第十六章

人と魔 女の子と男の子(前編)

 

 八月二十六日(水)―――煉戒市中央区某所路地裏。

 PM8:10。

「――――キャアアアッ!」

 残業で帰りが遅くなってしまった0Lが、近道のために入った路地裏で突然目の前に現われた影に驚き、次いで、雲の隙間に顔を出した三日月の光によって照らし出された影の姿を見て、空気を切り裂くような悲鳴を上げる。

 狼。そうとしかいいようがない顔を持つ、人型の化け物。2メートルはありそうな頑強そうな体躯には、灰色の獣毛がびっしりと生え、狼の顔の双眸は、赤く光っているような錯覚を覚える。

「またか・・・・」

 狼の口で、人の言葉を漏らし、狼の顔を持つ化け物、人狼がOLに近づく。OLは腰を抜かしたらしく、這うように少しでも人狼から離れようと、手足を動かしている。

「ヒッ!」

 やがて、人狼に追いつかれたOLが、太い腕に襟を掴まれ、無理矢理立たされる。ずれかけていた眼鏡が衝動で地面に落ち、レンズが割れるが、そんなことは全く気づいていない。それどころではない。

「アテははずれたか・・・・・」

「――――」

 目の前には、一口で頭くらい頬張れそうな大きな口を持つ狼の顔がある。。恐怖のボルテージが高すぎて、悲鳴すら出なかった。

「ちょぉっと待ったァ!」

「―――なんグアアゥ!」

 唐突な制止の声に振り向くと、目前に横一文字に繰り出された木刀が見えた。

 あまりに突然だったため、成すすべもなく、吹っ飛ばされる。

 ザザザッ!

 人狼に一撃加えた人物は、自分の突進の勢いを殺せず、数メートル地面を滑走して止まった。

「神影流六武法が一派、剣霊の使い手、葦鳳壱姫―――推参!」

 電柱に叩きつけられている人狼に、木刀を向けて高らかに名乗り上げる壱姫。

「あんたが最近、ここいらで悪さしてる人狼ねッ!」

 ビシィッっと、指を人狼に向け、右手の神木刀、守薙に霊気を流し込む。その霊気を受け、生め込まれている霊水晶が輝き出し、梵字に似た紋様が浮かび上がる。

「大人しく自分の棲み家に戻りなさいッ。さもないと、力ずくで排除するわよッ!」

「―――グオオオッ!」

 人狼が立ち上がり、壱姫に向って駆け出す。オリンピック記録を軽く超えそうな速度で迫る人狼に向かって、壱姫も駆け出した。切っ先を下げた守薙が、地面を滑るように弧を描いて振り上げられる。

「ヒュッ!」

 短く強い吐息とともに、人狼が飛びあがり、壱姫の剣撃をかわす。巨体が軽やかに宙を舞い、壱姫の頭上を超えていく。

「アマいッ!」

 踏み出した右足を軸に体を180度回転させ、すぐさま人狼に向かって跳んだ。

「なッ!」

 壱姫の常人離れした反応に、人狼が驚愕する。着地した直後に、態勢をくずした壱姫に攻撃をくわえようと考えていた人狼は、迫る壱姫に対して、無防備な背中を向けていた。

「神影流剣霊―――神覇斬!!」

 高圧の霊気を纏った木刀が、人狼の背に叩き込まれる。人狼は短い悲鳴をあげ、アスファルトの地面に叩きつけられた。

「ぐッ―――」

 壱姫の渾身の一撃を受けたはずの人狼が、跳ねるように飛び起き、跳躍する。電柱を蹴り、民家の屋根へと飛び移った。

「さすが、夜の眷属ね。しぶといッ」

 ダダンッ!

 壱姫も塀と電柱を利用して、人狼のいる屋根へと飛び移る。

 《夜の眷属》。月光の魔力を《力》の源とする妖怪、魔物の総称。人狼、、そして吸血鬼などといった種族が有名どころだ。

「――――ウオオオ〜〜〜ンッ!」

 人狼が夜空に向かって吠えた。

「・・・・・・仲間を呼ぶつもり? だったら、無駄よ」

「何?」

 壱姫の言葉に、人狼が吠えるのをやめる。

「仲間はこないわよ。だって・・・・」

 ザザッ!

 二人のいる屋根に、さらに二つの人影が降り立った。

「なッ・・・・」

 左手に手甲を装備した男と、槍を手に握る男が不敵な笑みを浮かべる。手甲の男―――九十九は、右手に《荷物》を持っていた。

 人狼。今、壱姫と対峙している者よりも、一回りほど大きい。

「さて、お仲間はこのとおりだ。どうする?」

 九十九が人狼を軽がると放る。壱姫ともう一人の人狼のちょうど中間ぐらいに放られた人狼は、気絶しているようで、小さい呻き声を漏らしている。

「神影流・・・。お前が、秦 九十九か?」

「・・・ああ、そうだが」

 自分の名を口にされ、九十九が少し怪訝な顔をする。

「そうか・・・・チッ」

 人狼が小さく舌を鳴らす。

 壱姫たちは、人狼を逃がさないために、徐々に包囲するように動いていた。《夜の眷属》は、総じて人間よりも身体能力が高い。逃げにまわられるとやっかいだ。

「―――神影流剣霊!」

 壱姫が他二人の攻撃のためにスキを作るために、射撃系の霊技のタメに入る。壱姫の視線でそれに気づいた二人が、人

狼の動きに対応するために、気を張る。

「神覇流―――」

「ゴォオオアアアア――――ッッ!!」

 壱気の霊技が発動する前に、人狼が吠えた。

「ウオッ!?」

「キャアッ!」

 人狼を中心に強烈な衝撃波が巻き起こる。屋根の瓦が一瞬で砕け、舞っていく。3人も、一瞬で発生した嵐のような衝撃に弾かれるように吹っ飛ばされた。

「―――くそッ!」

 回転する視界の中で、仲間を担いで跳躍する人狼が見えた。

「逃がすかッ!」

 隣家の屋根に着地した九十九が右手を人狼に向けて突き出す。呪符帯で構成された義手がバラけ、数条の帯と化す。

「伸びろォ!」

 呪符帯が九十九の意思に呼応し、その長さを増していく。

「!?」

 猛スピードで町の上空を疾走した呪符帯が、人狼の体に追いついた。

「よーし―――!?」

 九十九の優れた視力が、こちらに向かってアゴを大きく開く人狼の姿を捉えた。そして、人狼の姿が、いや、人狼と九十九の間の空気が波紋のように揺れた。

「まさか―――」

「――――ォォォォオオオオオオオッ!!」

 タイムラグを生じて、人狼の《声》が、九十九に襲いかかる。

 ドォンッ!

 衝撃波が、九十九ごと家の屋根を吹き飛ばす。 その家の庭に無数の瓦礫がドシャドシャと落ちてきた。

「九十九ッ!?」

「ダシャアッ!」

 瓦礫の山に近づこうとした壱姫が立ち止まる。九十九がまったく無事な姿で、奇声をあげながら瓦礫を跳ね除けながら現われたからだ。

「あんた・・・・」

「ん? どした」

「・・・・・頑丈よね」

 壱姫が呆れるのも無理は無い。見上げれば、九十九の立っていた屋根が、根こそぎ吹っ飛んでいるのだ。

「馬鹿いえ。あんなの食らって無事なわけないだろ。とっさに神羅から霊気を放出して防御したってのに・・・ホレ」

 九十九が左手をあげる。肘がまがるハズのない角度に曲がっている。

「げ・・・・」

「靭帯がやられてるな。それにアバラも2、3本やられてる。たんなる傷ならすぐ治るが、さすがに骨折は時間がかかる。完全に治るには、三日ぐらいかかるな」

「三日で治るの・・・・」

 さらに呆れる。

「にしても、なんだ、あの能力は? 人狼があんな技を持ってるなんて聞いたことないぞ」

「咆哮に《力》を乗せてるんだろうね」

「ああいった能力は防ぐのが難しいな。声に乗せるから、空間を満遍なく広がってくる攻撃なわけだ」

「それに、《力》に方向性をもたせた攻撃、かなり強烈だぜ・・・・・・痛ッ!」

 九十九が、妙な角度に曲がった肘を無理矢理戻す。

「いきなりやらないでよ・・・・。気分悪くなるじゃない」

「そいつは悪かった。さて・・・・・」

 人狼の咆哮が屋根を破壊した家から、わめき声やら悲鳴やらが聞こえてる。まあ、いきなり家の屋根が無くなれば叫びたくもなるだろうが。

「どう説明すッかな。ばっくれて、あとで退魔師協会から連絡してもらえば、手間かかんないか?」

「さて・・・・、どちらにしてもウチの御老人どもには、怒鳴られるだろうな」

 自分たちが、神影流の古老たちに大目玉をくらってる様子を想像し、千夜が一つため息をついた。

 

 

 九月一日(火)―――鵬鳴高校。

「おーい、つくッチ」

「・・・・・」

 新学期初日を終え、家路につこうとしていた九十九を呼びとめる声。

「聞こえてるのかー? つくッチ」

「辰巳・・・・、その呼び方、やめろ」

 教室のドアを開けかけた態勢で固まっていた九十九が、半眼で振り向く。すぐ後ろには、クラスメートの柿原 辰巳が立って

いる。辰巳は、転校してきた九十九に、初めて話しかけた男で、それ以来、なにかとツルむようになっていた。

「いーじゃん、親友なんだから愛称で呼ばなくちゃなッ!」

 なぜか親指を立てた拳を突き出す辰巳。

「で、何の用だ?」

 目前に突き出された辰巳の拳を横に払い、九十九が問う。

「この間頼んだモン、どうなった?」

「ん? ああ、アレ。まだ手頃なのが見つかんなくてな。いま、知り合いに頼んでる」

「そっか〜・・・・。無理いって頼んどいてなんだけど、急いでくんない?」

 辰巳が顔の前で手を合わせ、頭を下げる。

「分かってるって。たしか今月の第二日曜だったか?」

「ああ」

「ま、大丈夫だ。良質なのをもってきてやるよ」

「おう、頼むぜ。っと、まずい、部活もう始まっちまうッ」

 辰巳が自分の机の上に置いてあった鞄を手に取り、教室のドアに向かう。

「アッ、次の日曜に練習試合があるんだッ。よかったら来てくれよッ!」

「ああ、暇だったらな」

 すれ違うときに、この受け答えをかわして、辰巳はサッカー部の部室へと向かった。

「・・・・・・?」

 九十九が首を傾げ、辰巳の出ていったドアの方に振り向く。

「どうした?」

 ちょうど教室に入ってきた千夜が、こちらを見ている九十九に問うた。

「ん〜・・・・。なあ、辰巳って、犬、飼ってたか?」

「? ・・・・さあ、俺は知らないが。それがどうかしたのか?」

「いや、なんかかすかに獣の匂いがしたんだ。今は鬼のときほど鼻は効かねェけど、多分、犬かなんかだな」

「じゃあ、飼ってるんだろ?」

 千夜は興味がないらしく、鞄に教科書やらノートやらを詰めながら、受け答えしている。九十九の方は、いまだに首を傾げている。

「でも、最近までそんな匂い、かけらも感じなかったんだけどなァ・・・・」

「そういや、その辰巳が、なんだか御機嫌ですれ違ったが・・・・、なんかあったのか?」

「ん? ああ、あれだよ」

 九十九が教室の廊下の窓の向こうを指差す。九十九の視力では見えるものも、千夜の視力では遠すぎる距離だ。窓に近寄った千夜がその指の先を辿ってみると、校舎の玄関あたりに、人影が二つ。

「辰巳と・・・・・、確か、サッカー部のマネージャーの・・・・」

「御堂 光。辰巳の彼女だよ。あの娘にあげるプレゼント頼まれてんだ。学生の小遣いじゃ、ちとキツい額のモンだから、俺のツテで安く手にいれてやるんだよ」

「ツテ?」

「正確にゃ、秦家のツテだ。それよか、千夜」

「なんだ?」

「今度の日曜、空いてっか?」

 

 

 九月六日(日)―――逢鳴高校グラウンド。

 ピピーッ!

 審判をやっていた逢鳴高校体育教師兼サッカー部顧問の椴松が試合終了の笛を吹く。

 3−0。試合相手の前葉学園は悔しそうに、当の逢鳴高校の選手たちは嬉しそうに、センターラインに集まってくる。

「全部、辰巳の得点か。すげェな」

 グランドに降りる階段に腰掛けている九十九が、気の抜けた笑みで呟く。

「GKの須藤もだけどな。11本のシュート、全部防いだ」

「そんなに打ってたのか? よー攻められてたとしか思ってなかったが」

 九十九の言葉に、横に立っている千夜が、苦笑ともとれる薄い笑みを浮かべる。

「あんた、ホンットに気ィ抜ける男よね」

 階段の最下に座っていた壱姫に言われ、九十九が半眼になる。

「お前だって、同じようなもんだろう?」

「あたしはちゃんと数えてたわよ」

「なら、前半に何本、打たれたか? 覚えてっか」

「あ、戻ってきた。さあ、激励にいきましょう」

 さっさとサッカー部の方に歩き出す壱姫。

「あのアマ・・・・」

「相変わらずだね」

 今度は階段の上から声がかかった。九十九と千夜が顔を上げると、制服姿の十吾が立っている。

「よお、十吾。なんで、ここにいるんだ?」

「前葉学園は僕の学校だよ。別に僕がいたって不思議じゃないだろう?」

「お前がスポーツ観戦するタチだとは知らなかった」

「僕は、観るより身体を動かす方が好きだよ」

「じゃあ、なんでここにいるんだ?」

「見学はついでさ。この後、頼まれていた仕事が終わったことを、依頼人に報告にいくところだ」

 十吾が階段を降りてきて、二人と並ぶ。

「東区の廃寺の地下に封印されていた大蝦蟇(おおがま)を二匹、相手にした」

「へえ・・・・てこずったのか?」

「ああ。危うく食われそうになった。カエルは苦手でね」

 真顔で言うので、本気か冗談か、いまいち判別できない。

「・・・・・・最近、妙なことが多い」

「ん?」

「この煉戒市は昔から退魔師と妖怪との闘いが頻繁にあった地だ。だから過去封印されていたものが解かれる、ということはべつに珍しくもない。妖怪たちが闇の中で犯罪を犯しているのも珍しくはない。が、最近、この街で起こる事件が多すぎる」

「・・・・・・」

 九十九と千夜も、それは感じていた。妖怪の事件は日々起こっている。それこそ事の軽重合わせれば、毎日起こっているといっていいぐらいだ。だが、妖怪の絶対数は、人のそれよりも遥かに少ない。日本屈指の退魔師の家系、神影流を継承する六流家に依頼されるような事件は、月に、2〜3度あるぐらいだ。

「僕は、先月だけで、八回仕事が回ってきた。父や母の仕事もいれれば、十二件の仕事だ」

「オレんとこは十件。そのうち半分はオレに回された。おかげでせっかくの夏休み、疲れ通しだ」

 千夜が、一つ溜息をつく。

「・・・・・・この街を覆う薄い妖気の渦。これが感じられるようになった頃から、だ」

「ああ」

 3人が空を仰ぐ。二ヶ月近く前から、大気に妖気が感じられるようになった。そして、それに呼応するように、妖怪が起こす事件が急増しはじめていた。

 何かが起ころうとしている。漠然とした不安が、その妖気を感じとれた者たちの胸に広がっていた。

「おーい、つくッちィ〜〜!」

「・・・・・・・」

 シリアスな空気が、その声によって砕かれた。再び半眼になって、空からグランドに移した九十九の視線の先には、クラスメートであり、今日の試合の功労者、柿原 辰巳がいる。壱姫ともう一人、ポニーテールの女子をつれて、九十九たちの所に向かってきていた。

「じゃ、僕はそろそろ行くよ」

 そう言い残して、十吾が場を後にした。それと入れ違いで、辰巳たちが九十九たちの所に辿りつく。

「よお、ハットトリック達成、おめでとう」

 あまり気の入らない声で言って、九十九が右掌を上げる。

「せんきゅー!」

 バシッ!

 辰巳が弾くようにその手と自分の手を合わせる。

(・・・・・・匂いが強くなった)

 始業式の日に感じた獣臭に、一瞬怪訝な表情になる九十九。

「で、どうしたんだ? 彼女連れて、お披露目か?」

 九十九の言葉に、ポニーテールの娘が、顔を赤くする。辰巳が彼女に贈るプレゼントの品の取り寄せを頼んでいたので、彼女が辰巳のガールフレンドだということは知っていたが、こうして顔を合わせるのは初めてだ。

 御堂 光。逢鳴高校2年B組。サッカー部所属(マネージャー)。

「ああ、この娘か? 辰巳が九十九に―――」

「ストーップ!」

 辰巳が千夜に飛びつき、その口を右手で塞ぎ、左腕でヘッドロックをかける。

「ぐうう!」

(千夜、そのことは御堂には内緒なんだ)

 九十九が千夜に耳打ちする。

 光と壱姫は取り残され、ちょっと唖然としている。

「・・・・? どうしたの、辰巳君」

「ハ、ハハハッ! 何でも無い何でも無い!」

「むうぐぐ!」

 いい加減、息が続かなくなってきた千夜が、無理矢理辰巳を引き剥がす。

「殺す気か、お前は・・・」

「あ、ワリィワリィ」

「あの・・・・、これからサッカー部の何人かで、打ち上げ行くんですけど、一緒にいきませんか?」

 なかなか話が進みそうにないので、光が話に入ってきた。

「練習試合で打ち上げすんのか?」

「ええ。前葉学園はウチのライバルで・・・、今日の試合で今年通算2勝1敗2引き分けなんです」

「なるほど。ライバルとの勝負で一歩抜け出たから、打ち上げか?」

「ハイ」

「どうする、九十九・・・・・・九十九?」

 あらぬ方向を見ている九十九が、ハッと千夜の方に振りかえる。

「ああ、すまん。ちとボーッとしてた」

「で、どうする? あんたも行くの?」

「俺は遠慮しとく」

「え? 何で?」

 てっきり二つ返事でOKすると思っていた壱姫がキョトンとする。

「ちと用事を思い出した。んじゃ」

 そう言うと、とっととその場を後にする九十九。

「・・・・・何なんだろ、アイツ?」

「ま、いいさ。行くか」

「よーし、じゃ、ラーメン屋にレッツゴー!」

 辰巳が部員たちのいる場所に向かってダッシュする。光はその後を慌てて追いかけていった。

「ラーメン屋か・・・・」

「高校生の打ち上げなんだから、そこらへんが妥当でしょ」

 

「・・・・・・・・・」

 意気揚揚とサッカー部いきつけのラーメン屋へと向かう一行。

 その十数メートル後に、少し痩せぎすな男がいた。長身なせいか、一見では少し貧相な印象を受けるが、ラフな服装から見える肉体は、引き締まった、見せ掛けではない筋肉に覆われていることがわかる。

 男は付かず離れず、一行の後を追いかけている。巧みに人の中に気配を隠しているため、常人よりも感の鋭い壱姫と千夜も、男の存在に気づいていなかった。

「・・・・・・」

 一行が曲がり角に消えたのを見て、男が歩みを速める。

「――――!?」

 男の足が止まる。突然、横手から強烈なプレッシャーがかかった。

 男の横手には、ビルとビルの間にある、狭い路地があった。日の光が遮られた昼の闇の向こう側にいる人物の姿が、男の目に映る。

 高校生ぐらいの、気の抜けた笑みを浮かべる男。先ほど、壱姫たちと別れたハズの九十九がそこに立っていた。

「・・・・・・」

 九十九が人差し指を数度、前後に振り、こちらに来いと示して、路地の影に消えていった。

「・・・・・チッ!」

 しばらくの思考の後、男は軽い舌打をし、路地に入る。

 

 九月六日(日)―――路地裏。

 PM12:34。

(・・・・・・・結界、か)

 九十九のあとを追っていた男が、周囲にまったく人の気配が無くなっていることに気づく。おそらく、この路地裏で何が起きても、表の通りを歩く人々には気づかれないような細工が施されているのだろう、と、男が思う。

「よお」

「!?」

 突然後ろからかかった声に、男がその場を飛び退いた。いつのまにか、九十九が男のすぐ側に立っていた。

 相変わらず気の抜けた笑み。その左腕には、すでに秦家の法具《神羅》が装着されている。

「貴様・・・・」

「・・・・・高校からずっと、あいつらを追いかけてたろ? 何が目的だ」

 九十九が一歩、男に近づく。男は半歩、後ろに下がった。

「言っとくけど・・・・・俺は平和主義じゃないから。遠慮しないよ」

 さらに一歩。対して、男はそれ以上後退せず、立ち止まった。

「・・・・・俺に気づいていたのか?」

「ああ、他の奴より、ちぃっとばかし五感が鋭いんでね。さて・・・・・正体あらわせよ、犬っころ!」

 さらに一歩・・・・を踏み込まずに、後方の足で地面を蹴る。長く早い踏み込みで、3歩の間合いを一気に縮めた。

「クッ!」

「金剛砕!」

 霊気を収束した拳が繰り出される。しかし、残光を残し、その拳は空を薙いだ。九十九が上空を見ると、男が五メートルぐらいの高さまで跳躍していた。

 ビリビリィッ!

 痩せぎすだった男の肉体が急速に発達していき、服が千切れ飛ぶ。男は、数瞬で、全身に灰色の獣毛を持つ、狼面人体の怪物に変じていた。

「神影流六武法拳霊継承者、秦 九十九だッ! 名乗りやがれッ!」

「―――最も古き狼の血族、牙狼族族長が一子、我陵がりょう!」

 急降下する人狼、我陵が、狼の牙を模したような上下からのる両掌の爪撃を繰り出す。対して、九十九はその両掌の間を抜くように、五指の先に霊気を収束させた貫手を突き出す。

「哮牙!」

「貫殺掌!」

 二人が空中ですれ違う。九十九は右肩と胸に傷を負い、我陵は脇に裂傷を負った。

「―――ウオオオオ―――ッン!!」

 我陵が巨大なアゴを開き、吠える。九十九に向かって空間が揺らいだ。

 ドゴォンッ!

 一瞬早く、その攻撃を察知し、九十九が横に飛ぶ。一瞬前まで九十九が立っていた場所が大きく砕け、轟音が響いた。

「結界張っといて正解だったな。こう派手だと、一般人が野次馬に来ちまう」

 九十九は神羅に霊気を流し込み、再び我陵と対峙する。

「・・・・・牙狼族、とか言ったな。その一族のことなら知ってる。荒い性格の奴らが多い獣人系の妖怪の中でも、飛びぬけて好戦的な一族だってことだな」

「・・・・・・・・」

「お前ら人狼が起こしたと思われる人狼が起こした事件は、最初の十日前から数えて、五つ。証言やら何やらを整理してみると、お前らは《何か》を探しているようだ。いや、《誰か》を捜しているのか?」

「・・・・・・・・」

「そして、今日お前は逢鳴高校に現われた。そして、おそらく興味はないだろうサッカー部の練習試合を見、うちの高校のヤツらをつけていた。《何が》目的で《誰を》つけていたんだ?」

「・・・・仲間さ」

 我陵が小さく呟く。九十九がそれをオウム返しに聞いた。

「仲間?」

「ああ。今《ある男》の命令で、仲間を集めている。一人でも多くな。そいつはおそらく我らと同じ血を引いていることを知らない。平凡な人間としての人生を歩いている」

「・・・・・・・・」

 我陵の言葉に、ある男の顔が脳裏に浮かぶ。いつも大きな声で九十九のことを「つくっち」と呼ぶ少年。最近になって、その身体から感じられる、《獣》の臭い。

「神影流の秦 九十九よ。聞くがいい」

 我陵の口の端がつりあがる。笑っているのだ。

「我らに仲間の召集を命じているのは、おまえのよく知っている男だ」

「!?」

 その言葉に、九十九がハッとする。脳裏に違う男の顔が浮かぶ。決して忘れられない男の顔。

「気づいたかッ? そうだ、その男が何を成そうとして――――」

 ゴッ!

 我陵の視界がいきなり真っ白になり、次いで、ビルとビルの狭間からのぞく空が見えた。

「???!?」

 しばしの混乱の後、自分が倒れていることに気づき、立ちあがる。見ると、九十九が拳を振り下ろした態勢で、我陵の立っていたとおもわれる位置にいた。

 九十九がいつ動いたか、まったく分からなかった。分かるのは、人狼の我陵でさえ感じることのできない速度で、接近、拳撃を繰り出したということだけだ。

「そうか・・・・・」

 低い、冷たい声だった。

「てめェ・・・・あいつと関わりを持つ者か・・・・」

「・・・・・」

 九十九の放つ殺気、というのも生ぬるい斬るような気配に、我知らず我陵が後ずさりする。

「・・・・・・・・クッ!」

 その気配に、本能で危険を察知し、我陵が大きく跳びあがる。一気に距離を離し、逃走に移る気だ。

「逃がすかァ!」

『ウオオオオオン!!』

 ドンッ! ドンッ!

「―――!?」

 我陵の後を追おうとした九十九の前の地面に、亀裂が走る。上空からの衝撃波による攻撃。威力は、我陵のものよりも威力が低いが、人狼の咆哮による衝撃波攻撃だ。

「・・・・・クソッ!」

 すでに我陵の姿はない。九十九の五感でも捉えられないほど距離を空けられた。

「・・・・・・ヤツが行動を起こし始めた」

 ドゴッ!

 九十九が腕を壁に叩きつける。四方にヒビが走った。

「・・・・・フーッ」

 一つ溜息。顔をあげると、すでにいつもの気の抜けた笑みに戻っている。

「最悪の結果になんなきゃいいけどな」

 

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