第六章

童(わらし)

 煉戒市中央区―――九十九の自宅マンション。

 五月八日――PM9:00。

「だからァ、仕方なかったんだってばよ、じィさんッ」

『アホぬかせッ! ワシが丹精こめて造った符偽手ふぎていを傷物にして、なんたる言いぐさじゃ』

「オレみたいな仕事してる奴にゃ、多少の荒事なんざ日常茶飯事だろっ? じぃさんだって、それをわかってて、この《腕》をオレに造ってくれたんだろがッ?」

 肩と頬に挟んだ受話器から響く、老人の大声に耳をつんざかれながら、九十九はサンドバッグのようなセイル地の袋に、服や簡単な日用品をつめ込んでいる。

「ととッ」

 袋に入れようとしたタオルを落としてしまう。右手が震えて、手元が狂ったのだ。

「とにかく、このままじゃ、普通の生活に支障があるし、学校にも行きづらいんだ。明日の昼にはそっちにつくから、用意しとしといてくれよ。じゃなっ」

『お、おい、待てッ、九十九――』

 ガチャンッ。

 強引に通話を終わらせた九十九が、受話器を置く。

「ふーッ・・・・これでいいな」

 袋に荷物を詰め終え、口の紐をキュッと締める。

 ドンッ!

「・・・・?」

 玄関の方から、何かがぶつかる音がした。まるで、人が玄関の扉にぶつかったような。

 壁に掛けてある帽子を取ろうとしていた左手を下ろし、玄関に向かう。そして、玄関のドアから五歩ほど離れた場所に立ち止まった。

「・・・・・・・この気配においは」

 九十九が、ドアを押し開く。が、30cmほど開いたところで、何かにつっかえた。ドアと壁の間から頭だけ出してみると、ドアの前に十代前半くらいの少女がひとり倒れている。

 なるべくドアを開けないように、無理やり体を押し出し、共通廊下へと出た九十九は、その少女を抱え起こした。予想通り、その少女には、見覚えがあった。かなり古い、まだ東京が江戸と呼ばれていた時代の記憶の中に。

「サチ・・・か?」

「・・・・ツクモ」

 少女が薄く目を開け、九十九の名を口にする。

「よかった・・・・また、会えた・・・・」

 少女はまた、目を閉じ、意識を失う。見れば、体のあちこちに擦り傷や打撲の跡がある。来ている服も、あちこちが擦り切れ

ている。

「・・・・・・」

 少女を抱え上げ、横目で背後に視線を送る。

「アンタか? こいつにヒドイことしてるのは・・・・」

「・・・・・・」

 いつの間にか、九十九と3メートルほど離れた場所に、全身濃い緑の衣服の男が立っていた。黒よりも闇に溶け込む色だ。

 そして、夜だというのに、サングラスを掛けている。頭髪も服と同色のバンダナで覆い、高い襟で口元を隠している。これではどんな容姿だかまるでわからない。

「そいつを渡し、このことを忘れろ。そうすれば命の保証はする」

「怖いこというねェ、初対面の高校生に・・・・・、で、断ったら?」

 男が動いた。手には、いつの間にかナイフが握られている。

「退魔師・・・・いや、裏稼業か?」

 男の持つナイフの刃には、霊気の光がともっている。

 フオンッ!

 ナイフが空を斬る。九十九は右足を下げ、少女を守るように半身になりながら、ナイフの軌道から体をずらした。

「フッ!」

 男はナイフの柄尻に左手をぶつけ、反動で突きを繰り出す。狙いは、九十九の後頭部。

「―――!」

 男が一瞬、驚愕する。男に顔を向けた九十九が、ナイフの刃を噛み、男の攻撃を止めていた。

 バキンッ!

 刃が噛み砕かれる。小さな金属音を響かせて、刃の欠片が床に落ちた。

「誰に喧嘩を売ってるか、わかってるか?」

「・・・・・・」

 タタンッ!

 男は、軽いステップで、九十九から離れる。そして、非常階段の方に音も立てずに消えていく。

「・・・・・・」

「う・・・ん」

「おっと、まずはこいつのことからだな」

 

 

 五月九日―――葦鳳家。

「壱姫。おるか?」

 祖母の声に、壱姫が文庫本を机の上に起き、部屋のドアを開けた。

「九十九の奴が来とるぞ」

「九十九が?」

「おう」

「・・・・・・・・」

 壱姫と銘奈が横を向く。いつも通り気の抜けた笑みを浮かべた九十九が立っていた。

「なんで勝手に入ってるのよッ―――?」

 壱姫が視線を下げる。

「なに? その子」

 九十九の足に隠れるように、オカッパ頭の少女がいた。怯えの見える瞳で、チラチラッと壱姫を見てる。

「隠し子?」

「あのな・・・・」

「誘拐?」

「・・・・・・・・」

「見知らぬ女に認知を求められてるとか?」

「お前がオレのことをどう見てるかよぉくわかった」

「妖怪じゃな。この子供は」

「え?」

 祖母の言葉に、視線を少女に戻す壱姫。

「・・・・・ほんとだ。妖気を放ってる」

「こいつは、座敷童ざしきわらしのサキ。すまねェが、こいつ、ここで預かってくれないか?」

「・・・・どゆこと?」

「こいつは、オレの知り合いなんだが・・・・、どうも、誰かに狙われてるらしいんだ。オレは今日から三日ほど、ここを離れないといけないから、その間、こいつを守ってくれ。じゃ、サチ、いい子にしてろよ」

 サチの頭を撫でで、玄関に向かう。

「あ、ちょっと待て」

 壱姫が九十九を追う。正門を出ようとしたところを、襟首を掴んで止めさせた。

「ぐえッ」

「あんた、なに考えてるのよ」

「なにって・・・、ここが一番安全なんだよ。どうも相手は退魔師らしくてな」

 昨日、サチを追ってきた男は、確かに霊気を使って攻撃してきた。

「で、退魔師協会に問い合わせてみたが、サチがなにか悪さして、退魔師に退治か捕獲の依頼が出た・・・・なんてことはなかった。となると、裏の依頼で、サチの、つまり座敷童の能力を狙ってきたわけだ」

「それよッ!」

「あん?」

「座敷童よッ! いつのまにか、子供達の中に入り込んで、一つの家に住みつく。その家には、幸運が宿るけど、座敷童が去った後には、不幸がやってくる。それが座敷童でしょッ? そんなの預けるなんて何考えてんのよ」

「・・・・退魔師連中じゃ、まだその誤解が残ってるのか?」

「え?」

「座敷童が離れていった家は、確かに潰れていくことが多い。だけど、それは座敷童の妖力じゃない。座敷童が与えてくれた幸運の上にあぐらをかき、努力をすることを忘れた人間が、家を潰していっただけだ」

「・・・・・・・」

「座敷童は、その家に宿る福気を受けて命を維持し、幸福を与える。福気は人間の穏やかな陽の波動を受けて、家に宿る。

座敷童が家を去るのは、その家の福気が減少したとき、つまり、家の人間が欲望を抱き、陰の気を心に満たしたときだ」

「家の気・・・・・」

「座敷童は昔から狙われてる。その幸運を呼び寄せる力を利用するため、半ば封印するように家の奥へ閉じ込め、永遠に福を受けようとする奴らだ。おそらく、サチを狙ってる奴もそうだ。できれば、側にいてやりてェが、腕はこの通り」

 九十九が右の袖をめくる。右手には肘から指先まで、包帯で巻かれている。先の、水妖『尾禅』との闘いで、右腕を構成し

ている呪符が劣化したため、義手の性質はかなり落ちていた。見た目も、すぐに作り物だとわかってしまう。

「相手がどんな手で来るか分からない以上、万全の態勢でない俺には、サチを護りきれないかもしれん。ここは、日本でも屈指の結界が張ってある。邪な気配をもった人間にゃ、キツすぎる場所だ」

「だから、ここに?」

「ああ、言ったろ? ここが一番安全だって。と、いうわけで、頼むわ」

 クルリと背を向け、正門をくぐる九十九。

「あ、ちょっとッ」

「ぐえッ」

 またも、襟首を掴み、九十九を止める壱姫。

「お前なァッ」

「どこ行くのよ」

「・・・・梅木ばいき 海人うみひとっていうじーさんのところだ。名前くらい聞いたことがあるだろ?」

「・・・・・・あ、傀儡人形造りの!」

「そうだ。当代きっての傀儡人形職人、そして現役時代は、退魔師一の符術使いといわれたじーさんだ」

「・・・あ、その右腕って」

 壱姫が九十九の右腕を指差す。九十九の義手は、繰り屍という呪符と霊木で造る、日本式ゴーレムの術を応用して、造られていたはずだ。

「ああ、この右腕は、梅木じーさんに作ってもらったんだ」

「へぇ〜」

「もォ、いいか? 俺は、先に寄らなきゃならないところがあるから、急いでんだ」

「あ、もう一つ」

「ぐおぅ!」

 背を向けた九十九の襟首を、三度掴む壱姫。

「お前、俺を殺す気か・・・」

 むせびながら振り返る。

「あのさ・・・・あんた、半妖よね」

「あ、ああ・・・・?」

「なんで、妖気を使わないの?」

「あん?」

「ほら、アンタのお姉さん、尾禅を倒したとき、角・・・生やしてたじゃない? もしかして、アンタたちってあの姿の時に、本当の力を使えるんじゃないの?」

 壱姫が、九十九と初めてあったときのことを思い出す。あのとき、九十九は、壱姫と、一緒にいた千夜をからかうためか、妖気を放って二人を挑発した。あの時感じた妖気。それはとても強い、物理的なプレッシャーさえ伴なったものだった。

「・・・・まあな」

「やっぱり・・・・、じゃあ、なんでその力を使わないの」

「・・・・・・に・・・・・から」

 九十九が口の中で、何かゴニョゴニョ言ってる。

「え?」

「・・・・・お前に嫌われるのがいやだったんだよ

「聞こえないッ!」

 壱姫が、耳に手を添えて九十九に近づく。ツクモはちょっと口元を引きつらせていた。

「お前に嫌われるのが嫌だったんだよ!」

「はッ?」

 やけくそ気味に口にした九十九の言葉に、壱姫がキョトンとする。

「・・・・ただでさえ、半妖ってことで、お前に嫌われてるんだ。鬼の姿になって、ますます嫌われるのはご免だからな」

「・・・それだけ?」

「・・・ああ。だけど、俺にとっちゃ重要なこった・・・。これで、話は終わりだな。俺はもう行くぞッ」

 半ば逃げるように、九十九が正門の前から走り去る。

「・・・・・・・・・・」

「にゃあ?」

「あ、クロ助」

 足に擦り寄ってきた黒猫を抱き上げる。自分よりも長く生きている化け猫だが、小さい頃から一緒に生活してきたためか、壱姫は、クロ助にだけは、妖怪として認識はしていない。

「・・・・・・あいつ、変な奴だね、クロ助」

「ナオ〜」

 壱姫の言葉に相槌を打つように、クロ助はのん気な泣き声を響かせた。

 

 

 第七章へ続く。         戻る?