第二十七章

そして今へ・・・

 

「来ないで・・・、化け物ォッ

 

「―――――」

 《あたし》に近づこうとした九十九の動きが止まる。まるで時間が止まったかのように、ジッと《あたし》を見下ろしていた九十九は、ふらりと後ろに下がり、自分の身体を見下ろした。隗斗のものか、自分のものかもわからなくなった血で真っ赤に染まった、常人ならとっくに死んでいるはずの身体。大小様様な傷があり、それは時間が逆行しているかのように、塞がっていく。

 グチュ・・・・

 九十九は自分の顔に触れた。不快な音とともに、九十九の手が左目のある部分に触れる。すでに新しい眼球がそこにあり、周囲もあと一分もしないうちに治癒するだろう。

「あ・・・・・」

 おぼつかない足取で九十九がさらに《あたし》から離れた。

「見ないで・・・・。そんな目で・・・・俺を見ないでくれよ・・・・・うあ・・・・うああああ」

 その言葉と嘆きで、《あたし》は我に返った。

 九十九は《恐れ》ていた。自分を《恐れ》る人の目を、《あたし》の目を《恐れ》ていた。

「九十九く――――九十九くんッ! 後ろだッ!」

「!?」

 父様の叫びに九十九が振り向いた。目前に閃く白刃があった。

「――――グゥッ!」

 超人的な反射で頭部への一撃を避けたが、完全には避けきれず、再生した右腕が再び切り落とされた。

「く・・・・・なッ?」

 断たれた腕が再生しない。出血は徐々に収まるが、切断面にトカゲの尻尾のような再生力が働かない。

「わすれたか? この技を」

 隗斗が九十九の目の前に立っていた。まだ完全ではないが、あれだけの傷が治癒している。

「・・・・・外道法」

「そうだ。しかもその《力》は、貴様の父零朱に向けたものよりも強力だ。貴様等の再生力でも傷口をふさぐので精一杯だろう。貴様の父を取り込んで手に入れた《力》を上乗せしたからなァ」

「・・・・・・・・」

「しかし、貴様も哀れだな。必死に護っていた相手に、化け物呼ばわりされるか。そして、それでも貴様はまだその者たちを背に闘うのか?」

「・・・俺は、確かに化け物だ・・・。だけど、そんなことは関係ない。壱姫も、千夜も、十吾も、百荏も、七香も・・・、俺が護る」

「つ・・・九十九・・・」

 《あたし》は、後悔していた。九十九はずっと《あたし》たちを護っていた。意識を暴走してさえ、《あたし》たちを護っていたのに。その九十九を絶望させた。《あたし》の一言が絶望させてしまった。

 それでも、九十九は《あたし》たちを護ると言っている。

 涙が溢れた。《あたし》は、隗斗の視線すらも遮ろうとしているかのような九十九の背中を見、何もいえず泣いていた。

「貴様は、もう先程までの《力》は出まい。《鬼人》とはいえ、《力》が無尽蔵に涌き出るわけではないからな」

「・・・・・・・・」

 九十九は確かに弱っていた。光角や銀翼は、妖気の低下で薄れている。放つ気配も、先ほどまでとは天地の差があった。

「なら、その《力》を補えばいい」

 父様が九十九の横に並んだ。

「貴様・・・・」

「刀路さん・・・・」

「娘を護るといってくれた九十九くんだけに闘わせるわけにはいかないだろう?」

 父様はそう言って、笑って見せた。

「神影流六武法剣霊当主、葦鳳刀路―――推して参る!」

「いいだろう・・・。だが、さすがにあの攻撃から回復するのに《力》を使い過ぎた・・・・」

 ブンッ!

『―――!?』

 隗斗を中心にして、床一面に陣が出現した。その陣から放出される妖気に身体を縛られ、《あたし》たちは動けなくなる。

「貴様等二人なら、すぐにその陣を破れるだろう。しかし、その僅かな時間で十分だ」

 隗斗の身体が、手や足の先から霊印へと変化していく。どうやら全身を霊印に変えるには、時間が必要らしい。そのための呪縛だ。

「刀路、と言ったな。貴様の娘が我にとり込まれる様、よく見ておけ」

「な・・・・なんだとッ!」

『その鬼の子は、貴様の娘に強く魅かれている。この者が我が一部となるとき、今までになく絶望するだろうな。どんな顔をしてくれるか、楽しみだ』

 完全に霊印となった隗斗が、二人の横を通りすぎる。

「てめェッ! 壱姫に近づくなァッ!」

「貴様、それでも人間かッ!」

『・・・・人間? そんなひ弱な存在はとっくに捨てた・・・・』

 隗斗が《あたし》に近づいてくる。《あたし》は呪縛によって、指一本動かせない。

「――――オオオオオオアアアアッ!」

 ガラスの砕けるような音とともに、九十九が瞬間的に放出した膨大な妖気に、陣が崩れた。

 ダンッ!

 父様が、その一瞬後に《あたし》に向かって飛び込んだ。《あたし》を突き飛ばし、すぐさま霊印の群れに守薙を向ける。

 ズンッ!

「―――ッ」

 刀の切先が、父様の胸から生えていた。霊印に姿を変えたとき、隗斗が地面に落とした刀だ。霊印の一部がそれを持ち上げ、父様を死角から襲いかかっていた。

「父・・・様・・・」

『娘よ、貴様の霊気の波長は、我が妹、刹那と同一のもの。魂を同じくする転生体でなければ、そんなことは起こらん。そしてそれは貴様が、私がもっとも憎む者の一人であるということだ。絶望しろ。貴様の父は、貴様を護るために傷つき・・・、そして、私の《力》となるのだからなッ』

「嫌アアッ!」

「待てェッ!」

 《あたし》と九十九が飛び出す。しかし、それよりも早く、霊印となった隗斗が父様の傷口から進入してしまった。

「・・・・あああ・・・ウアアアアッ!」

 父様が苦悶の叫びをあげる。皆が唖然としていた。

「刀路・・・・」

 銘奈婆ちゃんが呆然と呟く。あたしの父様が、隗斗へと変わっていく。

「フハハハハハハッ、やはりなッ! 剣霊の血だッ! この《力》、すばらしいッ!」

 隗斗の《力》が急激に、零朱さんをとり込んだ時よりも、さらに強大なものになった。まだ残っていたダメージが一瞬にして、吹き飛んだように、消えた。

「あやかしの肉体となったとはいえ、同じ血族の《力》はすぐに我が物とできるようだ・・・・・」

「てめェ・・・・てめェはァアァッ!」

 バシィッ

 九十九が突き出した拳を、隗斗が掌で受けとめる。隗斗は見下すような目と笑みで、九十九は憎悪で赤く光ってさえ見える瞳で、お互いがお互いを睨みつけている。

「まだ闘るか? 片腕を失い、《力》も尽きかけている貴様が、今の私と」

 ブンッ!

「うお!?」

 棒ッ切れでも投げたかのように、隗斗が九十九の身体を放り投げる。九十九は空中で態勢を立て直し、着地した。

「もう、私に敵はいない・・・。《力》で溢れる・・・。今の状態でこれなら、あの二人の《力》を完全にとり込めたとき、どれほどのものになるか・・・・・」

 絶望。たしかに、絶望していた。九十九の気持がやっと理解できた。身をもって。

「―――うわああッ!」

 目の前に落ちていた守薙を握り締め、隗斗に向かって跳ぶ。《あたし》の霊気が守薙に流れ、梵字に煮た文様が浮かびあがった。

「ヌルい」

 《あたし》の剣撃を、隗斗は右腕で受け止め、そのまま《あたし》ごと弾き飛ばした。

「―――貴様らも動くなッ!」

 隗斗に向かって攻勢に出ようとした銘奈婆ちゃんたちが、隗斗の放った殺気に縛られ、金縛りにあった。完全に《力》の差がありすぎて、蛇に睨まれた蛙の状態だ。

 銘奈婆ちゃんたちが身を震わせ、隗斗を睨む。攻撃どころか、身体を動かすこともできない。これ以上ない敗北感だ。

「オオオオオオオッ!」

 身を切り裂くような殺気の中、九十九だけが動いた。再び隗斗に跳びかかり、左の拳を隗斗の横っ面に叩き込む。

 だが、隗斗は僅かに身動ぎしただけで、まったく効いた様子がない。

「もう終わりだ」

「ガハッ!」

 隗斗が九十九の首を掴み、地面に叩きつけた。

「貴様らの《力》はいらん。絶望させ、この手で殺すのが私の望みだ」

 隗斗が、逆手に握った刀を掲げ、切先を九十九の胸に向ける。

「さあ、死――――」

 隗斗の動きが止まった。刀を振り上げた状態からピクリとも動かない。

「なんだ・・・・。身体が動かん」

(私を殺せッ、九十九!)

『!?』

 全員がハッとする。頭の中に直接たたき込まれたような声がした。

「・・・・・父さん?」

(そうだ)

「馬鹿なッ! なぜ、お前の意識がッ!?」

 隗斗が驚愕している。自分を地面に押し付けている力が緩んだすきに、九十九がその手を弾き、その場から飛び退いた。

(お前は、まだ私を完全にとり込んでいなかった・・・・。そこにもう一人、強い《力》を持った者を取り込んでしまった)

「霊印合逢の強制力が・・・・・追いつかないのか!?」

(そうだ。お前の術は、刀路殿の方に集注している。しばらくの間なら貴様を止めることもできるさ)

 ギュンッ!

 地底湖へ通ずる穴から、一本の剣が飛び出した。滑らかな曲線を描く刀身を持つ両刃の剣。

「裏の・・・天叢雲剣」

 九十九が、目の前に浮かぶ剣を手に取る。200年前、隗斗を封じる核として使った、三種の神器と対になる法具の一つ、魔神器の剣だ。

(それでこの男を・・・・私を斬れ!)

『!?』

(完全にとり込まれていない今しかないんだ。この男が我等の《力》を全て奪う前に、我等を殺せ。そしてこの男を今一度封印するんだ!)

「そんな・・・・・」

(その剣で封滅するだけでいい。その《力》を受け入れ、我等は滅びよう。そうすればこれ以上、この男の《力》が上がることはない・・・・。そして、不完全とはいえ、我等をとり込んでいるこの男にも大きな深手を負わせられる。そのまま封印するんだ)

「さ・・・させるかァッ!」

 隗斗が自分の《内》に意識を集注させていた。無理矢理、零朱さんをとり込むつもりだ。

(は、早くしろッ! 私の意識も・・・・すぐに消えてしまう・・・・)

「嫌だ・・・・嫌だよ・・・。俺が父さんを殺すなんて・・・・」

(・・・・・・・・・・誇り高き剣霊の者よ。我等の意思、一つとして願わん)

「う・・・・うおおおお!?」

(しばしの時、我等の意思解き放たんがため、一つと成らん!!)

「ぬうあああッ!?」

 バシュンッ!

 隗斗の妖気が弾け、場が一転して静まった。

「・・・・・・九十九くん」

「・・・・!?」

「父様・・・・・」

 隗斗の姿が、父様のものへと戻っていた。

「君の御父上が力を貸してくれてる・・・。しばらくだけなら、隗斗の意識を抑え込んでいられそうだ・・・・。さすがに《力》の持ち主を二人同時に相手はできないようだ」

 父様が《あたし》に顔を向け、いつもの優しい笑みを浮かべた。

「すまない、壱姫。日に日に母さんに似てくるお前の成長を見続けたかったが、それは無理のようだ」

「父様・・・・、いやだよ。そんなの嫌だよっ」

「・・・・九十九くん、酷なことを強いるが、御父上の言うとおり、我等を滅ぼしてくれ」

「刀路さん・・・、だって・・・そんなこと・・・」

「・・・・君は壱姫のことを好いてくれてるね?」

「・・・・・・」

 父様がフッと小さな笑みを浮かべる。

「このまま、この剣霊の一族の忌まわしい男によって、君も、そして壱姫も・・・千夜くんたちも殺される・・・ううッ!」

「刀路ッ!」

 銘奈婆ちゃんが父様に向かって駆け出す。しかし、父様はそれを手で制した。

「母上・・・」

「・・・・・・・・」

 しばらくの間を置き、銘奈婆ちゃんが決意を秘めた目で頷く。

『そろそろ・・・・、私達二人の悪あがきも・・・消えてしまう・・・・』

 父様と零朱さん、二人の声が重なった。徐々に顔つきや身体つきが隗斗のものへと戻っていく。

『九十九・・・、男なら、一番大事な者のために動け・・・・。我等はそれが出来なかった・・・・』

 零朱さんは、目の前で隗斗に静さんを殺された。

 あたしの母様は、生まれつき身体が弱く、あたしを産んですぐに、あっさり逝ってしまったという。

 二人とも、最も愛する者の死を見取らねばならなかった。

「父さん・・・・刀路さん・・・・」

 九十九の頬を涙が伝う。左手に握られる魔神器の剣は、九十九の妖気に反応し、淡く光を帯び始めていた。

『・・・・・さらばだ。我等の・・・子等よ』

「父様ァッ!」

「―――――ウアアアアアアッ!」

 九十九が跳ぶ。《父様達》に向かって。

 魔神器の剣を突き出す。全てを受けとめる穏やかな笑みを浮かべた《父様達》に向かって。

「―――――」

 青白い霊気に覆われた剣は、吸い込まれたように《父様達》の胸に向かい、そして貫いた。そしてそのまま九十九の手から離れた剣に押されるように、地底湖に続く穴を超え、壁に叩きつけられる。

 背中から飛び出した剣が壁に食い込み、《父様達》は張り付けのような格好になっている。

「・・・・・・・・」

 ピシッッ!

 《父様達》の周囲の壁が崩れ、岩片が身体に張りついていく。封印が始まっていた。

『よく・・・やってくれた・・・。だが、この男は、数年後・・・・長くても10年の内に復活する。今のお前の《力》では、これが限界だ・・・。《力》をつけろ・・・。今度こそ・・・、誰もこの男の馬鹿げた野望の犠牲にならない・・・ように・・・』

 意識の声が完全に途切れた。二人の《命》が、完全に散った。

 

 バシュゥッ!

 

 封印が完成する。壁のほぼ中央に人の形の出っ張りができ、それに剣が突き立っている。

「・・・・・・・・」

 九十九がフラついた足取で、数歩それに近づいた。

「・・・いやだ・・・いやだ・・・いやだ・・・いやだ・・・いやだ、いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァァアアアアウウウアアアアアアアアアアア――――――ッ!!」

 狂ったように叫ぶ九十九が、跪いて、拳を地面に叩きつける。

「ウワアアアアアアァァアアアアァアアッ!」

 《あたし》は狂いたかった。狂って、この絶望を忘れてしまいたかった。

 だけど、自らの手で決して望まない結末をもたらした九十九の悲痛な叫びが、《あたし》の意識を縛り、それを許してくれなかった。

「アアアアアアア・・・・・アアアア・・・・・ウウウ・・・・・」

 徐々に叫びが嗚咽に変わり、そして途切れる。

 九十九は立ち上がり、背をまっすぐにのばした。

「・・・・」

 隗斗を封印した壁に向かって何かを呟いた。《あたし》には聞こえなかった。

 九十九は、振り返り、《あたし》と千夜たちを一度見回した。

「・・・ごめん」

 一つ呟き、そして左手を前に突き出す。

 ィィィィィィイイインッ!

『!?』

 《あたし》たちの額に紋様が浮かびあがる。

「俺は君達を護るよ・・・・。あいつに負けない《力》をつけて・・・・、ずっと・・・何者からも護ってみせる・・・・」

「つ、九十九・・・・」

「これは・・・・なんなんだ?」

 鈍い頭痛がする。九十九と出会ってからのことがどんどん脳裏に浮かび、そして流れていった。

「君達に恐れてほしくなかった・・・・、あんな姿を見られたくなかった・・・・。だから・・・、君等の記憶から、俺を消す」

「消す・・・って・・・・九十九・・・・」

 意識が遠のきはじめた。それに抗おうとするが、とても打ち破れるものではなかった。

「俺は強くなって・・・・・、君等を護る・・・・。だから・・・・」

 九十九が泣いていた。いつもの、気の抜けたような笑みを浮かべたまま、止めど無く溢れる涙で頬を濡らしていた。

「だから、その時まで・・・・・サヨナラだ」

 その言葉を最後に、《あたし》の意識は闇に落ちた。

 

 

 

 9月19日(土)―――深夜。

 秦家屋敷―――道場。

「・・・・・・・・」

 壱姫は、瞼を開け天井を見つめていた。頬が涙で濡れていた。

「・・・・・・!?」

 かけられていた布団を跳ね除け、上体を跳ね起こす。見れば、広い道場内に敷かれた布団で寝かされていたようだ。周りには千夜達もいて、壱姫と同様の姿勢と表情で互いを見ている。

「お目覚めね」

『!?』

 五人が声のした方に視線を向ける。三芽が道場の入り口の側で、壁に背を預けていた。

「どう? 《真実》は」

「・・・・・・・あたしのせいなの?」

「ん?」

「あたしのせいで、父様は死んじゃったの? あたしのせいで九十九は傷ついたの?」

 壱姫は焦点の合わない眼をして、呟いている。

「あたし、九十九のことを化け物って・・・・。九十九がそんな呼ばれ方されるのが嫌なのを知ってたはずなのに・・・・。九十九は、あたしたちを護るために、あんなに傷ついてたのに・・・・・」

 止めど無く涙を流す壱姫に、千夜たちは何も言えない。

「・・・・・・・」

 三芽が壱姫の側で膝をつき、懐から赤い石板を取り出す。

「壱姫ちゃん、これを預かってて」

「・・・・・・これは」

 三芽から渡された石板を眺める。水晶のように、半透明な石板には、見たことのない刻印が刻まれていた。

「それは、九十九を甦らせるために必要なものを封印した、封印石よ」

『―――!?』

 五人が驚愕する。三芽は、確かに九十九を甦らせると言った。

「九十九が・・・甦る・・・?」

「ええ、《鬼人》の《母》命媛様の御力でね。100%成功するとは言えないし、おそらく、私がそれを行うことを予想している、あの男にとっても絶好の好機だから、それも相手にしなくちゃならない。キツい事になるのは確かだけどね」

「あの男・・・・。葦鳳 隗斗。絶好の好機って?」

「あの男が命媛様の《力》を欲しているのは知ってるでしょ? だけど、あの方のいる《大封印》の中には、真鬼の洞の《門》を通らないといけない。決して招きいれられることはないから、他の者に便乗しなけりゃならないの。そして、九十九を甦らせるには、まず命媛様のところに行かなきゃならない・・・・」

 五人はそれで納得いった。《門》を開いたときの零朱の言葉からして、命媛自身が招かないかぎり、あの《門》は現われない。命媛が隗斗を招き入れるはずがないのだ。

「・・・・・・九十九は、それを望んではいなかったけど、この世に残った唯一の家族は失うわけにはいかない」

「でも、九十九を生き返らせるなんて、本当にできるんですか? 蘇生術によって、まともに甦った者なんていないんですよ?」

「十吾くん、それは《反魂の術》の事ね?」

 十吾は頷き、三芽の言葉を待った。

「知ってる? 《反魂の術》は、鬼が人に伝えた術なのよ」

「鬼・・・・・」

「だけど、それは、本来のものとはまるで違う、不出来なもんなの。もともと《反魂の術》とは、命媛様が持つ《力》の一つ。それを《術》として使えるようにしたのが、いわゆる《反魂の術》」

「・・・・・不完全な術。それでは、命媛様の本当の《反魂》を使えば、九十九は甦るの?」

 壱姫の言葉に、三芽はしばらく答えるのを躊躇した。

「・・・・・・絶対とはいえないわ。もともと蘇生処置とはいえない、自然の摂理を犯す術だからね。時や状況が限定されるし、それを全て満たしたとしても、成功率は5割に満たないハズ。過去《鬼人》の一族がそれを行ったのは、5回。そのうち3回は失敗に終わってる。そして許されるチャンスは一度だけ・・・・・」

『・・・・・・・』

「それでも、やらなきゃ完全に0なの。だから、あなたたちの力が必要なの」

「・・・・・・・」

「だから・・・・」

 三芽が壱姫の両肩を掴む。

「力を貸して・・・・・」

「・・・・・はい」

 壱姫が頷く。

「・・・・ありがとう」

「御礼なんていいです。だって、あたしのためにあいつは死んじゃったんだから・・・。だから、今度はあたしが命を賭けても・・・」

「壱姫ちゃん・・・・」

(・・・・・壱姫?)

 壱姫は決意を秘めた瞳で三芽を見ていた。だが、千夜はその瞳に、不安の色が混ざっていたことに気付いた。

「話は決まったな?」

「え・・・・、あ、黒杜さん」

 黒杜が道場に入ってくる。

「だったら今日はもう寝な。三芽が癒したっつても、あれだけの激戦の後だ。疲れは寝て治すが一番」

「は・・・・はあ」

「どうせ、奴等は俺達が、また鬼哭の里に乗り込むまで、ちょっかい出してこねェだろからな。ゆっくり休めよ」

「あ・・・黒杜さんッ」

「ん?」

 外に出ようとした黒杜を千夜が呼びとめる。

「なんで、隗斗達が手を出さないなんて判るんですか?」

「そうよ、私達を狙うなら、今が一番じゃない?」

 七香のもっともな言葉に、黒杜は首を振る。

「あいつは、根性が悪い」

『は?』

 意味不明だったため、五人の声が重なる。

「妖怪化しちまってからはそれが悪化してる。あいつは自分に対するものが、もっとも希望をもっているときに、それを絶望に変えるのが好きなのさ」

「・・・つまり、僕たちが九十九を甦らせるために、鬼哭の里に乗り込んだときに・・・・・」

「容赦なく叩き潰して絶望させる・・・・ってわけか。なるほど、隗斗からして見れば、俺達も憎い相手の生まれ変わりだからな・・・・」

「そういうことだ」

「・・・・じゃあ、お休みね」

 そう言って、黒杜と三芽は道場から出た。

「・・・・・・そういや、俺達、なんで道場で寝かされてるんだ?」

 

「よお。なんであいつら、あんなところで寝かせるんだ?」

「泣いてる和恵さんの姿、あの子達に見せる気?」

 三芽が屋敷に目を向ける。

「・・・・和恵、か。秦家の分家の人間だったな。まあ、あの女には、九十九の血筋とかは、関係ないだろうが・・・」

「たとえ一族の血が流れてようと流れていまいと、和恵さんにとっては、九十九は本当の息子よ。今夜一晩は、泣き続けるわ。私は、あの人のそんな姿は見たくないし、壱姫ちゃんたちに見せて、さらに傷を抉るようなことにはしたくない・・・」

「・・・・・お前は冷静だな」

「・・・・・・」

 三芽の肩が震える。

「私まで動転してちゃ、話になんない・・・・。九十九を甦らせるために、私が要になるんだから」

「・・・・・もう一度聞くぞ。本当にいいのか?」

「・・・・・・・・・」

 黒杜が真剣な面持ちで問うた。対する三芽は何も答えない。

「《反魂》は、命媛の《力》だけでは完成しない。肉体の再構築、そして切れた魂と肉体との再連結には、膨大な妖気の供給が必要なんだろう? 大妖と呼ばれる強大な妖怪、それが命を削るほどの妖気消耗だ。それを、お前はやろうとしている」

「・・・・・・多分、他にもいるでしょうね。あの馬鹿弟のために命をかけてくれそうな人が」

「そうだろうな。古株の妖怪には、お前等一族に救われた者たちも少なくない。《反魂》に足りうる妖気をもった妖怪だっているだろうさ」

「でも・・・・、これ以上巻き込めない」

「・・・そうだな。これは俺達神影流と、お前等《鬼人》が片付ける問題だ・・・。だから、お前が「やる」ってェ言うなら、俺も

止めない。だけどな・・・・・」

「だけど?―――!?」

 黒杜は三芽の引き寄せた。三芽の頭を片手で抱くように身体を密着させる。

「俺の前で、強がるのはよせ。今は九十九すらいない。お前に最も近いのは、俺なんだからよ」

「・・・・・・・」

 三芽の身体が震え出す。胸にしがみつくようにして、泣いていた。

「・・・九十九も・・・九十九までいなくなっちゃったら・・・私、本当に一人になっちゃう・・・。あいつの・・・、たった一人のために・・・」

「ああ・・・・、零朱も、姉貴も、八雲も・・・・。だから、九十九とお前だけは、隗斗の餌食にしたくねェ・・・・。本当は、お前がやろうとしてることだって止めてェよ」

「・・・・止め・・・ないでね、叔父さん」

 三芽が黒杜から離れ、涙を拭う。表情は、いつものものに戻っていた。

「今の私は、この国でも有数の《力》の持ち主よ。万全の状態なら隗斗とだって闘える自信もあるし、私の妖気なら、命媛様の《反魂》にだって耐えられるかもしれないわ」

「ああ、そうだな。たった6年だが、お前は強くなった。九十九だって、そうだろう。・・・・・・なあ、一つ聞いていいか?」

「なに?」

「《鬼》っつーのは、《破壊》の種族だ。どれだけ温厚なやつだろうと、操る《力》は《破壊》の一点のみ。だからこそ、《鬼》は伝説となっても恐れられる。だが、お前等は違うだろう?」

「そうね。《破壊》一点のみに特化した種族が《鬼》よ。私の《術》の才能は、本質的な部分は《創造》。《破壊》とは対極にあるものよ。それに、隗斗の《百鬼夜行》を受けたとき、九十九は壱姫ちゃんに自分の《命》を分け与えることで、死に至るほどのダメージを癒した。そんな《力》を持つ者は、《鬼人》の一族にはないわ」

「《鬼》を超える九十九の《力》、本来あるはずのない癒しの《力》。そして、お前の術師としての《力》。異端ともいえる、お前等は《力》は、なぜ生まれたんだろうな?」

「・・・隗斗のいう通り、《鬼人》の父さんと、拳霊の母さんの相性が良かったのかもね。でも・・・・・、他に必然があったとしたら・・・・人と魔の世界の節目だからかも」

「人と魔の世界の節目?」

「・・・・妖怪の間じゃ、当たり前に語られてる世の流れのこと。1000年という単位で《人の刻》と《魔の刻》が訪れるというものなの。星、地脈などの諸々の影響で、妖魔の活動が活性化したり鎮静化したりするの」

「節目ねェ・・・・。じゃあ、その節目がもうすぐ来るってのか?」

「ううん、もう始まってるの。私たちが生きていた本当の時代にね。そして、これから2、300年でピークを迎え、そして下降期に入り、再び《人の刻》へと変わる・・・」

 三芽の言葉に、黒杜が複雑そうな表情をする。

「本当にそんなもんがあるのか? よくある予言話の類じゃねェのかよ? えーと、なんつったかな・・・・ノ・・・ノスタラ・・・」

「ノストラダムス?」

「そう、それだ。昔ッからその手の話は多いだろう?」

「命媛様から聞いた話よ。信憑性は高いわよ。それでね、《魔の刻》の発生期には、特殊な妖怪や、能力が特化した妖怪が数多く生まれるそうなの」

「それが、お前等だってのか?」

「さあね?」

 自分で振った話に、三芽が首を傾げる。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それに私にとって、そして多分、九十九にとってもそんなことは関係ない。私達には、奴に対する《力》がある。私たちにとって重要なのは、それだけよ」

「・・・・・・まあ、頑張れ。そしてなるべく死ぬなよ」

 三芽の表情に、何かを諦めたような表情をした黒杜が、三芽の頭を撫でる。まるで子供にしてような行為だが、三芽はそれをいやがらない。

 黒杜は、父なのだ。実の父である零朱、この時代で三芽を受け入れてくれた、峰家の両親。そして、幼き頃から、実の子供のように接してくれた黒杜は、いつもこうして三芽たちを見守り、触れていてくれた。

「外敵からはいくらでも護ってやる。だが、お前のやることには、俺は手助けできねェんだからな」

「わかってるわよ。私は私のやれることをやって、そして生き残る。それだけはやってみせるわ・・・・」

 三芽が空を見上げる。

 月は、まるで今の自分たちの状況を表すかのように、厚い雲に防がれてその姿を見せなかった。

 だが、その雲を跳ね除けることができれば、月は必ずそこにいる。

 《希望》と言うのは光は、そこにあるのだ。

 

 

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