんだか、旅館の女将みたい、と三人はおもっていた。

「へえー、家に温泉が沸いてるなんて、いいな・・・あ、眼鏡が」

 七香が眼鏡を外して、レンズの曇りをタオルでふき取る。

「七香、お風呂に入るのに、眼鏡かけたままにしない」

「はーい・・・。あたし、コレ無いと、ほとんど何も見えないのよねェ」

 七香は眼鏡を置きに脱衣所に戻っていった。

「う〜、アッツイ」

 猫肌気味の壱姫は顔をしかめながら、湯につかる。

「いい湯じゃない。肌に良さそうだわ」

 対して、百荏は気持ちよさそうな顔。湯に浮かぶ盆に乗せた銚子を手に取って、日本酒を猪口に注いでいる。

「・・・・・・・・」

 そんな百荏の姿に何か違和感を感じる。

「・・・・・・・・・・なんでお酒持ち込んでるのよッ!」

「あら、露天風呂に熱燗は付き物じゃない?」

 そう言って百荏はクイッと猪口の酒を空ける。

「あ・た・し・た・ち・はッ、高校生でしょうがッ!」

「私は十八歳になったからいいの」

「お酒は二十歳になってから!」

「あーもー、いいじゃない。堅い事言いっこなしッ」

「あーのーねー・・・・」

「もーちょっと静かにできないの? 壱姫ちゃん、百荏ちゃん」

 眼鏡を置きにいった七香が戻ってきた。

「七香・・・・誰に向かって喋ってるの?」

「えッ?」

 七香は壱姫たちに背を向けて、でかい狸の置物に向かって喋りかけていた。

「なぜ、狸・・・・。やっぱり、眼鏡ないとなにも見えないなァ」

 ぶつぶつ言いながら、ちょっとおぼつかない足取りで湯船に向かう。

『あッ・・・・』

 ドプンッ!

 七香が、まともに温泉に落ちていた。どうやら湯船の端が見えてなかったようである。

 しばらくすると、仰向けで浮かんできた。どうやら、浅いところにダイビングしていたらしく、額にたんこぶをつくって気絶している。

「頭いいくせに、時々馬鹿よね、この娘」

「ホントよね・・・・・って、呑むな!」

 壱姫が百荏の手から銚子を引っ手繰る。

「たくッ・・・・」

「あ、九十九たちが覗いてる!」

「何ィ!?」

 百荏が指差す方向に、壱姫が妖怪に向けるものより強烈に鋭い視線を向ける。

 が、視線の先には、陽が落ちた後の闇があるばかりで、人影などかけらも見当たらない。

「ていッ」

「!?」

 百荏が銚子をとり返し、そのまま壱姫の口へともっていく。

「んんん〜〜!」

「ん〜、壱姫ちゃん、イケる口ねー」

 目を見開く壱姫とは対照的に、百荏は心の底から楽しそうだ。

 そうこうするうちに、銚子の中の酒は無くなった。

「・・・・・・・・・」

「あら? 壱姫ちゃん、目がすわっちゃったわね」

「・・・・・・・・・」

 半眼で百荏を見ていた壱姫の視線が、湯に浮かぶ盆に向けられる。盆の上には、まだ手がつけられてない銚子が何本か乗っている。

 ザブザブッ!

 お湯をかきわけるように、壱姫が大股で盆に近づいていく。

「もしかしたら・・・・・・やばいかも?」

 言葉とは裏腹に、百荏の瞳は楽しそうな光をキラキラと輝かせていた。

 

 

「・・・・・・それで?」

 十吾がこめかみに指を当てて、百荏に聞いた。隣の千夜は完全に呆れた表情で、百荏に扇がれてる七香を見ている。

「いやー、バーサーク状態の壱姫ちゃん見てるの面白くて、日本酒一升分飲ましちゃった」

「そして、その間、放っとかれた七香は、ゆでタコ状態というわけか?」

「う、う〜ん・・・・・饅頭こわい・・・・」

 布団の上で真っ赤になってる七香はなにか訳のわからないことを呟いている。

「ん? 壱姫はどこいったんだ?」

 千夜が部屋の中を見渡す。

「壱姫なら酔い覚ましに外にいったわよ」

 

 

「ウゥ・・・・目が変・・・・」

 なんだか歪んで見える足もとの林道を、三歩歩くたびにコケそうになりがなら、壱姫が歩いている。

『この先に、ちょっとした湖があります。酔いを醒ますにはいい場所です』

 と、和恵に言われて、湖を目指す。なんとなく、今の状態ではおとなしく寝てたほうがよかったのでは?と考えもしたが、かなり歩いてきてるので、引き返すのも馬鹿馬鹿しい。

「・・・・・・わあ」

 林を抜けると、目の前に目的の湖があった。山間に広がる湖には、空に浮かぶ満月が映り、鏡面世界を作り出していた。

「・・・・うん、いい所!」

 髪をなびかせる風が火照った体に心地良い。壱姫は水辺に駆け寄る。

「・・・・・気持悪〜い」

 どんないい景色だろうと、風が気持よかろうと、さっきまで泥酔状態だった人間の状態がすぐに回復するわけはなく、水辺に座り込んでしまう。

「う〜〜・・・・、あれ?」

 水辺に沿って50メートルほど歩いた場所に、月を見上げる人影があった。

「・・・・・九十九?」

 月明かりでは、それほどよくは見えないが、それでもなんとかシルエットで、九十九だということはわかった。

 それに、他の連中は全員、秦の屋敷にいるはずだ。

「なにやってんだろ? おーい、つく・・・・・・うぷッ」

 口を押さえ、胸にこみあげてくるものを我慢する。たっぷり三十秒ほど前かがみの態勢を保ち、ようやく吐き気がおさまる。

「・・・・・・あたし、お酒なんてもう呑まない」

「なにやってんだ?」

「え?」

 頭の上から聞こえてきた声に、顔をあげる。

 前かがみの状態で顔をあげれば、胸をそらすことになる。そして、胸をそらせば、その分、腹がツッパる。そして、胃は圧迫される。

 ガシッ!

 壱姫が、いつのまにかすぐ側に来ていた九十九の上着を掴んだ。

「?」

「う・・・・・」

「―――――ちょっ! 待てェ!」

 

 

「・・・・・・・・ごめん」

 水辺に寝転んだ壱姫が月の隠れた空を見上げたまま、九十九に謝る。九十九は、壱姫が服にぶちまけてくれた、ちょっと前まで夕食だったものを、湖の水で落としている。

「・・・ま、いいけどよ。呑めねェ酒なんざやめとけよ」

「百荏に無理矢理呑まされたのよ」

 パンッ!

 服を空中に叩きつけるように勢い良く振るって水を飛ばし、まだぬれている上着を着る。

「・・・・・・なあ、壱姫」

「なに?」

「なんで、俺の里に来たいなんて言ったんだ?」

「・・・・・ん〜、なんとなく、としかいえない」

 顔を上げるのもおっくうなんで九十九の姿は見えないが、気配で肩を落としたことはわかる。

「・・・・・・帰るか」

「ん・・・・、まだ動けない」

「山の夜は寒い。風をひくぞ」

 ひょいっ。

 九十九が壱姫の体を軽々担ぎ上げる。

「ちょ、ちょっと・・・・」

「ひとりじゃ歩けないだろ?」

 壱姫を背負い、九十九が歩き出す。

「・・・・・・今日はいい月だ」

 九十九が真円を描く月の浮かぶ夜空を見上げる。

「ん・・・・そうね」

「どんなに時代が代わっても、月は、いつも側にいる。200年前も・・・・・今も・・・・・」

「九十九・・・・・・・・うぷッ」

 壱姫が口を押さえる。顔は一気に青ざめていった。

「・・・・・・・・」

 九十九が深くため息をつく。

「わかった、もーいい、どーにでもしてくれ」

「――――――――ッ」

 

 

 翌日―――AM7:15。

「うー・・・・・、頭いたい・・・・」

「未成年がお酒なんて呑むからよ♪」

「あんたが真っ先に呑んでッ! あたしに無理矢理呑ませたんでしょうがッ!」

 気楽な百荏にくってかかるが、二日酔いが大声だせば、どうなるか。

「・・・・・・・・頭割れそう・・・・・・・」

「私が呑ませたのは最初の一献だけよ。後は、あんたが勝手に呑んだんじゃない」

「・・・・・・・・・・」

「壱姫ちゃん、また九十九に背負ってもらえば? 今度は、彼の背中に嘔吐しないよう気をつけてね」

 ギロッ!

「今日はいい天気ね、壱姫ちゃん。山を歩くには絶好の日和だわ」

「曇りだ。ドンヨリとな」

 とりあえず、千夜がツッコむ。

「さあ、出発するぞ。ここから煉戒市に戻るだけでも十時間かかるんだ。下手すれば、今日中に帰れなくなるぞ」

 

 

「・・・・・・・ここ?」

 しばらく無言で九十九の指した場所を眺めていた壱姫が呟く。

 今、九十九たちのいる場所は、昨日の晩、壱姫が酔い醒ましに足を運んだ湖だった。

「そうだ。ここが俺の住んでいた隠れ里、鬼哭の里への入り口だ」

「入り口ったって・・・・・ここには、湖以外何もないぞ?」

「この湖がそうさ」

 九十九が湖のほとりに立つ。そして、掌を水面に向けた。

 パアッ!

 湖全体が光を放つ。一瞬後にはそれは収まり、状況の変化はこれといって何も変わっていないようだった。

「・・・・・・・で?」

「何か変わったか?」

「へへッ・・・・、水面を見てみな」

「?・・・・」

 壱姫たちが九十九の言ったとおり、湖のほとりから水面を覗き込む。

「・・・・・・別になにも・・・・・」

 頭をあげ、九十九に話し掛けようとしたとき、壱姫は何か違和感を感じた。再び水面を覗き込み、そこをじっと見る。

「これって・・・・・」

「俺たちの姿が映っていない・・・・・」

 千夜の言葉どおり、空を流れる雲を映す湖の水面には、覗き込む壱姫たちの姿だけが映っていなかった。

「・・・・・鏡面空間。術によって創られた空間か」

「ああ、隠れ里としては、最高の場所さ。入り口は、秘術の施されたこの湖だけ。住人以外は、里の長に認められた者しか立ちいることはできない」

「・・・・・・・許可無き者は進入できない? じゃあ、なんで200年前、鬼哭の里は、侵略されたの?」

「・・・・・・・」

 壱姫の問いに、九十九の瞳が僅かに悲しみの色を見せた。

「・・・・・いたのさ。里に入ることを認められていた退魔師の中に、裏切りを行ったやつが」

「・・・・・・・・」

「さあ、いくぞ」

 九十九が地面と水面の境に手を置き、水の中へと飛び込んだ。

「・・・・・・・」

「・・・・行く?」

「ああ、行くか」

 

 

「うおっとォ!」

 最後に湖に飛び込んだ七香が、反転した重力に引っ張られ、再び湖に落ちそうになった。鏡面世界、つまり、上下逆になっているため、入り口を超えると、地面に頭を向けてしまうことになるのだ。

 なんとか逆戻りを避け、七香が立ちあがる。

「・・・・ここが、九十九の故郷」

 鬼哭の里は、出入り口である湖のすぐそばにあった。

「・・・・・ああ、ここが俺の故郷、鬼哭の里。200年前に滅びた半妖とその家族が住んでいた村だ」

 懐かしさと悲しさの混じった瞳の先には、朽ち果てた家々が並ぶ森中の村があった。

 主を失って200年の年月を経た家々は、全壊、半壊の状態で、まともに形を残しているものは一軒もないようだった。年月によって風化したものもあるだろうが、ほとんどはあきらかにここが戦場になったことが原因であることがわかる。

「ここが退魔師と侍によって滅ぼされた九十九の故郷・・・・・・」

「・・・俺は、ちょっと行くところがある。お前らはここで待っててくれ」

 九十九が村の奥に向かって歩き出す。

「あ、ちょっと待って。あたしたちも・・・・」

「お前たちは、来るな」

 振り向き、そう言った九十九の目には、拒否を許さない光があった。ついていく、と言いかけた壱姫が口をつむぐ。

 九十九は歩き出し、振り返ることなく村の奥へと消えていった。

「・・・・・・」

「あんな目の九十九、初めて見たな」

「・・・・・うん」

「ここは、あいつにとって特別な場所だ。俺たちには踏み込んじゃいけない所なのかもしれない」

「・・・・・・・みんな、手伝ってほしいことがあるの」

 壱姫が1歩前に進み、振り向く。四人の視線が壱姫に集まる。

「あたし、ここで何があったのか、自分で確かめたいの」

 

 

 五人と別れた九十九は、村の奥にある洞窟の前に足を運んでいた。

「退け」

 九十九の言葉と霊気に反応し、洞窟の入り口に張られた結界が解除される。

「・・・・・・六年か。もっと保つと思っていたのにな」

 呟き、洞窟の中へと足を踏み入れる。ひんやりとした空気の中に、肌をチリチリさせる妖気が澱んでいる。

「・・・・・・・・・」

 洞窟の中はいくつもの分岐によって、複雑な迷路のようになっていたが、九十九は立ち止まることも迷うこともなく歩を進めていた。

 緩やかな風のように流れてくる妖気を辿れば、迷うことはない。そして、九十九は忘れることはなかった。まだ幼い頃に辿った道を。

「・・・・・・・・・」

 九十九が立ち止まる。

 右腕に霊気が集まり、それが青白い光となって洞窟内を照らした。そこは、まわりを整えられた大きな部屋になっていた。壁、天井、床が平らに馴らされた立方体の箱の中、そんな感じだ。

 ただ、九十九の正面にある壁が大きく崩れ、床に大穴が空いていた。九十九が穴の縁に立つ。穴はかなり深く、右腕の霊気の光は届かず、闇を見とおす九十九の視力でも、どこまでつづいているかわからない。

 バヂィ!

「くッ!」

 穴の中に伸ばした九十九の手が、見えない力に弾かれる。皮膚が引き裂かれ、血が飛び散る。

「攻壁かよ・・・・」

 腕を振るい、血を振り払う。妖怪の再生力が手の傷をみるみるうちに塞いでいく。

 数度、手を開閉し、完全に治癒したことをたしかめてから、視線を穴から逸らす。部屋の隅に一本の剣があった。

 近づき、剣を拾い上げる。滑らかな曲線を描く刃を持つ両刃の剣だ。西洋の剣ではなく、まだ日本が青銅器時代や鉄器時代の頃に造られていた様式のものに似た形をしている。

「・・・・・・うずく」

 剣を左手に持ち替え、右手を目の高さまであげる。呪符によって形造られている義手は、かすかに震えていた。

「失った右手が・・・・・うずく」

 再び穴の縁に歩み寄り、覗き込む。

「・・・・・・・・・!?」

 ギィンッ!

 洞窟内に激しい金属音が響く。

「―――てめェ!」

「秦 九十九ォォッ!」

 とっさに上げた剣が、突如襲い掛かってきた刃を受け止めていた。自ら輝いているかのような光を湛える日本刀、そして、それを振るう男は見覚えがあった。

「貝野 影児・・・・・」

 座敷童のサチを狙っていた、暗殺者の一族、貝野家の現当主、影児が狂気の光を宿した瞳をもって九十九の前に現れた。

「貴様だ・・・・・貴様がいなければァッ!」

「あれだけ痛めつけてやったのに、懲りてねェのかッ」

 右の拳が影児の腹に叩き込まれる。影児の体が木の葉のように吹っ飛び、壁に叩きつけられる。

「セエエッ!」

 一瞬の間をおいて、九十九の蹴りがさらに叩き込まれる。影児の体が壁にめり込み、崩れた壁の瓦礫に埋もれていった。

「・・・・・どうやってここにやってきたんだ? この里に来たとき、他に誰か入ってきた気配はなかったぞ」

 ガラッ!

「教えてやろうか」

「・・・・・!?」

 九十九の強烈な攻撃を立て続けに食らったはずの影児が、瓦礫を押しのけ、まるで何事もなかったように立ちあがる。

「私がこの空間に入れた理由・・・・・、簡単だ。この朽ちた村の長に認められているからだ」

「・・・・・・てめェ」

「私は貴様を殺すための力を手に入れた。人を超えた力と、この鬼を断つ剣「髭切」を、あの方から授かったのだッ!」

「酒呑童子退治で有名な四天王のひとり、渡辺綱が京を騒がせた鬼、茨木童子の腕を断ったという、あの名剣か・・・・・。たしか、その後、鬼切丸おにきりまると改銘されたんだったな。俺を殺るには、もってこいの剣だな、オイ」

「キエエエエエッ!」

 影児が強烈な一撃を九十九の脳天にめがけ、振り下ろす。

「ゼアアアッ!」

 後から動いた九十九の全体重をかけるような正拳突きが、名刀髭切よりも早く鋭く突き出され、影児をぶっ飛ばす。

「ぐはッ」

「おおおッ!」

 ロケットのようなダッシュで、自分がふっ飛ばした影児に負いつき、喉を鷲掴んで、壁に叩きつける。

「やつにどうやって会った・・・・」

「よ、呼ばれたのさ・・・・・。貴様への憎悪をもった俺の思念に共鳴した、あの方の声にな・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「――――きええッ!」

 影児が髭切の切っ先を、九十九の左胴に向けて突き出す。

 バキンッ!

「―――!?」

 そのまま心臓を貫く勢いで繰り出した髭切が、九十九の胴に食い込んだとおもった瞬間、中ほどから折れた。

「・・・・・そんなモノが俺に通用するとおもったのか?」

 強大な妖気が九十九の身体から立ち上る。

「ひッ・・・・」

 見上げる九十九の瞳に、尋常じゃない鋭い光が宿るのを見て、影児がしゃっくりのような悲鳴を漏らす。

「普通の鬼の腕を切り落とした刀を手に入れたぐらいで・・・・・・・俺を殺れるとおもったのかッ!?」

 

 

「――――?」

「どうしたの、壱姫?」

 手を止めて、村の奥を見やった壱姫に、百荏が聞いた。壱姫は、なんでもない、と言って、作業を開始する。

 壱姫たちは、廃墟とかした村の中央にある広場らしき場所で、大小複数の円からなる、方陣を地面に描いていた。

『過去見の陣』

 壱姫が手にしている古い書物。開いてあるページには古い字でそう書かれていた。過去見、つまり過去を見ることの出来る魔方陣だ。古書は、壱姫が自分ン家の大蔵から無断で拝借した物で、神影流六武法の《技》と《術》を記した二冊の秘伝書のうち、《術》を記したものである。

「でも、いいの? こんなこと、勝手にやっちゃって」

 七香は、陣を造る手を休めずに、呟く。壱姫はそれに答えず、地面に用意しておいた染料で陣を描いている。

「・・・・・・こっちは終わったわよ」

「こっちもだ」

 百恵と十吾が立ち上がり、作業で汚れた手を布でふき取る。広場には最大直径五メートルほどの円を組み合わせた陣が完成していた。

「・・・・・じゃ、いくわよ」

 壱姫が陣の中央に立ち、《術》の書に書かれている言葉を読み上げる。

 その言葉に反応したように、陣が光り輝き始めた。

 《過去見の陣》。大地に染み付いた残留思念を読み取り、陣の中にいる者の意識に投影するものだ。

「200年も前の《記憶》なんて、残ってるのか?」

 千夜の言葉に、壱姫が不安そうな顔をする。

「激しい戦闘は、強く刻み込まれるから、大丈夫だと思うけど・・・・・・。でも、ここは造られた空間だし・・・・・・!?」

 陣の光が薄れていく。

「・・・・・これは」

 十吾が呆然と呟く。あたりの風景が一変していた。

 廃墟だったはずの鬼哭の里が、在りし日の姿に戻っている。朽ち果てた家々が復元され、200年たっても生々しく残っていた争いの後は、一切消えていた。

 壱姫たちのまわりには、小さな子供たちが遊んでいる。

「術が成功したの・・・・・・わッ!」

 元気に走り回っていた少年が、壱姫の体をすり抜けていった。

 今、壱姫たちが目にしているもの。元気に駆け回る子供たちも、人の営みを感じさせる家々も、暖かな光を落とす太陽も、皆すべて過去に消えていった風景。術によって壱姫たちの意識に投影された幻影だ。

「術は成功したようだな」

「あー、ビックリした・・・・・・・・・今の子ッ!?」

 壱姫が後ろを振り向く。壱姫の体をすり抜けていった子供の後を追った。

「―――あれ?」

 風景がもとに戻る。振り向くと、陣の中にいる千夜たちが、壱姫を―――壱姫が消えた場所を見つめている。

「そっか。陣から出ると、術がとけちゃうんだ」

 壱姫が再び陣の中に入る。過去見の映像が甦り、壱姫のすぐ横を、さっきの子供が、村の友達らしき数人の子供をひきつれて、走り抜けていった。

 子供たちは、木の棒で、ちゃんばらごっこをしているようだった。

「ほら、この子」

 壱姫が子供たちの中で一番目立つ動きをしている一人を指差す。

「何?・・・・あ、この子、九十九に似てるッ」

「そうだな・・・・そういわれてみればそっくりだ」

「・・・・・てことは、これが七歳ぐらいのころの九十九か?」

「そうみたいね・・・・・。アハッ、なんか可愛―――」

 ドゴォッ!

 九十九らしき子供が振るった棒が木に触れた瞬間、幹の一部が抉られるように吹き飛びんだ。

『すきありーッ!』

 子供のひとりがチビ九十九に木棒を振り下ろす。チビ九十九は子供らしからぬ鋭い動きでかわす。

 ボゴンッ!

 木の棒に何か《力》が付加されているらしく、その一撃で地面が大きく抉られたのに、木の棒はまるで無傷だった。

 普通の人間なら一撃で御陀仏なそのちゃんばらごっこを、まわりの大人たちは微笑ましそうに眺めている。どうやら、この光景は日常茶飯事らしい。

「・・・・・・すごい村ね」

「・・・・・・うん」

 何か疲れ切ったような表情で壱姫たちがその光景を眺めていると、後ろの方から子供たちを呼ぶ声がかかった。

『八雲ー、そろそろ昼飯だぞーッ』

『あ、九十九兄ちゃんッ!』

「―――――えッ!?」

 チビ九十九の言葉に、呆然としていた壱姫たちがハッとなる。後ろを振り向くと、目の前の子供を、四〜五歳ほど大きくしたような男の子がこちらに向かって歩いてきていた。

「・・・・・この子が・・・・・九十九?」

「じゃ、こっちのは・・・・九十九の弟か?」

 男の子は、弟のところに来て、頭を撫でてやっている。八雲とよばれた子は、もう子供じゃない、と頬を膨らませていた。

「・・・・でも、おかしくない? 確か、九十九は私たちと同じように歳をとってくハズよね」

「ああ、九十九に限らず、半妖はほとんどがそのはずだ」

「でも、あの九十九が七歳だとは思えないわよ」

「・・・・・・・どういうこと? おばあちゃんは、確かに九十九の封印が解けたのは十年前だって言ってた・・・・・」

「婆様が嘘をついていたと・・・・・?」

「・・・・・・どうして、そんな嘘を―――」

 ドスッ!

『あ・・・・・』

 八雲が息を漏らしたような声を出した。

 その光景に、壱姫たちは目を見開いていた。幼い姿の九十九も同じような表情だ。

 ズシャッ!

 八雲の体が壱姫たちの前で、力無く地面に倒れた。その背中には、一本の矢が突き立っていた。

『――――八雲ッ!?』

 九十九が八雲に駆け寄り、矢を掴む。

『!!』

 九十九が、手を引いた。矢を握った手が微かに焼け爛れ、小さな煙を上げていた。

「破邪の矢!?」

「まさかッ!」

 壱姫たちが矢の飛んできた方向に目をやる。本来の世界と、この鏡面世界を繋ぐ入り口、湖の方角。

「あれは・・・・・」

 湖の側に十数人の男たちが弓を構えていた。その後ろで、湖から鎧を着た男たちがどんどんこの世界へと入ってくる。

 異変に気づいた里の大人たちが家々から出てくる。

 それを狙っていたかのように、侵入者たちが矢を放ってきた。数十本の矢が雨となって振ってくる。

 ゴオオオオッ!

 轟音とともに突風が吹き荒れた。過去見をしているだけの壱姫たちには影響はないが、木々や家が揺れる様子からするとかなりの力らしい。住人たちに襲いかかった矢が全て吹き飛ばされる。

疾風はやてさんッ!』

 九十九が上空を見上げて叫んでいた。壱姫たちがその視線を追うと、上空に人影が見えた。いや、人ではない。よく見るとそれは、黒い翼と、人と鴉を合わせたような顔を持つ存在だった。

「鴉天狗か・・・・」

『八雲が・・・・八雲がッ』

 退魔の力を込められた矢に射られた八雲は、空ろな瞳で、九十九を見ている。

『八雲ッ、八雲ッ』

『に・・・・兄ちゃん・・・・』

 ドドドドドドッ!

 鞘から刀を抜いた鎧姿の侍たちが、村に入ってくる。十人前後の侍たちが、怯え、座り込んでいる子供たちに向かっていた。

『九十九ッ、子供たちを連れて逃げろッ』

 上空の鴉天狗、疾風が叫ぶ。しかし、八雲に気をとられている九十九には聞こえていないようだった。

「ダ・・・・ダメェ!」

 壱姫が侍たちの前に立ちふさがる。しかし、今目の前で起こっていることは、過去の幻影。侍たちは壱姫の体をすり抜けていくだけだった。

 侍たちが刀を振り上げる。幻影相手に霊感は働かないが、刃にともる青白い光で、それらが霊刀であるのはわかった。刃の腹に梵字に似た模様が朱色で描かれており、それが簡易的な霊的武具を作っているのだろう。

 ドガガガッ!

 突然、数条の稲妻が地面の上を走り、子供たちに刃を振り下ろそうとしていた侍たちの体に叩き込まれた。電撃に打たれた侍たちは一瞬体を撥ね、そのまま地面に倒れて動かなくなる。

『九十九ッ! 大丈夫かッ!』

 虎のような顔つきの巨漢の男が九十九の側に駆け寄っていた。全身を包むほど長く量の多い黒い髪が帯電している。先程の電撃は、この男が放ったらしい。

『八雲・・・・』

 九十九は男が近寄ってきたのも気づいてない。八雲は霊矢の力によって、すでに息も絶え絶えになっていた。

『兄ちゃん・・・・・何も見えないよ・・・・・もう、夜になっちゃったの・・・・?』

『八雲・・・・・しっかりしろ八雲ッ』

 力無く上がった八雲の手を、九十九が自分の胸に引き寄せる。

『兄ちゃん・・・・・そこにいるの?』

『ここにいるッ、兄ちゃん、ここにいるッ』

『何だか・・・・・兄ちゃん・・・・の、声・・・・遠くに聞こえる・・・・・何だか・・・・眠い・・・・』

『――――!』

 握り締めた八雲の手から完全に力が抜けた。空ろな瞳は、もう何も見えてはいない。

『うわあああああ――――ッ!』

 九十九が涙を溢れさせ、大気を震わすような声で吠えた。

「・・・・・これ」

「ああ・・・・・、九十九と初めて会ったときに感じた妖気だ」

 術によって投影された幻影であるはずの九十九の妖気が、壱姫たちの感覚に届いていた。その妖気を受けている侍たちが足を止める。強烈な妖気を突然受けたため、金縛りにあったようだ。

『九十九ッ!』

『―――!』

 怒りと悲しみに我を失いかけていた九十九が、その声に反応し、我に返った。

『・・・・父さんッ!』

「えッ・・・」

 九十九の言葉に、壱姫たちが声のした方を向いた。

「・・・・・鬼」

 千夜が我知らず呟く。現れたのは三十代前半ぐらいの短髪の男だった。そして、その額には、いつか九十九の姉、三芽が見せた鬼の血を継ぐ者の証、淡く光を放つ一本の角があった。

『・・・・・・・』

 今だ動けぬ侍たちを一瞥し、九十九の父が八雲の側に膝をつく。光のない目に手を乗せ、瞼を閉じてやる。

零朱れいしゅさんッ』

『これは一体・・・・』

 里の大人たちが広場に集まってきた。湖の方からは侍たちが続々と里に入ってくる。

『その歳ですでに《鬼》の力に目覚めているとはな・・・・』

 侍の一団から、一人の男が前に出てきた。簡略化した鎧のようなものを着込み、手には一本の刀が握られている。

「あれは・・・・・」

 壱姫は、その鎧と刀に見覚えがあった。だが、すぐにそれを打ち消そうとした。

「・・・・あれが、ここにあるはずがない。そんなことが・・・・」

「壱姫・・・・?」

「あッ・・・」

 九十九の父、零朱と呼ばれた男が同じように前に進み出る。

『これは、どういうことですか?』

 指すような目で零朱が男を見やる。男は口元に薄く笑みを浮かべ、当たり前のようにこう答えた。

『我々は、ここに人に仇なす悪妖の子孫たちが集うという情報を掴みましてね。世の為にあなた方を滅しにきたのです』

『――――!?』

『貴様ッ!』

 雷を放つ巨漢の男が飛び出す。しかし、零朱がそれを押しとどめる。

『・・・・・・・まさか、あなたからそんな言葉を聞くとは思いませんでした』

『はて・・・・? 私は妖怪に知り合いはおりませんよ。我らは退魔師。妖怪を討つことを生業とする者ですからね』

『・・・・・・』

 零朱の髪が逆立ちはじめた。

『一〇〇年続いた我らの関係が・・・・・・こんな形で終わるとはな・・・・・・』

 赤みを帯びた妖気が零朱の体を多い、角の放つ光が増していく。

 男の登場で、金縛りが解けた侍たちが進攻を再開する。

『ならば・・・それなりの覚悟をしてもらおうか・・・神影流六武法が一、葦鳳 隗斗かいとよッ!!』

 九十九の故郷、鬼哭の里を滅ぼす闘いの始まりを告げた、九十九の父、零朱の叫びにあった名は、壱姫たち、神影流を継ぐ者の名であった。

 

    第十二章へ続く。          御戻り。