最終章

理由

「唯一撃を―――」

 九十九の右腕が一筋の閃光となり、隗斗の胸を貫く。そして、そのまま隗斗の後方にあった校舎、その三階の端の教室に飛び込み、そしてそのまま反対まで貫き、空へと消えていった。

 ドゴンッ!

 閃光の余波に、隗斗の背中が爆ぜ、校舎の一部、教室2つ分が吹き飛んだ。衝撃に、隗斗の身体が引っ張られるように後方に飛び、両腕が九十九から離れる。

「くッ・・・」

 着地した九十九がよろける。駆けよった壱姫が後ろから支えた。

「だ、大丈夫?」

「ああ・・・・、隗斗は・・・・」

「・・・・・・」

 二人が、隗斗の方に視線をやる。十メートルほど飛ばされた隗斗がヨロヨロと立ちあがっていた。その胸には、ポッカリと穴が空いていて、その向こうが見えていた。

『・・・・・・・ぐッ』

 ピキッ!

 乾いた音が響く。空いた穴を中心にして、ひび割れたガラスのような放射状のヒビが走っていた。

『オアアアアッ!!』

 龍の顎から苦悶の叫びがもれる。

「入ったッ!」

「ヤツの妖気の核を捉えたのねッ!」

 九十九が小さく拳を固め、壱姫の表情に光が宿る。九十九が放った閃光は、隗斗の死点である心臓の妖気の核を捉え、砕いていた。

『がああ・・・ぐうッ!』

「あと一発・・・・あと一発入れりゃあ、完全に――――」

 パシュゥッ!

「ぐッ!」

 右腕の形をとろうとしていた命媛の氣が、爆ぜて消えた。それと同時に、九十九の全身を喪失感が包み、身体が鉛のように重くなる。

「九十九ッ?」

「くそッ・・・、身体を支えてくれていた命媛様の氣を使い果たしちまった・・・・」

 妖力が落ち、光角と銀翼も消失していく。

「あと一発・・・あと一発なんだッ!」

「もう大丈夫だよッ! あとは崩れていくだけ。だから、無茶は・・・」

「あいつがそんなタマかよッ!」

「・・・・・」

「完全に・・・、あいつがまた何かを仕出かす前に・・・」

「ぶちのめさないとな」

 黒杜が二人の前に立った。

「黒杜さん・・・」

「おいしいトコロもらうぜ、九十九」

「あんた、右腕折れてるだろ・・・。それに肋骨も何本か」

「テメェよりゃマシだ。それに・・・・」

 肩越しに笑みを見せる。

「根性がありゃあ、どうとでもなる!」

 ドンッ!

 地面を砕くようなダッシュで、黒杜が隗斗に向かって跳んだ。左腕に残りの霊力を収束し拳に纏う。

「でああッ!!」

『ぬうッ!?』

 バシィッ!!

 モーションの大きい黒杜の拳撃を、その巨大な掌で受け止める。

 パキィンッ!

『!?』

 ガラスが割れたような音とともに、隗斗の右手が粉々に砕けた。

『うおおおお!?』

 左の拳を黒杜の真上から振り下ろす。先に着地していた黒杜が、自分の身長の倍ほどの高さから振り下ろされる拳に突き上げるような蹴りを叩き込んだ。

 今度は、肘のあたりまでが砕けた。空中でその破片が塵に変わり舞い散っていく。

『うああ・・・うあああッ!』

「しゃあッ!」

 間髪入れずに、黒杜が隗斗の胴に拳を叩き込む。隗斗の巨体が大きく弾き飛ばされ、右のわき腹の部分が吹き飛んだ。

(身体が・・・・身体がくずれていく!?)

 身体をひねり、地面に着地した隗斗の足にヒビが入る。すでに巨体を支えることも困難なほど崩壊が進んでいた。

(生命力が尽きかけている! 命だッ! 命をとり込むんだッ!)

 隗斗が跳んだ。千夜たちの頭上を大きく飛び越える。

(有象無象とはいえ、ここには《命》が腐るほどある!)

「逃げたッ!?」

「壱姫ッ!」

「えッ!?」

「俺をつれていけ・・・・」

 千夜たちが、隗斗を追うのを見ながら、九十九が呟く。身体を支えているだけで判るほど疲労の極地にあるはずの九十九の瞳に宿る強烈な光を見て、数瞬、呆然としていた壱姫は、それと同種の光を瞳に浮かべ、大きく頷いた。

「行こう! あんたと、あたし達と、あたし達の中にある刹那たちの決着をつけるために―――」

 壱姫が九十九の腕を肩にまわす。そして、後方に目を向けた。

「私はダメだわ」

 そこには地べたに倒れてる七香がいた。

「さっきの輝閃で、完全にガス欠・・・」

「……待っててね、すぐ終わらせてくるから」

 

 ザシャッ!

『――――ど、どういうことだ?』

 身体の崩壊が進む隗斗の混乱した頭でも、その異変にはすぐ気づいた。鵬鳴高校の敷地を囲むフェンスを越え、走り回り跳び回っても、道には人が全くいない。家に進入してみても、そこにも人の気配はかけらもなかった。

『何故だッ! 何故、人間どもがいない!―――!?』

 隗斗が立ち止まる。目の前に《壁》があった。霊気によって形作られた不可視の《壁》。

『結界・・・・だと?』

「そうじゃ・・・」

『ぬッ!?』

 結界の向こう側に一人の老婆が立った。

『お前は・・・・・』

 隗斗が記憶の底から、その老婆の姿を見出す。

「六年ぶりじゃの・・・、あまりに風体がかわってるので、一瞬わからなかったぞ」

『剣霊の婆ァか!!』

「お主がとり込んだ刀路の母で、銘奈という。どうやら、200年にも及ぶお主と我等の闘いにケリがつきそうじゃの」

 バヂィッ!

『貴様の命をよこせェェ!!』

 すでに肘まで消失している腕を叩きつけ、結界を打ち破ろうとする。しかし、腕の崩壊がさらに広まるだけで、結界はビクともしない。

「壱姫たちから連絡を貰い、このあたりの住人は、すでに避難させた。お主が壱姫たちと戦っておる間にの。この街は日本でもっとも妖の活動の盛んな場所じゃ。こういった事態には慣れておってな」

『ぐおおおおおおッ!』

 なおも結界を崩そうとする隗斗の様子を、銘奈はただ冷ややかに見ていた。

「この結界も、緊急に召集した退魔師たちが力を集結させて組みあげたものじゃ。そう簡単に破れはせん。もっとも、今の貴様には、どれだけやっても突き崩せんじゃろうがな」

『命をぉぉぉおおッ!』

「そこまでにしとけ」

『!?』

 背後からの声に、隗斗が振り向く。黒杜が腕を組み、立っていた。そして、次々と千夜たちが隗斗を囲むように現われる。

『貴様等ァァッ―――』

「諦めろ。もう逃げられんぞ」

 ワンッ!

『・・・・・・・・』

 追い詰められた者と追い詰めた者たちの間にあった緊張感が一瞬で消え去った。唐突に、予想などしようもなかった犬の鳴き声が空気の張りを斬りすてていた。

(こ、こら、声だしちゃだめだよッ!)

 声を殺してる。だが、ここにいる全員の鋭敏な聴覚が、ハッキリとその声を捉えた。

 バッ!

 崩れ落ちる肉片をばら撒きながら、隗斗が跳んだ。結界内に人がいるはずがないと思い込んでいた黒杜たちと、死に物狂いで求めていたものを見つけた隗斗の気勢が、双方の反応の差を生じさせた。

「うわッ!」

 10メートルほど離れた家の庭に飛び込んだ隗斗の姿が、塀の向こうに消える。同時に幼い悲鳴がうまれた。

「ちぃッ!」

 黒杜たちが、その家に向かう。そして、塀を飛び越えようとする寸前で動きがとまった。玄関口の方から、隗斗が出来てていた。

「ちッ!」

 黒杜が舌打ちする。小学校高学年くらいの少年が、隗斗の、手首から先のない腕に抱えられている。

「婆様ッ、住人の避難は終っていたんじゃないのかッ!?」

 千夜が結界の外にいる銘菜に問う。住民が避難する時間は稼げていたはずだ。

「わからん。結界内の住人の探査は終えていたはずじゃ……」

 ワンッ!

 隗斗の足下で一匹の大型犬がほえている。見上げる先は、隗斗に捕まっている少年だ。少年は、泣き出しそうな顔のままほとんど硬直状態だ。そりゃそうだろう。あきらかに人外の者に抱えあげられ、自分の頭を丸かじりできそうな巨大な龍顔がすぐ頭上にあるのだ。

『結界を解けッ! この小僧を殺されたくなければな』

「くッ・・・」

『この程度の命をとり込んでも、焼け石に水だからな……。外のゴミどもを喰らわねばならん』

「出来るか、そんなことッ!」

 千夜が緋槍の切っ先を隗斗に向ける。が、隗斗が腕に力を込め、少年を締め上げる。少年の苦しみの呻き声に、戦闘体勢に入ろうとした千夜の気がそがれる。

「貴様等は甘いからな。全のために個を切り捨てるということができんだろう?」

「当たり前よ」

『!?』

 その声に、隗斗が振り向く。九十九と、その体を支える壱姫が立っていた。

『貴様らァ・・・』

「あんただって知ってるハズよ。私たち神影流の技は、人を護るためにある。だが、あんたはその理から外れた」

『我らの技はもともと、そんな生温い存在ではない・・・。ただ人がどれだけ強き存在になれるか。それだけのために編み出されてきた技だ。他の者が忘れたその力を私はよみがえらせた!』

「わすれたんじゃない。必要ないのよ、あんたが使ってる業は! その証拠が、あんたのその姿よ!」

『・・・・・・』

 隗斗がその龍顔ですらハッキリとわかる怒りの表情を浮かべる。

「・・・・・いくぞ・・・

 九十九が緋甲を着けた拳を握り、肩を貸す壱姫が、緋剣の切っ先を隗斗に向ける。

『貴様ら、この人質が見えんのか?』

 隗斗が少年の体を締める力を強める。少年の苦悶の声に、九十九のこめかみがわずかに引きつった。

 隗斗は間違っていた。九十九の言葉が自分に向けられたものではないことに気づかなかった。自分の視界と感覚の外にいる人物に、気づかなかった。

「――ッ!」

 最初に動いたのは千夜。緋槍を逆手に持ち、振りかぶる。

『馬鹿めッ!』

 隗斗が少年を千夜の方に向ける。これで、千夜は槍を投げられない。そして、隙をうかがう他の連中にも気をはずさない。

『――!?』

 そこで初めて、隗斗の視界に、その姿が飛び込んできた。自分を囲む神影流の使い手たち、その輪のずっと外に、その女は右の掌を突き出していた。

『――三芽!?』

 隗斗には理由はわからなかったが、遠目からでもハッキリと判るほど疲労しきっている三芽がそこにいた。そして―――

「闇鎖!」

「でぇああッ!」

 三芽と千夜の声が重なる。千夜の手から離れた緋槍が、猛速で隗斗に迫り、同時に空間を突き破ったかのように出現した黒い鎖が、隗斗の体に絡みつく。

「うわッ!?」

 胴体と腕に絡みついた黒い鎖がそれぞれ逆方向に巻き戻り、密着していた隗斗と少年の距離を開ける。

 ガスッ!

 槍の穂先が、隗斗の肩に突き立つ。衝撃で肩は砕け、少年の体が隗斗から完全に離れた。

 が、黒い鎖は、いきなり土くれのように崩れて言った。わずかに回復していた妖力が再び空になり、三芽が倒れふす。空中に放り出された少年は、一番ダメージを負っていない百荏が動き、受け止めていた。

『ぐ――おおおッ!』

 隗斗が百荏たちに向かって駆ける。

 ザッ!

『!?』

 壱姫が両者の間に割って入った。疲弊しきった身体、だた、ハッキリとした意思を持つ瞳を隗斗に向け、緋剣を真一文字に振るう。

 乾いた音とともに、隗斗の両足が腿の中程で断たれた。巨体が宙に放り投げられたような形で泳ぎ、弧を描く軌跡で百荏たちを飛び越えて地面にたたきつけられた。

『ぐぅ・・・・!?』

 九十九が隗斗を見下ろしている。その瞳には、恐ろしいほどに感情が込められていない。ただ、モノを見下ろしているだけだった。

「これで―――」

 九十九が左腕を振り上げる。

「終りだ」

 その左の手が拳を握り、霊気の光が淡く纏われる。

『なぜだ―――、何故、私は勝てない!』

「・・・・・・」

『あれだけの《力》を得て、幾度も貴様を凌駕する《力》を得てッ! 何故、貴様に勝てんのだッ!』

 すでに全身に崩壊がまわっている隗斗の叫びは、悲痛の色を帯びていた。

「・・・・・・テメェは、人の身体と心を捨てた。それまでの修練の日々も、仲間も、家族も。人としての尊厳ともいえる、それら全てを否定したとき、あんたは負けたんだ。俺にじゃない。黒杜さん達や、壱姫達にでもない!」

『ウ―――ウオオオオオオオガアアアアッッ!』

 四肢のない隗斗の体が跳ね、九十九に向かって飛んだ。その衝撃で腰から下は完全に砕け散る。しかし、隗斗はすでに自分の体のことなど頭になかった。開いただけで顔面にヒビが入るほどに大きく口を開け、九十九に向かって飛び込んでいた。

 ――殺してやる!――

 ただ一言の怨嗟。それだけが心を支配していた。九十九が次に続ける言葉はわかっていた。200年の昔、自らを人外としてまで勝とうとした男が嘲笑とともに発した言葉。

 そして、九十九は対照的に、何も心に浮かべなかった。ただ、向かってくる隗斗に対し、そして拳を突き出し、霊力を開放する。

「神影流拳霊―――金剛砕!!」

 ドゴッ!

 霊気を纏った九十九の拳が、隗斗の胸に叩き込まれる。乾いた破砕音とともに、隗斗の身体は、完全に砕け散った。

「テメェ自身に負けてる奴に、負けるわけにはいかないんだよ・・・」

『・・・・・・』

 何かを呟こうとした隗斗の顔も空中で砕け、塵に変わり、九十九の周囲を舞っていた。

「・・・・・父さん・・・刀路さん・・・、里の皆・・・、やっと皆を解放できたよ」

 一瞬だけ、幻覚のようなものでしかないと自分自身わかっているが、一瞬だけ隗斗に取り込まれた人たちの姿が見え、自分を見下ろし微笑んでくれたような気がした。

「・・・・・へへッ」

 九十九の身体がグラついた。そのまま、倒れ込み、さっきまで隗斗であった塵が、再び宙に舞う。

「九十九ッ!」

 一番に駆け寄った壱姫が膝をつき、仰向けになった九十九の顔を覗き込む。死んだようにピクリとも動かず瞼を閉じていた九十九が、やがていつもの気の抜けたような笑みを浮かべ、目を開けた。

 まず、すぐ真上にある壱姫の顔を眺めるように見てから、視線だけを変えて、自分の周りを囲んでいる千夜たちを見ていく。

「千夜」

「ああ」

「十吾」

「・・・」

「百荏」

「ええ」

「七香・・・は居ないな」

 学校でまだ倒れてるだろう七香の顔を思い浮かべ、苦笑する。

 一度、息をつき、再び壱姫と視線を合わせた。

「終ったんだよな・・・」

 九十九が呟く。涙が浮かんできた壱姫が大きく頷く。

「また、泣いてるな・・・」

「・・・あんたに会ってから、泣かされてばかりよ」

 涙を拭おうとした九十九の手をとり、胸に引き寄せる。涙はもう、溢れていた。

「もう、泣くのは嫌よ。これからは・・・」

「ああ・・・、これからは・・・」

 呟きは消え、小さな笑みのまま、九十九の意識は闇に沈んでいった。

 

 

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