第三十二章

幸せの名前

 

「・・・・・・何があったんだ?」

 千夜が目の前で倒れてる雷過に向かって呟く。

 木の根元に倒れるように座り込んでいる千夜の身体は、これ以上ないくらいにボロボロだ。その手の中には、雷過たちにかけられた《外道法》を解呪するために、三芽が四人に渡していた錠剤が入った袋があった。

 あの闘いの中で、無事だったのが不思議だったが。

「・・・・・・・さあな」

 雷過は、人から見れば、生きてるのが不思議どころの話じゃないほどの、ボロボロ具合だった。そして、今だ僅かな雷氣を纏っている緋槍が、その肩に突き立っていた。

「・・・・隗斗の外道法の《力》が、突然弱まった。その隙をついて攻撃するとは、お前も卑怯な男だ・・・・」

「悪いな・・・、急に動きが鈍ったんで、チャンスだと思った・・・・。まさか、正気に戻っていたとは・・・な」

 

 

「その表現は、適切ではありません・・・・・。私たちはずっと正気だったんですから。ただ、あの男に逆らえなかっただけです」

「・・・・術が解けても、あまり変わりませんね」

 地面に倒れた状態で、まだ冷静な口調の冷那の様子に、十吾が少し呆れている。

「もう、術は解けたの?」

 百荏が、木に突き刺さっていた緋扇を引き抜く。その木の根元に倒れていた疾風が身体を起こした。その背にある翼は片方が欠損していた。

「ああ、弱まっていた強制力が完全に消えている。すごいな・・・、三芽の呪薬は・・・」

 疾風が立ちあがる。が、その身体がフラつき、傾く。

「おっと・・・」

 十吾がその身体を支え、転倒を防いだ。軽い衝撃なのに、全身に痛みが走る。

「くくッ・・・よく死ななかったな、僕たちも」

「すまない・・・」

「いいさ・・・・ん?」

 十吾が顔をあげる。他の三人もその視線を追った。鬼哭の里を三つに分けていた《壁》が消えていく。

「やはり、隗斗になにかあったのですね・・・」

 百荏に支えられた冷那が、瞬く間に消えていく《壁》を眺めて呟く。

「・・・隗斗の氣が感じられない・・・。代わりにっていうか・・・」

「壱姫の氣の力が跳ねあがってる・・・・」

 

 

「・・・・・・あれ?」

「起きたか?」

 目の前に黒杜の顔があった。笑みを浮かべ、地面に寝かされていた壱姫を起こしてやる。

「あれ? なんで、あたし・・・・・」

 見れば、ここは命媛の封印されている場所へと続く《真鬼の洞》。その真ん前だった。

「いきなり使いなれない《力》を使ったから、肉体に負荷がかかったのよ。九十九の《力》と、神影流の奥義《輝閃》の影響ね」

「え・・・?」

 目の前に水の入ったコップが差し出される。それを受け取り顔をあげると、水筒を持った三芽がこちらを見下ろしている。

「・・・・そっか。あたし・・・・」

 コップを受け取ったときに、右手に水晶板を持っていることに気付く。九十九の肉体と魂を封じた封印石。

「ああ、てめェが―――てめェと九十九が、隗斗を倒しちまったんだよッ」

 黒杜が景気良くバンバンと壱姫の背中を叩く。とても痛い。

「以前、壱姫ちゃんに注がれた九十九の《命》と封印石、それが壱姫ちゃんの意思に感応して、鬼人の《力》を発現したってところね。言わば、愛の力かしら?」

「あ、愛って・・・・・・あれ?」

 壱姫が自分の身体を見下ろす。そして、次に黒杜と、少し離れたところで木に寄りかかって寝ている七香を見る。

「怪我が治ってる・・・・」

「壱姫ちゃんの怪我は、九十九の《力》の影響で勝手に治ったわよ。二人の怪我は私が治したけど」

「それじゃあ、消耗・・・・」

「あのね」

 プニッ

 三芽が、壱姫の鼻っ面に人差し指を押し当てる。

「私を誰だと思ってるの? 鬼人の三芽よ。この程度の妖気消耗、一時間もしないうちに完全に回復するわ」

「あう・・・」

「揃いも揃って、私を除け者にしちゃってさァ」

「だって・・・・」

「ま、なんにせよ、予想外に一番の難題突破になったな」

 ガサッ。

「あ・・・、十吾ッ、百荏ッ!」

 茂みの中から十吾と百荏が表れる。

「お? よお、疾風に冷那」

「・・・お久しぶりです」

「・・・黒杜殿ですか」

 疾風と冷那が二人の肩を借りて同行していた。

「どーやら、解呪できたようね」

「ええ、あなたの術の才、感服しています」

 冷那が珍しく小さな笑みを浮かべると、三芽も笑顔で返す。と、別の方向の茂みからも人の気配が聞こえてきた。

「よォ」

 ほとんど雷過を背負ったような支え方で現われたのは、千夜だった。

「・・・・全員、なんとかなったようだな」

 ドサッ!

「ぐおおぉぉ・・・・、貴様、もうちょっと丁寧にあつかえ」

 放られるように、地面に下ろされた雷過が呻きと非難の声を漏らす。

「ここまで連れてきてやっただけでも、ありがたいと思ってください。あんたと違って、こっちは人間なんですから」

「ボッロボロね、雷過さん。鬼哭の里ナンバー2の姿とは思えないわ」

 三芽が、起きれないでいる雷過の側にしゃがみ込む。

「ふんッ、お前は相変わらず、ズケズケと・・・・・」

「フフッ・・・、みんな、こっち来て。治癒しないと」

 

 

 三時間後―――

「さて・・・・」

 三芽の治癒術により傷を癒し、体力気力の回復を待った壱姫たちが立ちあがったときには、すでに日が落ち、あたりが闇に包まれていた。

「行きましょうか」

 三芽の視線を追い、全員が《真鬼の洞》に目を向けた。

 ボォウッ!

 十吾の作り出した鬼火が勢いを増し、いくつかに分裂した。

「ん・・・・」

 鬼火を伴って、真鬼の洞に入ろうとした一行の足が止まる。振り向くと、三芽が真鬼の洞とは逆の方を向いていた。

「三芽さん、どうしたんですか?」

 壱姫が聞くが、三芽は不思議そうに首を傾げているだけだ。

「・・・・なんでもないわ。行きましょう」

 

 

「あー、狭いわね、ここ」

「子供ンときより、狭く感じるね」

「六年も経ってるんだ。僕たちが小学生だったころに比べれば、狭く感じるのも無理はない」

「そうだよな・・・・・、おい、壱姫ッ」

「へッ?」

 千夜の声に、壱姫が顔をあげる。いつのまにか、かなり遅れていた。

「あ、ゴメンゴメン」

 早足で一団に追いつく。みんなの視線が集まっていて、意味も無く『えへへ』などと笑ってしまった。

「・・・・・・な、なに、皆?」

 なにやら全員の視線が集中している。

「さ、さァ、後は九十九を生き返らせるだけなんだから、チャキチャキ行こうッ!」

「なら、グダグダ考え事なんざしてねェで、さっさと行け!」

「―――ごほッ、げほッ!」

 バンッとおもいっきり背中を叩かれ、壱姫が咽た。呼吸を落ちつかせ、黒杜を恨みがましく見上げるが、黒杜はニヤけた笑みを浮かべて、視線を合わせようとしない。

「その様子じゃ、九十九に会う時のこと、まだ吹っ切ってないようね」

「うッ・・・・」

 三芽の言葉に、ぐうの音も出ない。憮然とした表情になってズカズカと歩き出す。

「・・・・えーえー、そうですよ。今だって、九十九に最初になんて言おうか、なんて考えてたとこですよッ。でも考えれば考えるほど、全ッ然、まとまんないのよッ。なんだって、あたしがこんな思いをしなくちゃなんないのよッ。あー、なんか口に出してたら、ムカついてきたッ。元はといえばあいつが―――」

「剣霊の壱姫よ。危ないですよ」

「へッ?」

 冷那の声に振り向くと、いきなり壱姫の視界が真っ暗になった。

「へッ!?」

 驚くと同時に、前にこれと同じ感覚を受けたことを思い出す。

(あァッ、あたし、また落ちてる――――ッ)

 

 

 ドッポーンッ!

「あ〜あ・・・。壱姫ちゃん、六年前から成長してないの?」

 闇の塊が視界を遮る穴の奥から、何かが水の中に落ちた音が響くのを聞き、覗き込んでいた七香が呆れの声を出す。

「そういえば、僕たちが初めてここに来たとき、いの一番でこの穴に飛び込んだのが壱姫だったな」

「あれは、飛び込んだっていうより、落ちたっていうのよ」

「壱姫ー、大丈夫かーッ?」

『大丈夫よォォッ!』

 なにやら怒声が返ってくる。

「どこに怒りと恥ずかしさをぶつければいいかわかんない、って感じだな。さ、行こうか?」

 皆が頷く。千夜はそれを確かめてから、一瞬の躊躇の後、穴に飛び込んだ。そえに十吾たちが続く。

「あッ、ちょっと待てッ!」

 残った雷過たちが穴に飛び込もうとしたとき、黒杜が呼びとめる。何事かと三人が振り向くと、黒杜がえらく困ったような顔をしていた。

「・・・・・・・俺はカナヅチだ」

『・・・・・・・・・・・』

 三人が呆れたような顔を互いに見合わせる。

「私は、片翼を失ってますから・・・・。失った部分を再生するのは、さすがに三芽でも消耗が激しいですからね」

 疾風はダメ。

「俺はこういう洞窟なんかじゃ飛べないぞ。風と雲の力を受けて飛んでるからな」

 雷過もダメ。

「・・・・・・・・・・・・私、ですか?」

 男たちの視線が集まる先に、冷那がいた。

 

 

『・・・・・・・・・』

 壱姫たちと、先に飛び込んだ雷過と疾風の視線が頭上に向けられている。

「・・・・・黒杜さん、カッコ悪」

 壱姫がボソリと感じたままを言葉にした。視線の先には、必死にバランスをとりながらフラフラと降りてきている冷那と、その冷那の細い身体にしがみついている黒杜の姿があった。

「しょうがねェだろうがよ・・・・」

「う、動かないでください・・・。もともと、私の飛翔能力は、他者を支えるほどの力はないんですから・・・」

「はァ・・・、まあいいや。皆行こッ。冷那さん、そのデッカイ荷物、半分ほど水に浸けときゃ、少しは楽かもしれないよ」

「それは、良い考えかもしれませんね」

「なッ、ちょっと待ガボボッ!」

 即実行。壱姫の言ったとおり、冷那が黒杜の身体を水につける。つけるというより沈ませているといった方がいい。黒杜の姿はほぼ水面下に没している。

「抵抗があって思ったより楽はできませんね。まあ、浮かんでいるよりはマシですか」

「てめガボボッ、冷静にゴボッ!」

 ときおり水上に顔を出しては沈んでいく黒杜の言葉は聞きづらいが、文句を言ってることだけはわかった。誰も聞いてなかったが。

 一部騒がしかったが、一行は、鬼哭の里の面々が封印されていた空間にたどり着いた。七つの封印の名残と、戦闘跡を目にし、それぞれが複雑な表情になる。

「・・・・・・・」

 三芽が空間の真ん中に立つ。

「我は真なる鬼の血と肉と魂を継ぐ者也」

 三芽の妖気が桁違いに高まり、その背に銀翼、額に光角が形成された。

「母たる者 真なる鬼 迎え入れよ」

 ゴゴゴゴゴッ!

 地面が鳴動し、二本の石柱が出現する。

「・・・・・・そういえば、黒杜さんの外道法って解けないんですか?」

「あん?」

 壱姫のポッと思いついた風な質問に、黒杜がキョトンとする。表情はそんな可愛い表現じゃなかったが。

「・・・そうだな。どうやったら解けるんだろうな?」

「知らないんですか?」

「ああ、隗斗をぶん殴ることしか考えてなかったからな。零朱の話を思い出して、命媛に頼んで・・・、細かいこと全く聞いてなかったな」

「無茶苦茶重大ないい加減さですねェ」

「そこの二人ィー、さっさと行くわよ」

 光の幕を張った《門》の前で、三芽が呆れの混じった声で二人を呼ぶ。

「あ、はーいッ」

「今、行くよ」

「全く・・・山場だってのに、余裕ありすぎよ。このメンバー」

「現実逃避ですよ、彼女の場合」

 十吾の言葉に、壱姫がピシッと固まる。

「ああ、なるほど。そういや、考えまとめる時間もなかったわね」

「うう・・・・」

「さあ、行くわよー」

 

 

 封印の間―――

『・・・・・来ましたね』

 街を一つすっぽりと覆えるほどの空間の中。地下深くにあるこの空間を支える結界の中で、気の遠くなるほどの時間を生きてきた存在が呟く。身体の半分をこの空間の中にただ一つあるもの、巨柱に生め込んだ《彼女》の視線の先には、地面の下から現われた《門》がある。

『久しいですね、娘にも等しい鬼人が子よ』

「はい・・・、お久しゅう御座います、我等鬼人の《母》よ」

 最初にこの空間に入ってきた三芽が膝をつき、頭を下げる。

『最後に会ったのは、あなたが十にも満たない幼き時でしたね・・・・。大きくなりました』

「命媛様・・・・ぶぎゅッ!?」

「おお、200年前と変わんねーなァ、ここは。ん?」

 次いで《門》を抜けてきた黒杜が、妙な感触に下を向くと、右足の下に三芽がいた。

「あ、すまねェ」

「すまねェ、じゃないわよッ」

「うおッ!?」

 三芽が跳ね起き、黒杜がすっ転ぶ。

「あんた、ここが何処で、あの方がどの方なのか知ってんでしょッ!? 私たちの真祖、命媛様が居わすところよッ!? 十数年ぶりに、その方と会ってるってーのに、なーに場をぶち壊してくれてんのッ、こーの馬鹿叔父はァ!」

「三芽さん、どーどーッ!」

「命媛様が居わす場所なんでしょッ。抑えて抑えて!」

「離しなさい、壱姫ちゃん、千夜くんッ。いい機会なんだから、命媛様の前で、言いたい事いうのよッ!」

「ひさしぶりだな、命媛」

「くぉらッ! 無視すんなってのよッ!」

 数人がかりで抑えられてる三芽の声を、全く耳にせず、黒杜は前に出た。

『あなたもお久しぶりね、零朱が友、秦 黒杜よ。それに、鬼哭の里の者・・・、そして』

 ズズズ・・・

 命媛の身体が、巨柱からせり出てくる。一糸まとわぬ体が宙を浮き、ゆっくりと降りてくる。

「・・・・・・綺麗」

 静寂の中で、七香が呟いた。白き髪、透き通るような肌、漆黒の瞳。揺れる髪の狭間から見える、淡く輝く光角。燐光を零しながらゆっくりと羽ばたく三対六枚の銀翼。

 それらが調和し、一つの美になっていた。

 それに見惚れる視線の中、命媛が壱姫たちの前に降り立ち、一つ、笑みを見せた。

『刹那、武、醒華、清蔵、蔓・・・・お帰りなさい。そして、壱姫、千夜、百荏、十吾、七香・・・・、初めまして』

「・・・・あたしたちのコトも、知ってるんですね・・・・」

『ええ、全て知っています。九十九の来訪と・・・・《あの男》の目覚めにより、血と魂を連ねる私の妖気の昂ぶりによって、この封印の間より溢れ出、貴女達の街を漂っていた私の妖気が、全てを知覚してくれていました・・・』

「妖気・・・・」

「あッ、練戒市を覆ってた、薄い妖気ッ?」

『はい、あなた達の闘い、あなた達の日常、全て見てきました。そして、なぜここに来たのかも・・・・・・』

 命媛が壱姫の前の右手を出す。壱姫がキョトンとしている。

『すでに、《反魂》を行うための時は来ています』

「あ、はいッ」

 壱姫が懐から、封印石の赤板を取りだし、命媛の手に置いた。命媛は振りかえり、巨柱に向かって歩き出す。

『・・・・・』

 五歩ほど壱姫たちから離れたところで立ち止まり、再び振りかえった。

『いいのですね?』

「・・・・・はい」

 命媛の問いに、しばらくの間をおいて、三芽がハッキリと頷いた。

『・・・・・・では、始めましょう』

 命媛がさらに皆から離れ、巨柱の根元まで歩く。振りかえり、手をさし伸ばすと、赤板がスゥッと宙を走る。

 それを追うように命媛の白髪が伸び、宙に浮いた赤板を覆い始めた。瞬く間に、赤板は繭となった白髪の中に埋もれていった。

『我 祖にして真 我 血を受け継ぐ者を 我 魂を受け継ぐ者を 我 愛しき子等に 血と魂を』

 バサァッ!

 命媛の六枚の翼が開く。光角と銀翼の纏う光が強くなり、次の瞬間、繭は巨大なドーム状の結界に覆われた。

『では・・・・・』

「・・・・・・」

 三芽が結界に向かって歩き出す。

「三芽さん・・・・」

「・・・・心配しないで、壱姫ちゃん」

 振りかえった三芽が、壱姫の両肩に手を置き、顔をつき合わせる。

「私たちは、皆一緒に帰るために、ここに来たの。私は死なない。九十九は甦る。それでOK。全部OK。大団円。でしょ?」

「・・・・・・・はい」

 頷く壱姫を見て、三芽が笑みを浮かべる。そして、再び結界の方を向いた。

 スゥッ・・・

 壱姫と三芽の横を、何かが通りすぎた。

「なッ・・・・」

 誰も気付かなかった。自分たちの横を駆けていくまで。

 誰も気付くことはなかった。《彼女》が、ずっと自分たちを追いかけていたことを。

「サチッ!?」

 壱姫が叫ぶ。葦鳳の屋敷にいるはずの、自分たちの帰りを待っているはずの、座敷童の女の子。

 サチが走っていた。こちらを一度も見ず、結界の向かってまっすぐに。

「―――止めてッ!」

 三芽の声に、まるで金縛りにあっていたかのようにサチの後姿を見入っていた全員が駆け出す。

「サチッ!」

「待ちやがれッ、サチッ!」

 壱姫と黒杜の手がサチの背中に伸びる。しかし、それは届かなかった。

 バチィッ!

「きゃッ!」

「うおッ!?」

 結界が二人の身体を弾き飛ばした。二人の身体を、すぐ後ろにいた千夜と三芽が受けとめる。

「・・・・・・・壱姫お姉ちゃん」

 サチはすでに結界の中にいた。

「サチッ、あんた、なんでッ!?」

「サチ・・・サチはね・・・・ううッ!」

 サチの顔が苦悶に歪む。

「・・・・・サチはね、壱姫お姉ちゃんと九十九を幸せにするの」

「え・・・?」

「サチ、《反魂》のこと、昔聞いたことがあるんだ・・・・。命媛様の《力》で、妖気を吸い出して、死んじゃった鬼人の身体を作りなおして、魂を入れ直すの・・・・。失敗が多くて、妖気を吸い出された人も死んじゃうことが多かったんだって」

「・・・・そんな」

 壱姫や千夜たちの視線が三芽に集中する。壱姫たちは、妖気の提供者の命まで賭けなければいけないことなど、全く知らなかった。

「サチッ、私なら大丈夫かも知れないのよッ! 私には他の鬼人よりも強い《力》があるッ!」

「でも、死なないって、絶対には言えない。ううん・・・・、きっと、死んじゃう可能性の方が大きいんだよね?」

 サチの言葉に、三芽が言葉に詰まる。

「・・・・・・だけど、サチッ! 私には可能性があるのッ! でもあなたじゃダメなのッ。座敷童は私たちと違って、妖気を存在の拠所とする妖怪。あなたじゃ、確実に死が待ってるッ」

「・・・・・・・・」

「それに、《反魂》には膨大な妖気を必要とするの。あなたの弱い《力》じゃ――――」

「サチの《力》は強いよ」

 全員が絶句した。サチの目の光は、殉教者のそれだった。自分の意思で死に向かう心が、サチにはあった。

「サチの・・・座敷童の《力》は、とても強いんだよ・・・・。ね?」

 サチが命媛に目を向けた。

『・・・・・座敷童の《力》は、《与福》。いくつかの条件があるとはいえ、無尽蔵に《福》を与える《力》は、《運命》にさえ干渉するということ。それはとても強い《力》。鬼人と比べてさえ、遜色はありません』

「・・・・だから、サチにも三芽お姉ちゃんの代わりはできるの・・・・くうッ!」

「サチッ!?」

 一瞬、サチの姿が霞んだ。結界がサチの妖気を搾り出し、その存在が虚へと向かっていた。

「止めてッ!」

 壱姫が命媛に向かって叫ぶ。

「止めてよッ! 早く止めてッ! サチが死んじゃうッ!」

『無理です・・・。この術は、すでに起動しています。術が終わるまで、私は動けません。止めることも、できません』

「ふざけんなァッ!」

 黒杜が霊気を凝縮した拳を結界に叩きつける。しかし、いとも簡単に弾かれる。

「クッ・・・出ろ、サチッ! そこから出るんだッ!」

「・・・・・・」

 サチが静かに首を横に振る。

「九十九が生き返らなきゃ、皆が哀しむ。三芽お姉ちゃんが死んじゃっても。サチの《力》も、九十九と壱姫お姉ちゃんの《縁》には、通じない。だから、サチはこうしなきゃいけない・・・・」

「なんでよッ!」

「壱姫お姉ちゃん・・・・・・。サチはね、幸せをあげる座敷童なの。サチの名前は、幸せと書くの。サチを助けてくれた九十九がつけてくれた、サチだけの名前」

 間を置きながら、幾度かサチの身体が霞む。それは徐々に間隔を狭め、確実にサチの存在そのものを削っていた。

「九十九がくれた、この名前のためにも、サチは九十九を生き返らせるのッ」

「――――うわあああああッ!!」

 絶叫とともに、鞘から緋剣が引き抜かれる。その刀身は、眩い輝きを放っていた。

「神覇斬―――輝閃!!」

 ギチィッ!

 剣霊の奥義が結界にたたき込まれる。しかし、緋剣の刃は結界に食い込むこともできなかった。

「ぐ・・・ぐぐッ!」

 鬼人の銀翼さえ切り裂いた刃が、結界の《力》に押され、まったく進まない。

「させないッ。死なせないッ!!」

「・・・・・全くだ」

 壱姫の背後で、もうひとつ輝閃の光が灯る。

「金剛砕―――輝閃!!」

 壱姫の緋剣のすぐ側に、同質の光を纏った黒杜の拳が打ち込まれる。二つの輝きが一つとなっていた。

「死なせんッ、死なせるかッ、死なせるもんかァッ!!」

「・・・・・・・・・」

 三芽の身体に無数の呪紋が浮かびあがる。

「私が結界の一部に干渉するわッ。そこを一点集中ッ!」

 呪紋が複合起動し、二人の輝閃の打ち込まれた部分に干渉を始める。

『はあああッ!』

 千夜たちの霊気が活性化を始める。各々の武具が輝き始める。七香の矢が、隗斗の腕を抉り切った時と同じ輝きを放ち、千夜たちの緋槍、緋棍、緋扇の雷、炎、風が、それと同質の光へと変換されていた。

  

――――死なせるものかッ!! もう、誰も!!――――

 

「霊雷閃―――輝閃!!」

「炎崩撃―――輝閃!!」

「鉄華扇―――輝閃!!」

「鋒霊閃―――輝閃!!」

 槍が、棍が、奥義が、矢が、三芽の干渉域に打ち込まれる。神影流六武法すべての輝閃が、六人の唯一つの心の叫びの同調によって、一つの輝きに収束した。

「オオオオオオッ!!」

「ふううう―――ッ!!」

「はああああッ!!」

 雷過達の雷、風、氷雪が、さらに輝閃に力を加える。強大な十の《力》が、一つになっていた。

「――――まだ・・・・足りないッ!」

 全力で《力》を送り込んでいる三芽が絶望の声を漏らす。全ての《力》を限界まで高めて打ち込んでいるのに、まだ結界を破るには至らない。

「あと少し・・・、あと少しなのよッ!」

「ぐッ・・・・・・ッ!?」

 黒杜の顔に、小さな驚きの色が浮かぶ。そして、すぐに笑みが浮かんだ。

「・・・・・これはッ!?」

 新たな《力》が加わっていた。僅かに、少しずつだが、収束された《力》が、結界に食い込んでいく。

「・・・・黒杜さんの《力》が、さらに上がってる・・・・・。違う、黒杜さんの《力》じゃない」

「そうだよな・・・・、てめェも、サチを助けたいよなッ」

 黒杜の肩に、妖気を纏う一匹の黒猫の姿があった。

「なら、行くぜ――――クロ助・・・ェッ!!」

『ニャアアッ!!』

 ビシッ!!

 結界に小さな亀裂が走る。壱姫の緋剣を中心に、八方へと亀裂が広がっていく。

「壱姫ちゃんッ! 皆もう、限界ッ! 多分、一瞬だけしか結界の隙を作れないわッ!」

「はいッ」

「あんたが行きなさいッ!」

「はいッ!!」

 ガシャアアンッ!!

 ガラスが砕けるような音とともに、結界に穴が空いた。同時に壱姫が跳んだ。

「うおあッ!」

「きゃああッ!!」

 結界の《力》が再び、千夜たちの《力》を上回り、大きく弾き飛ばした。

「ぐうッ・・・壱姫はッ!?」

 千夜が飛び起き、結界に目を向ける。結界の中に、壱姫はいた。

「くッ・・・・」

 結界の中は、妖気が嵐のように巡っていた。

「サチの妖気が渦巻いて・・・・、繭に集まっていく・・・」

「壱姫・・・お姉ちゃん・・・・」

「サチ・・・・」

 サチに向かって歩き出す。だが、結界を破ったときの消耗のため、たった数mなのに、なかなか近づけない。

「サチ・・・・、あんたは死なせないよ・・・・」

「これは・・・サチのやらなきゃいけないことだもん・・・・」

 サチの身体がどんどん希薄になっていく。

「死なせないよ・・・・。九十九がサチって名前をつけたのは、あんたが座敷童だからじゃない」

「え・・・・・」

 壱姫がサチの前に立つ。膝をつき、幸と視線を合わせた。

「今なら、九十九の心がわかるの・・・・・。だって、あたしの中にも九十九がいるんだもの」

 微笑む。初めて会った日、サチに見せた最初の笑顔。

「サチの名前は幸せの文字。だけど、あんたが犠牲になって幸せを与えることなんて、九十九は望んでない。だって・・・・」

 サチを抱き締め、その耳元で囁く。

「サチが幸せになりますように――――九十九が、そう望んでつけた名前なんだから・・・・」

「・・・・・壱姫お姉ちゃん」

 サチも壱姫に抱きついた。涙が溢れ、壱姫の肩を濡らす。

 その小さな身体は、すでに消えかかっていた。

「やっぱり・・・・やっぱり、サチ死にたくないッ。消えたくないッ! 皆と・・・・皆と生きていたいッ!!」

「死なせない・・・・死なせないわよッ、あたし達の《妹》をッ! だから―――だから《力》を貸して!!」

 壱姫の背中に光が生まれ、翼へと変じた。鬼人の翼。壱姫の中に在る九十九の《命》の輝き。

「九十九――――ッ!!」

 パァッ!!

 光が溢れた。銀翼が温かい光を放ち、それは存在の希薄したサチの身体に染み込むように入っていく。

「これは・・・・、九十九が壱姫の命を救ったときの・・・・」

「ああ・・・サチに《命》を吹き込んでいる」

 壱姫の背の銀翼が散っていく。銀光を帯びた羽が霧散していき、そしてそれに反比例するかのように、消えかかっていたサチの身体が、元の状態に戻っていく。

「・・・・・・・・」

 銀翼が全て散った頃には、内外を断っていた結界も消えていた。抱き合ったまま動かない二人の側に、千夜たちが駆け寄る。

「壱姫ッ!」

「にゃあッ!」

 クロ助がサチの肩に乗っかる。

「・・・・・大丈夫だよ、クロ助。サチは生きてるよ・・・・」

 顔をあげた壱姫が、サチを抱えて立ち上がる。サチは、静かに寝息をたてていた。

「にゃぁ〜」

 クロ助がサチの胸の上にチョコンと座った。

『どうやら、妄執は無くなったようですね。黒杜』

「あ?」

 命媛が一行のすぐ側に立っていた。笑みを浮かべ、言葉を続ける。

『あなたにかけていた術は、隗斗への怒りを核として組み上げたものです。あなたの怒りが消えれば、術は解けるのです』

「・・・・・・・」

 クロ助と目が合う。

「そういうことか・・・。ま、自分の手でやれなかったのは残念だが、壱姫ならしゃあねェな」

 黒杜がクロ助の首根っこ引っつかんで、目の高さまであげた。

「こうやって、面と向かうのは初めてだな、クロ助」

「にゃァ〜」

 なんとなくクロ助も嬉しそうだ。

「さて・・・・」

 クロ助を元の位置に戻し、黒杜が繭に目を向けた。壱姫たちも視線を同じくする。

 繭は、石のように硬質化し、一本の亀裂が走っていた。

「後は・・・・九十九が甦るかどうか・・・だな」

 

 

      第三十三章へつづく・・・・

 

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