第三十三章

心淵

 

「どうです?」

 冷那が三芽の肩越しに、九十九の顔を覗き込む。三芽は膝をつき、柱の根元に寄りかからせている九十九の額に手をつけ、目を閉じていた。

「・・・・・・・」

 そのすぐそばで壱姫が、暗い表情でその様子を見ていた。

「・・・・・三芽さん」

「ダメ。呼びかけに応じない」

 一つ、息を吐き、三芽が立ちあがる。術で九十九の精神にリンクし、何度も『呼び掛け』を行っているが、反応がない。精神力をすり減らした顔は、少し青ざめていた。

 

『反魂は完成しています。目覚めないのは、九十九が己の意思で外界との接触を拒んでいるためでしょう・・・』

 

 命媛のこの言葉に、壱姫が愕然とした。

 命を取り戻したのに、目覚めたくない。誰かに会いたくない? 誰に? 誰に・・・・。

「あたしに・・・・あたしに会いたくないから・・・・」

「壱姫・・・・」

「千夜・・・・」

「ッ・・・」

 振り向かれて千夜がビクッとする。壱姫が泣いていた。すぐに脱水症状を起こしそうな勢いで、しかも鼻水までたらして。

 子供の頃から壱姫を知っている千夜にとって、それは懐かしくもあった。小さい頃、よく見た泣き顔だ。ただ、今現在この状況で、そんな顔をされても、どう反応すればいいのかわからない。

「あたしのせいで・・・・あたしのせいで九十九が〜・・・・」

「待て、そうと決まったわけじゃないだろう?」

「だって、あたしが九十九を・・・・殺しちゃったんだよ・・・。それに、ずっと九十九にツラく当たって・・・・」

「ほら、壱姫ちゃん」

 七香がハンカチを取り出し、壱姫に手渡す。

 ブピーッ。

「うわァ、お約束・・・」

「ありがと・・・」

 涙と鼻水で濡れたハンカチを返し、壱姫が九十九の方に向き直る。と、目を見開き、驚いた。

 ゴンッ!

 黒杜が、ゲンコツを九十九の脳天にたたき込んでいた。それでも九十九は無反応で、黒杜が拳をさすっている。

「この馬鹿が・・・。こっちは皆、死ぬ思いでここまでやってきたってのに、起きたくねェだとコラッ」

「黒杜さん・・・」

「そーよそーよッ」

 呆然とする壱姫の横を、ズカズカと七香が通りすぎ、九十九に近づく。かなり疲れているはずなのに、えらく力強い足取りだ。

「特に壱姫ちゃんが、どんな思いであんたを助けるために、ここまで来たか―――」

 思いっきり拳を振り上げる。

「わかってんのッ!」

 左頬に強烈な右フック。ゴロゴロと九十九の身体が勢い良く転がっている。

「〜〜〜硬った――ッ!」

 殴った方が痛がっている。九十九の方は、やはり無反応で倒れたままだ。

「―――もうッ!」

 さらに近寄り、今度は蹴りをくれてやろうかとしたところを、十吾が止めた。

「待て待てッ。それくらいにしておけッ!」

 皆が呆然としている。先ほど真っ先に九十九を殴っていた黒杜もだ。

「だって、十吾ッ! 気がおさまんないのよ、これくらいじゃッ! そうでしょッ、壱姫ちゃんッ!」

「え? えッ?」

「私たちを護るっつって、あんな護り方されても嬉しかないのよッ! 壱姫ちゃんがどんな思いしたか分かってんのッ!」

「・・・・七香」

「私だって、あんたに貸しがあんのよッ! チビ太――命名壱姫ちゃん――を壊した時に約束したこと、まだ有効なんだからねッ!」

 十吾に押さえられたままバタバタ暴れている七香は、泣いていた。怒りの表情のまま。

「あんたが起きなきゃ、ハッピーエンドになんないんだからッ! 起きなさいッ、起きて大団円にするのッ!」

『落ちつきなさい』

 音もなく近寄った命媛が、ヒョイッと七香を摘み上げた。細い腕が、標準体重よりかなり軽い七香とはいえ、一人の身体を軽々と宙に浮かす。

『まだ、方法はあります。我が九十九の精神と同調し、直接意識を起こしにいきます』

「・・・・できるの?」

 掴み上げられたまま暴れていた七香が、キョトンとした顔で下方の命媛の顔を見下ろす。

『《鬼人》の一族は、他の《鬼》よりも我との繋がりが深い。我の《氣》より生じた《鬼》と違い、子を生すことでこの世に生まれた故に』

 七香を下ろし、九十九の側に歩み寄る。

『それに、反魂を終えた今なら、目に見えぬ繋がりは一際強いものになっている。容易に行えましょう』

「待って」

 精神のリンクを行おうとした命媛が、壱姫の声に動きを止める。

 壱姫は、決意と不安が入り混じったような複雑な表情で、命媛を見ていた。

「それ・・・あたしにできないでしょうか?」

『・・・・・・』

「あたしがやりたいんです・・・・。九十九が目を醒まさない一番の原因は、あたしにあるような気がするし・・・・、あたしがやんなきゃいけない気もするんです」

『・・・・・・三芽』

 命媛が三芽に目を向け、『どうですか?』と聞く。

「・・・・・精神へのダイブは、私の術でも可能です。それに命媛様の御力も借りれば、容易くなるでしょう・・・・、でも」

『・・・・壱姫』

「は、はいッ!?」

『他者の心への進入は、とても危ういものです。肉体という鎧がないのですから。その者の心の激しい衝動に呑まれれば、容易く消滅してしまうでしょう』

「・・・・・・・でも、やりたいんです」

『・・・・・・・』

 目を伏せ、数瞬沈黙した命媛が、九十九と壱姫の間から身をひく。

 壱姫が振り向くと、千夜たちが頷く。七香は、不敵な笑みとともに、親指を立てた拳を突き出していた。壱姫もそれに答え、そして九十九の側に寄る。

「え・・・?」

 命媛が壱姫の背中を押し、そのまま九十九ごと抱きしめる。

「ちょッ・・・」

「落ちついて。精神のリンクする時は、相手に密着していた方がやりやすいの」

 命媛の代わりに答えた三芽が、壱姫と九十九の頭に手を乗せる。

「いい? 一度、精神にダイブしたら、援護はそうそう出来ないからね。《声》を届けるのも難しいの・・・。気をつけて。いくわよ・・・・」

 ヴヴンッ。

 三芽の身体に複数の《呪紋》が浮かびあがる。命媛の身体からは淡い光が灯り、それが壱姫たちの身体を覆った。

「あ・・・・」

 小さな呟きとともに、壱姫の身体から力が抜け、頭を九十九の方に預けた。

「入ったのか?」

 黒杜が聞くが、三芽は首を横に振る。

「まだ、トランス状態になった壱姫ちゃんの精神を、九十九の精神に繋げてるだけ。これから――――!?」

 全員の身体に寒気が走った。周囲に満ち始めた気配が、驚愕を呼んだ。

『おお・・・・おおおおッ・・・・』

 呻きとも叫びともつかない声に、皆が一斉に振りかえる。

「こいつは・・・」

 地面から溢れ出すように、文字とも模様ともつかない形をしたエネルギー粒が浮かび出していた。

『おおお・・・・・おおおお・・・・』

 エネルギー粒が集まり、一つの形をとり始める。それがどんなものか、簡単に予想できた。だが、それを考えるのが嫌だった。斃したはずの敵が生きていたという予想など。

『くく・・・くくくッ・・・くはーはははッ!』

 やがて、それは男の身体へと変じた。宙に浮いていた体がゆっくりと着地する。

「隗斗・・・・」

 黒杜がうめく様に男の名を呼ぶ。目の前に現れたのは、壱姫の輝閃によって、心臓を断たれたはずの隗斗だった。

「てめェ・・・、気配を消してつけてやがったな」

『身体を霊印に変えてな・・・・ヌゥッ!』

 突然、隗斗の身体が裂けた。

 左肩から右胴に走る亀裂。壱姫が切り裂いた箇所だ。

『この身体は、いままでとり込んだ《命》によってかろうじて保たれている。しかし、大元の《命》は、その女に切り裂かれた』

 憎悪をこめた瞳。それは、命媛の放つ光の中の壱姫に向けられている。

『この身体の崩壊を止めるには、強い《命》が必要だ・・・・。それも、今の私の衰えた《力》にも無抵抗な《命》が・・・』

 その視線が、今度は九十九に向けられた。

「皆ッ、壱姫ちゃんは、もう九十九の精神に向かってる。今から無理に引き戻したり、術を止めたりすれば、壱姫ちゃんの精神が傷つくッ!あと十秒でいいから、あいつを近づけないでッ!」

『その新しい肉体は、私が貰うッ!!』

 隗斗が九十九たちに向かって疾走する。

 その間に、それぞれの法具を構えた千夜たちが立ちはだかった。

『退けェッ!!』

「なッ!?」

 隗斗の身体から放出された妖気が嵐となって千夜たちの身体を吹き飛ばした。

「ばかなッ!?」

「なんで、あんな身体でこんな《力》を使えるッ!」

 ダンッ!

 地面に叩きつけられた千夜たちの間を駆け抜ける隗斗に向かって、黒杜が跳び込んだ。

「拳霊―――金剛砕!!」

『ヌウッ!!』

 バシィッ!!

 霊気を纏った拳を、隗斗が受けとめる。が、隗斗の腕は弾けるようにちぎれ跳んだ。

『おおおッ!!』

 残る片方の拳が、黒杜の腹にたたき込まれ、骨の砕ける音が響く。黒杜の大柄な身体が吹っ飛び、地面を跳ねる。

「ぐッ・・・、野郎、ホントに形振りかまってねェ・・・」

 千切れとんだ隗斗の腕が、霊印になり、そして霧散した。肉体の崩壊が進み、すでに限界が近いのだ。

『ハァ――――ッ!!』

『ぐッ!?』

 雷、風、冷気の多重結界が、隗斗を阻む。雷過たちが九十九たちの前に立って、各々の結界を張っている。

『邪魔するなとォ、言っているだろうがァッ!!』

 バギンッ!!

 一撃で、三重の結界が砕けた。隗斗の拳撃と結界破壊の衝撃が疾風と冷那を吹き飛ばす。

「―――がはッ!」

 踏みとどまった雷過に、隗斗が回し蹴りを打ち込み、地面に叩きつける。

『忌むべき貴様の《力》を使うとは歯がゆいが・・・・その身体、貰ったァァッ!!』

「闇鎖ッ!!」

 ジャラララッ!!

『なにッ!?』

 三芽の周囲から出現した黒い鎖が隗斗の身体に巻きつく。

「終わったわよ・・・」

 三芽が立ちあがり、右手を振るう。それに呼応した黒い鎖が隗斗の身体を空中高く、舞い上げる。

 命媛が右手を振り上げ、隗斗に向けた。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!

 命媛の妖気の高まりとともに、地面が大きく鳴動する。

「ち、力の余波だけで大地が唸るのか?」

 命媛の力の強大さに、千夜たちが驚愕する。

『砕けなさい』

 命媛の静かな呟きとともに、その右手から白光が放たれる。

『ぬあッ!?』

 白光が隗斗の身体を呑みこむ。黒鎖が砕け、壱姫が切り裂いた箇所が再び引き千切られ、下半身の方が一瞬で消し飛んだ。

『ぐあああああああああおおおおおお―――ッ!』

 ブシュッ!

 隗斗の右腕が弾けるように、ちぎれ飛んだ。そして、白光から飛び出す。

 次の瞬間、白光の中の隗斗の身体が、完全に消し飛んだ。

『むッ?』

 右腕が霊印に変じ、急速に下降する。

『はッ』

 命媛が左手を振るい、妖気を幾筋もの針に変えて放つ。宙を疾空する妖気針が霊印を貫き砕く。

 ヒュンッ!

「あッ!?」

 たった一つ、霊印が命媛の攻撃を掻い潜り、飛び込んできた。三芽が腕を伸ばすが、それをかわし、九十九の身体に染み込むように入っていった。

「ああッ!」

 悲痛な叫びをあげ、三芽が九十九に駆け寄る。

『・・・・・後は、壱姫にまかせましょう。あの者たちなら、大丈夫です』

「え・・・・、あの者たち?」

 怪訝な表情をする三芽に向かって、命媛は小さく微笑んでいた。

 

 

「・・・・・・・ここは」

 壱姫は真っ白な世界の中にいた。周囲全てが白く、まったく距離感のない世界。

「ここが・・・・九十九の精神」

 足下に感触がない。だが、浮遊感もない。ただそこに在るというだけだ。

「変な感じ・・・」

 あらためて周囲を見渡す。白い。どこまでも白く、ただそれだけ。

「寂しいところ・・・。これが今の九十九の心の中、なのかな・・・」

(壱姫ちゃんッ!)

「!?―――三芽さんッ!」

 三芽の《声》が響いた。ひどく切羽詰った声色だ。

(隗斗が九十九の中に入ったわッ!)

「隗斗がッ!? 生きてたのッ!」

(ええ、あいつ、最後の《力》で九十九の身体をとり込む・・・いえ、手に入れるつもりよッ! 今の九十九は、精神的に抵抗力がない状態。なんとかしないとすぐに乗っ取られるわ・・・)

「ど、どうすればいいんですかッ?」

 問うが、返事が返ってこない。

「三芽さんッ?」

(―――ごめん、《声》も届きにくい・・・。多分、あいつは九十九の心の中核に向かったはず。壱姫ちゃん。精神世界では、距離も方向も関係ないの。ただ念じて・・・。九十九のところに行きたい、って)

「・・・・・九十九の・・・・ところへ」

(ええ・・・・・。これ以上、一つの心の中に他者の精神は送れない。どっちの負担も大きくなりすぎるからね。たぶん、これ以上、心の奥に行けば、《声》も届けられなくなる・・・。もし危険が迫ったときは・・・・・・、九十九のことはいいから、その場から出たいと念じて)

「・・・・・・・必ず、九十九を起こして、それから帰って来ます」

(壱姫ちゃん・・・・)

「祈っててください」

(・・・・・・・・がんばって)

 

 ゥンッ!

「!?」

 周囲の景色が一変した。ただ白いだけの世界が、突然、嵐の中に変わっていた。

「な、なにコレ・・・」

 気を抜くと、すぐに吹飛ばされそうな嵐の中、壱姫はなんとかその場にとどまる。

 嵐の中に、一つの光点を見つけた。

「あれは・・・・」

 壱姫は光点に向かって、嵐の中を進む。先ほどは念じただけで、一瞬でこの場に来れたというのに、今度はゆっくりとしか進めない。嵐が壱姫の行動を邪魔するように吹き荒ぶ。

「・・・あ・・・あれは・・・」

 やがて光が、光の膜だとわかり、その中に少年が膝を抱えるようにして震えているのが見えた。

「九十九・・・・」

 見間違えるはずもなく、それが少年時代、6年前の九十九の姿だと気付く。

「あれが・・・九十九の心の中核・・・・・。この嵐・・・・九十九、あたしを近づけたくないの?・・・・・・!?」

 壱姫がバッと振りかえる。すぐ背後に隗斗がいた。

「隗斗・・・・」

「そこを・・・退け」

「退かない・・・・絶対に、あんたなんかに九十九の身体はわたさないッ―――!?」

 右手の中に木刀が出現した。刀身の部分に文様が浮かぶ剣霊の法具。

「守薙・・・・・なんで?」

「攻撃的な意志は、この世界では、こういった手馴れた武具の形をとる」

 顔をあげれば、隗斗の右手にも、妖刀華血が握られていた。

「この世界での消滅は、肉体の死に通じる。そこを退け」

「・・・・・」

 九十九と隗斗の間で、壱姫が構えをとる。

「―――ぜえあッ!!」

「ぐゥッ!」

 隗斗の重い一撃が、守薙を通じて壱姫に伝わる。

「どうやら、精神体での戦闘を知らないようだな・・・。ならば、精神体同士の闘いで、一番単純な戦闘の仕方を教えてやろう」

 隗斗が壱姫の剣を弾き、間合いを取る。

「精神体の闘いでは、精神の強さがそのまま威力へと変わる。貴様と私、どちらの精神力が上か、試すか?」

「―――せあああッ!!」

「ぬんッ!」

 両者の剣撃がぶつかり合う。その一撃だけで威力の差は歴然だとわかった。壱姫が大きく弾かれ、嵐を突っ切る。そして、九十九のすぐ側でなんとか踏みとどまった。

「どうした、そんなものか?」

 ゆっくりと嵐の中を進んでくる隗斗の姿に、壱姫が構えをとりなおす。

(・・・・あいつの精神力・・・、認めたくないけど、自分のためだけにどんなことでもするっていう意思が強い・・・・。あたしの意思の力じゃおよばないの・・・・)

「力の差を感じれば意思は砕け、さらに自らの精神力を弱めることになるぞ・・・・・・ん?」

「――――なに・・・これ?」

 意識の中に、イメージが流れ込んでくる。見たことの無いもの、見覚えのあるもの。

「これって・・・・九十九の・・・・記憶ッ?」

「心の中核に近づいたために、奴の思考が流れ込んできているのか・・・・」

「・・・・この記憶・・・九十九の・・・九十九の辛い過去・・・」

 流れ込んでくるイメージは、どれも辛い場面だった。おそらく200年前のものだろう。どれもが、普通の人々から恐れられ、疎まれ、蔑まれる。大人も子供も、鬼哭の里から出れば、怒りと恐怖を顔に浮かべ、彼を追いたてる。

 九十九の声が響いてくる。『やめてくれ』『俺は何もしていない』『あんたたちと仲良くなりたい』。

「・・・・・・・い、嫌」

 現代の記憶。記憶を封じられた九十九が見たもの聞いたもの。そこには壱姫の姿がある。

 

(たとえ、ほんの僅かでも・・・・あんたが、妖怪の血を引いているなら・・・・・、あたしにとっては、憎い敵と同じなのよッ・・・)

(あたしはあんたなんかと稽古したくないのッ。一つ屋根の下にいるのも嫌ッ)

(・・・・・妖怪のアンタの視力と比べないでよ)

 ―――俺にそんなことを言わないでくれ、壱姫―――

 

「やめて・・・・こんなの、あたしに見せないで・・・・」

 

(九十九・・・・・・あれは一体何なの・・・・)

(・・・・・あたしは・・・・・・あたしは、あんたが憎いッ。父様を殺したあんたを――――殺したいッ!!)

(退魔師として、危険な妖怪であるあんたを――――滅する!)

 ―――俺をそんな目で見ないでくれ、壱姫―――

 

「嫌よ、こんなの・・・・・あたしは・・・・・ヒッ!」

 壱姫が悲鳴を上げる。最後に浮かびあがったイメージ。その時の感覚が甦る。

 心臓に達した刀から伝わった肉を貫く感触。宙を舞う大量の血。そして目の前にあった、九十九の笑み。

 鬼哭の里の闘い。そこで九十九の命を断った、あの一瞬のイメージ。

「九十九・・・・あんた、なんであたしを護ったのよ。なんで、笑ってたのよ。こんなに・・・・こんなに、苦しんでたのに・・・、あたしのせいでこんなに辛い思いをしているのに・・・・なんで、あたしを・・・・・・・・・」

「・・・・・・・」

 壱姫は、側から離れる隗斗の動きにも気付かない。

「哀れな女だ・・・。自らの行いで、自らの心を砕いたか・・・・。貴様も哀れだがな」

 九十九を目の前にして、隗斗が笑みを浮かべる。すでに邪魔をするものはいない。後はゆっくり九十九の精神を征服していくだけでいいのだ。

「まず、貴様の《力》を頂く。我が肉体を形成する霊印を再生してから、貴様の肉体を取り込んでやろう」

 隗斗の手が、光膜に触れる。

「・・・・凄まじい《力》だ。そうか・・・・反魂の影響で、命媛の《力》が九十九の肉体に・・・・、クハハハッ、こいつはいいッ! これならすぐに全回復―――いや、更に強くなれるぞ」

 

 

「これは・・・・・、九十九の中で、隗斗の《力》が増大している・・・」

「そんな・・・・」

 三芽の言葉に、千夜たちの顔に絶望の色が浮かぶ。

「・・・ぐッ!?」

「? どうしたの、千夜くん・・・・・、七香ちゃんたちも・・・・」

 突然、千夜たちが胸を押さえて膝をついた。

「な、何かが・・・・」

「僕たちの中で、何かが叫んでいる・・・・」

「・・・・・・・まさか」

 三芽が、すぐ側に立っている命媛を見上げる。

『・・・・・・・』

 

 ギィンッ!

「ぬぅッ!!」

 突如迫ってきた壱姫が繰り出した守薙の一撃を、隗斗が華血で弾き返す。

「・・・・・・あれ?」

 虚ろなままだった壱姫の瞳に、光が戻る。何やら自分の状況を把握していない様子だ。

「あたし・・・・なんで・・・・。いつの間に、攻撃してたの?」

「貴様、何を言っている?」

 隗斗の目に、壱姫の身体がダブって見えた。目をこすり、精神体の状態で、それがなんの意味もないことに気付き、再び壱姫を見る。

「気のせいか・・・?」

 ブアッ!!

「何!?」

「きゃあッ!?」

 二人が同時に驚愕の声をあげた。守薙を持った壱姫の右腕が二つに増えていた。

「・・・・何をするつもりだッ」

 隗斗が一気に接近し、袈裟斬りの一撃を繰り出す。自分自身、何が起こっているのか分かってない壱姫は、それに反応できていなかった。

 ギィンッ!

『―――!!』

 斬りかかった方斬りかかられた方、同様の表情で驚く。増えた右腕の一方が、守薙でその一撃を止めていた。

 ズイッ!

 今度は、身体全体が二つに分かれていく。それに押されるように、『壱姫』の方が後方に下がった。

「え? え??」

 半分パニくってる壱姫の前で、もう一人の壱姫が、隗斗の刀を弾き、距離を取る。

「貴様・・・まさかッ!?」

 驚愕から憎悪へ。隗斗の表情が一変した。一方、壱姫の隣まで下がった、もう一人の壱姫は不敵な笑みを浮かべ、守薙を構えている。

「情けないわねー。あんた、それでもあたしの転生体? ま、わからなくもないけどね・・・」

 もう一人の『壱姫』が、視線を向けないまま言ってくる。

「・・・・・転生体? あんた、まさか・・・・」

「あたしは、刹那。神影流六武法剣霊十四代目当主、葦鳳刹那よ」

「あたしの・・・前世」

「そゆこと・・・。さ、『壱姫』!」

「えッ?」

 初めて顔をこちらに向け、そして、九十九のいる光膜を顎でさす。

「・・・・・・・・」

「あんた、なんのためにここまで来たのッ!」

「!!」

 刹那が一喝すると、一瞬で壱姫の顔に生気が戻った。すぐ前までは今にも力尽きそうなほど青ざめていたというのに。

 少しずつ体の位置をずらし、隗斗の動きを牽制しながらさらに続ける。

「言っとくけど、『あたし達』が表に出てこなかったのは、今のあんた達に任せようって決めたからなんだかねッ。このまま、ただ泣いて帰るなんて、許さないわよッ! この時代の九十九の友達のあんたが、ちゃんとやりなさいッ!」

「ぜああッ!」

 嵐の中で、隗斗と刹那が数度切り結び、再び距離をとる。壱姫の時は、威力の差は歴然だったというのに、刹那は互角にぶつかり合っている。

「我が妹ながら、忌々しい女だッ!」

「私の技量はあなたには及ばない。だが、心の闘いにおいて、あなたに負ける気はありません、兄上ッ!」

「ぜああッ!」

「せぇあッ!」

 渾身の一撃が九十九の目の前でぶつかり合う。

 壱姫が守薙を刃の上を滑らせ、柄尻を隗斗の横っ面に叩きこむ。

「ぐッ―――おおあッ!」

 気合とともに振るわれた隗斗の剣撃が、胸から左肩に傷を刻み込む。

「―――であァっ!」

 一瞬も苦痛を見せずに、鋭い蹴りを隗斗の胸に打ち込む。大きく弾き飛ばされた隗斗を追う刹那の傷からは、血が蒸気のように噴出していた。正確には、血ではなく精神力が消失しているのだが。

「とっとと九十九くんを起こしなさいッ!」

 九十九から大きく離れ、刹那と隗斗が闘いを再開する。

「・・・・・・・・」

 しばらく刹那たちと九十九を交互に見ていたが、意を決し、光膜に近づく。途端、辛苦のイメージが壱姫に流れ込んできた。

壱姫の動きが止まり、それ以上近づけなくなる。だが、引くことも出来なかった。九十九を助けなければという思いが、後退することを拒んでいた。

 しかし、進めない。流れ込んでくるイメージが、壱姫を拒む九十九の心なのではないかと思えてくる。

「・・・・・!」

 イメージの中に、辰巳と光の姿を垣間見た。それも、壱姫にとっては辛いものではあるが、壱姫が思い出したのは、その場面ではなかった。

 

『どうすればいいか分からないとき、物事に自分なりの優先順位をつけて、それを実行していけばいい。俺はいつもそうしてる

し、多分、つくッチもそうだったんだろうさ』

『物事に優先順位を・・・・・、自分のもっともしたいことを・・・・、実行する』

『ああ・・・・、そんで、葦鳳が今、一番しなけりゃならないこと・・・・、一番したいことはなんだ?』

『・・・・・・・』

『壱姫ちゃん・・・・、秦くんに会ったとき、どんな顔をすればいいか分からなくて怖い、っていうのはさ・・・・、その恐れの裏に、

秦君に会いたい、っていう強い思いがあるからじゃないの?』

『・・・・・あたしは・・・・。あたしが今一番したいこと・・・』

 

 壱姫は一瞬思考が止まった。流れ込んでくるイメージも吹っ飛んだ。次いで、たった一つの答えが浮かんできた。

「九十九に会いたい」

 身体に力があふれてきた。神影流の奥義『輝閃』に似た《力》。ただ一つのことを思い、ただそれだけを実行する。それが《力》になることを思い出した。

「九十九ッ!」

 嵐の中を突っ切り、光膜にぶつかるような勢いで接触する。

 僅かな抵抗感の後、すんなりと光の膜へと入れた。侵入者を拒もうとする嵐の壁の内側は、九十九の心は、今、脆いのだ。

「九十九ッ!!」 

 すぐ目の前でもう一度叫ぶ。少年時代の姿の九十九は、それに答えない。聞こえているのかもわからない。

「起きなさいッ! あたしと一緒に、現実に戻って!」

『・・・・・・・』

「あんたのために皆頑張ったんだよッ! 千夜たちはボロボロになるまで闘った。三芽さんは命を賭けようとした! サチは、あんたのために命を丸投げしていたわ!」

『―――』

 わずかに反応があった。壱姫はさらに続ける。

「あんたが戻ってくることを、皆、心から望んでる・・・。皆、あんたが好きなのッ! いっしょにいて欲しいのッ!」

 九十九が顔をあげ、壱姫の方を向いた。だが、まだ見ていない。焦点の合わない瞳が少し動いただけだ。

「あたしだって、あんたに戻ってきてほしいッ! あんたに伝えたいことがあるの・・・・。ゴメンナサイ、って謝りたい。アリガトウ、ってお礼がしたい・・・・。それに――――」

「壱姫、逃げてッ!」

「えッ!?」

 振り向くと、隗斗が迫っていた。隗斗の肩越しに、身体に深い傷を刻まれた刹那の姿がある。精神体ゆえに、それはまだ致命傷にはなりえないが、かなりの精神力を消耗していることは確かだ。

「いまさら、貴様に意識を醒まさせるものかァァッ!」

「!?」

 光膜を貫いた華血の切先が、壱姫の腹に埋もれる。痛みとは異なる苦痛とともに、凄まじい疲労感のようなものが襲いかかってくる。精神力が大きく消失したのだ。

「ぬああッ!」

 隗斗が力任せに刀を振り抜き、壱姫の身体を振り飛ばす。刹那がそれを受けとめた。

「クッ・・・」

 精神体でなかったら、臓腑まで裂けているだろう傷を見下ろす。身体に力が入らない。

「もうすぐ私の身体は、完全に再生する。九十九と命媛の《力》で今までより強力になってな。そして、すぐに九十九の身体と精神をとり込み、さらに強くなる。選ぶがいい。この精神の世界で消滅するか、現実の世界で殺されるか・・・・」

「・・・・・・そのどちらも、兄上が選ぶべきことでしょう?」

「なんだと?」

「刹那・・・?」

 背中を支えていてくれる刹那を、肩越しに見上げる。笑っていた。

「兄上は、今、200年前と同じ過ちを繰り返していますよ? あなたは、九十九くんの目の前で、彼の大切な人を傷つけた」

「――――!?」

 刹那の言葉に、ハッとなり、隗斗が光膜へ目を向けた。しかし、そこに、すでに光膜はなかった。あるのは、破られた光膜の破片。そして、今やっと、嵐が消え去っていることに気付く。

 ゴッ!

「――ごはッ!?」

 右頬に重い一撃を受け、隗斗が吹っ飛ぶ。

 何もない白い空間を回転しながら跳ばされた隗斗は、なんとか体勢を立て直し、自分が吹っ飛ばされた場所に目を向けた。

拳を振り下ろした姿勢で、九十九がそこにいた。200年前、そして6年前の姿じゃない。現代で育った、今の九十九の姿に変わっていた。

「隗斗・・・」

「・・・・・・」

 隗斗が我知らず、後ろに下がっていた。200年前、《狂鬼》へと変じた九十九がダブる。

「九十九ッ!」

「・・・・・」

 怒りに満ちていた九十九の顔に、寂しい笑みが浮かぶ。隗斗から目を離さないまま、口を開いた。

「壱姫・・・。帰って、俺を封印しろ」

「え・・・」

「俺は、帰らない。今の俺の《力》を基礎にして姉さんが術式を組んでくれれば、隗斗が逃げる間もなく、永遠に近い時間、封印できるはずだ」

「な・・・なにを言って・・・」

「それまで、こいつは俺がここに閉じ込めておく」

 九十九が隗斗に向かって前進する。隗斗は、はっきりと焦りを見せる表情を浮かべたまま、華血をかまえた。

「九十九くんッ!」

「九十九ッ!」

「刹那さん・・・、何百年も経ってまで、心配かけてゴメン・・・。それに、壱姫・・・」

 九十九が、初めて壱姫に顔を向けた。九十九の今、浮かべている表情。それは、6年前、泣きながら裏の天叢雲剣を突き出した九十九に向けた、零朱と刀路の表情に似ていた。

「俺は、お前をずいぶん傷つけちまった。何からでも護るなんていってたのに・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 壱姫は顔を伏せ、震えていた。涙を流しているように見えた。

「・・・・・・俺は、お前の前から消える。あいつを道連れにして・・・。そうすりゃ、お前等を煩わせるやつは、いない」

「・・・・・・・・」

 隗斗の方に向き直っている九十九は、気付いていなかったが、刹那は怪訝な顔をしていた。

いい加減に・・・・ここまで、あたしたちが・・・・なんか頭に・・・・・・

「・・・・壱姫?」

 刹那の耳に、壱姫が何かボソボソ言っているのが聞こえてくる。

 握られた拳が上がってきている。悲しみに涙していると思っていたが、今は、それは怒りに震えているのではないか、と思えてきた。

「俺はことは忘れてー―――」

 ゴンッ!

「くはッ!?」

 後頭部に衝撃を受け、九十九が前につんのめる。

 刹那が唖然としていた。隗斗も呆然としていた。目の前で、今何が起こったのか、数瞬理解できなかった。

「久々に、プッツーンと頭にきたわよッ、この馬鹿ッ!」

「な、なんだァッ!」

 頭をさすりながら振りかえると、やっぱり怒りの形相を浮かべた壱姫が見下ろしていた。額や拳に、怒りマークがくっついていそうな気配だ。

「さっきから聞いてりゃ、自己完結して勝手なことばっか言ってッ! ダーレがそんなこと望んでるってのよッ!」

「だ、だって、お前」

「だってじゃないッ。あたしたちがッ、なんでッ、ここにいるとッ、思ってんのよッ!!」

「んなこたァ分かってるよッ! だが、俺はお前に合わす顔がない―――」

「今、もう、合ってるッ!」

「―――このまま俺があいつに乗っ取られちまったら・・・、もし仮にあいつを身体から追い出せるとしたって、ダメだッ。今のあいつは俺の《力》の幾分かを奪って、前以上の《力》で復活する。そうすりゃ、またお前等が傷つくだろう」

「そんなことは、あたしだって百も承知よ。だからって、あんたが犠牲になるなんて事、承諾すると思ってんのッ。それこそ、さっきまでの、あたしたちがボロボロになるまでの戦闘が無駄になるでしょッ!」

「あ、あのなァ・・・」

「そんなこともわかんないのッ。バカだバカだとおもってたけど、ここまでとは思ってなかったわ。そもそも、あんた、今だけじゃなく、六年前も、あたしたちと戦ってたときも、一気に自己完結して、自分を犠牲にしてさッ! んなことしたって、そん時の状況に酔ったあんた以外、誰も喜ばないのよッ、このブァーカッ!」

 カッチーン!

 今度は、九十九の表情が一変する。焦りと困惑を浮かべていた顔が引きつり、額に血管が浮かぶ。

「んだとコラッ! 誰が状況に酔ってただとッ。あん時ァ、ああするしかなかったし、男がテメーの大事な奴等を、命をかけて護るっつって何が悪いッ!」

「それが酔ってるって言ってんのよッ! 大体、『あんな俺の姿を見て欲しくなかった』? だから、記憶を消す? んなことしたから、あたしが妖怪嫌いの、あんた嫌いになっちゃったんじゃないッ!」

「んなこたァ、俺が気にしなけりゃいいし、てめーだってすぐに妖怪嫌いが緩和されただろーがッ!?」

「あんたに封じられてた記憶が戻ったとき、あたしたちがどんだけ苦しんだとおもってたんのよッ! あたしなんか食事も喉に通らなくなっちゃったんだからねッ!」

「ぐッ・・・、だったら少しはダイエットになったんじゃねーかッ? このデーブッ!」

「何ですってェ! あたしのどこにダイエットする余分な肉があるってーのよッ! あんた、脳みそが筋肉になって、思考力もなくなってんじゃない、このブァーカッ!」

「んだと、このブスッ!」

「なによ、このアホッ!」

 口論の内容はすでにすりかわり、次元は子供のケンカあたりまで落ちていた。

「お、おい・・・・」

 呆然としていた隗斗が、ハッとして剣を構える。一瞬で、隗斗は完全に蚊帳の外に追い出されていた。

「貴様等・・・・おい、貴様等! 私を無視して、なにを低次元な――――」

 急速に二人に迫り、刀を振りかぶった隗斗の表情が引きつる。

 二人が一斉にこっちを向いた。理不尽といえば理不尽な怒りの瞳で。

「黙ってろッ!」

「邪魔よォッ!」

 動きが止まった隗斗の顔面と胴に、裏拳と横薙ぎが炸裂した。

 

 

「え―――?」

「なんだッ!?」

 ザシャアアッ!

 千夜たちが一斉に驚きの表情を浮かべた。九十九の身体から何かが飛び出したと思ったら、空中を弧を描きながら千夜たちの頭上を飛び越え、そのまま地面に激突。数メートルを転がった。

「―――」

 それは、隗斗。崩壊していた体が、完全に再生しているのが分かった。だが、その表情は、驚愕に歪んでいた。

「バカな・・・・・そんな馬鹿なッ! あんなことで・・・・あんな理不尽なことで、霊印合逢の秘術が破られただとォッ・・・」

「・・・・・・アッ!」

 七香の声に、皆が一斉に振りかえる。

 壱姫と、そして九十九が立ち上がっていた。瞳にしっかりと意志を浮かべて。

「・・・・・・あ?」

 そして、皆が一斉に怪訝な顔をした。

 二人は思いっきり睨み合っていた。互いを威嚇するように、鼻息荒く。

「この場を片付けたら、決着つけてやるからなッ」

「望むところよッ」

「へッ!」

「フンッ!」

 同時に顔をそむけ、そして九十九が隗斗に向かって歩き出す。

 と、ピタリと止まった。

「それから、壱姫ッ、それと皆ッ!」

『・・・・・・・』

 壱姫がそむけていた顔を戻し、皆も九十九の言葉を待った。

「・・・・・・ありがとな」

 振り向いた九十九の顔には、いつもの、いつも見せていた、あの気の抜けた笑みが浮かんでいた。

 

 

      第三十四章へ続く・・・・        戻る?