第三十四章

人外へ

「こうやって、話をすんのは久しぶりだなァ、隗斗」

 パンッ!

 右拳を左手にぶつけ、小気味いい音を鳴らす。口元に皮肉げな笑みを浮かべ、九十九はゆっくりと隗斗に近づいていった。

「くッ!」

 隗斗の右手に、妖気の塊が生まれる。それは一瞬で日本刀の形をとり、隗斗の手に収まった。

「相変わらず、回りくどいことしやがって・・・・。やるならやるで、手前がイの一番にきやがれってんだ・・・。200年前も、今も」

 体から立ち昇る霊気が収束し、かわりに、妖気が溢れ出す。

「・・・・やはり、今も昔も、私の前に立ちふさがるのは、貴様のようだ」

 隗斗も、強烈な、壱姫たちと戦ったときとは比べ物にならないほどの強い妖気を放ち出す。

「てめェが、邪魔してんだろうォが。俺の・・・・俺たちの行く道をよォッ!!」

「チィエアアアアッ!!」

 二人が同時に飛び出す。両者の姿が一瞬にして《鬼人》の姿へと変じ、二人の放つ妖気は、爆発的に高まった。

「金剛砕!!」

「神覇斬!!」

 ドォンッ!!

「きゃあッ!」

 両者の衝突の衝撃が、壱姫たちに襲いかかる。顔を覆った腕を下ろしたときには、次の衝撃が振りかかってくる。

「うらァッ!」

「ゼアアッ!」

 一発一発が神威並の威力をもつ二人の攻撃が繰り出される度、大気を揺らすほどの衝撃が生まれる。

「シィィアッ!!」

 ザンッ!

 隗斗の唐竹の一撃が、九十九の左肩を断ち、腕を飛ばす。

「ぬぅぅ―――ああああッ!!」

 時間が逆行したかのように、九十九の左腕が体へと戻った。そのまま大きく振り上げ、隗斗の体に叩き込む。

「ぐふッ!」

「神影流拳霊―――神威之弐!!」

 地面に叩きつけられた隗斗の頭上に、九十九が跳び、全身の霊気を両腕に凝縮していく。霊気の高まりが大気を歪め、九十九の姿をぼやけさせた。

「―――八龍喉破!!」

 突き出した両掌から膨大な妖気が放出され、八つ頭の龍を形作る。

「ぬああああッ!!」

 視界を覆うように襲いかかる妖気龍を、隗斗の剣撃が切り裂いていく。しかし、最後の二匹がその腕と足に食いつき、地面へと隗斗を叩きつけた。

「ぐ・・・・ぐううッ!」

 千切れとんだ右腕と両足は、破断面が再生し、瞬く間に元通りに繋がる。

「隗斗ォォォッ!!」

「キィエエエッ!!」

 全身に妖気を纏い、九十九が隗斗に向かって跳んだ。隗斗は、妖気を収束した刀を振るい、それを迎え撃つ。

 タンッ!

「ぬッ!?」

 九十九が地面を蹴るとともに、刀身の腹を叩き、隗斗の頭上に跳んだ。そして、身体を縦に回転させ、遠心力を乗せたかかと落としを繰り出す。

「ガッ!?」

 後頭部に強烈な一撃を受けた隗斗が、顔面を地面に強打する。

「行くぜ―――」

 銀翼を羽ばたかせ、九十九が跳びあがる。その周囲には無数の羽根が舞っていた。

「銀羽光雨!!」

 銀羽が閃光となって降り注ぐ。

 ドドドドドドドドドドドドッ!!!

「きゃあッ!」

「うおッ!?」

 爆光と衝撃が空間を支配する。

 バフッ!

 土煙を突き抜けて、隗斗が九十九に迫る。

「ゼアアアアアッ!!」

「甲円掌!!」

 凄まじい速度で打ちこまれる剣撃を、拳に凝縮された妖気が弾く。一撃一撃の余波が荒らしとなって、空間内を駆け巡った。

「神覇斬!!」

「貫殺掌!!」

 一瞬の間の後、互いの霊技が相手の身体に打ちこまれる。九十九の右足が太ももの中ほどから断たれ、隗斗の左肩が大きく抉られた。

 しかし、数秒としないうちに、足はくっつき、傷は再生する。

「でああああッ!」

「ゼエエアアッ!」

 異様な光景だった。数手のうち一つは攻撃がヒットし鮮血や肉片が飛び散るが、次の瞬間両者は五体満足の体で強力な霊技を繰り出している。これ以上ないほどに高まった再生能力が、尋常ではないダメージを完全に無効にしていた。

「すごい、というか無茶苦茶ね・・・」

 七香が驚きと呆れが交じり合ったような表情で呟く。

「あれじゃあ、相手の霊力そのものを断ち切る《輝閃》でも、どこまでダメージを与えれるかわからんな」

「あんたの場合は打ち砕く、だけどね」

 十吾の台詞に、あまり重要でないことでツッコむ百荏。目の前の光景に、ちょっとだけ混乱しているらしい。

「互いの攻撃が通じない、となりゃあ、あの2人の闘いの決着は・・・」

『一人の持つ《力》とは、どれだけ強大であっても、無限ではありえません。強大な破壊力に、驚異的な再生力。いかに氣が増大したとはいえ、あれだけ放出と消費を重ねれば、いつかは力尽きます。その限界が、どちらに先に来るか・・・。あるいは・・・」

 黒杜の言葉を、命媛が続ける。

『両者が持つ、唯一の死点。妖気の核への一撃』

 鬼人である九十九。そして、その鬼人を取り込んだ隗斗の共通の急所。それは心臓にある妖気の核だ。

『今、あの二人の力に差はありません。我の《力》の欠片を得て、人もあやかしも越えた高みでの決着は、両者の死をもって決されるやもしれませんね』

「そんなの困る」

 壱姫が鞘から緋剣を抜き放つ。ヒヒイロカネの刃が壱姫の霊気を受け、紅い輝きを纏った。

「あたしは、まだ九十九に何も伝えてない。ゴメンナサイって言ってない。アリガトウって言ってない。それに、記憶が甦って取り戻した、あいつへの感情も伝えてないッ!」

「九十九への感情?」

「・・・って、壱姫、あんたもしかして・・・・・アッハハハ!」

「あ〜、そっかそっか。そうだったよねー。壱姫ちゃん、そうだったよね〜」

「そういえば、そんな気もしてたな、六年前」

「・・・何よ、その顔は」

 千夜、百荏、七香、十吾に言われ、半眼で壱姫が四人を睨む。少しばかり顔が赤い。

「となると、とっとと終わらせるか?」

 千夜の《力》が覚醒をはじめ、《雷龍》と《神龍》の《力》の融和が始まる。

「いい加減、疲れてるしね、私たち」

「早めに切り上げて・・・・」

「帰ろう、街に」

 七香、百荏、十吾の《力》も急激に高まる。サチをすくうために結界をやぶったときの疲労でフラフラだった身体に、エネルギーが漲っていた。

「やれやれ、若いもんは無茶ができていいねェ」

「三十過ぎで、私たちより無茶なヒトが私の横にいるけどね」

 壱姫たちを見て苦笑する黒杜に、三芽がシレッと言う。

「お前等も付き合うだろ?」

 黒杜の問いに、雷過たちが頷く。

「付き合うに決まっているだろう?」

「私たちも、あの男には貸しがありますので」

「共に・・・」

 雷過の身体に小さな稲光が走り、疾風が風を纏う。冷那の周囲には雪が舞い、それぞれの妖気が呼応するように高まっていく。

 ヴゥンッ・・・

 空間内の十数ヶ所に突如、光の柱が立った。そして空間内の壁の淡い光がわずかに光量を増す。

『皆の《力》の高まりに結界が反応していますね・・・・』

「命媛、サチを頼む」

『ええ・・・。皆、存分に・・・』

 光の柱の一つが九十九と隗斗の側に出現した。空中で攻防を繰り返していた二人がバッと間合いをとる。

「これは・・・」

「結界の要か・・・ぬッ!?」

 巨柱の側で高まる複数の氣を感じ、隗斗がそこに視線を向けた。

「やれェ!」

 黒杜の号令と同時に、疾風と冷那が《力》を開放する。

「風魂!!」

「氷狼爪牙!!」

 風の《力》の凝縮塊と、巨狼の形をなした冷気と雪の収束体が隗斗に襲いかかる。

「その程度の技―――」

「うらあッ!!」

「がッ!?」

 意識のそれた隗斗を、九十九の蹴りが吹っ飛ばす。きりもみ回転しながら叩き落された隗斗に向かって、氷狼と風魂が飛び込んで来る。

「ぬああッ!!」

 それぞれの最大妖術が、隗斗の剣の一振りで切り裂かれる。しかし、砕け散った風と氷の《力》が波動となって隗斗の身体を押し流した。

「行くわよ、十吾!」

「ああッ!」

 百荏と十吾が並び、同時に最大出力でそれぞれの霊気を放つ。

『合法・龍吐獄火(がっぽう・りゅうとごっか)!!』

 百荏の生んだ風の渦が、十吾の炎を飲み込み、巨大な火炎の竜巻を作り出した。弧を描き地に向かって落ちた火炎の竜巻が隗斗を包み込む。

「貴様等ァァァッ!」

 銀翼が羽ばたき、妖気を含んだ突風が、身体を焼き、切り裂こうとしていた炎と風を退ける。

 トンッ

「ぬッ!?」

 隗斗を囲むように、七香の放った四本の矢が等間隔で地面に突き立つ。

「弓霊―――四方重陣!!」

 ズンッ!!

 数十倍の重力がかかったように、結界のプレッシャーが隗斗を地面へと押しつける。

 隗斗への攻撃は止まらない。黒杜と雷過が炎の渦を突き抜けて、隗斗に迫る。

「雷獣覇!!」

「轟龍剛咆!!」

「ぐあああッ!!」

 雷撃と霊気が形をとった獅子と龍が隗斗の両腕を食い千切る。

「護りが甘いなッ!」

「攻撃力が上がりすぎて、防御への氣の集中が甘いぜ!」

 獅子と龍の姿を解き、稲妻と霊気の波動を隗斗の連続して叩きつける。

「うっとおしいわァアッ!!」

 再生した腕で新たに作り出した妖気刀を振るい、二人の攻撃を振り払う。爆発的に放出された妖気が、七香の結界を打ち砕いた。

「―――ッ」

 返す刀で二人に放出系の霊技を繰り出そうとした隗斗の背中に、悪寒が走った。

「槍霊の男―――」

 頭上に、千夜が跳んでいた。緋槍に、いや全身に雷氣を帯び、《力》を編み上げ高める。

「―――受け取れ!」

「千夜くんッ!」

 雷過がありったけの力を込めた雷撃球を打ち出し、三芽が呪紋を発動して生み出した稲妻を放出する。それは、緋槍に直撃し、そして千夜の身体に吸収された。

「神雷・覇轟雷燼(はごうらいじん)―――」

 隗斗に向かって落下する隗斗の身体が巨大な雷撃球に包まれる。

「くらえッ、神鳴る力!!」

 雷撃球の中で千夜が緋槍を振り下ろす。それに叩きつけられたかのように、雷撃球が高速で落ち、一瞬で隗斗を叩き伏せる。

「グアアアアアアアアオオオオアアアアッ!!」

 肉を焼き骨を砕くような《力》の中で、隗斗が立ちあがる。普通なら立ちあがるどころか、一瞬で蒸発しかねない雷撃のダメージを強引にねじ伏せ、跳躍する。

「死ィィねェッ!!」

「・・・・・」

 雷撃球を突き破るように抜け、隗斗が迫る。しかし、自由落下中の千夜は小さく笑った。そして身体をひねる。

「なッ!?」

 隗斗がギョッとする。千夜の脇をすり抜けるように、その死角にいた壱姫が落下してくる。

「神影流剣霊―――奥義!!」

 緋剣が太陽を召還したかのように輝き、そして一瞬にして収束する。

「う―――おおおッ!!」

 迫る壱姫に避けるタイミングを逸した隗斗が、刀を妖気の塊に戻し、迎え撃つ。

「神覇斬・輝閃!!」

 コンッ―――

 乾いた音。妖気塊を切り裂き、右肩から入った刃が隗斗の身体を右の銀翼とともに一刀両断する。

「せ、刹那ァアァッ!」

「―――あたしは、壱姫だッ!」

 身体を切り裂かれながらも、左腕を伸ばし、壱姫を掴んだ。壱姫は、その隗斗に向かってただ怒鳴る。

 ギシィッ!!

「何ィッ!」

 二人の周囲の空間を突き破るように無数の黒い鎖が出現し、隗斗の身体を戒める。

「こ、これは・・・・」

 二つに分かれた隗斗の身体を、闇の鎖が何十と巻き付いている。その鎖に邪魔されるように、隗斗の身体は、くっつくことも再生することもできないでいた。

「三芽かあぁッ!」

 隗斗が視線を下に向けると、三芽が身体に無数の呪紋を浮かび上がらせ、不適な笑みを浮かべていた。

「九十九ッ!」

 隗斗の身体を蹴り、緩んだ隗斗の手から逃れる。そして壱姫と入れ違うように、九十九が隗斗に迫る。

『百の鬼蟲共よ! 寄りて針となれ! 集いて槍となれ! 天割き地砕く破邪神滅の剣となれ!!』

 九十九の右腕に、強大な《力》が収束していく。その力の余波で、すでに九十九の身体の数カ所が裂け、血が噴出していた。

(くッ―――、黒杜たちの攻撃は、こいつに《力》を溜めるための機会をつくるためかッ)

 バキッ!

 闇鎖が砕け、一瞬で二つに分かれた体の切断面がくっつく。

「遅ェよッ!」

 九十九が右腕を振り上げる。全てを砕く百の鬼蟲を放つ《百鬼夜行》。そのエネルギーを収束し、相手を切り裂き打ちのめす、九十九の最大の技。

「天剣絶刀!!」

 ズバッ!!

 九十九に左掌が生み出した光の刃が、隗斗の身体を薙ぎ払い、再び二つに分けた。

「ぬあ―――」

 上半身と下半身とに身体を断たれているというのに、隗斗は意識すら失っていなかった。そして、自分に向かってくる何かを感じ取っていた。

(なんだ―――)

 ドゴンッ!!

 衝撃が隗斗を襲う。

(余波―――違うッ!)

 隗斗は全身で、その衝撃の正体を理解した。襲いかかる衝撃は、光の刃が生み出した余波ではなく、目に見えないほどの極小の霊気の粒。その粒子群が隗斗の身体に叩き付けられる。

 両掌から霊気の粒を無数に放つ拳霊の霊技《砲砂爆》に似た技だが、目に見えぬほど粒子が細かく、そして遥かに多い。なにより、それがもたらすダメージが、桁違いだった。極小とはいえ、その一粒に凝縮された《力》は、砲砂爆とは比べ物にならないほど大きい。

 その粒子群は、間断なく隗斗の身体を襲う。隗斗の身体を貫き、切り裂き、抉る。

「ああああッ!!」

 銀翼が隗斗の前面を覆う。受け続ければ、この攻撃が通り過ぎるころには、隗斗の身体はボロ雑巾のように原型をとどめていないだろう。

「―――うあああッ!?」

 隗斗の顔が恐怖に歪む。 前方の視界を覆っていた銀翼が散って行く。無数の銀羽が後方へと流れ、粒子の波のさらわれ消えていく。

 壱姫の使った輝閃のような極限まで研ぎ澄まされた一撃とはまったく異質。ただの力押し。恐ろしく強大な力押し。

(銀翼より―――鬼人の護りより強いッ!?)

 バシュッ!!

 粒子群が銀翼を一気に吹き飛ばし、再び隗斗を襲う。

「があああああああッ!!?」

 粒子群に身体を攫われ、隗斗の身体が削られていく

「やったかッ!?」

「まだだ・・・」

 千夜たちの側に、九十九が降り立つ。《天剣絶刀》の反動で、左腕は原型をとどめておらず、全身も内側から裂けたような傷からの出血で真っ赤に染まっている。

「九十九・・・」

 壱姫がよろける足で九十九の側に寄る。九十九は一瞬だけ笑みを見せ、そして視線を戻す。

「アイツの妖気の核を捉えられなかった。かわせるタイミングじゃなかったってェのに、大した奴だぜ」

 ドサッ!

「ぬ・・・・おおお・・・・」

 九十九たちの前方に隗斗が落ちた。下半身を失い、左腕は千切れ飛んでいる。

「おお・・・がああッ・・・」

 再生が始まらない。いや、徐々に切断面や破砕面が盛り上がり、失った四肢が再生しようとしているが、遅い。

(再生力が・・・・、体内に打ちこまれた奴の《力》が、妖力を殺している・・・)

 ガリッ!

 残った右腕で、身体を引っ張るように移動していく。

「あいつ、逃げる気よッ」

 七香が弓を構え、矢を番える。

「―――やべェッ!」

 七香が矢を放ったと同時に、九十九が駆け出した。

「だッ!」

 隗斗が右手を地面に叩き付け、身体を浮かせる。七香の放った矢は隗斗のすぐ下を通り過ぎた。

『結界の要に逃げ込む気です』

「えッ!?」

 命媛の言葉に、全員が隗斗の身体の進行方向を見た。確かに一本の光の柱、この大空洞を支える結界の要の一つに向かっている。

「逃がすかァッ!」

 いちはやく、隗斗の思惑に感づき、駆け出していた九十九が跳躍する。

 隗斗の姿が光の柱に消え、次いで九十九もその中へと進入した。

「・・・・・・・・」

 数瞬、沈黙が支配する。

「あの光の柱・・・、煉戒市に通じてるんだよね・・・」

 七香の言葉に、壱姫たちが息を呑む。

「で、でも、九十九の攻撃であいつは、もう・・・・」

 壱姫がヒクついた顔で言うが、誰も頷かない。

『あの者の執念は強い。すでに手段など選ぶ余裕もないでしょう。大惨事になりえる展開ですよ』

 淡々とした命媛の言葉に、ズーンと沈黙が重くなる。

「・・・・行くよッ」

「お、おうッ」

「待ちなさいッ!」

 壱姫たちが、二人の消えた光の柱へと向かう。が、それを三芽が呼びとめた。

「・・・・命媛様。九十九たちが地上に出るまでは、どれくらいですか?」

『・・・およそ30分。《道》の中では時間の流れが違いますから、あの二人の感覚では数十秒でしょうが』

「・・・・・・」

 ヴゥン!

 三芽の身体に無数の呪紋が浮かぶ。

「・・・これは」

 三芽の身体から燐光が溢れ、それが壱姫たちの身体に染み込んでいく。

「あ・・・」

 九十九の援護のために、全力使い切った身体に、力が戻ってくる。

「―――ゼェッゼェッ! さ、さすがにこんだけの実力者じゃ、全快とはいかないわね」

 少し四肢に重みを感じるものの、かなり疲労が癒されたところで、三芽の術が止まる。かなり顔色が悪い。

「だ、大丈夫ですか?」

「壱姫ちゃん」

「は、はいッ」

「跳ぶわよ」

「はい?」

 意味がわからず、壱姫はキョトンとする。が、三芽は説明もせずに、呪紋を発動し、空中に文字とも模様ともとれる光印を描いていく。

「はッ!」

 光印が地面に張りつき、複雑な魔法陣を刻む。

「煉戒市に、空間跳躍するの。先手をとって、隗斗を絶対逃がさないようにね」

 魔方陣が光を放ち、壱姫たちを包み込む。

「空間跳躍って・・・・」

「ワープのこと?」

「壱姫ちゃん・・・、アナログな名称使わないで・・・。まあ、そのとおりよ」

「そのとおりって・・・・」

「じゃあ、なんでそれ今までつかわなかったんですかッ?」

 千夜の言葉に、皆が頷く。鬼哭の里にくるまで数時間もキッツい山登りをしなくちゃならんのだから、当然だろうが。

「・・・・いままで五キロメートルの跳躍までしか試したことないのよ。これ、すっごく疲れるから」

『え・・・?』

「じゃあ、命媛様。しばらくサチを預かっててください」

『ええ』

「ちょ、ちょっと、三芽さ―――」

 壱姫の言葉の途中で、三芽の呪紋が発動する。

 魔方陣の光が一瞬で膨張し、そして消えた。壱姫たちの姿も消え、大空洞には、サチを抱える命媛が立っていた。

『・・・・・武運を祈ってますよ。子供たち、その親しき友人たち・・・』

「ニャー」

 命媛の足元にいるクロ助の鳴き声が、やけに響いていた。

 

 ヴンッ!

「―――あッ?」

 一瞬後、壱姫たちは、どこかの路地に立っていた。足元に魔方陣があるが、すぐに光が薄らぎ、消えていく。

 すでに出発してから、24時間近く経過していたらしい。東の地平線あたりから太陽が顔を出していた。

「ここは・・・」

「あの結界の要からなら・・・、このあたりに二人は出るはずよ」

 一向の中心にいる三芽が、膝をつく。呼吸が荒く、顔面は蒼白だ。

「み、三芽さん」

「おい、大丈夫かッ!?」

 壱姫と黒杜が三芽の側に膝をつく。

「だ、大丈夫・・・ちょ、ちょっと無理したから疲れただけ――――!!」

 三芽が口を手で覆った。と、指の間から血が滴り落ちる。

「お、おいッ!」

「いいからッ! 早くいきなさいッ!」

 三芽の一喝に、黒杜までが硬直するように動きを止めた。

「もう・・・、逃すわけにはいかないでしょう・・・。とっとと行って、さっさとキメてきなさいッ!」

 最後の一言は、壱姫を見て言った。しばらくの躊躇の後、壱姫は頷いた。

「・・・・行くよ、皆!」

「って、どこに?」

「・・・・・あ」

 七香のツッコミで、壱姫が目的地の正確な場所がわからないことに気づく。

「・・・・霊力の高まり、の・・・・ある・・・ところに」

「三芽さん、喋らないで・・・・」

「壱姫ちゃん・・・、これを」

「え?」

 ブンッ!

 三芽の右手が消えた。まるで空間に穴をあけたかのように、肘から先が霞んで消えている。

 水面の波紋のように波うつ空間から腕をひきぬくと、その手は朱色の布の包みが握られていた。

「忘れちゃだめでしょ」

 ちょっと力のない笑みを浮かべ、壱姫にそれを手渡す。ズシリと重みがかかる。

「・・・・・」

「壱姫ちゃん、それらしい霊気を感じたよ」

 一際感覚が鋭い七香が、霊気の高まりを感じていた。

「・・・・行こう、みんな」

『応ッ!』

 壱姫たちが駆け出す。九人の後姿は、曲がり角ですぐに見えなくなった。

「・・・・ぐふッ」

 塀にもたれた三芽が、再び血を吐く。ズルズルと座り込んだ。

「こりゃ・・・しばらく動けそうにないわね・・・。しっかりね、皆」

 

 ザッ!

「・・・・・・ここ?」

 七香を先頭に、突っ走った先で、一行が、特に壱姫と千夜が愕然としていた。あまりに見なれた場所、来なれた場所。

「冗談・・・・」

 千夜の言葉が続かない。

「・・・・・・」

 黒杜が横手に視線を向ける。

 『県立鵬鳴高等学校』

 デカデカとそう記されている。

「壱姫ちゃーん」

「え?」

 呼び声でボーゼンから立ち直った壱姫の元に、親友の御堂 光が駆け寄ってきた。ジャージ姿だ。

「どうしたのッ? 九十九くんはッ?」

「あれーッ、葦鳳じゃねーか?」

 今度は、辰巳が現れた。サッカーの練習着で、脇にボールを抱えている。

「あー・・・、やっぱ、あたしたちの学校なんだ・・・・ッて、ボーッとしてる場合じゃなかったッ!」

『えッ?』

 光と辰巳の声がハモる。

「辰巳ッ! 今、学校にどんだけ人がいるッ!?」

「えッ・・・、えーと、俺らサッカー部と、野球部と、あと、バスケ部も朝練に来てるな?」

「うん.他にもいくつか・・・・」

「すぐに、ここから避難させるんだッ!」

「壱姫ちゃん、私はグランドに結界を張るわ。雷過さん、疾風さん、冷那さん。三人の妖気を基礎にして形成するから、ついてきて!」

「わかった」

「もう時間がない。早く、皆の避難をッ!」

 七香と雷過たちが駆け出す。グランドの400メートルトラックのほぼ中央に、霊気が立ち上り、壱姫たちじゃなくても、少し霊感が強ければ感じ取れるほど、高まっていた。

「え、えッ、どういうこと、壱姫ちゃん?」

「詳しく説明してる時間はないわッ。もうすぐ九十九と、あたしたちの敵がこの場に現れるのッ」

「場合によっちゃ、ここが戦場になるッ! 急いでくれッ」

 壱姫と千夜の言葉に、二人もとりあえず危急の事態になっていることを理解する。

「う、うんッ」

「とりあえず、グランドから人を遠ざければいいんだなッ!」

「お願いッ!」

 二人は頷き、まず、サッカー部のところに走った。おそらく二人がかいつまんで、しかし、切羽詰っているということは強調してサッカー部を説明したのだろう。すぐにサッカー部員全員が散って、他の部の所に走った。

「いいぞーッ、葦鳳ィ―――ッ!」

 遠間から、辰巳が叫ぶ。

「七香ァ――ッ!!」

 壱姫の叫びに応じ、七香が上空に3本の矢を放った。丁度正三角形を描くように、等間隔に矢がグランドに突き立つ。その矢の側にそれぞれ、雷過たちが立ち、妖気を流し込む。

「はァァァッ!!」

 グランドのほとんどを囲むように、ピラミッド状の結界が形成される。

 カッ!!

 結界が張られたと、ほぼ同時のタイミングで、グランドの中央部分に、円状の光が灯る。

 ズンッ!

「なッ―――!?」

 壱姫たちが、いや、その光景を目にした全員が驚愕した。光からいきなり九十九が飛び出した。いや、飛び出したというより吹っ飛ばされてきたといった感じだ。

「チィッ!」

 バサッ!

 弧を描いて地面に叩き付けられる直前に、銀翼を羽ばたかせ、態勢を立て直す。

「九十九ッ!」

「ん? あれッ? なんで、お前等・・・・・、って、ここ、鵬鳴じゃねェかッ!?」

「そんなことよりッ、いきなりどうしたのよッ!?」

「どうしたも、こうしたも・・・・」

 ズズズッ・・・

 光の中から隗斗が現れた。数瞬、沈黙が場を支配する。

「・・・・・・」

 まるで、右腕だけを、別の何かのものと付け替えたような姿。胴体は結界の要に飛び込んだときと変わらないが、腕だけが変わっていた。人の丈ほどもある、鱗のような物に覆われた巨大な腕。

「もう・・・いらない」

 低く、地獄の底からでも聞こえてくるような、唸るような声。

 ボコンッ

 いきなり、失っていた体が再生した。と、同時に、隗斗の体内に食い込んでいた九十九の霊気が放出される。

「もう何もいらない・・・、最強の座も・・・、明日も・・・、人の身体すらいらん・・・」

 ボゴッ!

 隗斗の身体が肥大していく。

「貴様を・・・貴様等を殺す・・・」

 ベギバギャッ!

 耳障りな不気味な音を立てながら、隗斗の姿が人ではないものへと変わっていく。

「―――神影流拳霊!」

 九十九が跳躍し、人とは別の存在に変わろうとしてる隗斗に跳びかかる。霊気を収束した拳を、すでに人の顔をしていない隗斗の顔面に向けて振り下ろす。

「金剛砕!!」

 ガンッ!!

「なッ―――」

 隗斗の顔面に打ちこまれるはずの拳が、直前で止まった。不可視の壁が隗斗の肉体を覆い、九十九の拳がそれ以上侵攻することを拒んでいる。

「おおお・・・・おおおおおッ・・・・オオオオォガアアアアッ!!!」

 ドンッ!!

 爆発的な氣の放出。接近していた九十九だけでなく、壱姫たちまでふっとばされる。

「な、なんだってんだッ!」

 七香たちが張った結界近くで態勢を立て直し、着地する。

「・・・・九十九」

「ああ・・・」

 冷たい汗が流れる。結界内に満ちた隗斗の妖気の高まりに、身体が危険信号を発していた。土砂煙に影が映り、ゆっくりと隗斗が出てきた。

『・・・・・・・・・・』

 全員が絶句する。

 すでに人ではない。龍の首をもつ人体。それが黒光りする鱗に覆われ、背に巨大な皮翼があった。見上げるような巨体に対しても、一際長大な腕は、ブラリと地面につくぐらいに垂れ下げられている。

 龍面の額にある角は、鬼人の光角ではなく、頭蓋と繋がっているような物質だった。

「なんなんだよ、てめぇは・・・」

 目の前に立った隗斗らしき存在に向かって呟く。命媛の力の一部を得て、以前より強大になった九十九の身体が、目前の存在の放つ妖気に、身体が竦みそうになる。

『《妖神転化(ようしんてんげ)》。人をアヤカシの存在へとかえる禁忌の術。私は、それによって人のままでは手に出来なかった力を手に入れていた・・・・・。だが、異質なる者への変化を半ばで拒んでしまった私の心が、術を半端なものにしていた』

 ゴッ!

 隗斗の長大な腕が振り下ろされる。九十九の立っていた地面が大きく砕け、周囲が隆起した。

『だが、貴様を超えるためなら、人の身体などいらぬッ!』

 上空に跳躍して逃れていた九十九に顔を向けた隗斗が、大きく顎を開けた。

『コオオオ―――――』

 口内にバレーボール大の光球が生まれる。

『オオオオオオンッ!!』

 光球が閃光となり、九十九を襲う。間一髪でかわすが、閃光の熱が肌を焼いた。

「ぬくッ・・・、じゃあ、その化け物な姿が、てめェの今の正体ってわけかいッ!」

 両腕に《力》を集中し、隗斗にむける。

 フッ!

「なにッ!」

 隗斗の姿が消えた。

『化け物か・・・。私は、いつも貴様に対してその言葉を叫んでいたぞ』

 九十九の背筋に冷たいものが走る。振り向く間もなく、背中に強烈な衝撃を受け、九十九は地面に叩き落された。

 ドガッ!

 地面を跳ねた九十九が、隗斗の巨大な掌に顔面を鷲づかみにされ、後頭部を地面に叩き付けられた。地面がくぼみ、九十九の身体が半ば埋まる。

「て、てめェ・・・」

『・・・・・・・そういえば、おなじような状況があったな』

「何ィ?」

『今度は貴様の番だ・・・・。ボロ雑巾のように、ズタズタにしてやるッ!』

 隗斗の口内に再び光球が生まれる。

「九十九ッ!」

 壱姫が、三芽から手渡された包みを宙に投げた。

「使ってッ!」

 朱色の布がはだけ、中に収められていたものが飛び出る。

 朱色の金属板を重ね、繋いだような重厚な手甲。妖怪鍛治師 天影の造りだしたヒヒイロカネの手甲が、九十九に向かって弧を描いていた。

「―――来いッ!」

 叫びに反応し、緋甲が高速で九十九の元にたどり着く。そして緋甲自身が意思を持っているかのように、一瞬で九十九の両腕に装着された。

「神影流拳霊―――」

 両掌で隗斗の腕を挟みこむ。ヒヒイロカネの武具との同調によって急激に高まった九十九の霊気が、両掌に収束する。

「轟波掌!!」

 収束した霊気が弾け、隗斗の腕を弾き飛ばした。

『オオオオオオンッ!!』

 一瞬の差で、隗斗の放った無数の閃光をかわし、九十九が脱出した。宙を凪ぎ、地面に突き立った閃光群が爆発を起こし、土砂煙が吹きすさぶ。

「くそッ! しぶてェ奴だとは何度も思ってたけど、ここまでしぶてェと呆れるしかないぜッ!」

 ドゴゴゴゴゴッ!

 地面が九十九に向かって隆起していく。まるで、地面の下を何かが突き進んでいるかのようだ。

「―――てめェは、モグラかァッ!」

 地面の隆起向かって、九十九が跳んだ。

「神影流拳霊神威之弐!!」

 両手に龍神の氣が凝縮され、その余波で大気が鳴動する。

「八龍喉―――」

 ボゴッ!

 地面が砕け、隗斗が飛び出した。神威の態勢に入っていた九十九は、一瞬反応が遅れてしまう。

 ドズッ!

「――――九十九ッ!?」

 壱姫の叫びが響き渡る。

 鮮血が飛び散り、結界に触れて蒸発した。

「か・・・は・・・・」

 隗斗の長大な角が、九十九の胸を串刺しにしていた。

 

 

             第35章へ続く・・

 

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