「うあああああああ―――――!!」
高圧力の妖気を放出しながら絶叫する九十九の額と背に、《鬼人》の象徴である、光角と銀翼が現われる。
空間内の空気が、天井知らずに強くなる二つの《氣》の鳴動によって軋んでいるかのようだ。
「ふはは・・・・はははははッ! すばらしいッ! この肉体ッ! この妖気ッ! まるでこの世の全てを破壊できそうだッ!」
九十九とは対照的に、隗斗は恍惚とした表情で高笑いをあげている。
「隗・・・・斗・・・・・。隗斗ォォォオオオッ!」
九十九がロケットのような加速で、隗斗との間合いを一瞬で零にし、その喉を手を叩きつけるにして掴む。そのまま勢いよく壁に叩きつけた。
「・・・・」
「父さんを・・・・・父さんを返せェッ!」
「クククッ・・・、嫌だ」
「―――!」
今まで穏やかな表情しか見ていない《あたし》は、同年代である九十九の憤怒の表情に怯えた。
九十九は妖気の凝縮された拳を振り上げる。
「その拳で、私を傷つけるのか・・・。この父を」
「!?」
隗斗の顔が一瞬で、零朱のものへと変わった。九十九の動きが凍りついたように止まる。
バシッ!
九十九の隙をついて、喉を掴む手を払い上げる。そして、九十九と同じように妖気を凝縮した拳を握った。
「―――ガハッ!」
次の瞬間、《あたし》のすぐ横を、弾丸のように九十九が吹っ飛んでいき、反対側の壁に激突した。くの字に体を折ったまま、壁にめり込む。
「くくくッ! 素手でこれほどの《力》とはな・・・・。黒杜並の威力だ。ハハハハハハッ!」
零朱の顔から、自らの顔へと戻した隗斗の心底楽しいという笑いが響く。
「皆ッ、ヤツを囲むのじゃ!」
銘奈婆ちゃんの指示に、父様たち神影流の使い手が、隗斗を囲むように展開する。
「・・・・これが神影流か・・・・。やはり三芽がいなくては、私の代ほどの《力》の持ち主はそうおらぬか・・・・・!?」
自分を囲む神影流の使い手たちを見回していた隗斗の目が止まる。
父様だ・・・・。あいつ、父様を見てる。
「ほう・・・・・」
「・・・・・」
「この時代にもいたか・・・。あの男のように・・・・・」
隗斗が放つ殺気が膨らんでいく。それは物理的なプレッシャーをもっているかのような凄まじいものだ。
「黒杜のように、生まれながらにして《力》を、龍神の《力》を強く持つ者がいたかァッ!」
人のままでは追いつくことができなかった黒杜さんへの憎しみが、父様に向けられる。隗斗の行動の原点となる、とてつもなく理不尽な憎しみ。
「私の邪魔をした神影流の者ども・・・・。私と同じ血を引く父娘・・・。しかも、龍神の《力》を強く持つ男に、刹那の生れ変わりであろう娘・・・。クククッ・・・、貴様等は武たちの生れ変わりか・・・・・」
《あたし》と千夜たちが、狂気の笑みを浮かべる隗斗の視線を受け、金縛りにあったように体が動けなくなる。《力》の差が桁違いすぎるため、体が竦んでしまっていた。
「そして・・・・・・」
ガコォ・・・。
九十九がめり込んでいた体を起こし、怒りの光を宿した瞳を隗斗に向ける。隗斗も憎悪の炎を瞳に燃やし、九十九を睨んでいた。
「この場所・・・・、ここでの闘いで私は今までにない恐怖を味わった。真に人外の者の闘い・・・・。貴様と貴様の姉に受けた恐怖・・・・・、貴様にはそれ以上のものを味わってもらう!」
「うるせェェッ!」
九十九が右手に妖気を纏い、隗斗に向かって跳んだ。
「まずは、貴様の父を奪った!」
ガォンッ!
お互いの拳がぶつかり合い、余波が空洞を揺らす。
「父さんを返せッ! 父さんの体から出てけェッ!」
「そいつは無理だなッ!」
お互いの拳がぶつかり合った衝撃で弾かれ、距離をおいた二人が対峙する。
「私が零朱に憑依したとでも思ってるのか? 逆だ・・・・、この男は私に取り込まれたんだよ。貴様の大切な里人たちと同じようになァ」
ギリィッ!
かみ締めた歯が軋む。握った拳からは、食い込んだ爪で破れた皮膚からの血で濡れている。
「零朱という男は、私の《力》となった。まだ消化吸収しきれていない部分も、すぐに完全な私の一部となる」
九十九の背中の翼がさらに大きくなり、光角の光が強くなっていく。怒りで妖気が膨れ上がっているんだ。
「封印石の中で、この時を待っていたよ・・・・。貴様が安堵と歓喜の中にいるときに、一番大切なものを奪い、我が物にするこの時をな・・・・」
「・・・・・・・・」
「私は運がいいよ。おそらくお前が本気なら、今の私でも太刀打ちできんだろう。完全に取り込めていないとはいえ、零朱の《力》を加えた私を超える《力》をお前は持っている」
隗斗の言葉に、父様や他の皆が驚いている。そりゃそうだろう。だって、今だって殺気だけでこの場にいる全員を動けなくしているというのに、それでも九十九の方が《力》が上だと言っているのだ。
「零朱も、三芽も、黒杜も・・・、貴様の身内どもは貴様の《力》を過小評価している。本来なら貴様の潜在能力は零朱を遥かに超えるものだろう。だが、まだ肉体が成熟していないのに、《鬼》として覚醒したため、その《力》を使いこなせていない」
「・・・・・・」
「お前たち姉弟は、とても興味深い。姉は、《術》の天才。驚異的な吸収力で数多の術を会得し、さらにそれを自らのものとして昇華している。そして、お前は《武》の天才。おそらくお前たち《鬼人》の長い歴史の中でも、貴様ほどの《力》を秘めた者はいなかっただろう。まるで、神影流の血が混ざることで、特異化したかのような《力》を持って生まれた」
「・・・・・・」
「そうだ。もう一人いたな。貴様の弟」
「―――!」
九十九の殺気が強くなる。
「あいつも成長すれば、おそらく尋常じゃない《力》の持ち主であったろうな」
「貴様が・・・・・貴様が殺させたんだ・・・・」
《狂鬼》。怒り狂う鬼となった、鬼哭の里で見た、あの九十九と同じ状況だ。神影流の皆がその殺気で全く動けなくなっている。隗斗のように、あまりの《力》の差で攻めにいけないのではなく、身体が勝手に動くことを拒否しているのだ。
「いいのか? 貴様が本気を出せば、ただでさえあの時の貴様等姉弟のせいでもろくなっているこの空洞は、完全に崩壊。ここにいる神影流の者たち・・・・・、お前の大事なそいつらは生き埋めだ」
「・・・・」
九十九の表情に不安の色が混ざった。それとともに殺気が薄れていく。
九十九は《あたし》たちを見た。《あたし》たちがいるから、九十九は本気を出せない。
「お前は、まだ僅かな間しか本来の《力》を発揮できないのだろう? まあ、この場にいる者が皆、人質だ。お前がその僅かな時間、本気になれば、ここにいる者は死ぬ。お前自身の《力》が原因でな。そこにいる者も、それがわかってて攻撃してこないのだろう」
隗斗が父様に目を向ける。父様は守薙に霊気を込め、いつでも攻撃に出れる態勢だが、やはりそれができないでいるよう
だ。
「残念だな? あの者は強い。貴様と手を組めば、私を倒すことも容易になるかもしれん。だが、させんよ」
「なら、あの人たちを逃がして、お前と闘う! お前がいう、俺の本当の《力》があるのなら、それでお前を斃してやる!」
「無理だな。なぜなら・・・・・・」
「きゃああッ!」
『!?』
隗斗を除いた皆が愕然とした。《あたし》は、もっとだ。
《あたし》の身体が、無数の文字とも紋様ともとれる模様群に縛られ、そして宙に浮いた。
「壱姫ッ!」
千夜たちが《あたし》に飛びつくが、それより早く《あたし》の体は引き寄せられるように隗斗のところまで飛んでいく。
「うむ、さすが我が妹の転生した者だけあって、強い潜在力を感じるな。だが、今は非力だ。零朱のように体内に侵入する必要もない。指一本程度の霊印で、こいつを我が《力》にできる」
《あたし》の身体を縛る模様群、霊印はまるで凧の糸のように隗斗の右手中指に繋がっていた。
「てめェ!」
「おっと動くなよッ! この娘を、里人たちのようにされたくなかったらな」
隗斗の言葉に、九十九の動きが止まる。
「く・・・・・」
「それでいい。私は一旦、逃れさせてもらうよ。貴様はいたぶり、殺すのは、零朱の《力》を完全に手にしてからだ・・・。そうだ。もう一つ忘れていた。貴様を心をいたぶるための材料を」
「なに・・・・」
「本来、零朱ほどの巨大な《力》を持つ者は、取り込んでも、これほどの急激な《力》の上昇はしない。長き時をかけて徐々に我が物にしていくのだ。まったく別の者をとりこんで自分の《力》に作りかえるわけだからな。だが、事前にあるモノを取り込んでおいたおかげで、それが予想外に速かった。どうやら、すでに取り込んでおいた者が《ツナギ》の役目を果たしてくれているらしい。まったくの嬉しい予想外だ」
「てめェ・・・・・、まさか・・・・」
「くくくッ」
隗斗の左肩が変形して、別の形をとりはじめた。
「――――!?」
それは人の顔だった。まだ10にも満たない、幼い男の子の顔。
そして、それはあたしも知っている顔だった。《過去見の陣》と、刹那さんが見せてくれた、過去の中にいた。
九十九たち姉弟の末弟、八雲くん。
「零朱と黒杜に対するために、少しでも《力》をあげるだけに取り込んだのだがなッ。すでに死んでいたというのに、予想以上の《力》と、予想外の役目をはたしてくれたよッ、貴様の弟はなッ!」
そのとき《あたし》は、一瞬死んだと思った。九十九が殺気を向けているのは隗斗だというのに、あまりに膨れ上がったその気勢は、《あたし》の精神にも強くたたき込まれた。
「ウアアアアアガガアアアアアアッ!」
獣の咆哮。九十九が発した叫びが、空間内を震わせる。
次の瞬間、九十九の姿が消えた。そして一瞬の間もおかずに背後から響く衝突音。
ドサッ!
「――――」
隗斗がポカンとした顔で、《あたし》を見下ろしていた。
《あたし》の呪縛は解けている。身体を縛る霊印は、隗斗の右手の中指に戻っていた。地面に落ちた隗斗の右手に。
「ウウウゥアアッ!」
隗斗の背後の壁から九十九が出てきた。おそらく、ここにいた誰もがそれを認識できなかっただろうが、九十九は隗斗と《あたし》の間を駆け抜け、隗斗の右手を断って、そのまま壁に激突したのだ。
どうやら、隗斗のこの《術》は、肉体の部分で切り離されたら、効果をうしなってしまうらしい。
「これが・・・・貴様の本気か・・・・クッ!」
隗斗が《あたし》に向かって左手を伸ばす。だが、再び跳んだ九十九はその腕を掴み、今度は反対側の壁に突っ込んだ。
隗斗もろとも壁に激突する。
「ガハッ!」
壁が大きく崩れる音とともに、隗斗の声が響く。
九十九は自分の《力》をコントロールできていない。完全に《力》に振り回されてる。身体も、心も。そのため、勢いを殺すことができず、そのまま壁に激突してしまうのだ。
「ヌウガアアアアアッ!」
隗斗の頭を鷲掴んだ九十九が、まるで小石のように、その身体をぶん投げた。
「グルルゥ・・・・」
獣のような唸り声をもらしながら、九十九が隗斗に向かっていく。その姿は、《鬼哭の里》で見せた《狂鬼》よりも、さらに禍禍しい《氣》で歪んで感じられた。
「く・・・・」
起きあがった隗斗の右手が、霊印に変わり急速に伸びた。剣霊の分家の人が腰に帯びていた刀を抜き盗り、手元に戻す。
「神影流剣霊神―――!?」
すでに眼前に九十九が迫っている。どんなに熟達しても一瞬のタメがいる神威を出すヒマはない。隗斗は妖気を収束させた刀身で九十九の拳撃を防ぎ、その衝撃で後方に飛ばされた。
「彼は、完全に暴走している」
「父様・・・・」
父様が《あたし》のすぐ近くに来ていた。
「壱姫・・・・皆も。ここから出るぞ」
「え・・・・」
「もう、ここはもたない。さっきまでは九十九くんも、私たちのことを案じ、全力で闘えないでいたが、すでにそのことすら頭にないだろう」
「で、でも・・・・じゃあ九十九は?」
ザンッ!
「あ・・・・・」
隗斗が振るった刀が、九十九の右腕を、掌から肘の部分まで真っ二つに切り裂いていた。
「オオオオッ!」
「―――!?」
まるで時間が逆行したかのように切り裂かれた腕が修復されていく。その再生力に刀は、弾かれるように押し戻された。
「グルルゥゥウッ!」
ブシュッ!
『!?』
皆が一斉に怪訝な顔をする。いきなり九十九の右肩が裂け、血が噴出した。隗斗の技かと思ったが、見れば隗斗も《あたし》たちと同じような表情をしている。
「限界が近くなっているんだ。彼の身体が、暴走する《力》に耐えきれなくなってきている」
「刀路! 壱姫たちを早くッ!」
銘奈婆ちゃんの言葉に、父様が頷いた。
「さあ、行くぞ! もうもたんッ」
父様の言うとおり、この空間の耐久度はすでに限界に近かった。壁や天井が崩れ、大小の岩が落ちてくる。
「・・・・・・・」
「早くッ!」
「う、うん」
《あたし》たちは地底湖に続く亀裂へと走った。棍霊の人たちが作り出した鬼火の光を頼りに、亀裂の中を描け抜け、地底湖に飛び込む。
「・・・・・・・・」
戦闘音が亀裂の奥から聞こえてくる。《あたし》は何度も振りかえり、一番最後に、天井の穴から下がる縄梯子へと辿りついた。
「さあ、壱姫。先にいくんじゃ」
父様や銘奈婆ちゃんたちが、縄梯子のところで待っている。《あたし》たち、子供等を先に上げるつもりだ。
ドォンッ!!
『!?』
亀裂の奥から破壊音が響き、直後、土砂煙とともに隗斗が飛び出してきた。空中で弧を描き、まっすぐ《あたし》たちの方へ向かってきている。
「逃がすかッ!」
「――――ゴガアァッ!」
土煙を吹き飛ばすほどの勢いで、九十九が飛び出してきた。そして、間近にせまっていた隗斗が《あたし》たちのところに辿りつくより速く、間合いを零にしていた。
そしてそのまま重い拳撃を加える。隗斗の身体が大きく吹っ飛び、水面を撥ねた。
「・・・・・・・・」
バサァッ!
銀翼がはためき、九十九が《あたし》たちのすぐ側で浮遊する。
「早く・・・行け」
「え・・・・」
一瞬、殺気が消え去り、呟きが《あたし》の耳に届いた。だが、次の瞬間には、空間に充満するほどの高密度の殺気が、その小さな身体から放たれる。
「・・・・・!?」
隗斗が吹っ飛んでいった方向を見ると、《あたし》は驚愕した。水中から巨大な翼が水面へと突き出していた。
ザボォッ!
翼がはためき、隗斗の姿が水上へと現われる。半ば物質化している妖気の角、淡く銀光を放つ一対の巨大な翼。
隗斗が《鬼人》の姿を得ていた。
「クククッ・・・・、まだまだ《力》が溢れてくる」
手にする刀に妖気が凝縮されていく。
「神影流剣霊神威之弐――――月下霊章!」
大きく横一文字に振るった刀身から、巨大な三日月状の氣刃が放出される。
「ぬうあっ!」
九十九は、真っ向から拳撃をたたき込んだ。空間全体を揺らす震動とともに、氣刃が砕け、九十九の右腕も弾けたように千切れ飛んだ。
「・・・・・・行くぞ、壱姫」
「でも・・・・、父様」
「いいから来るんだッ!」
拒否を許さない父様の声に《あたし》は頷き、縄梯子を昇り始める。
「・・・・・・」
天井の穴に入るときに、九十九が《あたし》を見て微笑んだ。やはり一瞬だけ殺気が薄れる。
「余裕か?」
「!?」
隗斗が九十九の目前に迫る。
「神覇流閃!」
隗斗の振るった刀から、妖気の筋が無数に放出される。
「カッ!」
九十九の気合とともに、妖気が瞬間的に放出される。神覇流閃はその妖気に弾かれ、四方に散る。
「・・・・九十九」
「いくぞ、壱姫」
「・・・・うん」
穴の中に入るとすぐに《闇》が視界を覆った。《闇》の結界。光を吸収する結界が張られていて、縄梯子を手探りで探さなくてはならなく、手間取る。
ようやく昇り終え、上階で唯一、整えられた立方体の部屋に上がる。千夜たちが待っていた。
「壱姫・・・、九十九は?」
「下で・・・・闘ってる。あたしたちを逃がすために・・・・」
「あの小僧、暴走しておった。まともに精神が残ってるとは思えなかったぞ?」
銘奈婆ちゃんの言葉に、《あたし》は首を横に振る。
「だって、あたしに『早く行け』って言った・・・・。あたしがここに昇ってくるときも、安心して笑ってた・・・・・」
「・・・・・・・壱姫」
父様が《あたし》の頭を撫でる。見上げると、優しい笑みを浮かべた父様の顔があった。あたしが覚えてるおぼろげな記憶にある、父様の笑顔。
「兎に角、今は外に出よう。あの二人の闘いでは、ここもすぐに――――」
バファッ!
背後に巨大な妖気が出現した。一気に飛びあがったらしい勢いで隗斗が部屋に飛び込んできた。
「貴様等は逃がさんッ! 奴に絶望をあたえるため、貴様等は我が《力》に――――」
「ガアアアアッ!」
《闇》の結界を抜け、九十九が飛び出してきた。真下から突進し、隗斗の顎を掴んで天井へと顔面を叩きつけた。悲鳴をあげる間もなく、隗斗は砕けた天井の岩片とともに地面に落ちる。
九十九は、あたしたちのすぐ横に降り立つ。
「九十―――!?」
ブシュッ!
九十九の身体の至るところに小さな傷が生まれる。そこから血が溢れだし、身体を赤く染めていく。すぐにその傷等は塞がっていくが、すぐに新しい傷が出来た。肉体が限界ギリギリなんだ。
「貴様・・・・、どこまでも・・・・私の邪魔をするかァッ!」
血まみれの顔で立ち上がった隗斗が、九十九を睨む。その妖気はさらに増大している。
「グルルゥ・・・ガアアッ!」
九十九が隗斗に向かって、飛び出す。
「――――オオオオオンッ!!」
『―――!?』
閃光が走った。《あたし》たちのすぐ横を通りすぎ、壁を破砕する。
「・・・・・・・ヒッ!」
衝撃で吹っ飛ばされた《あたし》が身体を起こすと、すぐ目の前に、《腕》が落ちていた。肩から吹っ飛ばされていた九十九の右腕だ。顔を上げると、呆然とした表情で九十九が右腕があるはずの部分を見ている。
「《鬼閃》・・・・。どうやら、これも使えるようになったようだな」
閃光は、隗斗の口腔から放出された。九十九や、零朱さんが放ってたものと同じだ。時間が経つごとに、隗斗の《力》が増している。どんどん零朱さんの《力》を自分のものにしているんだ。
「絶望の淵に立つまでいたぶろうと思っていたが、もういいッ! 私の心の傷は、貴様の姉が開封されたときに、晴らさせてもらうことにする」
「グルルウウウウウウッ!」
「神覇斬ッ!」
ザンッ!
九十九が再び隗斗に向かって跳んだが、待ちうけたかのように振るわれた刀の一撃で、胸が大きく切り裂かれた。
「ガアアッ!」
痛みのショックで即死してもおかしくない傷を負いながら、九十九は拳を振るう。しかし、暴走による肉体の崩壊が進んだためか、先ほどまでの神速の動きではない。逆に《力》が増しつづけている隗斗は、今の九十九の動きを確実に捉えていた。返す刀で、九十九の腕を断つ。
「死ねェッ!」
切先に妖気を収束した隗斗が突きを繰り出す。《鬼人》の急所、心臓の妖気の核を貫くつもりだ。
ドスッ!
切先は九十九の右胸に埋もれ、背中から突き出した。九十九は身体を捻ることで急所への攻撃を避けていた。そのまま身体を前に出す。心臓への一撃さえ避ければ、他のどんな傷も無視できる《鬼》にしかできない、攻撃一辺倒の戦闘だ。
だけど、九十九の両腕はまだ再生していない。右腕はやっと腕の形をとり始めたところで、左腕はたった今、断たれた。
「ガアアオオッ!」
「!?」
口が裂けるのではないかと思うほど、九十九が口を大きく開ける。そしてそのまま隗斗の首に噛みついた。
ブジュッ!
「―――!?」
隗斗の首の頚動脈のあたりがバックリと抉りとられてた。九十九が口内の大きな肉塊を吐き出す。
「き、貴様はァッ!」
刀を引き抜き、首から噴水のように血が噴出しているのにもかまわず、九十九に向かって振り下ろす。
九十九は、半歩左足を後ろに下げ、身体を半身にしてそれをかわした。
「!?」
隗斗が柄から手を離し、貫手の形をとった右手を突き出す。
ギュバッ!
「ガアアアッ!?」
九十九が奇声の悲鳴を上げる。妖気に覆われた隗斗の貫手の一撃は、九十九の左目とそのまわりを抉っていた。
「・・・・・・」
《あたし》は胸にボトリとおちたものを手で受けた。見ると、血にまみれた眼球だった。神経ごと抉られた眼球があたしを見ている。《あたし》は血の気とともに意識が引いていった。そのままだとすぐに気をうしなっただろうが、そうはならなかった。
「ガアアアアアアッ!」
「ぬぅッ!」
顔面から血をあふれさせながら、九十九が重い拳撃を繰り出す。隗斗は背の翼で自分の前面を覆った。
強力な攻撃と強固な防御がぶつかり合った衝撃が、《あたし》の意識をハッキリとさせた。
「ぐあッ!?」
九十九は、視界を自分の翼で遮られた隗斗の死角から背後へと回り込み、地面に叩きつけた。そのまま足で背を踏みつけ、左翼を掴む。
「オオオオガアッ!」
「――――ッッ!?」
不快な音とともに、翼が背中から引き千切られた。隗斗の絶叫が洞窟内に響き渡る。九十九が放り投げた翼は物質化が解かれ、妖気に戻って霧散した。
九十九が隗斗の喉を掴み、壁に叩きつける。そして、大きく開けた口腔に燐光が集まっていく。
「コオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!」
閃光が口腔から連続して放出される。半ば壁に埋め込まれている隗斗は、回避も防御もできずに閃光の雨にさらされた。衝撃音の狭間に隗斗の悲鳴が聞こえる。
突然、九十九が閃光の攻撃を止めた。土砂煙の狭間から、常人なら生きてるはずも無い肉体の損傷を受けた隗斗の姿が見える。
「―――!?」
心臓を鷲づかみにされたような想いだった。ちらりと見えた九十九の横顔。
笑っていた。隗斗と自らの血で赤く染まった顔に、凄絶な笑みを浮かべ、九十九は再生した両手を振り上げた。
「ガアアアアオオオガアアッ!」
奇声をあげ、まるで喧嘩の仕方もしらない素人のような殴り方で、しかし絶対に人のものではない破壊力で隗斗を殴打した。骨の砕ける音。肉の抉れる音。肉体の崩壊はまだ続いているのに、それでも殴りつづけた。
九十九が拳を止めたときには、隗斗はほとんど原型を留めていなかった。なんとか人の形だけは保った肉の塊。そう表現するので精一杯の姿だった。
「・・・・・・・・・・・」
九十九の殺気が薄れていく。暴走する《力》も収まったのか、肉体の崩壊も止まり、徐々に身体の傷が治癒されていく。
「・・・・・壱姫」
九十九が振り返る。そして、ゆっくり《あたし》のところに寄って来た。
「大丈夫か?」
腰が抜けたかのように我知らず座り込んでいた《あたし》を起こそうと、九十九が手を伸ばす。
「・・・・い・・・・・・や」
「・・・・・?」
そこでようやく、九十九は《あたし》の様子がおかしいことに気付いたようだ。《あたし》は、九十九の差し出した手から、身体を遠ざけるように身体を後ろにずらしていた。
「どうしたんだ、壱姫・・・・・」
「いや・・・・・・・・いや・・・」
九十九の表情が徐々に不安の色を帯びていった。
この時、《あたし》には、差し出された九十九の手が、自分につけられた刃のように見えていた。
確実な、そして惨たらしい《死》を与える、狂気の刃。
「こ・・・ないで・・・・」
「ど、どうしたんだ? 皆も・・・・・」
千夜たちも同様だ。父様たちですら、巨大な敵と相対したときのものとは違う《恐怖》にかられ、口を開くこともできなかった。
『真に人外の者』
隗斗が放った言葉が思い出される。肉体も精神も、人を外れた《存在》。
「壱姫・・・・・・」
「こないで・・・・・来ないでッ」
《あたし》は言ってしまった。言ってはいけない言葉を。
九十九に対し、《あたし》が絶対に言ってはいけない言葉を。
「来ないで・・・・、化け物ォッ!」
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