第三章

鬼姫(前編)

 煉戒市 ――― 千路岬せんじみさき

「ここが依頼にあった場所だ」

「・・・・・千路岬じゃない。ここになんかあるの?」

 壱姫たち五人は、自分たちの街から一駅ほど離れたところにある千路海岸へと足を運んでいた。その一角に、海へと突きだした岬に建っている灯台がある。そこに五人は立っていた。

「下を見てみろ」

 岬の先に立った十吾が下方、つまり眼下の海を指差した。壱姫、九十九、千夜が十吾の側に寄り、岬の端から海を見下ろす。だが、岸壁にぶつかり波が水飛沫になっているだけで、他には特にこれといったものは見当たらない。

「・・・・・・何もないぞ」

「ここからは死角になっているが、この真下に洞窟がある。ちょうど水面のあたりにな」

「最近、それが発見されてね。しかも、怪しい妖気がプンプンするらしいの。煉戒市にまつわる文献を読み解いたところ、その洞窟のことが記されてたわ」

「なんでも、江戸の初期にこのあたりの海で暴れていた、人面蛇体の妖怪がそこに封じられたらしい」

「そいつの名は?」

 千夜の問いに、十吾が首を横に振る。

「調べてみたが、伝承の妖怪と一致するものはいない。おそらく唯一体の妖怪だろう」

 唯一体。種族性を持たない妖怪のことを指し、大気に滞った人の陰陽の気が、さまざまなきっかけで具現化した妖怪に多く見られる。

「分かってることは、水を操る水妖だということ。後、海の妖怪を使役することね」

「海の妖怪? 海坊主とか、杓子返しとかか」

「ん〜と・・・・、十吾、どんなのいたっけ?」

「・・・・文献にあった中で、一番やっかいそうなのは、牛鬼だね」

「牛鬼・・・・・・、えっと・・・・・」

 壱姫が数秒、宙を眺める。だが、記憶の棚にその名前は見つからない。とりあえず、九十九の方を見る。

「・・・・なんだよ?」

「鬼だから、あんたの仲間でしょ」

「あのな・・・・・。牛鬼ってのは、反り返った太い角を持った鬼の顔に、蜘蛛に似た胴体を持った海の妖怪だ」

「ふ〜ん、強いの?」

「俺の爺さんの話じゃ、なわばり争いしてた二匹の牛鬼が陸に上がっちまって、一晩で村が三つなくなったっていってたな」

「一晩で・・・・・」

 その惨状を想像した千夜が、ちょっと青くなる。

「奴ら、とにかくでかいんだ。体長10mから20m。中にゃ30mを超えるやつもいる。見た目どおり、尋常じゃねェパワーを持っているし、見た目からは想像できないほど素早い。陸に上がったら、進路上にあるもの全てを破壊しながら、猛スピードで突き進む」

「・・・・・その妖怪が暴れていたのは何百年も前なんだろ? だったら牛鬼も、もういないんじゃ・・・・」

「おそらくいるぞ」

 千夜の言葉を、あっさりと否定する十吾。

「ニュースでもやっていたが、ここ数日、この付近の海域を通る船が何隻も沈んでいる」

「それがどうしたの?」

 壱姫の問いに答えたのは、九十九。

「牛鬼は、自分の縄張りに入った船を襲い、その船の積荷を巣にため込む習性がある。昔は、牛鬼の棲み家を調べて、航路を外していたんだが、何百年もたったからな・・・・・・」

「活動を再開した牛鬼の棲み家に航路がぶつかってたわけか・・・・」

「そして、牛鬼が活動を始めたといことは・・・・、それを使役していた水妖が封印から逃れている可能性が高い」

「というわけで、私たち一族にお呼びがかかったってわけ。その水妖を封じたのは、私たち、神影流六武法を受け継ぐ一族だったらしいわよ」

「あんた・・・・、なんだか楽しそうだな」

「そう?」

 百荏が扇で口元を隠す。だが、目が笑ってる。

「壱姫。もしかして、こいつけっこう危ない女か?」

「あたしに話しかけるな」

 耳打ちしてきた九十九から三歩離れる。

「なんだよ。さっき、俺に話し掛けたじゃねェか」

「必要な情報を聞いただけよ」

「千夜ァ〜、壱姫がいじめるよォ」

「情けない声を出して俺にすがりつくな」

 千夜も三歩離れた。

「・・・・みんな冷たい」

 

 

 千路岬―――洞窟最奥部。

「・・・・・フフッ」

 洞窟奥、ドーム状に開けた最奥部に、一人の女性がいた。中央にある朽ちた祠に腰掛け、唇の端を軽く上げて、薄く笑っている。

「どうされました? 三芽みつめ様」

 シュルルゥ。

 最奥部の入り口の奥から、巨大な人影が、いや、人外の影が現れる。天井近くに浮かぶ鬼火がその姿を照らす。

 端的にいうと、下半身の代わりに特大の蛇の尾と、蛇と人間を融合したような上半身をくっつけたような妖怪。濁った青色の鱗が、鬼火の光を鈍く反射している。

「・・・・あたしたちの頭の上に、退魔師が五人いるわ」

「・・・・・・・」

「この霊気の感じは覚えがあるわ。多分、神影流の使い手ね。まだ、家系続いてたのね〜」

 どんどん険悪な気配になっていく人面蛇体の妖怪とは対照的に、三芽と呼ばれた女性は気楽そうだ。

「フフッ。楽しめそうね・・・・・」 

 

「おー、本当にあったぞ」

「見りゃわかるわよ」

 ボートを調達した九十九たちは、目的の洞窟に向かっていた。波間に見える、岸壁にポッカリと空いた洞窟に向かってボートを進める。

「先日、洞窟を調査した退魔師たちの話によると、あの洞窟は満ち潮になると水面下に隠れてしまうらしい。洞窟はしばらく横にまっすぐ伸びているので、満ち潮になると中が水に満たされ、しばらくは入ることも出ることも難しくなる」

「先に入った人たちがいるの?」

「ああ、B1級の退魔師三人。途中で逃げ帰ったらしい」

 退魔師の資格にも階級がある。資格をとったばかりのものはD級とされ、C級、B1級、B2級、A1級、A2級、そして、退魔師としては最高の階級S級の7つに分かれる。D級は見習い扱いで、A1級以上の退魔師を師として、腕を磨くことになる。個人として妖怪退治や怪現象解決の依頼を受けたりできるのは、A1級から。B1・B2級は、退魔師協会からの仕事の要請がまわってくることがある。

「B1級三人かァ。それじゃいまいち相手方の戦力はわかンねェな」

 洞窟に近づいても九十九は実にのんびりしてる。ちなみに九十九は退魔師の資格をとったばかりであるにもかかわらず、階級はB2級である。資格取得の際、その力が飛びぬけたものであれば、最初から上位の階級に立つことができる。

 壱姫たちも十代という若さで、A1・A2級の資格を取得している。

「ま、入ってみりゃわかるか」

「ホント気楽だな、お前」

「もう少しで着くぞ」

 十吾がボートの速度を緩める。

「―――!?」

「なんだッ?」

 ボートが揺れ出した。ボート周囲の水面が、荒荒しく波打っている。

「下だッ!」

 九十九の言葉に、四人がボートの縁から海面を除き込む。

 巨大な影が、ボートの真下を通りすぎる。

「・・・・・・・」

 影は、洞窟の方へ向かって、そして消えた。

「・・・・・・・・」

「すごーく嫌な予感がするのは、私だけかしら?」

「いや、俺も・・・・」

「あたしも・・・・」

「右に同じ」

「以下同文」

 ドォンッ!

 いきなり爆発したような水飛沫とともに、水面下から巨大ななにかが浮上してきた。

「うおおッ!」

「きゃあッ!」

 大量の水とともに、五人の乗ったボートが水面から跳ね上げられる。五人が宙に放り出された。

「ちィッ!」

 九十九が灯台のある岬の先端に向かって右腕を突き出す。

「伸びろ!」

 義手である右腕が幾本かの帯状の呪符にバラけ、そのうちの一本が岬の先端に向かって伸びる。さらに残りが壱姫たちに向かう。

 岬の先端を超え、灯台に呪符帯が巻きつく。五人は、岸壁に張りつくように、呪符帯に掴まっている。

「あれが・・・・牛鬼か」

 大きく捻じ曲がった角、蜘蛛をそのまま大きくしたような巨大な身体。先ほど、九十九が説明したとおりの姿の妖怪が、岸壁に張りついている五人を睨んでいる。

「体長15mってとこか。牛鬼の中じゃ若いほうだろうな」

「来るぞッ!」

 牛鬼が水面を割るように進み出す。そして、しんじられないことに、その巨体が高く跳躍した。

「うそッ!」

「しっかり掴まってろ!」

 九十九が帯を急激に戻す。ピンと張られた呪符帯が五人を吊り上げた。

 ドゴゴゴッ!

  鋼鉄の強度を持った脚の爪が岸壁を抉る。間一髪、五人はその攻撃から逃れていた。

「どうやら洞窟への進入を邪魔したいらしいぜ」

「満ち潮が迫ってる。それに、あいつに暴れられたら洞窟の入り口がふさがってしまう恐れがあるな」

「あいつの弱点は?」

「日本刀」

「何?」

「あいつの弱点は日本刀なんだ。日本刀だとスパスパ切れるし、傷も治らない」

「だが、だれも日本刀などもっていないぞ」

「火にも弱いぞ」

「それなら、僕の領分だね」

 十吾の持つ棍が炎のように揺らめく霊気に包まれる。千夜の神影流槍術が雷の力を使うように、十吾の使う神影流棍術は、炎の力を使った技を多く持つ流派である。

「じゃ、五つで決めるわよ」

 壱姫の言葉に、他の四人が頷く。

『ゴオオオオオオ―――!』

 牛鬼が雄たけびをあげる。水面がざわめき、槍のように細い水柱が立った。数十本の水槍が壱姫たちに襲いかかる。

「いくぞッ!」

 五人が岸壁を蹴り、水槍をかわす。そのまま、牛鬼に向かって落下していく。

「神影流扇霊―――螺扇輪!」

 どこから取り出したのか、百荏が四つの扇を牛姫に向かって投げた。回転する扇に宿る霊気が円盤状の刃となって、牛鬼に襲いかかる。

『ギャアオオ――!』

 身体を切り裂かれ、牛鬼が苦悶の叫びをあげる。身体を仰け反らせ、上を向くと、三つの影が視界に見えた。

「神影流剣霊―――」

「神影流拳霊―――」

「神影流槍霊―――」

 壱姫、九十九、千夜の武器、守薙、神羅、雷震が霊気に包まれる。

「神覇斬!」

「金剛砕!」

「落雷閃!」

 ドゴォン!

 15mの巨体が、2メートル足らずの人間が繰り出した技に、たたき伏せられる。

「十吾!」

「神影流棍霊―――」

 一番高く跳んでいた十吾が、棍を振り上げ、牛鬼の背中に迫る。

「炎崩撃ィッ!」

 落下の勢いを載せた棍の一撃を牛鬼に叩きつける。そこを中心に炎が爆発的に広がった。

「やった―――うおッ!?」

 水面に顔を出した九十九が再び水中に戻る。爆炎が九十九たちのところにまで届いていた。

「・・・・・思っていたほどの強さじゃなかったな」

 すでに動かなくなった牛姫の燃え盛る身体の上に、十吾が立っている。炎はまるで十吾の身体を避けるように、揺らめいていた。

「ぷはッ!」

 壱姫たちが水面から顔を出す。

「こらーッ、私たちまで燃やす気なのッ!」

「すまんな。一撃でしとめたかったんだ」

 シレッという十吾。百荏の方を見ようとせず、洞窟に目を向けていた。

「さて、行こうか」

 

 

 洞窟最奥部。

「・・・・・・牛鬼がやられました」

「ふ〜ん、そうなの」

 触れれば切れそうな険悪な雰囲気を放つ人面蛇体の妖怪の言葉に、興味なさそうに答え、爪の手入れを再開する。

「牛鬼がやられたとなると、洞窟内の護り手もそれほど役にはたたないでしょう。私が出ます」

「勝てるの? 霊気の感触からすると、そこらへんの退魔師とは比べ物にならないわよ」

「そんなことは百も承知です。まだガキとはいえ、神影流の使い手。だが、私も江戸の時代、人々に恐れられた存在。餓鬼

相手に負けることはありません。やつらの新鮮な血と肉、あなたに捧げてみせましょう」

 音もなく水妖が通路へと消えていった。

「私は、人の肉なんて食べないわよ」

 三芽があきれたように、一つため息をつく。そして、薄い笑みを浮かべた。

「馬鹿な奴・・・・。誰もあなたを助けるために封印を解いたわけじゃないのに・・・・」

 

 

    第四章に続く。       もどるよ