第十九章

意外な提案

 

 

  クライ・・・・・。

  ココハ、トテモ、クライ・・・。

  ココハ、トテモ、サムイ・・・。

  ココハ、トテモ、サビシイ・・・。

  ココハ、ココハ、ココハ、ココハ、トテモ、トテモ、トテモ、トテモ、トテモ・・・。

  ダレカ・・・ボクヲ・・・ワタシヲ・・・オレヲ・・・。

  アタタメテ・・・。

 

「ここは・・・・・どこ?」

 

  キミハ・・・ダレ?

 

「あたし・・・? あたしは壱姫・・。あなたは?」

 

  ボクハ・・・

 

 

 九月十一日(金)―――葦鳳家。

 AM6:00。

「・・・・・・・・・・・」

 天井。毎朝見る天井。

「・・・夢。前にも見たことがある・・・。九十九と・・・」

 九十九と初めて会った日。

 

 

 三日前―――。

「一体・・・何なのよォッ!!」

 牙狼族、我陵の見せた過去の光景。それは、幼き頃の九十九が壱姫の父、刀路を両刃の剣で貫いているものだった。

「・・・・・」

「答えてよ・・・・」

 壱姫が右手の守薙を水平に構え、切っ先を九十九に向けた。

「あれは・・・本当のことなの?」

「・・・」

 疑念、困惑。いろいろな感情が混じった瞳を受けとめたまま九十九は何も語らない。

 ズオオオオオ・・・

 壱姫の霊気が守薙を覆う。

「答えてよッ!」

「・・・・壱姫」

 十吾と百荏が壱姫の側に寄る。

「九十九・・・・僕たちも聞きたい・・・」

「あんたが・・・・ホントに壱姫のお父さんを・・・・」

「・・・・・・・俺は」

 九十九は一歩、壱姫に近寄る。

「・・・・・・そうだな」

 もう一歩、踏み出しかけた足を止め、なにかをあきらめたような表情を見せる。

「そうさ。お前の親父さんを殺した妖怪ってのは―――俺だ」

「・・・・・う・・・・あ・・・・」

 俯いていた壱姫の口から、呻きに似た声が漏れる。守薙に込められる霊気は急速に収束し、切っ先に集められていた。

「ああ・・・・・うああ・・・・・うあああああああああ――――――ッ!!!」

 呻きは、やがて叫びに変わり、膨大な霊気が壱姫の身体を覆う。

 シャアアアーーーー!!

 壱姫から立ち上る霊気の柱が、上空で龍の形へと変じた。神々しい光を纏う巨大な龍。

「あれは・・・・・」

「・・・・・神影流剣霊の守護龍・・・・《神龍》」

 

 

 御堂家付近。

「神影流の奥義、神威の力の源―――六匹の龍神の一匹ね・・・・」

 三芽が、南区の空に現われた巨大な龍の姿を認める。

「霊気が龍へと変じるほどの霊気の高まり・・・・・、壱姫ちゃんの霊気は今、憤怒、憎悪・・・・そして、悲哀に満たされてる」

 

 

「神影流剣霊――――」

「待てッ、壱姫!」

 九十九に向かって駆け出した壱姫の肩を、十吾が掴む。しかし、冷那と疾風に受けたダメージで力が入らず、壱姫を止めることはできなかった。

「神威之壱―――神龍鋒閃!!!」

 壱姫が九十九に向かって跳ぶ。その身体が、守薙の切先から溢れる霊気に包まれ、巨大な一本の光の槍と化し、九十九に向かって突き進む。

 バシィィッ!!

 翼が九十九の前で交差するように閉じ、壱姫の技を受けとめる。

「ぐッ!?」

 翼を通じて感じる壱姫の技の威力に驚愕する。以前、鬼哭の里で受けた神龍鋒閃とは桁違いのパワーだ。

「ああああああああああああああ―――――ッ!!」

「ぬうううう――――ッ!!」

 九十九が翼を開き、壱姫の技に膨大な妖気を凝縮した拳を叩きつける。強烈な衝撃波が発生し、まわりの電柱や塀を粉々に砕いた。その余波は、十吾たちにも届き、四人がよろめく。

「九十九・・・・・」

「壱姫ちゃん・・・・」

 目の前でぶつかり合う友人たちの姿に、辰巳と光が呆然としている。

「・・・・すげェ霊圧だ。だが、こんなもんじゃ・・・・・」

 バシィッ!

「!?」

 守薙が弾き飛ばされ、壱姫の身体を覆っていた霊気が四散する。

「親父さんの仇は討てないぜ」

 バサァッ!

 翼がはためき、九十九の身体が舞いあがる。

「ま、待ちなさいッ!」

「・・・じゃあな」

 

 

 鵬鳴高校―――HR前。

「おーい、千夜」

「ん? なんだ、辰巳か。それに、御堂」

 職員室から出てきた千夜を、ちょうど通りかかった辰巳と光が呼びとめる。

「九十九が休学扱いになってるって本当か?」

「・・・ああ。今、確かめてきた。婆様・・・壱姫の祖母がそうとりなしたらしい」

「何故、壱姫ちゃんのお婆さんが?」

「さあな・・・・」

 千夜は肩をすくめ、苦笑する。

「婆様は、昔から九十九のことを知ってるようだ。俺や壱姫が知らない九十九のことも、な。だけど、それを聞こうにも、スルリとかわされてしまう」

「・・・・・・・」

「俺は、これから壱姫と合流して、『月下』に行く」

「月下? 三芽さんのところへ?」

 顔見知りの名が出てきたことに少し驚く光。家の近くの喫茶店「月下」の三芽が、九十九の姉だと知ったのは、三日前の事件の後だ。

「ああ、九十九が姿を消してから三日。学校をサボッてまで捜してみたが、まったく見つからない。まあ、今はその方がいいと思ったりもするがな・・・・・」

 ここ2日、十吾たち五人は、九十九の立ち寄りそうな場所や、九十九の知り合いを訪ね歩いた。その間、壱姫は全く笑わなかった。憎悪と疑念の表情のまま、ただただ、九十九を捜し続けていた。

「三芽さんのところには最初に行ったんだが、「九十九の居場所は知らない。他のことも言うわけにはいかない」って突っぱねられてな。だが、やはりあの人が事情を一番知っている人の一人には違いない。なんとか聞き出さなきゃな」

「でも、授業はどうすんだよ? またサボリか?」

「ああ、しばらくはな」

「お前、他にも退魔師の仕事で、よくサボッてるだろ。 出席日数大丈夫なのかよ?」

「ああ、まだ余裕はある。それに、学校側もそれなりに配慮してくれてるから大丈夫だ。それじゃな」

 千夜が二人に背を向ける。と、すぐに振りかえった。

「御堂、明日の土曜休み・・・・」

「退魔師協会に行くんですよね? 覚えてます」

「ああ、退魔師協会にはもう神影流の方で連絡してある。小一時間くらいで手続きは済むよ」

 三日目の事件で、人狼の血を引き、その能力もいくらか覚醒している光は、退魔師協会にその存在を登録しておく必要が出来た。そうしておけば、日常生活を送るために、退魔師協会がサポートしてくれる。

「でも、退魔師協会で妖怪を保護してるなんて、初めて知ったわ」

「人が足を踏み入れない闇の中より、人の世界に馴染もうとしている妖怪はけっこう多い。それに、君や九十九のような妖怪の血を引くものもな。退魔師は妖怪を討つだけじゃなく、そういった妖怪や人間を捜して、保護するのも大切な仕事なんだ。と言っても、まだまだ妖怪に対する風当たりが強すぎる現在じゃ、陰ながら保護するしかないんだがな・・・・」

(だが、お前のことはどうにも保護できないぞ・・・・九十九)

 

 

 PM9:05―――喫茶店「月下」

「いらっしゃいませ〜」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 壱姫と千夜が、五秒ほど、ポカンとする。

 相変わらず客のいない(まあ、平日の朝だし)店内には、見知った顔が5つあった。

 妙に明るげな様子でジュースを運んでいる三芽がいた。

 全治1ヶ月、病院で寝ているはずの十吾と百荏が、ピンピンした姿で入り口のすぐ横のテーブルについていた。

 今日、ここに来ることを断っていたハズの七香が同じテーブルについている。

 そして、三日前から姿を見せていなかったクロ助が、そのテーブルにチョコンと座っていた。

「十吾ッ、百荏ッ!? それに七香ッ。なんでここにッ?」

「それに、クロ助ッ! じゃなくて・・・・・黒杜さんッ!」

「ニャオ〜」

「にゃお〜じゃないッ!」

 首根っこひっつかんで、クロ助を目の高さまで持ち上げる。

「あんた、秦家の御先祖様なんでしょッ? それがなんで、ウチのクロ助になってるのよッ!」

 およそ先人に対するものとは思えない口調で目の前のクロ助に詰め寄る。

 パシィ!

「きゃッ!?」

 小さな衝撃とともに、壱姫の手が弾かれる。クロ助は音もたてずに着地し、俊敏な動きでカウンターの向こうに消えていった。

「ちょ、ちょっとッ――――!?」

 カウンターの陰から光が漏れる。三日目にクロ助が黒杜へと変わったときに見た光だ。

 その光は徐々に広がり、そして収縮していった。

「・・・・・・・」

「やれやれ・・・・、女の子はもちっとお淑やかにした方がいいんじゃないか?」

 カウンターの向こうで、三十代くらいの赤髪の男が立ちあがる。神影流拳霊十三代目当主、秦 黒杜だ。

「大きなお世話ですッ!」

「やれやれ・・・」

 肩をすくめ、黒杜が十吾たちの隣のテーブルにつく。

「・・・それで、十吾。お前たちなんで、ここに?」

「そーよッ。あんたたち、1ヶ月は動けないはずでしょ?」

「私が治しといたわ」

 三芽がそう気楽そうに言い、十吾と百荏の前にオレンヂジュースを置いた。

「へ?」

「私が《術》で治したの。まだ少し痛むでしょうけど、すぐにそれも消えるわ」

「ええ、病室に三芽さんが来るまでろくに動くこともできなかったのに・・・・、なんだか前より調子がいいくらいです」

「それで、治してもらった後、三芽さんに言われてここに来たのよ」

「あ、あたしも同じ。三芽さん、あたしの学校に直接来て・・・」

 3人がそれぞれここにいる理由を述べる。

「・・・・・・・・もしかして、九十九のこと」

「言わないわよ」

 三日前、何も話してくれなかった三芽が心変わりしたのかと思った矢先、いきなり心を読んだかのように、否定された。

「九十九に関することは、何も言わないわよ。三日前も言ったけど。趣味とかぐらいなら教えるけどね」

「・・・・・・・・・」

「壱姫ちゃん、女の子がそんな怖い顔しちゃ駄目よ♪」

 表情とともに気配が不穏なものに変わり始める。三芽はそれを笑顔でそれを受け流している。

 千夜たちは、こんなところが姉弟だな、と少し場違いなことを思っていた。壱姫はそれどころじゃない。

「でも、壱姫ちゃんも変わったみたいね。九十九に初めて会ったくらいの時なら、とっくにあたしに向かってきてたんじゃない。九十九に聞いた話じゃ、それくらい《妖怪》に憎しみをもってたって」

「・・・・・・今は、その時くらいに気持ちが黒くなってます」

「そう?」

「今日は、九十九のこと、絶対聞かせてもらいます」

 守薙をいれた袋を持つ左手に力がこもる。両足を肩幅ほどに開き、利き腕の右手は軽く拳を握る。

 壱姫の戦闘態勢だ。

「へェ・・・・・」

 それに気づいているはずの三芽は、それでも人懐こい笑みを浮かべたまま、壱姫と向かい合っている。

「それで・・・・、私がそれでも拒否したら?」

「そのときは・・・・・・力ずくで―――――!?」

 ゴォオオオオッ!!

 突風が吹き荒れた。いや、ここは店内。しかも窓も入り口の扉も閉まっている。風が吹くはずがない。それは、三芽の放っている殺気に似た気配による感覚的なものだった。

「力ずくで・・・・何?」

 三芽はさっきの姿勢のまま、人懐こい笑みのまま立っている。だが、身体から発する気配は完全に変わっていた。

 その場にいる全員、まるで全身に無数の鋭い刀の切先を突き付けられているような感覚に襲われ、動けなくなっていた。

 全員、蛇に睨まれた蛙のように、僅かも動けず、脂汗を滲ませている。黒杜以外は。

 黒杜は、コップに満たされた冷水を口に含みながら、その様子を眺めていた。

「あまりナメた口聞いてんじゃないわよ、神影流剣霊の次期継承者さん」

 三芽がゆっくりとした足取りで壱姫に近づく。壱姫はそれに合わせて後ろに下がろうとするが、三芽の攻撃的な気配に縛られ、身体がまったく動かない。

「いくら神影流の技と血を受け継いでいるからといっても、あなたはまだヒヨッ子」

 三芽は壱姫のすぐ目の前で足を止めた。距離に反比例するように、三芽のプレッシャーはどんどん強くなる。

「あまり自分の力と相手の力の差も見極められないで、そんなこと言ってると・・・」

 ゆっくりと手を上げ、壱姫の首筋に触れる。守薙握る左手も、袋から抜き取るハズの右手も、疾風のように駆けるための足も硬直して動かない。微笑を浮かべたまま、殺気に近い気配を纏う三芽は、今まで相対した妖怪のどれよりも恐ろしく、恐ろしいが故に目を逸らすこともできない。目をそむけた瞬間、殺されるんじゃないかという考えが頭にあり、それはとても現実味があるものに思えた。

「――――死ぬわよ」

 手にかかる細い指に力が込められる。壱姫はその瞬間、死を覚悟した。

 実際は、三芽はほんの僅か、コンビニのレシートを丸め潰す程度の力をかけただけなのだが。

「・・・・・・・・・・・・・ハァ」

 壱姫が軽く息を吐くと、まるで全身の力も一緒に吐き出したかのように、力無く、腰が抜けたみたいに、座り込んだ。

 いつのまにか、その場を支配していた三芽の攻撃的な気配が消えている。

「・・・・・九十九を斃したい?」

「・・・・・え?」

「九十九を斃したいなら、私が鍛えてあげる」

 さっきまでとはうってかわって、少し寂しげな表情を浮かべる三芽の呟きの意味を、壱姫は数瞬理解できなかった。

「千夜くん、十吾くん、百荏ちゃん、七香ちゃん」

『ハ、ハイッ!』

 なぜか、四人とも席を立ち、直立不動で返事してしまう。気配だけで戦意消失どころか、動くことさえ体が拒否してしまうほどの三芽の怖さを肌で感じた後なので、無理もないが。

「あなたたち、しばらく高校休みなさい」

『はァ?』

「明日、秦家まで来なさい。私が鍛えてあげる。200年前の・・・・神影流の長い歴史の中でも、最も強いとされた200年前の神影流六武法の当主たちを超えるぐらいにね・・・・」

「ど、どうして・・・・・、九十九のお姉さんのあなたが・・・・」

「・・・・あなたたちは、強くならなきゃいけない。私が今言えることはこれだけよ」

「・・・・・・・・」

 三芽は言葉通り、それ以上なにも言わず、カウンターの奥に引っ込んだ。

「・・・・・・」

「俺に聞くことはあるか?」

 それまで話に入ってこなかった黒杜が口を開いた。五人の視線が黒杜に集中する。

「・・・・・黒杜さんは・・・教えてくれるんですか?」

「ああ、俺の言える範囲でな」

 壱姫がチラリと三芽の方を見る。三芽は食器か何かを磨いているようで、こちらに目を向けていない。

「じゃあ・・・・、じゃあ、九十九が何であたしの父を・・・・・こ、殺したのか、知ってますかッ?」

「ああ、知ってるぜ」

「何故ですッ! 何で、父が九十九に殺されなきゃならなかったんですッ!?」

「それはだな・・・・・」

 五人が黒杜の次の言葉を待つ。僅かな間がとても長く感じる。

「九十九が・・・・・」

 ポムッ!

『へ・・・・・・』

 五人が気の抜けた声を漏らし、視線を少し下にずらす。黒杜の姿が消え、チェアーの上にチョコンと座っているクロ助の姿があった。

『・・・・・・・・・』

「にゃお」

 呆気にとられてる五人。クロ助はテーブルの上に上がり、その上においてあった数枚の紙をポムポムと叩いた。

「・・・・・」

 壱姫がそれを手に取る。紙にはいくつかの文が書いてあった。どうやら、壱姫と三芽が対峙しているときに書いていたよう

だ。

「・・・・・『猫の姿じゃ話せないなァ』・・・・・・」

 抑揚のない声で一枚目の文を読み上げた壱姫の肩が震えている。

「ふ・ざ・け・ないでくださいッ! あんた、この前、しっかりその姿で喋ってたじゃないですかッ!」

 再びクロ助の首根っこ引っつかんだ壱姫が怒りの形相で怒鳴る。

 三芽はカウンターの向こうで、押し殺した笑いを漏らしている。

「にゃッ」

「・・・・・続きを読めっていうんですか?」

 クロ助が頷く。

「・・・『からかって悪かった。俺は性根が悪いんでな』・・・『九十九のことは喋る気はない』・・・『九十九と三芽は、子供のころから知ってる。自分の子供のように思ってる』・・・『九十九に口止めされているか、自分の意思でかは知らないが、三芽が話す気が無いなら、俺も話す気は無い』・・・」

 四枚の紙に書いてある文を読み終えた壱姫は、しばらくクロ助を見つめ、そして、テーブルの上に戻した。

「・・・・・・・」

「で、どうする?」

 三芽が話に入ってくる。

「・・・・・・」

「言っとくけど、九十九は私より強いわよ。そして、私は十吾くんと百荏ちゃんが手も足も出なかった、冷那さんと疾風さんと互角に闘えるわ」

「・・・・・・・・・」

 三芽が何を考えているのかは判らない。だが、自分たちの寝首をかくといった目的ではないことは確かだ。三芽がその気になれば、真正面から闘っても、自分たち五人を斃せることは、さっき肌で感じた。

 そして、九十九はその三芽よりも強い。

 答えは決まっていた。

「・・・・・・お願いします」

 

 

 

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