第三十一章

異心一心

「ゼェッ、ゼェッ!」

「フゥゥ〜〜!」

 千夜と雷過が向かい合った状態で、荒い息をついている。致命傷はないものの、双方とも全身に傷だらけだ。

「―――ゼエエッ!」

 千夜が一気に間合いを詰め、雷氣を纏った緋槍を振り下ろす。

「ぐッ!」

 半歩下がった雷過の肩が浅く切り裂かれ、獣毛と血が宙を舞う。

「ごおおッ!」

 雷過の右掌が雷撃に包まれた。

 ゴッ!

 巨大な拳を槍の柄を盾にして受けとめる。が、外見以上の雷過の剛拳が、千夜の身体を小石のようにふっ飛ばした。

「神影流槍霊―――!?」

 空中で身体を捻り木の幹に着地した千夜が、霊技を放とうとした瞬間、バッとその場からさらに飛び退き、雷過との距離を空けた。

「・・・・・この氣は・・・」

「三芽の氣だな。この鬼哭の里を分かつ、《壁》を超えて波動が伝わってきたってことは・・・、本気になったってことだ。まあ、今の隗斗が相手では、あたりまえだろうが・・・・」

「あの男が、壱姫たちのところにいるのかッ!?」

「ああ・・・、どうする? 今のあいつは、吸収した二つの大きな《力》を完全に使いこなしている。お前たちが幼い頃に出会った奴とは桁違いだぞ」

「・・・・・・・・」

 千夜が槍を雷過に向け、僅かに腰を落とす。

「来るか・・・・、本気で」

「ああ、もう、後のことを考えてる場合じゃなさそうだ」

 

 

(この小っこいの、なんだ?)

(これはねェ、私が作ったロボット)

(ろぼっと? このヒョコヒョコ歩いてるの、ろぼっと、ってェのか?)

(うん、初めてまともに動いたやつでね)

(なーに、してんの? あ、チビ太?)

(・・・・妙な名前つけないでっていってるでしょ?)

(チビ太でいいじゃん、可愛いよ)

(チビ太か。ピッタリじゃないか?)

(二人ともセンスなーい・・・・。これはね、私が最初にまともに作れたものでね・・・、お守りみたいに持ち歩いてるの)

(へえ・・・)

(まだ片手でもてるぐらいで、玩具と変わんない機能しかないけど・・・・、そのうち、誰も作ったことがないような、人間と変わら

ない動きができる二足歩行のカッコイーのを作るのが、私の夢)

(ふーん・・・、見た目より重いな)

(あ、これね、ここを押すとね・・・・)

(ん・・・? あっ、それダメ―――)

(あ)

(あ)

(あッ!?)

(・・・・・・・・)

(・・・・・・・・)

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

(もげた・・・・)

(落ちちゃった、ね・・・・)

(・・・・・・・・この、アホどもォォォッ!!)

 

「・・・・・・・・・あ」

 七香が目を醒ます。しばらくボーゼンとしていたが、地響きとともに届いた轟音に、現状を思い出し、上体を跳ね起こす。

「ぐッ・・・・ううぅ」

 全身に激痛が走る。

「とっさに・・・・霊気を収束して盾にしたから・・・・・この程度で・・・済んだみたい・・・・ね」

 気の幹をよじ登るようにして、なんとか立ちあがる。視線を上げると、何本かの木が幹の中ほどで折れている。

「アバラが何本もイってるし・・・、内臓にもダメージがいってるかも・・・・。前の私だったら・・・体が二つに分かれてた・・・」

 苦痛にうめきながらも、七香は皮肉げな笑みを浮かべた。

「・・・・・・・アハハ、そうだった」

 夢を見ていたことを思い出す。封ぜられていた故に忘れていた、懐かしい思い出。

「たしか・・・・、あいつ、詫びにナンでもするから、って土下座してたなァ・・・・・」

 周りに視線をはしらせ、地面に落ちている自分の弓を見つける。ゆっくりと、おぼつかない足取りで、弓に近づく。

「結局・・・、あの後、すぐに、あの《事件》が起こって・・・・・。あの約束、まだ有効・・・・よね」

 ドシャッ!

 フラついたままに倒れ込んでしまい、それだけのショックで、全身に激痛が襲いかかってくる。

「ぐうぅッ! ・・・・・・、私の・・・・」

 弓に手が触れていた。弓をしっかりと握り締め、顔をあげる。

「私の夢・・・・手伝って・・・もらうわよ・・・・九十九」

 少しでも体を動かせば死にそうなほどの苦痛が全身を包む。

「その・・・ために・・・・、まず、あの・・・・トチ狂ったのをなんとか・・・・しないとねェ!」

 痛みを抑え込むように、歯を食いしばったままに口の端を吊り上げるような笑みを浮かべ、七香は一気に立ちあがった。

 

 

「行けェ!」

 三芽の意思に反応し、黒鎖が無軌道な動きで隗斗に襲いかかる。

「ダメェッ!」

「え?」

 黒鎖が壱姫の剣撃に弾かれた。物質化が解けた鎖が妖気へと戻り、空中に霧散していく。

「壱姫ちゃん・・・・」

 チャキッ

 壱姫が緋剣の切先を三芽に向ける。

「三芽さんッ、あなたは闘っちゃダメですッ! 九十九のことも判りますッ! あたしたちが傷ついてくのを怒ってくれたのも、結構嬉しいしッ、父様たちのことで頭に血が昇るのもしょうがないですけどッ!」

「・・・・・・」

 切先が隗斗へと向けられる。

「三芽さんは、闘っちゃダメです。反魂を行うには三芽さんの妖力が必要なんだから!」

 ザッ!

 黒杜が壱姫の横に並ぶ。

「だから、お前は下がってろ。こいつは―――」

「あたしたちが斃しますッ!」

 二人がそれぞれの流派の構えをとる。対する隗斗は、一度小さな笑いを漏らし、壱姫と似た構えをとった。

「・・・・・・・」

「七香なら大丈夫だ」

 表情の僅かな翳りから心情を読み取り、黒杜がそう言うと、壱姫が小さく驚く。

「・・・・刹那も同じ顔をしたからな。ハハハッ!」

「なんです?」

「まるで、200年前に戻ったみてェでよ。よく刹那と肩を並べてたよ」

「・・・行きますッ」

「応ッ!」

 二人の霊気の放出が、周囲の空気を震わせ、木々が揺れる。

「・・・・・・・」

 まるでそれに対抗しているかのように、隗斗の身体から放出される妖気が増大する。

 ビリビリッ!

 異なる二つの氣が、互いの中央で小さく弾ける。

「オオオオォォォオオオッ!」

 雄叫びとともに、黒杜が飛び出した。次の瞬間、隗斗も黒杜に向かって疾走する。

「金剛砕!!」

「神覇斬!!」

 互いの霊技がぶつかり合う。が、正面衝突ではなく、拳の軌道を強引に変えた黒杜の金剛砕が、隗斗の刀を横に弾いていた。

「セェェアッ!」

「チィッ!」

 黒杜の背を飛び越えた壱姫が、僅かにバランスを崩した隗斗に向かって、緋剣を振り下ろす。が、二人の間に割り込んだ銀翼が、壱姫の渾身の一撃を食い止めた。

「砲砂爆!」

 間髪いれず、黒杜が放出系の霊技を放つ。しかし、無数の霊気粒は、もう一方の銀翼によって、弾かれる。 

 ブォンッ!

 隗斗の剣撃が空を切る。二人は、一瞬の差で、その剣撃から逃れ、間合いをとっていた。

「やっぱり、あの翼がやっかいね」

「二人がかりで攻撃が追っつかねェからなァ」

 隗斗がジリジリと間合いを詰め始めている。放つプレッシャーは、数センチ近づくだけでも大きくなっていく。

「まあ、俺が身体張るから、お前は隙を見て攻めに入れ」

「・・・そんな闘い方だと、黒杜さんの身体がもちませんよ」

「気にすんな。俺はもともと頑丈だ。そう簡単に壊れたりしねェよ!」

 ダンッ!

 先程と同じように黒杜が隗斗に向かって突っ込む。黒杜の両腕に装着されている手甲と、隗斗の刀が数度ぶつかり合い、余波が地面を揺るがせる。

「セェェアッ!」

 バギンッ!

 隗斗の剣撃が黒杜の左腕の手甲を砕く。霊気を帯びた金属片が宙を舞い、陽光を反射していた。

「甲円掌!」

 隗斗の繰り出した、手甲の防御が無くなった左からの剣激を霊気を凝縮した拳で受けとめる。

「オオオオッ!」

「セアアアッ!」

 再び黒杜と隗斗の拳と剣のぶつかり合いが再開された。

「・・・・・・・・」

 壱姫は動かず、二人の攻防を見ていた。技量は互角。剣術と無手術というハンデはまるでないような闘いだ。

 だが、劣勢に入るのは間違い無く黒杜であると、壱姫は理解していた。

(互角に見えるけど、隗斗には父様達の力を持ってる。黒杜さんは、その差を補うために、一撃一撃に、霊力をかなり削っている・・・・。長引けば、勝機が薄くなるだけ)

 壱姫は、幼い頃、父親から見聞きしたことを思い出していた。

 あれは、初めて神威という霊技を見たときだった。

 

『壱姫、今のが剣霊の神威の一つ、神龍鋒閃だ。だが、これだけの威力があっても、神威という技は神影流の《奥義》ではないんだよ』

 

『神影流の奥義とは、壱之技(いちのぎ)、つまりそれぞれの流派における基本となる霊技のことを差す。剣霊においては、神覇斬がそれにあたる』

 

『神覇斬などの基本の技は、使い手の修練の差が顕著に出る。神覇斬は、私達の剣の熟練と霊力の高まりによって、どこまでも威力をあげていく』

 

『そして、神影流の《壱之技》は、一つの点へと集中された《心》によって、奥義と為す。あらゆる者を越える精神力が、培ってきた全てのものを昇華し、神影流の奥義を呼び覚ます――――』

 

『ただ、この奥義を使えた者は、少ない。かくいう私も一度も使えたことがないものだ。神覇斬を昇華する精神力。それがどんな境地の中で手にいられるものなんだろうな』

 

 シュオオオオッ!

 緋剣に霊気が収束していく。ほどなく、壱姫は、自分の使える最高出力の霊気を緋剣に纏わせていた。

 だが、それでも奥義とよべるほどの威力は出せない。神威の方がまだ断然に威力が上だろう。

「かわされたら、その隙に殺されてもかまわないくらいの覚悟で・・・」

 精神を研ぎ澄ませながら、今だ激しい攻防を続ける二人に、近づく。が、すぐに足が止まった。

 決死の覚悟―――それだけで奥義が成せるとは思えなかった。まだ何かが足りない。

 すべてを超えるほどの精神力。

「どうすれば、そんなものが手に入るの・・・。何を思えば・・・」

 

 ―――何も考えずに、ただ目の前の敵を、どうしたいかを決めな―――

 

「!?・・・・・・」

 頭の中に、声が響いた気がした。もうずぅっと聞いていないような、懐かしささえ感じる《声》。

「目の前の敵を・・・・隗斗を・・・どうしたいか」

 視線を隗斗に向ける。

「隗斗を――――――」

 いつもより乱暴な―――誰かを真似したような口調で、それを決めた。

「ブッ斃す!」

 一瞬、頭の中が真っ白になった気がした。本当に、ただそれだけを考えた。怒りも哀しみも吹っ飛んだように、ただ隗斗を斃す、ということだけを。

 緋剣が帯びている霊気が、まるで小型の太陽でも召喚したかのような光を発する。膨大な光が風景を完全に消し去ったが、一瞬後には、それは元に戻っていた。

「フゥゥゥウッ!」

 緋剣が暴れまわる猛牛に繋がった手綱のように、少しでも力を抜けば跳んでいきそうな《力》を放出している。だが、壱姫はそのことにすら気付いてないかのように、視線を隗斗に向けていた。

「ぬ・・・・」

「壱姫・・・」

 刃を手甲で受けとめた状態で二人の動きが止まる。壱姫が淡い霊気の光を纏った刀の切先を隗斗に向けていた。

「・・・・・あんな小娘が・・・・我が妹の転生が・・・・、神影流の奥義を体現しているというのか・・・・・」

「・・・・・・へッ」

 ギィンッ!

 黒杜が隗斗の剣を弾く。

「ぬ―――セェアアッ!」

 弾かれた剣をそのまま振り下ろす。黒杜はそれを紙一重でかわし、そのまま身体を深く沈み込ませた。

 ゴギャッ!

 黒杜の拳が隗斗の左足の甲にたたき込まれ、鈍い音が響いた。

「ぐ―――」

 バッ!

 黒杜が横に跳ぶ。その胴を薙ごうとした隗斗の動きが止まった。

「神影流剣霊―――奥義!」

 壱姫が目前に迫っていた。右手の緋剣は再び太陽のごとき光を発し、その波動が隗斗の身体を打つ。

(こいつは九十九の父様をとり込んでる。だったら、鬼人の弱点である心臓の妖気の核が残ってる可能性だってある!)

 今までのどんな霊技よりも高い《力》を込めた刃を振り下ろした。

「神覇斬―――輝閃!!」

「くッ!」

 左足が動かず、飛び退くことが出来なかった隗斗が、最大出力の霊気を込めた刀で壱姫の袈裟斬りを受けとめる。

 轟音とともに、衝撃が周囲の空間を揺るがす。

「フゥウウッ!!」

「ヌゥウウッ!!」

 打ち合った状態で、一進一退の攻防が始まる。噛み合った刃と刃の、尋常じゃないパワーがさらに増大していく。

「――――!?」

 ピキッ

 十字に交わる刃と刃が重なった。

「刃が・・・刃を斬っているだとォッ」

「――――セアアアアッ!」

 キンッ!

 乾いた音とともに、隗斗の刀の刃が真っ二つに斬れた。そして緋剣の刃が振り下ろされる。

「ぐッ!」

「!?」

 隗斗の左腕と左足が切り跳ばされる。

 肩から入り、心臓に達するはずだった斬撃を、隗斗は半歩横に身体をずらし、直撃を避けていた。

「キサマァァァッ!」

「あ―――」

 刀身を半分失った刀が、壱姫の肩を切り裂く。鮮血とともに、緋剣が宙を待った。

「ぐゥ・・・」

 血の溢れでる肩を押さえ、壱姫が膝をついた。奥義の反動なのか、凄まじい疲労感が襲いかかる。

「貴様もか・・・・・・」

「な・・・に・・・?」

 顔をあげると、隗斗が凄まじい形相で見下ろしていた。肉体を欠損しているというのに、信じられないバランスで立っていて、今まで以上に強い妖気と殺気が折れた刀に収束していく。

「貴様も、私を超えようというのかァァァッ!」

 バギンッ!!

「ぎぃッ!」

「黒杜さんッ!?」

 隗斗の剣撃を、両者の間に滑り込むように割り込んだ黒杜が右腕を盾にして受け止める。手甲が弾けるように砕け、刃が腕に食い込んだ。

「邪魔だァァア!」

 刀を放り捨てた右掌に妖気が凝縮し、半物質化した氣の塊が生み出される。

 ドンッ!!

「がはッ!」

 黒杜の胸に押し当てられた妖気塊が炸裂し、壱姫ごとその身体をふっ飛ばす。

「ぐあッ!」

「きゃあうッ!?」

「壱姫ちゃんッ! 黒杜さんッ!」

 地面を何度も叩きつけられてから止まった二人の側に、三芽が駆け寄る。

「今、治癒を・・・・」

「手ェ出すなって言って・・・・」

「黙ってッ!」

 三芽が呪紋のいくつかを発動させ、壱姫と黒杜の傷の上に手を置いた。

「させるかァ!」

 隗斗が口を大きく開く。口内に燐光が収束し、ピンポン玉ほどの光球が形成される。

「オオオオオンッ!」

「闇鎖!」

 隗斗の吐き出した閃光が、三人を囲むように螺旋を描く黒鎖に弾かれる。

「邪魔しないで・・・・。わたしは壱姫ちゃんの肩の傷を塞いで、黒杜さんの肋骨を繋がなきゃならないの・・・・」

「いっそのこと、楽にしてやろうか?」

 隗斗の左腕と左足は、すでに生え変わっていた。まだ完全には再生していないらしく、グロテスクな形をした足で、隗斗が三人に近づく。

「もう、お前だけでいい・・・。お前さえ我が手中に収めれば、命媛へとたどり着くことができる」

 ガシャァッ!

 隗斗の掌に現われた妖気塊が、黒い鎖をばらばらに砕いた。

「くッ!」

「み、三芽さん・・・下がってください」

 壱姫がヨロヨロと立ちあがり、隗斗の前に立ちふさがる。

「壱姫ちゃん、ダメよ。まだ傷を塞いで・・・・・・」

 三芽の言葉が途切れる。かなり深い、あと数センチ深ければ、腕が落ちていたほどの傷が完全に塞がっており、もう薄い跡しか残っていなかった。

「・・・・・なんで?」

 治癒術をおえていないはずなのに、壱姫の傷が完全に消えていた。肩だけじゃない。身体中にあった小さな傷が、跡形もなかった。

「・・・・・まさか、な」

「黒杜さん」

 小さく呟き、黒杜も起き上がる。こちらはかなり満身創痍の体だ。

「三芽さん、治癒ってどれくらい《力》を消耗しますか?」

「え・・・? いや、瞬間的な完全治癒なら消耗が激しいけど、少し時間をかけてやれば、ほとんど・・・・・・」

「じゃあ、黒杜さんをお願いします」

 壱姫が一歩前に出た。立ち止まっていた隗斗と、1mほどしか離れていない。

「どうする? 体術ででも勝負するか?」

 お互い、刀を持っていない。壱姫の緋剣は、右前方4メートルほどのところにあった。

 刀を持っていないと闘えないわけではない。拳霊以外の者でも、無手で相手を制する鍛錬はしている。しかし、やはり無手術を主流とする拳霊の域ほどに達するわけはない。あくまで得物を失ったときの最後の手段だ。

(なんとか・・・・剣を・・・・。そうすれば、なんとかなる―――気がする)

 根拠はないが、壱姫はそう思った。まるで、見えない誰かが心の中でそう囁いてくれたかのように。

「―――ふッ!」

 短く鋭い吐息とともに、壱姫が動く。人がもっとも攻撃を避けにくい箇所、胴へ鋭い掌打を打ち込む。が、隗斗はその一撃が打ち込まれる寸前で、壱姫の腕を弾き払った。

 壱姫は腕を弾かれた勢いを利用したかのように、横っ飛びで隗斗から離れた。

「逃がさんよッ!」

「!?」

 露出していた木の根を蹴り、緋剣のトコロまで跳び込もうとしていた壱姫の眼前に、隗斗が立ちふさがる。腕が素早く伸び、首を掴まれた壱姫が木の幹に叩きつけられた。

「あ・・・」

 呼吸がままならない。隗斗の握力がどんどん強くなり、今にも首が握りつぶされそうだ。

「このまま・・・・逝け」

「く・・・は・・・」

 ―――お前の剣を呼べ!―――

「!?」

 また、頭の中で《声》が響いた。次の瞬間、壱姫は視界の隅に見えていた緋剣に向けて手を伸ばした。

(来てッ!)

 ジャキッ!

「なッ―――」

 宙を疾走してきた緋剣を掴み、柄尻を隗斗の肘の裏に叩きこむ。強引に曲げられ、力が緩んだ隗斗の腕から逃れた壱姫が緋剣を振り上げる。

「ちぃッ!」

 後ろに跳んだ隗斗の胸から血が溢れる。かなり深いはずだが、隗斗はそれを気にするどころではなかった。

「セェアアアッ!」

 壱姫が隗斗に迫る。残光を残して振るわれる緋剣が空を裂き、木々を断つ。

 浅い傷を負いながらも、隗斗はそれから逃れ、投げ捨てた刀をすくい上げるように拾い、壱姫の唐竹の一撃を受けとめる。

「ぬ・・ぐぐッ!」

「しィィッ!」

 隗斗の膝がガクンと下がる。隗斗の足は足首のあたりまで埋まり、その周囲に放射状の亀裂が走っていた。

「貴・・・様ッ! なんだこの力はッ!?」

 ついに膝をつくまでに押し込められた隗斗が、憎悪と驚嘆の入り混じった顔で壱姫を見上げる。

「・・・・・・・・」

 対する壱姫は、怒りも憎しみも無い、ただ鋭い光を湛えた瞳を向けるだけだ。

「・・・・くくくッ・・・もう、私と話す口はもたぬか? くくくッ・・・・・ぬんッ!」

 隗斗の銀翼が一度羽ばたき、無数の羽が宙を舞う。

「銀羽閃舞!」

 羽が一旦、妖気の粒へと戻り、そして無数の氣刃へと変わった。一度、勢いをつけるかのように数センチ下がった氣刃が、一斉に壱姫に向かって迫る。

「八龍喉覇!!」

 二人を囲むように、霊気の龍が氣刃を飲み込み、土ぼこりを巻き上げながら森の奥へと消えていく。

 隗斗が視線を壱姫から外すと、三芽に支えられた黒杜が両掌を向けていた。

「――――ガアアアアッ!」

 咆哮とともに、隗斗の妖気が爆発的に放出される。

「ぐッ!?」

 その妖気に弾き飛ばされた壱姫が、空中で身体を捻り、三芽たちの側に着地する。

「殺すッ!」

 隗斗が上空へと舞いあがる。

「・・・・・・・・」

 どんどん高度をあげていく隗斗を見上げていた壱姫が、全身を高出力の霊気で覆う。

「もういい・・・・もう貴様らは、死ねェェェェッ!!」

 隗斗の絶叫が響き渡る。と同時に、隗斗の放つ気配が一切消えた。

「ちッ、百鬼夜行か・・・・、どうする壱姫」

「――――神影流拳霊神威之壱」

 ドンッ!

「神龍鋒閃!!」

 地面が砕けるほどの衝撃を残し、壱姫が跳んだ。放出される霊気によって、重力に逆らって加速する壱姫は、間を置かずに霊気が成す槍となって、隗斗に迫る。

「そんなものッ!」

 身体の位置をずらし、簡単にかわす。壱姫を覆っていた霊気が途絶え、勢いを失って落下を始めた。

 隗斗がニヤリと下卑た笑みを浮かべる。

「喰らうがいい・・・・」

 《器》となった隗斗の身体を通して、自然の氣が放出される。広範囲の空間を覆い尽くした氣が、数百の《鬼蟲》へと変じた。頭部にある六つの目が、ギョロリと壱姫を睨む。

「百鬼夜行!!」

 隗斗の声に反応し、鬼蟲たちが壱姫に向かって疾空を始める。

「壱姫ッ!」

「壱姫ちゃんッ!」

 地上の二人が悲痛な叫びをあげる。自由落下中の壱姫には、迫る鬼蟲の大群をかわす術がない。

 そして、衝撃と光と轟音が、鬼哭の里を覆った。

 

 ドォンッ!

 

 余波というには凶悪すぎる余波が、地上の木々を薙ぎ倒す。ギリギリで三芽が張った結界が、その威力に軋み、今にも砕けそうだ。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・

 地響きと耳鳴りのように響いていた爆裂音が収まり、結界を解いた三芽が上空を見上げる。治癒の途中で神威を放ってしまい、反動で傷の重みが増してしまっていた黒杜も、その視線を追う。

 その視線の先には、ゆっくりと高度を下げてきている隗斗の姿があった。自らの放った百鬼夜行の余波を受けていたのだろう。先程までよりボロボロの体だ。

「・・・・・・・・・・」

「あの小娘は、骨も残らず消し飛んだようだな・・・・・。技も《力》も、私より劣るはずの小娘が、奥義《輝閃》まで体現しようとはおもわなんだが、死んでしまえば・・・・・・?」

 隗斗が怪訝な顔をする。絶望の表情を浮かべ、自分を見上げていると思ったが、二人の様子が妙だった。

 絶望ではなく、単なる驚き。二人の表情はそんな感じだった。

「・・・・・・・・・!?」

 そして、二人の視線の先が自分ではなく、空に向かっていることに気付き、その視線を追った隗斗の顔が、驚愕に歪む。

 バサァ!

 淡く輝く銀翼がはためく。もうボロボロになった衣服の胸のあたりには、強い紅い輝きがあった。

「ゼエアアア―――ッ!!」

 壱姫が、鬼人の《力》銀翼を背に現し、太陽の如く輝く緋剣を手にして、隗斗に向けて猛速で降りてきていた。

「ぬ――――ああああッ!!?」

 ザシュッ!!

 盾となった隗斗の銀翼が切り裂かれ、折れた刀身が完全に砕け散る。刀身を支えていた左腕をも断ち切り、緋剣が隗斗の左肩に食い込んだ。

「浅い―――」

 渾身の力で振り下ろした緋剣は、隗斗の心臓を断つ直前で止まってしまった。銀翼と霊刀が威力を半減し、鋼以上の防御力をもつ隗斗の肉体を切り裂くことができなかった。

「ぬあああッ!」

「あぐッ!」

 隗斗の右手が壱姫の首を掴む。

「そうか・・・・《あの男》が、貴様の中に・・・・・。《貴様等》は、何度、私の邪魔をする気だァァァッ!!」

 ォンッ!

『―――――』

 閃光が二人の間を通り抜けた。僅かに耳に残る風切り音と燐光を撒きながら空に消えたその閃光の輝きは、壱姫の繰り出した《輝閃》とほぼ同じものだった。

「・・・・弓霊の・・・・《輝閃》・・・」

 呆然としている隗斗と壱姫の目の前を、赤い液体を撒き散らしながら《右腕》が落ちていく。

 隗斗が視線を下げる。壱姫の首を掴んでいたはずの右腕は、肘から上が消えていた。そして、さらに視線を下げ、森の中を見下ろす。人間離れした視力が、それを捉えた。

 ボロボロの身体、それに似つかわしくない不敵な笑みを浮かべて七香が隗斗を睨んでいた。左手には矢を放った後の弓が握られている。

「七香・・・・」

 ―――やれッ 壱姫ッ!―――

「――――アアアアアアアッ!!」

 《声》が頭の中に響いた瞬間、全身に《力》がみなぎる。緋剣の輝きが増した。

 ズバンッ!

 緋剣が、まるで薄っぺらい紙を切ったような軽い感触で、隗斗の身体を斬り裂いた。

「・・・・・・・」

 驚愕の表情のまま、隗斗が落下していく。

「捉えた・・・・。妖気の核・・・・確実に、斬った!」

 荒い息を整えることも忘れ、壱姫は隗斗の姿を目で追った。早くも肉体の崩壊が始まり、隗斗の四肢が指先から塵へと変わっているのがわかった。

「・・・・・・・・」

 隗斗の姿が森の中に消えた。送れて墜落音が届く。

 壱姫は視線を下げ、自分の胸を見た。服の下から紅い光が漏れている。その光を抱くように腕を組み、ゆっくりと降りていく。

「・・・・・・・」

「やっほ〜・・・・」

「あッ!? 七香ちゃんッ」

 壱姫が降りてくるのを待っていた三芽と黒杜の元に、ヨロヨロと七香がやってきた。

「だ、大丈夫ッ?」

「ひでェ有様だな・・・」

「まァねェ・・・・・、もしかして、今、私のこと忘れてなかった、二人とも?」

 下から二人をねめつける。二人とも、わざとらしく視線を逸らす。

 トンッ

 いつの間にか、壱姫が三人の側に降り立っていた。

「・・・・・やったよ」

 壱姫が泣いていた。ただ、表情は笑みだった。

「壱姫ちゃん・・・・」

「それって・・・・」

 寄ってきた三人の視線は、壱姫の胸にある紅い輝きに集まった。

「・・・・・・・」

 壱姫が《それ》を懐から取り出す。水晶のような紅い半透明の石板。

 九十九の肉体と魂を封じ込めたという、封印石が赤光を放っていた。

「あいつが・・・・・・、あたしの中のあいつの《命》が護ってくれていたの・・・・・」

 壱姫の涙の一滴が、封印石に落ちる。それに反応したかのように、僅かに光が増した。

「ありがとう・・・・・・、九十九」

 

 

      第三十二章へ続く・・・

 

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