煉戒市千路町―――喫茶店「月下」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「みんな、何か飲む?」
店のカウンターの中に入った三芽が、明るい声で、五人に聞いた。
さっきまでいたあの洞窟のある千路岬から三十分ほど歩いたところにある、ここ喫茶「月下」に五人はいた。
突然、現れた九十九の《姉》に訳もわからぬまま連れてこられた先が少し年季の入った喫茶店だったことで、五人の混乱は極まりかけていた。
「オレンヂジュースある?」
「あるわよ。みんなも九十九と一緒でいい?」
一人をのぞいてだが。
やがて、五つのグラス乗せた盆を持って、三芽が、とりあえず五人が座ったテーブルまでやってくる。
「はい」
「あ、どうも・・・・・・えっと・・・・・」
「で、姉さん。なんでこんなトコにいるの?」
壱姫たちがなんだか話を切り出すタイミングを掴めずにいるところで、九十九があっさりと聞いた。五人の視線が三芽に集まる。
時間はすでに8時を廻っている。店のドアにはCLOSEDの掛札が掛けられており、店の中には他に誰もいない。
「私がここにいるのは、ここがあたしの店だからよ」
「姉さんの店?」
「正確には、私の親のものだけどね。もちろん、義理の、だけど」
「姉さん、ここの人の養子になってるの?」
「ええ」
頷き、薄く笑みを浮かべる。
「十年前・・・・あの事件のとき、なにかのはずみで私の封印も解けた。だけど、不完全な形で開封された私は、記憶に混乱を起こしていて、訳もわからないまま、さ迷い歩いたの。そのうち、行き倒れになり、野垂れ死にそうになった時、ある夫婦にたすけられたわ。それがこの喫茶店を経営している人達よ」
三芽が店内を見渡す。何か、心地よさそうな薄笑みを浮かべる三芽を見て、壱姫は考えこんでしまう。
壱姫がチラっと三芽の額を見る。洞窟にいるときは、そこに淡く光を放つ角があった。どうやら鬼の角というのは、妖気の塊のようなものらしい。
こうしてみていると、普通の人間と変わらないように思える。九十九もそうだ。人と鬼の間に生まれついたせいか、人の持つ陽の気《霊気》と、妖怪の持つ陰の気《妖気》を重ね持つが、九十九は霊気を主体にして使っている。そのせいか、半妖であることを忘れそうになるときがある。
「どうした?」
「えっ?」
九十九がじっと自分を見ている壱姫に声をかけると、まるで不意に声をかけられたようにハッとしている。どうやら、いつの
間にか、九十九の方に目を向けていたらしい。
「なんでもないっ」
「・・・・?」
(・・・・こいつは妖怪。そう・・・・・あたしの父様を殺した妖怪と同じ血を引いている)
壱姫の心に憎しみの火が強くともる。だが、その火を緩める言葉が浮かんでくる。
《それでは人間に殺された人の家族は皆、人間全部を憎まなくてはならないな》
《妖怪にだって善い奴はいる。無害で大人しくて、人に笑顔をもたらしてくれる奴だっているんだ》
《人と妖怪、二つの存在が争うことなく暮していけるように、その間にある掛け橋になる。それも私たちの仕事よ。そうやって仏頂面ばかりしてたら、どんな善い妖怪も、逃げてっちゃうわ》
「・・・・・・・・・」
「話、続けていいかしら?」
「あ、はいっ」
「しばらくすると私も全快して、混乱していた記憶もちゃんと思い出したわ。はじめのうちは体調が戻り次第、出て行くつもりだったけど・・・・、なんかほだされちゃってね。二人も私のこと気にいってくれて・・・・そのうち二人の養子になったわ」
「・・・・・人が」
「え?」
壱姫が何か呟く。
「壱姫ちゃん、だったわね。何?」
「・・・・人が憎くなかったんですか? だって、あなたは、200年前に、人間に・・・・・」
「そうね。正直憎くなかったっていったら嘘よ。でも、人を全て憎んだりはしなかったわ。だって、私のまわりには優しい人間もいたもの。私、それに九十九のいた村にも普通の人間がいたわ。私たちの母さんもそう。人に、それに妖怪に忌み嫌われる私たちだけど、それでも全てを憎んだりしない。父さんは妖怪で、母さんは人間で・・・・、その二人が互いを愛したから私たちがいるの。だから、私は妖怪も人間も好きよ」
三芽は笑みを浮かべ、そして一言付け加える。
「あの尾禅みたいなやつは大ッ嫌いだけどね」
なんだかこういう顔は九十九に似ているなと、千夜が思う。そして、ふと気づく。
「そういえば、三芽さんは何であそこにいたんですか。それに、尾禅もあなたのことを知っていたみたいですし」
「ああ、あそこにはね、もっと奥に尾禅が封じられていた祠があるんだけど・・・・」
三芽が上着のポケットから何かを取り出す。ピンポン玉ぐらいの赤みを帯びた金属片のようなものだ。
「これはヒヒイロカネ。自然の気が結晶化した《神の金属》と呼ばれるものの一つよ。聞いたことはあるでしょ?」
「ええ・・・・退魔師にとっては金やダイヤモンドなんかより貴重なレアメタルですよ」
「ある人から頼まれてて、このヒヒイロカネを集めてるの。尾禅の封印が長い年月で緩まって、あいつが使役していた牛鬼が活動を再開した頃、封印の基礎に使われていたこのヒヒイロカネの微弱な波動を感じて、あの洞窟にいったの。あいつの解けかかっていた封印を解いて、とりあえず、私の下僕にしといたわ。これ以上、牛鬼の被害を広げさせないようにね」
「下僕って・・・・、なんで、すぐにあいつを退治しなかったんだ? 姉さん」
「あたし、退魔師じゃないのよ? それに、しばらくすればあなたたちが来ることは分かってたからね」
「え・・・・?」
「それって、どういう・・・・」
「私にヒヒイロカネを集めさせてる人はね、あなたたちの知ってる人よ」
「えっ? 誰です?」
「それは教えない約束なの」
「・・・・・・・」
「ま、そういうことで、あなたたちのことは前から知ってたの・・・・・・九十九」
「ん?」
「・・・・大きくなったわね」
「姉さんは、ちょっとフケた?」
「・・・・・・・」
ブチッ!
・
・
PM9:00―――喫茶「月下」前。
「それじゃ、気をつけて帰るのよ。九十九、お嬢さんたちに危険がないようにちゃんと送ってあげるのよ」
「俺が送ってもらいたいぐらいだよ」
そう言った九十九は、なんだがえらくボロボロになっていた。
「姉弟の感動の再開シーンをブチ壊した報いよ」
「はいはい・・・・たく、すぐキレるんだから」
「何かいった?」
「何でもない・・・・。それじゃいこうぜ」
五人が喫茶店を離れ、駅に向かう。
三芽がそれを見送っていると、五人が立ち止まった。
「・・・・?」
なんだろうと思っていると、壱姫が戻ってくる。三芽の前に立ち、口を開くが、聞きにくいらしく、なかなか言葉を紡ぎ出さな
い。
「・・・・・・何?」
「・・・・・えっと・・・・、あなたの両親、あ、この喫茶店の人のことですけど・・・・・、あなたが妖怪・・・半妖だってことは・・・」
「知ってるわよ」
壱姫の言葉が終わらないうちに、三芽があっさりと肯定する。
「それを知っても、あの人たちは私を娘として引き取ってくれたわ。私はあの二人が、本当の父さんや母さんと同じくらい好きよ。血の繋がりはなくても、あの二人を本当の両親だと思ってる」
「・・・・・・・」
「あなたの事、聞いてるわ。父親が妖怪に殺されて・・・妖怪嫌いだってこと・・・・・。壱姫ちゃん、お願いがあるの」
「え?」
「あの子を憎まないで」
三芽の顔から笑顔が消える。
「確かに妖怪には、人を糧としか思っていないような者も多いわ。だけど、人を好きな、人に愛されたいと思っている妖怪も
いるの」
――それでは人間に殺された人の家族は皆、人間全部を憎まなくてはならないな――
――妖怪にだって善い奴はいる。無害で大人しくて、人に笑顔をもたらしてくれる奴だっているんだ――
「あの子も人間が好きなはず。多分、私より・・・。だから、人に拒絶されると、あの子は悲しむわ。だから、お願い・・・・」
――人と妖怪、二つの存在が争うことなく暮していけるように、その間にある掛け橋になる。それも私たちの仕事よ――
「あの子を妖怪として見ないであげて。一人の仲間・・・友達として見てあげて」
「・・・・・・・はい」
長い沈黙の後、壱姫が小さく頷いた。
「・・・・うん、それを聞いて安心したわ」
「・・・失礼します」
頭を軽く下げ、四人の待っている方に歩き出す。
(・・・・・・・・拒絶されると、悲しむ・・・・か)
「どうしたんだ?」
四人のところに着くと、九十九が聞いてきた。
「・・・・・学校であったとき、挨拶ぐらいしてあげる」
「は?」
「何でもない。さ、行こう。あたし疲れたわ」
「・・・おい。姉さんと、なに話したんだ? おいってばよ」
壱姫は九十九を無視して、他の三人を押すように先に歩いていく。
「お〜い」
九十九がそれを慌てて追う。
「・・・・・フフッ、いい娘だわね」
五人の背中が見えなくなると、三芽が薄く笑みを漏らした。見ようによっては苦笑ともとれる笑いだった。
「九十九・・・・・、かけがえのない友達との二度目の絆、大事にしなさいよ」
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