第三十五章

唯 一撃を

「・・・・・・・・・」

「ニャー」

「・・・クロ助?」

 黒い友達の鳴き声に、サチが目を覚ます。猫のザラザラとした舌がサチの顔を嘗め回す。

「アハハハッ・・・・、あッ」

 クロ助を抱え、身体を起こす。サチは地面の上に寝かされていた。すぐ側に命媛が立っている。

『起きましたか?』

「う、うん・・・・・皆は?」

 キョロキョロとまわりを見るが、あるのは広大な空間だけで、壱姫たちの姿は見えない。

『我が血の子供と、その親しき友人たちは、最後の決戦へ』

 二人の前方に円状の光が浮かび上がる。

「これ・・・?」

『我の見ているモノを、空間に映し出します』

 光の中に影が生まれる。それはやがってクッキリとした映像になり、そして―――。

「九十九ッ!?」

 サチの目に飛び込んできた映像。それは、龍とも鬼ともつかない人外の者の角によって胸を貫かれた九十九の姿だった。

『よもや、これほどの《力》を残していたとは・・・』

「え・・・、もしかして、あれって」

『我が子供たちの運命の宿痾ともいえる存在。今、完全にヒトという存在を手放した、隗斗という男です』

 映像の中の九十九が隗斗の角をつかみ、自分の体から引き抜こうとする。どうやら、心臓の妖気の核からは逸れているようだ。

『完全妖怪化のときに跳ね上がった再生力が、さきほどまでの傷や疲労までも吹き飛ばしたようですね。今の隗斗の《力》は、九十九を完全に上回っています』

「か、勝てないの・・・・」

 サチが命媛を不安そうな顔で見上げる。

『・・・・・・・』

 命媛は膝をつき、サチと目線の高さを合わせた。そして、サチの不安を取り除くように、柔らかい微笑みを見せ、両肩に手を置いた。

『我が子供たちの末子は、あの者に負けることはありません。今までも、そして、この闘いも・・・・』

「・・・・・・」

『我は、あの者に最後の武器を与えてあります』

「最後の・・・武器?」

 命媛が頷く。

『全てを打ち砕く、最後の《拳》を』

 

 

 ズボッ!

「ぐあッ!?」

 隗斗が頭を振り、角から九十九を振り落とす。

「――――オオッ!」

 頭から地面に落ちる直前、九十九は片手で身体を支え、身体の真上にある隗斗の顎に向けて蹴りを繰り出す。狙いたがわず、九十九の天を貫くような蹴りは、隗斗の顎を跳ね上げた。

 が、隗斗は何事も無かったように、九十九を見下ろす。

「・・・・・このォ」

 九十九の顔が怒りに歪む。隗斗が笑った。人のものではなくなった隗斗の顔は、表情が読みにくかったが、九十九には確かに笑ってみえた。

「その面ァ、見飽きてんだよッ!!」

 龍顔に、幾度も見た隗斗の優越感に満ちた笑みが重なる。逆立ちの態勢から片腕だけで身体を浮かせ、空中で鋭く縦回転する。

「金剛砕!!」

 隗斗の腹に、渾身の一撃を叩きこむ。3倍以上の体格差がある隗斗が、その一撃で十数メートル後方に弾かれた。

『・・・・・ククク』

 ゥンッ!

 一瞬で、隗斗は九十九の目前に移動していた。追撃をかけようとした九十九は、目でも気配でも追えなかった隗斗の接近に、硬直してしまう。

 ドガッ!

 振り下ろされた隗斗の長大な腕の一撃で、九十九の身体が地面に叩き付けられ、埋もれる。

『遅い』

「―――!?」

 背後から隗斗の長い首に、緋剣の一撃を打ちこもうとした壱姫がギョッとする。後ろも見ずに、隗斗は壱姫の剣撃を掌で受け止めていた。

「炎崩撃ィッ!」

 炎を纏った棍が、隗斗の首筋に叩き込まれる。

『温い』

 ドゴッ!

「あぐッ!」

「ぐふッ!」

 隗斗の両の拳が、壱姫の腹と十吾のわき腹に叩きこまれた。身体の中からの鈍い破砕音とともに、大きく吹っ飛ぶ。

『効かん効かんッ! 先ほどと同じように通じると思うなッ!』

「じゃあ、こういうのはどう?」

 ザッ!

 いつの間にか、百荏が隗斗の足元に踏み込んでいた。霊気を帯びた緋扇を、腕を身体に巻きつけるような態勢から大きく振り上げる。

「嵐風衝!!」

『ぬッ!?』

 放出された霊気が風へと変じ、強烈な突風を巻き起こす。真下から発生した上昇風が、隗斗の巨体を木の葉のように舞い上げた。

『――――なにかと思えばッ! この程度で、どうにかなると―――』

「思っちゃいねェよ!」

 地上の黒杜の身体が霊気に包まれる。

「神影流拳霊神威之弐――――」

『馬鹿がッ! 貴様の《力》など、もう今のわたしには通じぬわ』

「なら、こういうのはどうだ!!」

 黒杜と隗斗を結ぶ線の延長、上空高くに千夜がいた。百荏の風にのって舞いあがったその身は、すでに巨大な雷球に包まれている。

「来いッ、神鳴る力―――」

 上空に出現していた一塊の黒雲から、稲妻が数条落ちる。しかし、それは七香たちが張った結界に止められた。

『・・・・クハハッ! 本当に馬鹿か、貴様等―――』

 ドガッ!

 隗斗の笑いが止まる。結界の一箇所に収束した電撃が、巨大な稲妻となって千夜の身体に落ちた。

「こいつは、お前を逃がさないために張った結界だ! 俺たちの邪魔をするはずがないだろう!」

 千夜の周囲に巨大な雷撃の輪がいくつも囲む。まるで球状の雷撃の檻に入ったような状態だ。その雷の檻の中で、千夜は、結界を張っている七香を見下ろす。雷過たちの《力》を使っているとはいえ、これだけ巨大で強固な結界を一人で張り、消耗が激しいはずだが、七香は親指を立てた拳を千夜に向かって突き出し不適な笑みを浮かべていた。

「行くぞッ、黒杜さんッ!!」

「おうよッ!!」

 千夜を囲む稲妻の檻が4匹の雷龍へと変じ、黒杜の身体を覆う霊気が両手に収束した。

「神雷・軍龍轟臨!!」

「八龍喉破!!」

 緋槍から放出された巨大な雷龍が、四匹の雷龍を従えるようにして上空から隗斗に襲いかかる。そして、地上の黒杜が放った八匹の龍形の霊気も、千夜の霊技と挟み撃ちをするかのように、隗斗に向かって猛進していった。

『ぬうッ!?』

 合わせて13の龍が展開し、隗斗の逃げ道を塞ぐ。

「どうだッ!」

「一匹が食いつけば、その隙にあとに12が襲いかかるぜッ!」

『ふんッ』

 ブゥンッ!

 隗斗の身体を不可視の力場に覆われた。先ほど、九十九の金剛砕を止めた《力》だ。

『妖餓甲厳球ッ!!』

 力場が膨張し、今度は目に見える巨大な球状の膜となった。

「なにッ!?」

 二人の放った龍の進軍が、その膜によって止められた。人が放ったものとは思えない威を込めた《力》を、薄い力の膜の防御力が勝っている。

『すごいな。妖怪というものは、ほとんどが修練する概念がないと聞くが、今ならわかるぞ。本能で自らの《力》の使い方を知っている。ヒトが血のにじむ修練でようやく発揮できる《力》を、目の前の食物を口に運ぶが如く、ただ自然に使えるのだッ』

 隗斗が高らかにいうとおりに、二人の放った龍が、徐々にその身を薄らいでいく。

「く、くそぉッ!」

『二人とも、わずかに回復した霊力を込めて渾身の技だったんだろうが、もう終わりだッ!』

「―――だったら、その前にてめェを叩っ壊す!!」

 隗斗のちょうど真下の地面が大きく砕けた。銀翼を大きく羽ばたかせ、九十九が急速に上昇する。

その左腕には、目に見えるほどの量と勢いで《力》が集まって行く。

『貴様ッ、おとなしくなったと思っていたら、《力》を集めていたかッ!?』

「壱姫たちがぶん殴られてるってのに、この俺が何もしないで倒れてるわけがねェだろうがッ!!」

 百鬼夜行全てのエネルギーを収束した《力》が、九十九の左掌に宿る。強大すぎる《力》が、無数の傷を生み出すが、すでに九十九の精神は、隗斗を叩っ斬ることのみに集中していて、その苦痛を感じることはない。

「天剣絶刀――ッ!!」

 九十九の繰り出した掌から、巨大な光の刃が生み出される。それは逆風の形で隗斗の防御膜に食いこんだ。

「なにッ!?」

 千夜と黒杜、そして地上の百荏、なんとか起きあがったばかりの壱姫と十吾、そして結界を張っている七香たち全てが、驚愕した。

 全てを切り裂き破砕する、九十九の天剣絶刀が、隗斗の防御膜に食いこんだ状態で止まってしまった。

『くくくッ、危ない危ない。先に二人の技の霊気を吸収していなかったら、受けきれなかったかもな』

「じゃあ、もう一発だッ!」

『―――なにッ!?』

 地上と隗斗のいる高さのほぼ中間あたりにいた九十九が、今度は右腕を貫手の型にして構えている。そして、その右手には先ほどと同等の《力》が込められていた。

『天剣絶刀の連撃だとッ!? 正気かッ!?』

 すでに一発目の天剣絶刀で、九十九の身体はボロボロ、左腕は緋甲の中で原型すら止めていなかった。そして、新たに撃ち出されようとする《力》で、無数に刻まれた傷がさらに裂け、血を盛大に溢れさせる。

「こちとら、この6年間、テメェを忘れたことはなかったぜ・・・。どうやったら、その横っ面をぶん殴れるか・・・。テメェをどうやって追い詰めるか・・・。どうやったら、テメェをぶち殺せるか―――。こいつはその6年間の集大成だッ!!」

 《力》の余波を受け、血が霧散していく。その紅い霧の中で、九十九が右手を振り上げた。

「天剣絶刀―――縦横刀楼じゅうおうとうろう!!」

 九十九の右腕から繰り出された巨大な光刃が、第一撃に追いつき、防御膜に食い込む。

 ズバッ!

『がッ・・・・』

 十字を描いた二つの光刃が、防御膜を薄紙のように切り裂き、そして、隗斗の身体を四つに分けた。

「―――であああッ!!」

「おおおッ!!」

 防御膜が破られた瞬間、千夜と黒杜がさらに霊気を放出した。それを受けた、双方の霊気の龍たちが復活し、その巨大な顎を大きく開く。

『うお・・・・』

 避ける暇はない。もともと逃げ道もない、その13匹の龍の牙。そして、全てを削り散らす霊気の粒子群が襲いかかる。

 ゴゴンッ!!

 鵬鳴高校の上空に爆閃と稲妻が走る。その光と衝撃に、目を開けていられるものはいなかった。

 ・・・ドゴッ!!

 何かが凄い勢いで地面に叩き付けられた音が響く。その音に全員が視線を向ける。

「ど、どうだ?」

 グランドの隅、結界のすぐ側に土煙が舞っている。おそらく神威の衝撃に吹っ飛ばされた隗斗の姿は、その土煙に隠されて見えない。

「胸のあたりで切り裂いてたけど・・・・。九十九、あいつの心臓は・・・・九十九?」

 九十九の様子に、ヨロヨロと近づいてきた壱姫が怪訝な表情をする。右手は振り上げたまま、顔は斜め下の地面に向いている。

「・・・・・」

 ビキッ!

 壱姫の耳に、何かがひび割れたような音が聞こえた。それがなんの音か・・・九十九の身体から鳴り響いたものか、それともただの幻聴だったのか、壱姫はわからなかった。その次の瞬間に見た光景に、そんなことは頭から吹き飛んでいた。

「九十九ッ!?」

 九十九の身体からいっそう激しく血が噴き出し、壱姫の視界を紅く染めた。大きく開いた九十九の口からは、叫びも呻きももれない。そしてガクリと両膝を地に落とし、前のめりに倒れ込む。

「九十九ッ! 九十九ッ!!」

 隗斗の拳撃によって肋骨が数本折れているが、その痛みさえ忘れ、壱姫が駆け寄る。

「・・・!?」

 九十九に触れかけた壱姫の腕を、血まみれ手が掴む。九十九の、同じく血にまみれた顔に、鋭い光を帯びた瞳が浮かぶ。

「あ・・いつは・・・、隗斗は・・・」

 すぐ側の壱姫にも、やっと聞こえる程度の弱弱しい声。鬼の身体を維持することもできず、光角も銀翼も消えてしまっている。

「・・・・・」

 壱姫が顔をあげ、隗斗の方へと視線を向ける。すでに土煙は収まり、すり鉢状のクレータがあらわれた。

「・・・・・」

 その場にいる全員が、動かず喋らない。各々武器を握り締めたまま、クレーターを凝視している。

「・・・・・だァッ!」

 気合にも聞こえる声を張り上げ、黒杜が一歩踏み出した。そして、何かに耐えるような険しい表情のまま、ズンズンとクレーターに近づいていく。

「待ってろ、九十九ッ。今、確かめてやるッ!」

 脂汗が浮かべる黒杜が叫ぶ。

 皆、まだ動けない。異常なまでに強力な《龍神》の《力》を発揮できる黒杜と、二つの《龍神》の霊気を持つ稀有にして強大な《力》を持った千夜が、全ての力を振り絞って放った神威の双撃。そして、命媛の氣によって《力》を増した九十九が、あれだけのダメージを受けた、天剣絶刀の二連撃。

 それだけの《力》を受け、それでもまだ隗斗が立ちあがったら・・・・。

 その恐れが、全員の身体を縛っていた。黒杜にしても、霊力の低下だけではない、その恐れによるプレッシャーを受け、何度も身体が硬直しそうになる。

「・・・・・」

 まだ、クレーターの底が見えない。

「・・・・うッ!」

 あと数歩で底が見える角度に来たところで、黒杜の足が止まる。黒杜だけじゃない。全員が、その瞬間、呼吸が止まった。

クレーターから、鱗に覆われた長大な左腕が突き出されていた。

「そんな・・・」

 バンッ!

 クレーターの端に、その左手がたたきつけられる。そしてゆっくりと、引っ張りあげられるように身体が上がってきた。

『くくくッ・・・ははは・・・はーッハッハッハッ!!』

 高笑いとともに、隗斗が立ちあがる。その姿に、壱姫たちがさらにギョッとした。

 左胸と頭、そして左腕以外の部分が、グロテスクだった。なんとかそれぞれの部位のかたちは取っているが、鱗もなく皮膚もなく、血管のような筋が走る肉の塊だ。

『さすがに、再生が遅い。だが、あれ以上の攻撃はもう無理であろう?』

 鋭い牙が並ぶ口の端が釣りあがり、おぞましい笑みが浮かんだ。

「くッ!」

 黒杜が動く。そして、一拍遅れて、千夜たちも戒めから解き放たれた。

『カアアアアアアアアアッ!!!』

 地面が、そして結界が歪んだような錯覚がおこるほどの殺気を隗斗が放った。咆哮とともに叩き付けられる殺気が、黒杜たちの動きを完全に止めてしまった。完全に恐怖が身体を縛り付け、思考と身体を切り離してしまっていた。

『すでに貴様等との決着に興味はない。だが・・・・・』

 隗斗が黒杜の前に立つ。まるで自分の身体が石にでもなってしまったかのような思いをしながら、なんとか隗斗を見上げる。

「・・・・・隗・・・斗ッ!」

『クククッ・・・。我が力、すでにお前の及ぶところではない。・・・しかし、さきほどの攻撃は、正直、恐ろしかった。九十九の天剣絶刀が我が妖気の核を捉えていれば、お前たちの追撃によって、瞬時に粉々に砕かれていただろうな」

「・・・・・・」

『よくよく私の気分を害してくれる奴らだ・・・・。まずは、貴様らの友人知人を滅して、溜飲を下げるとしよう!!』

「う―――おおおおッ!!」

 弾けるように黒杜が隗斗に向かって跳んだ。

「金剛砕ッ!!」

 バシィッ!

『くははッ』

「クッ・・・」

 黒杜の拳をまともに受け、だが、まったく身じろぎもしない。そして、一瞬で鱗が並び、隗斗の姿が元に戻る。

 ゴンッ!

「がッ!?」

 振り下ろされた隗斗の左腕に、黒杜は地面に叩き付けられる。そして、隗斗は足元に半ば埋まるように倒れている黒杜の右腕を踏みつけた。

「―――!?」

『折れたか? もろいなァ、黒杜』

 ニヤリと龍顔に笑みを浮かべ、隗斗は視線を黒杜から空へと向けた。

「――――動けェ、皆ッ!」

 大地を揺るがすような叫び。倒れたまま、血を吐きながらの九十九の大絶叫が、全員の背を押した。

『カアアアアッ!!』

 空に向かって突き出した隗斗の掌の先に、凝縮され半物質化した妖気塊が出現し、高速で撃ち放たれた。

 ガッシャアアンッ!

 ガラスの砕けるような音とともに、七香の張った強力な結界はあっけなく破られる。

「神影流棍霊―――炎崩撃ィッ!!」

「神影流剣霊―――神覇斬ッ!!」

『もはや、貴様らが何をしようと無駄だァッ!!』

 隗斗の身体から妖気が放出される。ただそれだけで、二人の身体が大きく弾かれた。

「ぬおおおッ!」

 黒杜が無理矢理身体を起こし、黒杜の足を跳ね上げる。

「金剛―――」

『無駄だと言っているッ!!』

 黒杜の拳よりも早く、隗斗の蹴りが入った。

『むッ!?』

 蹴り飛ばされた隗斗と入れ違うように、百荏が隗斗に向かって跳び込む。

「神影流扇霊―――神威之弐!!」

 両手に持つ緋扇と法具・豺華に龍神の氣が込められ、強い輝きを放つ。

「―――顎斧双牙!!」

 腕を交差させるように振るった二つの扇が、それぞれ五条の風の弾丸を作り出す。龍の牙にも似たそれは、隗斗を左右から襲いかかった。

『ケェアアアッ!』

 隗斗が奇声とともに、両掌の指から妖気を放つ。ライフルの弾丸とも見えるその氣弾は、百荏の風の牙を貫き、その衝撃をもって蹴散らした。

「隗斗ッ!!」

『ぬぅ?』

 百荏に向かって妖気を放とうとした隗斗の動きが止まる。両者の間に、雷過、疾風、冷那が飛び込んできた。すでにそれぞれの最大の《力》を放つ態勢に入っている。

「風魂ッ!!」

「氷狼爪牙!!」

「雷獣覇!!」

 疾風と冷那の放った風の《力》と氷の巨狼、そして獅子の姿をとった雷撃を纏う雷過が、隗斗に向かって突き進む。

『―――――ヌゥアアアアアアアッ!!』

 ゴドドンッ!!

 三つの衝撃音が鳴り響き、雷過がコマのように回転しながら、地面に叩き付けられた。

 一瞬早く隗斗へと襲いかかった雷過を、隗斗は妖気をまとった回し蹴りで迎撃。まるで手で軽く放られたサッカーボールのように、たやすく捕らえられ、そして吹っ飛ばされた。そして、隗斗の両掌に生み出された二つの妖気塊が、疾風と冷那の最大の《力》を、暴風に巻かれた紙くずのように打ち砕く。

「なん・・・だと?」

「ここまで、力の差があるのですか・・・・」

 斃せるとはおもっていなかった。だが、隗斗の身体に傷一つおわせられなかったという事実に愕然とする。

『くくくッ、どうした、それで終いかッ!』

「まだよッ!」

 声が響き渡る。そして、地上に太陽が召還されたような光が周囲を照らした。

「七香ッ!?」

 光の元は、七香だった。七香の持つ弓と矢が、神影流の奥義《輝閃》の光を放っている。

『・・・・どうやら、貴様も《輝閃》を完全に会得したようだな』

 自らの身体を三度切り裂いた《輝閃》で狙われているというのに、隗斗は焦る様子もみせずに、七香に視線を向ける。

『おそらく剣霊の娘以外は、《輝閃》を使えぬのであろう? あの座敷童を助けるという思念が共鳴し、奇跡ともいえる複数の《輝閃》の発現が成ったのだ』

「だけど、わたしと壱姫ちゃんは、すでに一人で《輝閃》を発動していた。『隗斗を斃す』という意識のもとでね・・・・」

 光が収束し、燐光となって矢に纏う。

『もはや神威ですら私の身体に傷をつけられぬ。そして、今の私なら、光のごときその一撃すら避けられるだろう。さあ、射ってみるがいいッ!』

「――――神影流弓霊奥義ッ! 鋒霊閃―――輝閃!!」

 ゥンッ!!

 光が走った。閃光と化した矢が隗斗の身体を貫き、煉戒市の上空を流星のように飛び越えた。

『・・・・・クククッ!』

 一瞬にも満たない時間の中の隗斗の動きが、七香の放った輝閃の軌道から、心臓の妖気の核をはずした。胸のほぼ中央を貫通し、異形の存在となった隗斗にはまったくダメージとならない風穴を作る。

『クハハハッ! ハーッハッハ―――』

 ズンッ!

『――――なッ!?』

「確かに、輝閃でなければ、今の俺たちにお前の身体に傷をつけることはできないだろう。だが、穴が空いていれば話は別だッ!!」

 背後から跳びかかった千夜の緋槍の穂先が、隗斗の身体に突き立っていた。槍の穂先が、七香の《輝閃》によって出来た貫通傷を広げ、体内深くまで進入している。

「落ちろッ、怒槌(いかづち)!!」

 千夜の声に答えるように、空から巨大な稲妻が落ちた。そして、千夜の緋閃に直撃する。

 ドンッ!!

『ぐあああッ!?』

「ど、どうだッ、いかにお前でも強力な電撃を体内に打ち込まれれば堪えるだろう!!」 

 さらに二度、三度と稲妻が落ちる。その度に苦悶の声が響き、大地を揺るがす。

『ぐおお・・・・、こ、こんなもので我が命を断てると思ってるのかァァッ!』

 隗斗が妖気を高出力で放出する。しかし、千夜は槍を手放さず、その衝撃に耐える。

「離すかよォ!!」

 四度目の稲妻。電撃が緋槍を伝い、隗斗の体内で弾けるように広がる。

「・・・・・駄目だ」

 地にふしたままの九十九の呟き。

 いくら、強力な攻撃だろうと、隗斗にはそれを無力化してしまうだけの再生力がある。もはや、妖気の核を破壊する以外に隗斗を斃す術はない。千夜たちの神威ではそれだけの力が無い。隗斗の防御力を突破できるのは、極限まで研ぎすまされた神影流の奥義《輝閃》か、馬鹿げた破壊力を一点に収束して叩きつける九十九の《天剣絶刀》のみ。

 だが、霊力を極端に酷使する《輝閃》。それを何度も使っている二人に、もうほとんど霊力はのこっていない。そして、九十九は《天剣絶刀》の二連撃によって、《鬼人》の再生力を超えたダメージを身体に刻み込んでしまった。いまだに肉体の損傷が癒える気配すらない。

「くそ・・・」

 ジャリッ!

 八方塞の状況に、右手に力が入り、我知らず砂を掴んでいた。

「・・・・・・・・・」

 九十九が、違和感を感じ、自分の右手を見た。拳を作った右手。

「・・・・・右手・・・・右腕・・・か」

「九十九・・・」

 わき腹を抑えた壱姫が九十九の側に立った。おそらく肋骨が何本かイッているのだろう。

「壱姫・・・・俺を支えてくれ」

「え・・・」

「立たせてくれるだけでいい・・・・」

「う、うん・・・・」

 血溜りの中の九十九の左腕をとり、自分の肩にまわして身体を起こす。壱姫の全身に激痛が駆け巡るが、堪え、すぐ横の九十九の顔を見た。

「・・・・・終らせるぞ、壱姫」

「・・・・うん」

 血の気が完全になくなっている九十九の顔に、一見引きつったような笑みが浮かんだ。口の端が釣りあがり、瞳の奥に鋭い光が宿る。

「人間だったら3・4回死んでなきゃなんないほどダメージがあるアンタが、何するか知らないけど・・・・信じるよ」

「・・・・おう」

 ゴォッ!!

 次で10回目の雷撃をおとそうとした千夜が、隗斗の放出する妖気に吹き飛ばされる。千夜の身体に引っ張られるように、隗斗の身体から緋槍の穂先が抜けた。

「いつもいつも、あがきよってェッ!」

 皮翼が羽ばたき、隗斗の巨体が舞いあがる。

『これで・・・終りだ』

 隗斗の身体から発せられていた殺気が一瞬消えうせる。そして、次の瞬間、さらに強烈な殺気とともに、膨大な《力》が溢れ出した。

「百鬼夜行・・・!!」

「こんな状態で撃たれたら・・・・」

『心配するな・・・。お前等を消し去るのは、この後だ』

 上空の隗斗が、下卑た笑みを浮かべる。

「どういうことよッ!」

 矢を弓に番えながら、叫ぶように七香が問う。腕に力が入らず、まともに射れるかどうかもあやしい。

『・・・・・まずは、貴様等の街を破壊する』

「なッ・・・」

 千夜たちが絶句する。その姿に満足したかのように哄笑する隗斗の身体から、さらに《力》が溢れ、周囲の空間を満たした。

『貴様等は、その無力さをかみ締めてから――――』

 隗斗の表情が凍りついた。千夜たちにも戸惑いがおこる。

 高校の施設全体を覆うように広がっていた《力》が、急激に薄らいでいく。まるで容器の中の水が、底に空いた穴に吸い落とされていくように。

『な、なんだコレは・・・・。まさかッ!』

 あわただしく首を振って周囲を見まわしていた隗斗が、下方に視線を向ける。

『つ・・・九十九ォッ!?』

 隗斗の視線の先、壱姫に支えられている九十九が、右手を空に向けている。そして、その右手に《力》は吸い込まれていた。

「ヘッ・・・、こうすりゃ《百鬼夜行》も使えまい」

『どういうことだ・・・』

 膨大な自然の《力》を、《百鬼夜行》や《天剣絶刀》のような技として使用するには、一度自分の肉体を通してコントロールしなければならない。その際、妖気を大量に消耗する。

今の九十九に、そんなことができるわけがない。百鬼夜行を使うどころか、自分の身体のダメージも癒せない九十九に。

「忘れてたぜ・・・・すっかりな」

 九十九のダメージが急速に治癒されていく。全身の傷が時間を逆行しているかのように塞がり、肌に血色が甦ってくる。

『自然の氣を、自分の《力》に・・・。いや、それは大量の不純物をとり込むだけだ。天剣絶刀のように放出はできても、自らの《力》に変えることなど出来るはずがない・・・。ならば、どこからあの《力》が・・・・』

 ヴンッ!

 隗斗の右掌の上に、妖気が圧縮され、半物質化した球が生まれた。さらに妖気が送り込まれ、ソフトボール大だった珠がグングンその質量を増していく。

『その《力》が、なんだろうとかまわんッ! 百鬼夜行が使えぬならば、まず貴様を叩くッ!』

 ドンッ!

 隗斗の巨体よりも大きくなった妖気塊が打ち出された。唸りをあげ、まっすぐ九十九に向かって高速落下してくる。

「この《力》がなんなのか、教えてやろうか?」

 ズンッ!!

『なッ・・・』

 隗斗が、そしてその場にいる全員が絶句した。小さな珠であったときでさえ、疾風たちの技をたやすく蹴散らしたほどの威力があるというのに、九十九はそれを右腕一本で受け止めていた。

 足下の地面がくぼみ、その周囲が激しく隆起したが、その中央で九十九は平気な顔で妖気塊を支えている。

「俺に施された《反魂》は、石版に封印された俺の肉体を復元し、ともに封ぜられていた俺の魂を再び接続するものだ。だが、俺の右腕は、6年前に、テメェの呪刀で切り裂かれ、失われていた」

 九十九の右腕の緋甲が、弾けるように勝手に外れた。そして銀光に包まれる右腕が現れる。

「じゃあ、今の俺の右腕はなんなのか? 塵となった俺の身体を復元しただけでは、あの場にない右腕はないはずだ」

「九十九・・・その右腕・・・」

 一番近くにいた壱姫が、その右腕の様子に気づく。右腕が光に覆われているのではない。光が右腕を形作っていた。

『まさか・・・、命媛の・・・』

「そうさッ。こいつは命媛様の《氣》が凝縮されて形作られたものなのだッ!」

 右腕が輝きを増し、その輪郭が崩れ始める。妖気塊の、右手と接触している部分が霧散していく。

『――――爆ぜろッ!!』

「ウラアアッ!!」

 バシュッ!

 隗斗が妖気塊を爆発させる。しかし、同時に九十九の右腕が輪郭を無くし、巨大な光柱となった。妖気塊がその柱光に飲み込まれ、蒸発するように消えた。

『う―――うああああッ!!!』

 そして、光の柱が空を突きぬけ、隗斗の身体も同じように呑み込んだ。

ヌゥウウウウッ』

 長大な身体をたたみ込むようにして、自分を押し砕こうとするエネルギーの本流から胸を、心臓にある妖気の核を護る。鱗が剥がれ、身体が抉れ引き裂かれていく。

 閃光が通り過ぎ、周囲の音が消えたかのように静かになる。

「・・・・・・」

 九十九の視線は、突き出した腕の延長線上に向いている。そこには、太く長い腕を交差して、丸めた身体を包み込むような姿勢の隗斗の姿があった。全身が抉られたような大きな傷を負い、右足は膝から下が吹き飛ばされていた。

『・・・・・・・』

 ビシッ!

 隗斗がバッと構えを解くと同時に、全身の傷が瞬時に治癒した。再生した右足だけは歪だが、弾け飛んだ鱗は生え変わり、傷が完全に塞がっている。

『――――コオオオオオッ!!』

 大きく開いた口に、光球が浮かび、無数の閃光となって九十九に襲いかかる。

「・・・・・」

 あきらかに狙いをつけずに放たれている閃光に、九十九は身動きもしない。閃光がその周囲の地面に突き立ち、土砂を吹き飛ばす。

 ドドドドドッ!!

 九十九の姿が、舞いあがった土砂の壁に包まれ、確認できなくなる。

『フーッフーッ!』

 人のものではなくなった顔からですらハッキリとわかるほど、隗斗の表情は怒りに歪んでいた。

『かあああ!!』

 再び巨大な妖気塊が隗斗の眼前に生成される。そして、隗斗はその鋭敏な感覚で土砂の中の気配をさぐった。

『死ぃぃぃねぇぇぇッ!!』

「てめぇに二度も殺されるのは御免だね」

『!!』

 隗斗よりさらに高い位置に、鬼人の姿へと変じた九十九がいた。隗斗の感覚は、いまだ土砂の中に九十九の気配を捉えているというのに。

『―――影身かッ!』

「そのとおりッ!」

 九十九は、気配と残像を残して敵の感覚をまどわす、旧知の猿爺(えんじい)から修得した《影身》によって、隗斗の背後にまわっていた。再び腕を形作った右腕で、隗斗をぶん殴る。

『―――ッ』

 ほぼ真上から振り下ろされた拳撃が、隗斗を地面に叩きつけた。

「ウオリャアッ!!」

 急降下してきた九十九が、再び隗斗の頭上に拳を振り下ろした。隗斗がすんでのところでそれをかわし、大きく跳ぶ。

 ドゴンッ!

 九十九の右拳が地面に埋まり、同時に衝撃が波紋のように走った。。グラウンドのほとんどがその一撃の衝撃を受け隆起し、特に九十九が撃ち込んだあたりは、隆起ではなく、爆発に近い状態だった。大小様々な土塊が吹っ飛ぶ。

(これじゃ駄目だッ)

 土塊の中を飛び込んでくる隗斗に視線を送りながら、九十九は心の中で舌打ちしている。唯の拳撃ですら、壱姫たちの神威を超える威力だ。しかし、それでは隗斗は倒せない。

『オオアアッ!』

「うらあッ!」

 隗斗の巨大な拳と、九十九の蹴りが激突し、衝撃で周囲の土塊を弾き飛ばした。

(もっと《力》を絞った一撃を・・・・)

 隗斗の拳撃がわずかに勝った。九十九はその威力に押され、バランスを崩していた。

「ぐあッ!?」

 隗斗の両掌が九十九を掴んだ。人の倍する巨体において、一際長く太い両腕。その掌も広く、九十九は隗斗の両手に両腕ごと胴を包まれている状態だった。

 そして隗斗は、長い首をもたげ、鋭い牙が並ぶ顎で九十九の左肩に噛みついた。

「あぐぅぅッ!」

『このまま、心臓ごと噛み千切ってくれるッ!』

 隗斗の龍顔のくちは、鰐のように長く、九十九の左胸を完全に覆っている。隗斗がこのまま九十九の肉体を食いちぎれば、その心臓、つまり鬼人の死点である妖気の核をも噛み砕くことになる。

「九十九ッ!」

 壱姫たちが動く。しかし、すでに限界に近い。常時に比べて酷く動きが緩慢だ。

『邪魔をするなッ!』

 九十九に噛みついたまま、どもり気味に叫ぶ。隗斗の鱗が数十枚、高速で弾け飛んだ。

「うあっ!」

「きゃあッ!」

 鱗群が鋭い刃となって、壱姫たちにおそいかかった。全員直撃はしなかったものの、かわしきれなかった幾枚かに裂傷を負わされる。

『――――ッ!』

 だが、壱姫たちの行動が、隗斗に隙を生んだ。気が壱姫達にそれた瞬間、九十九が右腕の物質化を解いた。エネルギーの状態になった右腕を隗斗の戒めから易々とはずす。

(こいつの心臓を―――妖気の核を砕ける一撃を)

 九十九を捕らえ、噛みついていた隗斗の胸は目前にあった。

 トンッ・・・

 白き光の塊のような拳が、隗斗の胸についた。

「唯 一撃を―――」

 顔の半分を肩から吹き出る自分の血で染めた九十九が、笑みを浮かべた。鋭い光を宿した瞳のまま、口の端を吊り上げたような、凄絶な笑み。

 ボッ!

 九十九の右腕は、閃光となって、隗斗の胸を貫いた。

 

 

 

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